第15話 壊れない荷車が戦争を変える
大工房で量産が始まった新型の鱗鎧と、折れない短槍。
それらは木箱に詰められ、前線で戦う魔王軍の兵士たちの元へ次々と送り出される……はずだった。
だが、数日後。ゲンは前掛け姿のまま、大工房の外にある薄暗い搬出所に立ち、山積みになったままの木箱を面倒くさそうに見上げていた。
「……おい。三日前に仕上げた第一陣の防具が、まだこんなに残ってんぞ。どういうことだ」
ゲンの問いかけに、搬出の指揮を執っていた魔族の輜重兵が、疲労困憊といった顔で肩を落とした。
「申し訳ありません、大工房長。前線への道は険しく、荷車が次々と道中で壊れてしまっているのです。車輪が割れ、車軸が折れ……今は兵士たちが背負って運んでいますが、重い鎧や武器となると、どうしても一度に運べる量に限界がありまして」
「荷車が壊れる?」
ゲンは眉をひそめ、搬出所の隅に打ち捨てられていた、無残な姿の荷車の残骸へと歩み寄った。
それは以前、武器庫を見た時にも転がっていた、使い捨ての粗悪な木製荷車だった。
ゲンはしゃがみ込み、ひび割れた車輪の中心――車軸が通っていた丸い穴の周辺を指の腹でなぞった。そして、折れて無残に裂けた車軸の木材の断面に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。
「……焦げ臭ぇな」
「えっ?」
「木が炭化してやがる。おい、お前ら。この荷車を引く時、車軸に油を差してねぇのか?」
輜重兵は戸惑ったように顔を見合わせた。
「油、ですか? いえ、荷車は木で組んでそのまま引くものだと……油など差せば、滑って車輪が抜けてしまうのでは?」
「馬鹿野郎」
ゲンの呆れたような声が響いた。
「木と木が直接触れ合ったまま重い荷物を積んで走らせりゃ、凄まじい摩擦が起きる。摩擦は熱を生み、木を内側から焦がして削っちまうんだよ。削れてできた隙間がガタつきを生んで、最後には段差の衝撃に耐えきれずにへし折れる。道が悪いんじゃねぇ、お前らが油も差さずに木を削りながら走ってるから壊れるんだ」
ゲンはさらに、砕け散った車輪の破片――スポークと呼ばれる放射状の木の棒を拾い上げた。
「それに、この車輪の組み方も最悪だ。なんで車軸に対して垂直に、真っ直ぐ棒を組んでやがる」
「そ、それは……車輪とは真っ直ぐなものだからでは?」
「平らな石畳の上を優雅に走る馬車ならそれでもいい。だが、ここは戦場の悪路だぞ。真っ直ぐに組まれた車輪は、上からの重さには耐えられても、石に乗り上げた時の『横からの揺れ』に極端に弱い。横から衝撃が来れば、木の棒は簡単にポッキリといく」
重い鎧を積んで、摩擦で車軸を燃やしながら、横揺れに弱い車輪で悪路を走る。
これでは前線に辿り着く前に荷車が木っ端微塵になるのも当然だった。
「リュシア!」
ゲンが声を張り上げると、搬出所の入り口で荷物の目録をチェックしていたエルフの少女が、小走りで駆け寄ってきた。
「はいはい、何ですか? 私は今、前線からの受領書の確認で忙しいんですけど」
「後回しだ。お前、昨日山で狩ってきた魔獣の肉、脂身はどうした」
「えっ? 脂身なら、後で石鹸か何かの材料にしようと思って瓶に詰めてますけど……」
「全部持ってこい。それから、ガルドの親方を呼べ。炉に火を入れ直す」
ゲンは前掛けの紐をきつく結び直し、ハンマーを手に取った。
「武器だけ作って満足してた俺の落ち度だ。いくら戦場で死なない鎧を作っても、届かなきゃ意味がねぇ。……兵站の足回りを、根底から作り直すぞ」
大工房に戻ったゲンは、すぐさま作業台に図面となる木炭の線を引いた。
呼び出されたガルドと、見習いのミーシャがその図面を覗き込む。
「いいか、ガルドのおっさん。あんたのところの職人総出で、荷車の車軸の太さに合わせた『鉄の筒』を大量に作れ。車軸の先端に被せるキャップと、車輪の穴の内側にはめ込むスリーブの二種類だ」
「鉄の筒だと? 木材の補強か?」
「摩擦を殺すための軸受けだ。木と木が擦れるから削れる。なら、鉄と鉄を擦り合わせりゃいい。その間にリュシアが持ってくる獣の脂をたっぷり塗り込めば、摩擦は劇的に減る」
