第38話 最後に折れたのは、聖剣ではなく嘘だった
荒野の中心で、大司教バルザックが抜き放った『最後の聖剣』は、周囲の空間から貪欲に魔力を吸い上げ、禍々しい漆黒の嵐を巻き起こしていた。
あまりの魔力の奔流に、人間側の兵士たちですら強風に煽られ、悲鳴を上げて後退していく。
『我が教会の絶対なる威信を汚す者どもめ!』
バルザックの顔は、かつての慈悲深き聖職者の面影を完全に失い、権力を脅かされた者の醜い狂気に歪んでいた。彼の視線は、裏切った勇者レオルドでも魔王ルヴィアでもなく、ただ一人の男――前掛け姿の鍛冶屋、ゲンへと向けられていた。
『特に貴様だ、異端の職人! かつて我々が歴史の闇に葬った危険な禁忌を、よくも蘇らせてくれたな!』
リュシアが無言で杖を振り、ゲンの声を拡声魔法へと繋いだ。
「歴史の闇、ね」
強烈な風圧の中でも、ゲンは面倒くさそうに首の裏を掻いた。
「俺の助手が調べた記録じゃ、黒曜銀と竜の骨粉を使った鍛造は『魔力暴走を起こして吹き飛ぶ』から禁忌指定されたって話だったな。だが、俺が打って暴走なんて一度も起きたことはねぇ。俺は鉄に魔力を通さねぇからだ」
『……ッ!』
「それにな」
ゲンは腰の工具袋へ手を入れ、一枚の煤けた羊皮紙を取り出した。
「捕まえた審問官が持ってた命令書に、ご丁寧に書いてあったぜ」
バルザックの顔が強張る。
「『魔王軍大工房における禁忌技術の完全排除』。それから……『聖なる防衛体系に対する重大な脅威』だったか」
『貴様……!』
「少なくとも、今のお前らが本当に恐れてるのは魔力暴走なんかじゃねぇ」
ゲンの冷徹な声が、リュシアの魔法によって嵐の中へ響き渡った。
「魔力を一切通さねぇ不活性の黒曜銀で打った刃は、お前らが権威の象徴にしてきた『神聖なる鎧』や『結界』の魔力防御に一切干渉されず、ただの薄皮みたいにすり抜けて、地金ごとぶった斬っちまう」
ゲンは命令書をひらひらと振った。
「昔の禁忌指定まで同じ理由だったかは知らねぇが……随分と都合のいい話じゃねぇか」
教会が禁忌として封じてきた技術。
そして今、その技術を『聖なる防衛体系に対する重大な脅威』として消し去ろうとした教会自身の命令書。
魔法の奇跡などではない。少なくとも今の教会が、自分たちの絶対的な優位を現場の泥臭い技術によって打ち破られることを恐れている。
その事実が、人間側の兵士たちの前で白日の下に晒されたのだ。
『黙れえええええッ!!』
バルザックが、血を吐くような絶叫を上げた。
『神の御業を、下等な物理の理屈に貶めるなど! この神造の聖剣の圧倒的な力で、貴様らの存在ごと塵に帰してやる!』
バルザックが両手で聖剣を高く振りかぶる。刀身の根元に埋め込まれた巨大な黒核石が、限界を超えたドクドクという脈動を打ち、空を覆うほどの巨大な魔力の刃を形成し始めた。
ルヴィアが舌打ちをして長剣を抜こうとした。だが、ゲンは無造作に左手を出し、彼女を制止した。
ゲンは腰のハンマーすら抜かなかった。無防備な立ち姿のまま、ただじっと、バルザックの握る聖剣の『刀身』の根本を見据えていた。
「……やめとけ。その剣は、もう限界だ」
静かな、だが確信に満ちた一言。
『命乞いか! 今さら遅い!』
「命乞いじゃねぇ、品質管理の話をしてんだ」
ゲンは呆れたようにため息をついた。
「そのでけぇ黒核石をエンジンにして、限界以上の魔力を注ぎ込んでるが……肝心の刀身の地金が、まるで追いついてねぇ。不純物を叩き出さずに固めただけのスカスカの聖銀じゃ、その膨大なエネルギーによる内部の応力を逃がすことができねぇんだよ」
『なに……?』
「外側の分厚い魔力のメッキで無理やり押さえ込んで形を保ってるが、今この瞬間も、金属の内部では無数の亀裂が連鎖して悲鳴を上げてる。……そのまま振り下ろせば、間違いなく自壊するぞ」
ゲンは戦わない。ただ、職人としての目で真実を見抜き、事実を告げただけだ。
『小賢しい理屈を!! 消え失せろおおおッ!!』
バルザックはゲンの警告を耳に入れない。彼は狂信と共に、巨大な魔力の刃をゲンたちに向かって全力で振り下ろした。
その、瞬間だった。
極限まで魔力を注ぎ込まれ、内部に蓄積された凄まじい応力に、手抜きで固められたスカスカの聖銀の地金が、ついに耐えきれなくなった。
――ピキッ。
ガラスが割れるような小さな音がした直後。
ズガァァァァァァンッッ!!!
