第18話 人間側、山奥の職人に気づく
大工房には、今日も絶え間なく金槌の音が響いていた。
下級兵たちの生還から数日。ゲンの作った『折れない短槍』と『死なない鱗鎧』は、前線から戻る部隊の証言によって瞬く間に軍全体へと知れ渡り、大工房は装備の更新と修理に追われる熱狂的な活気に包まれていた。
ゲンが火かき棒で炉の温度を調整していると、背後から重々しい足音が近づいてきた。
「……邪魔をするぞ」
振り返ると、そこに立っていたのは武闘派幹部のザガンだった。
彼の姿は、出陣前の威圧的な態度からは想像もつかないほど泥と煤に塗れていた。だが、ゲンの目を引いたのは彼の顔色ではなく、その身を包む鎧だった。
ザガンが着ているのは、かつて彼自身が「薄っぺらい鉄片の集まり」と嘲笑し、試しにと試験的に身につけていった大型の鱗鎧である。
その左肩から胸元にかけて、何枚もの鉄板がひしゃげてめくれ上がり、繋ぎの革紐が断ち切られていた。人間の重装騎士が放った渾身の斬撃が、袈裟懸けに叩き込まれた生々しい痕跡だ。
かつての魔王軍が使っていた、分厚い一枚板の装甲であればどうなっていたか。硬いだけの鉄は刃を真正面から受け止め、結果として衝撃に耐えきれず割れ、中の肉体ごと両断されていたはずの致命の一撃である。
「ひどい有様だな」
ゲンは火かき棒を置き、作業台に寄りかかった。
「だが、あんたの首は繋がってる。内臓も無事なようだな」
ザガンは無言のまま、ひしゃげた胸元の鉄板を撫でた。
「……敵の聖騎士の剣が迫った時、俺は死を覚悟した」
ポツリと、ザガンが地を這うような低い声で零した。
「だが、刃は俺の肉に届く前に、この重なり合った鉄片のカーブに沿って滑り落ちた。衝撃は分散され、俺は落馬することすらなく、体勢を崩した敵の首を刎ねることができたのだ」
「だから言ったろ。真っ向から受け止めずに滑らせりゃ、薄い鉄でも人は死なねぇってな」
ゲンは前掛けのポケットから小さなやっとこを取り出し、ザガンに向かって手を差し出した。
「脱げ。ひしゃげたパーツは張り替えだ。中の革が切れてねぇなら、五分で直る」
そのぶっきらぼうで、いつもと何一つ変わらない職人の態度を前にして。
ザガンはゆっくりと首を横に振り、そして、ゲンの目の前で深く、不器用に頭を下げた。
「……前言を、撤回する」
「あ?」
「俺は、人間の小僧が作る安物などと貴様を侮辱した。だが、俺はこの薄っぺらい鉄屑に……貴様の仕事に、確かに命を拾われたのだ」
ザガンの顔は、泥と煤の下で微かに朱に染まっていた。職人を軽視していた己の慢心が完全に折れ、その事実を認めることへの照れ隠しと、命を救われたことへの純粋な感謝が入り混じっていた。
「今後、貴様の仕事に口を挟む真似は一切せん。俺たちの命は、貴様に預ける」
武闘派の筆頭であるザガンのその言葉は、魔王軍における古参たちのわだかまりが、完全に消え去ったことを意味していた。
「……へえ。あんなに偉そうに吠えてたのに、随分と丸くなりましたねえ」
横からひょっこりと顔を出したリュシアが、ニヤニヤと笑いながらザガンをからかった。
「うぐっ……! エ、エルフの小娘、貴様に言ったわけではない!」
「よせ、リュシア。仕事の邪魔だ」
ゲンはリュシアの頭を軽く小突き、ザガンから受け取った鱗鎧を金床に置いた。
「命を預かるなんて大層な気はねぇよ。俺はただ、壊れた道具を直して渡すだけだ。さっさと直すから、おとなしく待ってろ」
ゲンがハンマーを振るい始める。ザガンは気まずそうに腕を組みながらも、その叩き出される鉄の音を、どこか頼もしげな目で見つめていた。
