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第26話 助手は別に嫉妬していません


大工房の壁際に積まれた、修繕待ちの武器の山。


ゲンはいつものように作業台の前に座り、刃こぼれした槍の穂先を砥石に当てていた。シャッ、シャッという一定のリズムが響く中、少し離れた場所ではリュシアが竜の骨粉を乳鉢ですり潰す作業をしている。


だが、その音がどうもおかしい。


ゴリッ、ガリッ、と、時折親の敵でも親の仇でも討つかのように、乱暴で苛立たしげな音が混ざるのだ。


「……おい、リュシア」


ゲンが砥石から顔を上げずに声をかけると、リュシアはピクッと尖った耳を揺らした。


「なんですか。私は今、ゲンさんが使いやすいように最高品質の竜骨粉を精製するのに忙しいんですけど」


「粉の目が粗くなってるぞ。何か気に食わねぇことでもあんのか」


「別に! 何もありませんよ!」


リュシアはプイッと顔を背け、再び乳棒を乱暴に動かし始めた。


ゲンはため息をつき、研ぎかけの穂先を水に漬けた。数日前の夜、暗殺者からルヴィアを守った一件以来、リュシアは明らかに不機嫌だった。


あの夜、ゲンが負傷したルヴィアの鎧をその場で解いて応急処置をしたこと、そして何より、王として気を張っていた彼女に「少しは肩の力抜けよ」と、ただの職人の枠を超えた言葉をかけたこと。そのやり取りの一部始終は、後から駆けつけたリュシアの耳にも入っていたらしい。


(……世話焼きなのはいつもの事だが、今回はやけに長引いてやがるな)


ゲンが首の裏を掻いていると、木枠の治具を組み立てていた見習いのミーシャが、おずおずとリュシアのそばに近寄った。


「あ、あの……リュシアお姉ちゃん。それ、もしかして、嫉妬、ですか……?」


ミーシャの純真無垢な一言が、大工房の空気を凍りつかせた。


「しっ……!?」


リュシアは乳棒を取り落とし、顔を真っ赤にしてミーシャに詰め寄った。


「し、嫉妬!? だ、誰が誰に嫉妬してるって言うんですか! 私とゲンさんはただの職人と助手! 魔王様とゲンさんも、ただの雇い主と雇われ職人! そこに恋愛感情みたいな不純物が入り込む余地なんて微塵もありませんっ!」


「で、でも、さっきからずっと、魔王様の話になるたびに耳がピンって立って、乳鉢の音が大きくなって……」


「それは偶然です! ただ単に、この竜の骨がいつもより硬いだけです! あーもう、私が魔王様に嫉妬なんて、百年早いです!」


早口でまくし立てながら、リュシアは自分の顔を両手でパタパタと仰いだ。


「大体、ゲンさんみたいな大雑把で、鉄のことしか頭にない偏屈な職人のどこがいいんですか。食事の時間も忘れるし、怪我の処置も乱暴だし、私がちゃんと管理してあげないと、そのうち過労で倒れちゃうんですよ! ……そう、私はただの助手として、優秀な人材の健康を気遣っているだけなんです!」


これ以上ないほどの『否定の形』による好意の裏返し。


ミーシャは「はあ……」とよく分かっていない様子で頷いていたが、周囲のドワーフたちはニヤニヤと笑いながら手元の作業を進めている。


ゲンはといえば、「よく喋る奴だ」とだけ呟き、再び砥石に槍の穂先を当てていた。リュシアの態度の裏にある複雑な感情まで読み取るような器用さは、この男には持ち合わせていない。



