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第19話 聖剣は美しい。だが、もう泣いている


魔王領の最前線に位置する、岩と土で無骨に組み上げられた防衛砦。


大工房から定期的な武具の点検と修理に出向いていたゲンは、野営のテントの下で、兵士から預かった短槍の穂先を砥石にかけていた。


シャッ、シャッという音が一定のリズムで響く。


「ゲンさん、外が騒がしいですよ」


リュシアがテントの天幕を少しめくり、眉をひそめて外の様子を窺った。


「ザガン将軍たちが、やけに殺気立ってます。人間側の使者が一人、単騎で砦の前に現れたみたいですけど……」


「使者だあ?」


ゲンは研ぎの手を止め、面倒くさそうに立ち上がった。


外に出ると、砦の門の前に広がる荒野に、一人の青年が静かに立っていた。


全身を包むのは、汚れ一つない純白の聖鎧。腰には豪奢な装飾が施された長剣――聖剣を帯びている。背筋を真っ直ぐに伸ばし、魔族の兵士たちに完全に取り囲まれても、その顔に怯えや焦りは微塵もなかった。


ただ、澄んだ真っ直ぐな瞳で、砦の防衛指揮を執っていたザガンを見据えている。


「……我は聖王国アルヴァレムが第一騎士団所属、レオルド」


よく通る、若く清廉な声だった。


「無益な血を流すつもりはない。魔族の将よ、教会の命を伝える。貴様らに協力し、異端の技術を振るっている人間の職人を引き渡せ。さすれば、この砦の兵たちの命までは奪わず、軍を退かせよう」


レオルド――人間側が誇る最高戦力である『勇者』は、本気でそう言っていた。


彼の中では、神の教えこそが絶対の正義であり、魔族に騙され利用されている哀れな同胞(人間)を救い出すことこそが、己の使命だと信じ切っているのだ。


「ふはははっ! 寝言は寝て言え、人間の小僧!」


ザガンが嘲笑し、腰の剣に手を掛けた。


「俺たちが、大恩ある職人を貴様らのような狂信者に売り渡すとでも思っているのか! ここでその首を刎ねてくれるわ!」


周囲の魔族兵たちも一斉に殺気を放ち、武器を構える。


だが、レオルドは悲しげに目を伏せ、静かに腰の聖剣の柄に手をかけた。


「……愚かな。神の慈悲を拒むというのなら、力で制圧するまで」


「おいおい。勝手に人の首を取引の材料にすんな」


一触即発の空気を割って、ゲンが前に進み出た。


薄汚れた前掛けに、使い込まれたハンマーをぶら下げただけの、無防備な姿。


レオルドは目を見開き、ゲンの姿を上から下まで見分した。


「あなたが……教会の探している、人間の鍛冶師ですか」


「ああ。どうやら、そうらしいな」


ゲンはぶっきらぼうに返した。


「俺はただ、壊れた道具を直してやってるだけだが」


そして――レオルドの顔ではなく、彼が腰に帯びている聖剣へと視線を固定した。


抜身ではない。だが、鞘に収まっていても、鍔元や柄の構造、そこから漏れ出す微細な魔力の揺らぎが、ゲンの職人としての感覚を激しく刺激していた。


「……おい、その剣。少し抜いて見せてみろ」


「なっ……」


レオルドは眉をひそめた。


「これは神より賜りし、聖剣ギルドの最高傑作。大司教猊下の祝福を受けた至高の聖剣です。いかに同胞とはいえ、魔の側に堕ちた者に軽々しく見せるわけにはいきません」


「いいから抜け。ちょっと見りゃ分かる」


ゲンのただならぬ雰囲気に圧されたのか、あるいは自らの聖剣の美しさを見せつければ目が覚めるとでも思ったのか。


レオルドは躊躇いながらも、チャキ……と澄んだ音を立てて、聖剣を鞘から半分ほど引き抜いた。


眩いばかりの青白い光が、荒野に放たれる。


寸分の狂いもなく磨き上げられた刀身。美しい波紋。一見すれば、誰もが息を呑むような完璧な剣だ。


だが、ゲンは目を細め、刀身に反射する太陽の光の屈折と、鞘走りの際に鳴った金属の『共鳴音』を脳内で処理した。


「……綺麗な剣だ」


ゲンはポツリと呟いた。


レオルドが少しだけ安堵の表情を浮かべた、次の瞬間。


「だが、もう泣いてるぜ。そいつは」


「……何?」


レオルドの表情が硬直した。


「表面は綺麗に磨き上げて誤魔化してるがな、中身はボロボロだ。お前、その剣に無理な魔力を込めて、硬いもんを何度も叩き斬ってきただろ」


ゲンは、聖剣の鍔元の少し上あたりを指差した。


「無理な魔力注入を重ねたせいで、金属の内部に応力が溜まりきってる。光の屈折がそこだけ僅かに歪んでる。それに、さっき鞘から抜いた時の音も妙だった」


「き、貴様……何を……」


「断言できるのは、開いて中まで調べてからだ」


ゲンは面倒くさそうに首の裏を掻いた。


「だが、まず間違いねぇ。内部にはもう、細かい亀裂マイクロクラックが走り始めてるぞ」


「き、亀裂だと……!?」


レオルドは顔色を変え、自身の剣の刀身を見つめた。


だが、魔力を見ることはできても、金属の物理的な状態を見抜く目を持たない勇者には、ゲンの言う歪みなど一切見えなかった。


「出鱈目を言うな! この剣は、いかなる魔族の刃にも決して折れることのない、神の加護を受けた聖剣だぞ!」


「神の加護が金属疲労を直してくれるなら、世話ねぇな」


ゲンは面倒くさそうに首を掻いた。


「俺は職人だ。鉄のことは鉄に聞け。そんな内部に亀裂を抱えた状態で、次も同じように全力で魔力を込めて叩きつけてみろ。根本からポッキリと折れて、お前の命ごと終わるぞ」


事実を見抜いた上での、職人としての純粋な警告だった。


だが、それを「至高の聖剣に対する侮辱」としか受け取れないレオルドの顔に、明確な怒りの色が浮かんだ。


「……哀れな」


チャキッ、とレオルドは聖剣を鞘に納めた。


「魔族に唆され、神聖なる武具の美しさすら見えなくなってしまったのですね」


「好きに言え」


ゲンは肩をすくめた。


「折れる前に止めた方がいいと思ったから言っただけだ。信じるかどうかは、お前の勝手だ」


「……」


レオルドは黙り込んだ。


怒りに満ちていたはずの瞳が、ほんの僅かに揺れる。


やがて彼は、ゲンの薄汚れた前掛けと、その背後に並ぶ魔族兵たちの武器へ視線を移した。


丁寧に研ぎ直された短槍。


破損した箇所だけを交換できる鎧。


人間側の武具とは似ても似つかない、飾り気のない道具の数々。


「……一つだけ、答えてください」


レオルドの声から、先ほどまでの怒りが少しだけ薄れた。


代わりに滲んでいたのは、どうしても理解できないものを前にした、純粋な困惑だった。


「あなたは人間でありながら……なぜ、神の敵たる魔族に手を貸すのですか」


ゲンは何も答えない。


レオルドは、真っ直ぐに彼を見据えた。


「あなたの打った武器が、どれだけ多くの同胞の血を流すことになるか……本当に、理解しているのですか」


乾いた風が、二人の間を吹き抜けた。


生真面目な勇者の純粋な信仰と、鍛冶屋の冷徹な物理の眼。


決して交わることのない二つの価値観が、真正面からぶつかった。


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