大工房の熱気の中、一つの確かな信頼が打ち直されていた。
* * *
同じ頃。魔王領から遠く離れた、人間側の中心地――聖王国アルヴァレム。
白亜の大理石が冷たく光る、聖剣教会の奥の院では、重苦しい静寂が支配していた。
円卓を囲む高位の神官たちの顔には、焦燥と、隠しきれない苛立ちが浮かんでいる。
「斥候からの報告は真実か。魔王軍の装備が、根底から一新されていると?」
「事実です。折れやすいと軽蔑していた奴らの粗悪な剣は、粘り強い短槍へと変わり、防具は特殊な構造の鎧へと置き換わっています。さらに、悪路をものともしない新型の荷車により、我が軍の遊撃部隊による補給線分断作戦も完全に無力化されました」
報告を読み上げる神官の声が震えていた。
「あり得ん……。あの知恵の回らぬ魔族どもに、これほど短期間で兵站と装備を立て直す組織力があるはずがない。一体、誰の仕業だ」
「……報告によれば、魔王軍の装備改善を主導しているのは、魔族ではありません。山奥の工房に拠点を構えていたという、人間の鍛冶師のようです」
その言葉に、円卓の空気が一段と冷え込んだ。
「人間の裏切り者か。だが、ただの鍛冶師の知恵一つで、軍全体が変わるものか?」
「問題は、それだけではありません」
報告をしていた神官が、声をひそめるようにして言葉を継いだ。
「第一騎士団の生き残りが、恐るべき証言をしています。我らの誇る絶対の防御呪縛が施された聖鎧が……何者かの刃によって、魔法的な抵抗を一切無視され、まるで紙切れのように『すり抜けられて』斬り裂かれた、と」
「なっ……!?」
神官たちが一斉に立ち上がり、顔色を失った。
「馬鹿な……。まさか、あの『禁忌の刃』か?」
「記録上、魔力暴走を引き起こして術者を吹き飛ばすとして、とうの昔に封印されたはずだ。だが、もしも……もしもあの裏切り者の人間が、その禁忌の配合を魔力なしで再現したというのなら……!」
教会の者たちの目に宿っていたのは、単なる敵対心ではなかった。
自分たちが長年独占し、世界を支配するための絶対の優位性である『聖剣と聖鎧』の権威。それを根底から無効化し、覆してしまうかもしれない技術への、異常なまでの恐怖と警戒感だった。
「放置はできん。直ちに芽を摘まねば、我らの正義が揺らぐぞ」
奥の院の重い扉が開き、一人の青年が足を踏み入れた。
純白の聖鎧に身を包み、腰に豪奢な聖剣を帯びた、生真面目な顔つきの青年。彼こそが、教会が誇る最高戦力――勇者レオルドであった。
「お呼びでしょうか、大司教猊下」
レオルドが恭しく片膝をつく。円卓の奥の暗がりから、冷酷な意思を孕んだ声が下された。
「勇者レオルドよ。君に討伐の命を下す。目標は魔王ではない」
声の主は、重々しい口調で告げた。
「魔王領の奥深くに、魔族に与し、神聖なる武具を冒涜する異端の技術を振るう人間の裏切り者がいる。その鍛冶師を捕らえ、我らの前に引き出せ」
レオルドは顔を上げず、ただ真っ直ぐに命令を受け止めた。
「……もし、その者が連行を拒み、魔族と共に抵抗した場合は?」
一瞬の沈黙の後、凍りつくような非情な命令が、大理石の部屋に響き渡った。
「構わん。異端の徒として、匿う魔族ごと、その工房を灰燼に帰せ」
「御意。すべては、主の正義のために」
勇者レオルドは深く頭を下げ、立ち上がった。
山奥で鉄を打つ職人の存在は、ついに人間側という巨大な組織の目を完全に引き寄せた。彼らが振りかざす狂信的な正義の刃が、魔王領へ向けて静かに振り下ろされようとしていた。