そんな軽いラブコメの空気が流れていた大工房に、突如として冷ややかな緊張が走ったのは、その日の夕方のことだった。


「……ゲンさん、ちょっと来てください」


先ほどまでの慌てふためいた様子とは打って変わって、リュシアの声は氷のように冷たく、極めて事務的な響きを帯びていた。


「なんだ。粉はできたのか」


「粉の話じゃありません。私の魔力探知に、妙な反応が引っかかりました」


リュシアは広げた羊皮紙の地図の上に、細い指を這わせた。


彼女が指差したのは、魔王領と人間側の国境線から少し離れた、山岳地帯の一角だった。


「このルート。人間側の聖王国から、前線基地へ向かう補給路の一つですが……ここ数日、異常な規模の輸送部隊が通過しています」


「輸送部隊? 食料か、武器の補充か」


「いいえ」


リュシアは首を横に振った。


「私の探知魔法は、積荷の性質まである程度読み取れます。彼らが運んでいるのは……膨大な量の『黒核石こっかくせき』です」


その単語を聞いた瞬間、周囲で作業をしていたガルドたちドワーフ職人の手が、ピタリと止まった。


「……おい、エルフの嬢ちゃん。今、黒核石と言ったか?」


ガルドが顔を険しくして近づいてくる。


「はい。間違いないと思います。あの重く、魔力を吸収して凝縮する特有の波長は、他の鉱石にはありませんから」


「黒核石ってのは、そんなにヤバい石なのか?」


ゲンが尋ねると、ガルドは重々しく頷いた。


「ああ。奴隷鉱山と呼ばれる特殊な場所でしか採れない、極めて希少で……そして、人間どもが作る『聖剣』の核となる素材だ」


「聖剣の核、ね」


ゲンは先日、勇者レオルドが持っていた内部に亀裂の入った剣を思い出した。


「あの剣にも、同じ石が使われてるのかもしれねぇな」


「だが、そんな希少な石を、なぜ今になって大量に前線へ運ぶ? 新しく聖剣を量産でもする気か?」


「いえ、それがおかしいんです」


リュシアは地図上の、輸送部隊の目的地とおぼしき場所を指差した。


「彼らの向かっている先には、大規模な鍛冶設備はありません。あるのはただ、人間側の前線指令所と……巨大な魔法陣の基部だけです」


「魔法陣?」


「はい」


リュシアの表情が険しくなる。


「以前、私が研究院にいた頃に完成させた、大規模な『転移術式』の基盤に似ています」


「なら、その黒い石を使って転移するんじゃねぇのか」


「いいえ。それはおかしいんです」


リュシアは即座に首を振った。


「黒核石は、本来の転移触媒にはなりません。座標を繋ぐ性質も、空間を安定させる性質もない。ただ大量の魔力を吸収して、内部に圧縮する石です」


「じゃあ、何のために運んでる」


「……分かりません」


リュシアは一度そう答えた。


だが。


地図の上に置いた指を見つめながら、ゆっくりと顔色を変えていく。


「いえ……待ってください」


「なんだ」


「触媒にはならない。でも……」


リュシアの指先が、僅かに震えた。


「あれだけの量を『魔力蓄積核』として、術式の外側に噛ませたら……」


「できるのか?」


「まともなやり方ではありません」


リュシアは青ざめた顔で、ゲンを見た。


「本来なら必要な魔力を、時間をかけて安定させながら術式へ流し込むんです。でも黒核石に溜め込んだ膨大な魔力を、一気に回路へ叩き込めば……」


言葉を切る。


「術式そのものを焼き切る覚悟で、無理やり起動できるかもしれません」


「……使い捨てか」


「はい」


炉の炎が、ゴォッと不気味に鳴った。


「そんなやり方をしたら、座標が少し狂うだけで転移先がどうなるか分かりません。術者だって無事では済まない。人を送るなら、なおさらです」


リュシアは地図の上の魔法陣を睨みつけた。


「でも……教会がそこまでして、この術式を動かそうとしているのだとしたら」


彼女の言葉が途切れる。


大工房の喧騒が嘘のように静まり返り、炉の炎の音だけが不気味に響いていた。


人間側による、異常な規模の黒核石の輸送。


そして、転移魔法陣の存在。


ただの補給ではない。


何か、軍事の常識を根底から覆すような巨大な一手が、静かに、そして確実に準備されつつある。


「……おい、リュシア」


ゲンはハンマーを置き、前掛けの紐をきつく結び直した。


「その輸送部隊のルートと、目的地を正確に割り出せるか」


「はい、時間はかかりますが、探知を絞り込めば……」


「よし。ルヴィアに報告しろ。俺は……」


ゲンは作業台の上に並べた、自分が直したばかりの武具の山を見つめた。


「現場で何が起きてるか、確かめる準備をしておく」


軽い嫉妬と日常の裏側で、戦争の様相を決定的に変えるであろう巨大な事件の糸口が、山奥の職人の目の前に姿を現し始めていた。




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