振り下ろされる軌道の途中で、最後の聖剣は内側から爆発を起こしたように破断した。
膨大な魔力が制御を失って暴走し、聖剣の刀身は木端微塵に砕け散る。
『ぐあああああああっ!?』
魔力の逆流と爆発の衝撃を至近距離で浴びたバルザックが、無惨な悲鳴を上げて吹き飛ばされ、地面に転がった。
同時に、砕け散った聖銀と黒核石の鋭い破片が、散弾のように周囲へと降り注ぐ。
「盾陣!!」
誰かが叫んだ。
次の瞬間。
魔王軍の一般兵たちが、一斉に動いた。
『死なない鱗鎧』を着た兵士たちは、自分一人だけを守ろうとはしなかった。
隣の負傷兵。
後方の補給兵。
魔法使いたち。
武器を失って立ち尽くす人間側の兵士まで。
彼らは互いの前へ身体を滑り込ませ、鱗鎧の曲面を外側へ向け、幾重もの防壁を作った。
ガキィンッ!
カンッ!
ギィィンッ!
鋭い破片が次々と装甲へ激突する。
だが、曲面に沿って斜めに滑り、致命的な角度を外されていく。
この戦場に、英雄一人だけの盾はない。
名もなき兵士たちが隣の者を庇い、互いに生き残るための陣形を組んでいた。
そして。
その致死の破片の雨がゲンに到達する直前。
「させん」
黒い影が、ゲンの前にふわりと立ち塞がった。
ルヴィアだ。
彼女が纏うのは、ゲンが打ち直したばかりの『倒れないための鎧』。
無数の破片が漆黒の装甲に突き刺さろうとするが、極限まで計算された装甲板の曲面が、そのすべてを斜めに滑らせて弾き飛ばす。
ガキィン、カキンという連続音が響き渡るが、ルヴィアは一歩も退かず、微動だにしない。
彼女の王としての絶対の防壁が、ただの職人であるゲンを完全に守り抜いたのだ。
「あ、ああ……私の、聖剣が……」
土煙が晴れた後。黒焦げになり、法衣をボロボロにしたバルザックが、柄だけになった剣を握りしめたまま、信じられないというように呻いていた。
「神の、奇跡が……なぜ……」
そこに、ザクッ、ザクッという整然とした足音が近づいてきた。
勇者レオルドでも、魔王ルヴィアでも、ゲンでもない。
「動くな」
バルザックを取り囲んだのは、ゲンの設計した量産の『死なない鱗鎧』を着て、『折れない短槍』を構えた、名もなき魔王軍の一般兵たちだった。
先ほど。
自らの鎧で仲間を守り。
互いを庇い合い。
破片の嵐を生き延びた兵士たちだ。
彼らは無言のまま、折れることのない確かな鉄の槍先を、地に伏した黒幕の首筋へと一斉に突きつけた。
「……終わったな」
ゲンの声が、静寂を取り戻した荒野に響いた。
勇者の証言によって教会の『嘘』が崩れ。
物理的な限界を超えた手抜きの『権威』が自壊し。
最後は、名もなき兵士たちが持つ『現場の道具』がすべてを制圧した。
それは、英雄の必殺技でも、神の奇跡でもない。
職人が持ち込んだ冷徹な物理の理屈と、品質の差が、戦争という巨大な暴力のシステムを完全に解体した瞬間だった。
地に落ちた黒幕を冷ややかに見下ろす兵士たちの頭上で、長く厚かった暗雲が割れ、戦いの終わりを告げる光が、荒野を静かに照らし始めていた。




