第36話 女魔王の鎧、完成する
大工房の奥、熱気を孕んだ静寂の中で、ゲンは革のトルソーに着せられた漆黒の鎧の前に立っていた。
それは、勇者レオルドの渾身の一撃によってひしゃげた魔王ルヴィアの専用鎧を、彼が数日かけて完全に打ち直したものだった。
装飾は一切ない。元の重装甲から不必要な厚みを削ぎ落とし、その代わりに幾重にも計算された曲面と、動きを阻害しないための細かい可動部が緻密に組み込まれている。黒曜銀をベースに星鉄を適度に配合し、硬さと粘りのバランスを極限まで突き詰めた、ただ物理的な防御力のみを追求した一品だ。
「……できたぞ」
ゲンが工具袋を置くと、少し離れた場所で待機していたルヴィアが静かに歩み寄ってきた。
彼女は新しい鎧の表面を指先でなぞり、その滑らかな手触りと、見た目に反した軽さに微かに目を瞠った。
「……随分と、軽く薄くなったな。以前の鎧の半分ほどの厚みしかないのではないか」
「厚けりゃいいってもんじゃねぇ。重心を身体の中心に寄せて、動きを阻害しねぇようにした。前みたいに正面から力任せに受け止めず、相手の力を斜めに逸らす構造だ」
ゲンは皮の布で鎧の表面の煤を拭いながら、淡々と説明した。
「そもそも、あんたは前に出すぎなんだよ。王様なんだから、大人しく後ろで踏ん反り返ってりゃいいものを」
「そうもいかん。私が前に立たねば、兵たちの士気に関わる」
「だからって、ぶっ壊れるまで無理して立ち続けるのが王様の仕事じゃねぇだろ」
ゲンは拭き終わった鎧から手を離し、真っ直ぐにルヴィアの目を見た。
「この鎧は、あんたの馬鹿力を増幅させるための魔力増幅器じゃねぇ。敵の城門をぶち破るための重装甲でもない。……敵の攻撃を確実に逸らし、致命傷を避けて、あんたの体力を一秒でも長く持たせるための構造だ」
ルヴィアは自身の鎧を見つめ、静かに息を吐いた。
「……つまり、これは私を勝たせる鎧ではないのだな」
「ああ」
ゲンは首の裏を掻きながら、短く言い切った。
「倒れないための鎧だ。王に必要なのは、敵を皆殺しにすることじゃねぇ。味方の兵士が全員生きて帰るまで、一番後ろで最後まで立っていることだろ」
その言葉は、魔王軍を侵略国家ではなく『防衛国家』として定めたルヴィアの決断を、物理的な道具の形として完全に裏打ちするものだった。
力でねじ伏せるための兵器ではない。民の居場所を守り抜き、決して倒れないための『盾』。
ルヴィアは静かに目を閉じ、その言葉の重みと、そこに込められたただの職人の不器用な労いを噛み締めた。
「……お前は、本当に」
ルヴィアの口元に、王としての威厳と、一人の女としての柔らかな笑みが混ざり合った、かつてないほど穏やかな表情が浮かんだ。
「私が欲しかったものを、一番正しい形で突きつけてくる」
彼女は目を開け、ゲンの手から兜を受け取った。
「私の命、そしてこの国の行く末は、お前の打ったこの鉄に預けよう」
「預かるつもりはねぇよ。俺はただ、壊れないように作っただけだ。……あとは、着る奴の使い方の問題だ」
ゲンは面倒くさそうに顔を背けたが、ルヴィアはそれ以上何も言わず、ただ深く、確かな信頼を込めて頷いた。
「……あの、お二人の世界に入ってるところ申し訳ないんですけど」
少し離れた場所から、リュシアがジト目で二人を睨みつけていた。
「大司教バルザックのいる人間側の本陣が、ついに動き出しましたよ。防衛線の外、国境付近の平原に、見たこともない規模の陣を敷き始めています」
その報告に、大工房の空気が一気に引き締まった。
「……ついに、元凶が自ら出てきたか」
ルヴィアの表情が、再び冷徹な魔王のそれへと戻る。
「リュシア。勇者レオルドを呼べ。そしてザガンたち全軍に、最終防衛ラインへの布陣を命じよ」
「はい!」
リュシアが駆け出していく。
ルヴィアは完成した真新しい『倒れないための鎧』を身に纏った。その漆黒の装甲は、彼女の動きに完全に追従し、一切の無駄な音を立てない。
彼女は王としてのマントを羽織り、ゲンを振り返った。
「行くぞ、大工房長。……我が国の、最後の仕上げだ」
「だから大工房長じゃねぇっての」
ゲンはハンマーを肩に担ぎ、短く鼻を鳴らした。
勝つためではない。ただ生き残り、居場所を守るため。
そのたった一つの目的のために打ち直された魔王軍が今、すべての元凶たる聖剣教会との、本当の意味での最終決戦へ向けて歩み出した。




