第27話 奴隷鉱山の黒核石
魔王領の境界を越え、人間側の支配領域に深く入り込んだ険しい山岳地帯。
ごつごつとした岩山の斜面に身を潜めたゲンとリュシアは、眼下に広がる巨大なすり鉢状の窪地をじっと見下ろしていた。
リュシアが展開する『隠形の帳』によって、二人の気配と音は完全に遮断されている。だが、谷底から吹き上がってくる澱んだ空気と、血と泥の入り混じった不快な匂いまでは誤魔化しきれなかった。
「……ひでぇ有様だな」
ゲンは遠眼鏡を構えたまま、低く呟いた。
眼下の窪地は、山を丸ごと一つ削り取って作られたような、巨大な露天掘りの採掘場だった。
そこでは、数百人もの魔族や亜人、獣人たちが、足首に重い鉄の鎖を繋がれたまま、無言でツルハシを振るわされていた。彼らの身体は一様に痩せ細り、背中には幾重にも鞭の痕がミミズ腫れのように走っている。
過労で倒れ伏した者には、見回りの人間の監督兵から容赦のない鞭が飛び、這い蹲ってでも石を運ぶことを強要されていた。
「ここが、ガルドの親方が言っていた『奴隷鉱山』……」
リュシアが口元を押さえ、吐き気を堪えるように顔を青ざめさせた。
「見てください、ゲンさん。彼ら、魔力あたりを起こしています。あんなに高濃度の魔力溜まりの中で、防護服すら着せずに素手で掘らせるなんて……!」
彼女の言う通り、奴隷たちが岩盤から掘り出しているのは普通の鉄鉱石ではない。
周囲の光を吸い込むような、不気味なほどに黒く、そして濃密な魔力を放つ石。それこそが、昨日リュシアが探知網で捉えた大規模輸送の正体――『黒核石』の原石だった。
ゲンは遠眼鏡の倍率を上げ、採掘された黒核石が運び込まれる集積所の様子を観察した。
そこでは、武装した聖騎士たちが厳重な警備を敷く中、切り出された原石が丈夫な木箱へと次々に梱包されていた。
「……おい、リュシア。あそこの木箱に押されてる焼き印、読めるか?」
ゲンが指差した先を、リュシアが魔法で視力を強化して確認する。
「剣が交差した紋章に、王冠のマーク……あれは、聖王国アルヴァレムの『聖剣ギルド・第一工房』の刻印です。間違いないわ」
「やっぱりな」
ゲンは遠眼鏡を下ろし、短く舌打ちをした。
「少し前に、勇者と名乗る坊ちゃんが防衛砦に現れただろ。あいつが腰に下げていた立派な聖剣……刀身から微かに漏れ出ていた魔力の波長が、あの黒い石ころから出てる波長とそっくり同じなんだよ」
「え……? それじゃあ、勇者の持っているあの聖剣も……」
「ああ」
ゲンの声は、ひどく冷たく、静まり返っていた。
「神の加護だの、聖なる力だのと大層な御託を並べてたがな。結局のところ、あの綺麗に磨き上げられた『正義の剣』の核は、こんな血反吐を吐くような穴底で、魔族の命をすり減らして掘り出された石でできてるってわけだ」
人間側が掲げる『魔族討伐』という聖戦。
だがその実態は、捕らえた魔族を奴隷として酷使し、自らの戦力を強化するための『聖剣』を製造するという、血塗られた永久機関だったのだ。
勇者レオルドが盲信していた正義の足元には、無数の名もなき奴隷たちの死体が埋まっている。
「……許せません」
リュシアの肩が小刻みに震え、彼女の握りしめた杖の先端から、制御しきれない魔力の火花が散りそうになる。
「人間たちは、自分たちの欲のために……人を、こんな目に……!」
「落ち着け、リュシア。結界が揺れてるぞ」
ゲンはリュシアの肩にポンと手を置き、その魔力の暴走を静かに押さえ込んだ。
「怒鳴っても、ここで暴れても、あいつらは救えねぇ。見ろ、見張りの数と配置を」
