第33話 敵の剣でも、直す価値はある
魔王軍が「防衛」の意思を固め、前線の砦の改修が急ピッチで進められていた日の夜。
大工房の重い扉が開き、武闘派幹部のザガンが一人の男を担ぎ込んできた。
「大工房長、厄介な客が転がり込んできたぞ。手当てを頼む」
ザガンの肩を借りて立っていたのは、ボロボロの外套を羽織った勇者レオルドだった。彼の身体には、魔王軍との戦闘で負った傷とは違う、真新しい矢傷や魔法による火傷の痕が無数に刻まれていた。
「……お前、アルヴァレムへ帰ったんじゃなかったのか」
ゲンが作業台から腰を上げると、レオルドは力なく首を振った。
「国境を越えようとしたところで、教会の異端審問局に襲撃されました。私はすでに、神に背いた裏切り者として、秘密裏に処分される手筈になっていたようです」
すべてを知った勇者を、大司教バルザックは容赦なく切り捨てにかかったのだ。
「それで、かつての敵陣に逃げ込んできたってわけか。図太くなったもんだな」
「……嗤ってくれて構いません。私にはもう、帰る場所も、信じるものもありませんから」
「嗤う趣味はねぇよ」
ゲンは包帯と傷薬をレオルドに放り投げた。
「ここは工房だ。怪我人は大人しく隅で傷を塞いでろ。……それと、王様ならそっちにいるぞ」
ゲンの視線の先、炉のそばには魔王ルヴィアが立っていた。彼女は警戒するでもなく、ただ静かに没落した勇者を見下ろしている。
「追っ手は国境の防衛隊が追い払った。この魔王領は、庇護を求める者を無下にはしない。……生き延びて、真実を見届けよ、人間」
慈悲ではなく、王としての矜持を持った言葉。
レオルドは深く頭を垂れ、痛む身体を引きずるようにして、そっと壁際に座り込んだ。
「……で、そいつはどうする気だ」
ゲンが顎でしゃくったのは、レオルドが手放さずに抱えていた布包みだった。
レオルドは布を解き、中身をゲンの作業台の上に置いた。
それは先日、ルヴィアとの戦闘で真っ二つに折れ飛んだ、彼の『聖剣』の残骸だった。
「私には、もうこの剣を持つ資格はありません。ですが……自分が今まで何を握らされていたのか、最後に知っておきたいのです」
レオルドの目には、すがるような光があった。
ゲンは返事をせず、折れた刀身を手に取った。
破断面を眺める。
柄を返す。
鍔元を指でなぞり、装飾過多な黄金の留め具を軽く爪で弾いた。
「……剣として直す価値はねぇな」
レオルドの顔が僅かに強張った。
ゲンは折れた刀身を裏返した。
「だが」
低い声。
「嘘を剥がす道具としてなら、まだ使える」
「……嘘を?」
「ああ」
ゲンは細い鏨を一本取り出し、レオルドの前へ差し出した。
「お前が外せ」
レオルドは目を見開いた。
「私が……?」
「自分が何を握らされてたのか知りてぇんだろ」
ゲンは聖剣の柄を顎で示した。
「なら、自分の手で開けろ。そこの黄金の留め具だ。見た目ほど大した作りじゃねぇ」
レオルドはしばらく動かなかった。
かつて。
この剣に触れる時、彼は必ず祈りを捧げていた。
神より授けられた聖なる武具。
勇者の証。
正義そのもの。
その装飾へ、自ら工具を当てるなど考えたことすらない。
だが。
やがてレオルドは震える手を伸ばし、ゲンから鏨を受け取った。
「……どこへ」
「留め具の継ぎ目。右から二つ目だ」
レオルドは言われた通りに鏨の先を当てる。
ゲンが小さな金槌を差し出した。
「軽くでいい。真っ直ぐ叩くな。少し寝かせろ」
「……こう、ですか」
「ああ」
レオルドは息を止め。
カン、と。
自らの手で、鏨を打った。
装飾過多な黄金の留め具が、僅かに浮く。
「もう一度」
カンッ。
二度目。
パキン、と乾いた音が響いた。
黄金の留め具が外れ、作業台の上へ転がった。
レオルドの手が止まる。
自分が信じていた権威の象徴を。
初めて、自分自身の手で外した。
「……」
「貸せ」
ゲンはそれ以上何も言わず、聖剣を受け取った。
小刀と細い鏨を使い、露わになった柄の接合部を手早く分解していく。
カン、と小さな金槌の音が響く。
一つ。
また一つ。