ゲンの視線の先、窪地の周囲には等間隔で監視塔が立ち並び、多数の弓兵と魔法使いが配置されていた。
さらに、奴隷たちの足首を繋ぐ鎖は、幾つかの班ごとに太い一本の親鎖へ連結されており、親鎖の端は強固な魔力錠で封印された巻き上げ機に固定されている。
「……妙ですね」
リュシアが目を細めた。
「何がだ」
「あの巻き上げ機です。鎖を巻くだけにしては、横の機構が複雑すぎます」
ゲンは遠眼鏡を向け直した。
巻き上げ機の側面。
そこには親鎖を固定する歯車とは別に、幾つもの細い連結棒と、監督兵側にだけ突き出した操作レバーが並んでいた。
ゲンはしばらく無言で観察し、やがて低く呟いた。
「……なるほどな」
「分かるんですか?」
「あれは巻き上げるためだけの仕掛けじゃねぇ」
ゲンは親鎖から枝分かれする子鎖を目で追った。
「奴隷を作業区画ごと移し替える時、一人ずつ錠を開けちゃ面倒だ。だから親鎖の巻き上げ機に、子鎖の留め具をまとめて開閉する連動機構を噛ませてる」
「一括で……?」
「ああ。ただし操作できるのは、あの監督兵側だけだ」
ゲンの目が細くなる。
「魔力錠を開けて、あのレバーを動かせば……繋がってる子鎖の留め具も順番に外れるはずだ」
リュシアが息を呑んだ。
「それなら、全員を……」
「まだだ」
ゲンは低く制した。
「錠を開けただけじゃ逃げ道がねぇ」
その言葉に、リュシアも再び窪地全体へ目を向けた。
力押しで突破しようとすれば、必ず巻き添えが出る。見張りがパニックになって魔法でもぶっ放せば、このもろい岩盤の窪地はあっという間に崩落して、全員生き埋めだ。
ゲンは冷静に現場の構造的なリスクを見抜いていた。戦場で剣を振り回して解決できるほど、現実は単純ではない。
「……ゲンさん」
今度はリュシアが、窪地の反対側を指差した。
「西側の斜面。あそこ、見えますか?」
ゲンが遠眼鏡を向ける。
崩れかけた岩壁の中腹。
雑草と捨てられた木材に半ば埋もれながら、窪地の底から斜面の外側へ向かって緩やかに伸びる、幅の広い道の跡があった。
地面には朽ちた木製レールの残骸が残り、脇には錆びた鉱石運搬用の台車が横倒しになっている。
「……古い搬出路か」
「はい。今の集積所が作られる前に使われていたんだと思います」
リュシアは魔力探知を細く伸ばし、その先を探った。
「完全には塞がってません。途中に崩れた場所はありますけど……外側の谷まで繋がっています」
「人が通れる幅は?」
「あります。少なくとも、今使っている細い作業路よりずっと広いです」
ゲンは遠眼鏡越しに、廃止された鉱石搬出路をじっと見つめた。
数百人を一度に走らせることはできない。
だが、鎖さえ外せれば。
監視塔の死角を縫い、班ごとに流し込むことはできるかもしれない。
「……使えるな」
「え?」
「覚えとけ。あの道だ」
ゲンは短く言い、再び巻き上げ機へ視線を戻した。
「だったら、どうするんですか! このまま見捨てて帰るなんて、私……!」
「誰が見捨てるって言った」
ゲンは腰の工具袋を探り、使い込まれた小刀と、何本かの細い鏨を取り出した。
「あいつらを繋いでる鎖の構造と、巻き上げ機の魔力錠の配置は頭に入れた。……あの程度の安物の錠なら、魔力を通さずとも物理的な構造の隙を突けば開けられる」
ゲンの瞳には、怒りによる熱ではなく、職人としての冷徹な計算の光が宿っていた。
「壊すためじゃねぇ。開けるための道具を、今から特急で打つ。一旦、大工房に戻るぞ」
正義という名の暴力に使い捨てられる命。
その血塗られた鎖を断ち切るため、山奥の鍛冶屋は静かな怒りを行動に変え、反撃の準備へと動き出した。