豪奢な装飾が外されていくたび、神聖なる武具と呼ばれていたものの内部構造が剥き出しになっていった。
「やっぱりな」
ゲンはやっとこを差し込み、柄の奥に埋め込まれていたソフトボール大の黒い石――黒核石をゴトリと作業台に転がした。
「お前も知っての通り、奴隷鉱山でガキどもが血を流して掘らされてた石だ。これが魔力を無理やり増幅させるエンジンになってた」
「……」
レオルドは唇を噛みしめ、目を逸らさずにそれを見つめている。
だが、ゲンの検証はそれだけでは終わらなかった。
「問題は、こっちだ」
ゲンは折れた刀身の断面をヤスリで数回削り、その削りカスを指の腹で擦った。
「リュシア、ちょっと見てみろ」
「はい……え?」
呼ばれたリュシアが断面を覗き込み、眉をひそめた。
「断面に無数の鬆……小さな穴が空いています。それに、金属の組織が全く均一じゃありません。これ、本当に聖銀なんですか?」
「ああ。だが、極悪な粗悪品だ」
ゲンは断言した。
「聖銀ってのは魔力を通しやすいが、本来は柔らかすぎる金属だ。だから何度も叩いて折り返し、不純物を絞り出して密度を上げることで、ようやく武器としての硬度が出る」
ゲンは折れた刀身を指で軽く弾いた。
「だが、教会の鍛冶師どもは、その一番大事な『叩いて鍛える』手間を省きやがった。不純物が残ったままのスカスカの地金を、ただ剣の形に固めただけだ。そして、表面にだけ分厚い『魔力のメッキ』を施して、強靭な剣だと誤魔化した」
「魔力のメッキ……。じゃあ、この剣が折れなかったのは」
「教会の『祝福』とやらで、常に外部から魔力を注ぎ続けてコーティングを維持してたからだ」
ゲンは冷徹な事実を、淡々と現場の言葉で並べていく。
「中身が脆いから、お前自身の魔力と、この黒核石の増幅がなきゃ、自分の重さと衝撃で自壊する。つまり、教会から魔力を注ぐことを許可された者しか使えねぇし、教会に逆らえばただの鉄屑になるように作られてるんだよ。これは武器じゃねぇ。『首輪』だ」
その言葉が、大工房に重く響いた。
神聖なる正義の象徴だと思っていたものが、使い手を教会の言いなりにするための鎖であり、その魔力を支えていたのが奴隷の血肉だった。
「……これが、私が信じていたものの正体……」
レオルドは両手で顔を覆った。彼の心の中で、教会の権威は今度こそ完全に崩れ去り、灰となった。
「ただの鉄屑ではないぞ」
沈黙を破ったのは、腕を組んで一部始終を聞いていたルヴィアだった。
彼女は作業台に歩み寄り、黒核石と、断面の荒い聖銀の破片を見下ろした。
「これは、聖剣教会が長年隠し通してきた『罪の物証』だ」
「物証?」
「そうだ。人間側の民衆は、聖剣が神の奇跡によって作られていると信じ込まされている。だが、この剣の構造と素材が世に晒されればどうなる? さらに、それを振るっていた勇者本人が証言に立てば……」
ルヴィアの言葉に、ザガンやリュシアもハッと息を呑んだ。
魔王軍が軍事力で王都を焼き払わずとも、教会の支配体制を根底から打ち砕く決定的な手段が、この作業台の上に揃っていたのだ。
「ゲン、よくぞ見抜いてくれた」
ルヴィアは初めて、誇らしげな笑みを浮かべてゲンを見た。
「あ? 俺はただ、壊れた道具の作りを見たまま言っただけだぞ」
「それで十分だ。お前のその職人の目が、戦争を終わらせる刃になる」
ルヴィアは振り返り、壁際で顔を覆うレオルドに手を差し伸べた。
「お前の正義が偽りであったとしても、お前が流した涙まで嘘にする必要はない。……来い、人間。己の信じた世界を、己の手で終わらせる覚悟があるのなら」
レオルドは顔を上げた。
作業台の上には。
自分の手で最初の留め具を外した聖剣がある。
神の奇跡ではない。
奴隷鉱山の黒核石と。
粗悪な聖銀と。
教会の都合によって作られた、偽りの剣。
レオルドはしばらくそれを見つめ。
やがて、差し出された魔王の手を、震えながらもしっかりと握り返した。
剣を交えることのない、真の決着へ向けて。
山奥の職人が暴いた一つの物証が、永きにわたる人間と魔族の戦争に、終わりの号砲を鳴らそうとしていた。