ガルドは図面を見て、ふむと顎髭を撫でた。
「なるほど、鉄同士を滑らせるか。確かにそれなら、車軸が燃えることはあるまい。造作もないことだ、すぐにかからせよう」
「頼む。……ミーシャ」
「は、はいっ! 親方!」
ゲンに呼ばれ、亜人の少女がピンと背筋を伸ばした。
「お前の腕の見せ所だ。車輪の組み方を根本から変える」
ゲンは図面の横に、斜めに傾斜がついた車輪の断面図を描いた。
「真っ直ぐな車輪は横揺れに弱い。だから、車輪のスポークを、車軸に対して少しだけ外側に傾斜をつけて組め。全体を『浅いお椀のような形』にするんだ」
「お椀の形……ですか?」
「ああ。これを『ディッシュ(皿)構造』って言う。横から衝撃が来ても、斜めに組まれた木材が突っ張って力を逃がしてくれる。寸法は図面に書いた。一本でも角度が狂えば車輪が回らなくなる。できるか?」
極めて精密な木工技術が要求される作業だ。だが、ミーシャは怯えることなく、力強くこくりと頷いた。
「やります! 親方が教えてくれた治具作りと同じです、角度は絶対に狂わせません!」
「上等だ。かかれ」
ゲンの号令と共に、大工房が再び活気づいた。
剣でも鎧でもない。ただの「荷車」を直すために、魔王軍の誇る大工房がフル稼働を始めたのだ。
数時間後。
大工房の外の搬出所に、組み上がったばかりの新型荷車が姿を現した。
見た目は以前の木製荷車と大差ないように見えるが、車輪はわずかに外側へ向かって傾斜しており、車軸の中心部には鈍く光る鉄の部品がはめ込まれている。その隙間からは、リュシアが持ち込んだ獣の脂がたっぷりと塗り込まれ、独特の匂いを放っていた。
「本当に、これで壊れなくなるのでしょうか……」
輜重兵が半信半疑の顔で、荷車の持ち手を握る。
「御託はいい。積めるだけ積んでみろ」
ゲンの指示に従い、兵士たちは新型の鱗鎧や短槍が入った木箱を、次々と荷台に積み込んでいった。
一箱、二箱、三箱……。
これまでの荷車であれば、この時点で車軸がギシギシと悲鳴を上げ、車輪が歪み始めていたはずの重量だ。しかし、新型荷車はピクリとも沈み込まない。
結局、従来の二倍以上の物資が積み込まれた。
「さあ、引いてみろ」
ゲンが顎でしゃくると、輜重兵は覚悟を決めたように持ち手を強く握り、力一杯に前に体重をかけた。
――スッ。
音もなく。
本当に、驚くほど滑らかに、二倍の重量を積んだ荷車が前に進み始めた。
「えっ……!?」
輜重兵は目を丸くし、自分の手と荷車を交互に見比べた。
「か、軽い……! こんなに積んでいるのに、まるで空の荷車を引いているみたいだ!」
以前であれば、数歩進むごとに「ギィィィ、ガァァァ」という木が削れるような不快な摩擦音が響き渡り、二人の兵士が汗だくになって引かなければ動かなかった。
だが今は、獣の脂と鉄の軸受けが摩擦を完全に殺し、たった一人の兵士の力で、重い荷物が静かに滑るように運ばれていく。
さらに、搬出所の石畳の段差に車輪が乗り上げても、お椀型に組まれたスポークが「しなり」を生み、横からの衝撃を完璧に吸収して逃がしていた。車体がブレず、安定感がまるで違う。
「す、すげぇ……! これなら、どんな悪路でも一気に前線まで走れるぞ!」
周囲で見ていた他の輜重兵たちからも、どよめきと歓声が沸き上がった。
彼らは今まで、物資が届かないことを無能だと罵られ、遅れを取り戻すために過労で倒れるまで荷車を引き続けてきたのだ。
「泣いてる暇があったらさっさと前線に届けてこい。お前らが運ばなきゃ、あいつらは丸腰のままだぞ」
ゲンがぶっきらぼうに言うと、輜重兵たちは涙を拭い、「はっ! すぐに出発します!」と元気よく敬礼し、新型荷車を引いて勢いよく駆け出していった。
その背中を見送りながら、リュシアが呆れたようにため息をついた。
「まったく。私が苦労して集めた獣の脂が、まさか荷車の車軸に塗られることになるなんて思いませんでしたよ」
「文句言うな。あれがなきゃ、お前の命懸けの結界魔法も、ルヴィアの号令も、全部前線に届く前に立ち消えになるんだ。戦争ってのは、剣を振る奴じゃなく、飯と武器を運ぶ奴が支えてるんだよ」
ゲンは前掛けで手を拭いながら、鼻を鳴らした。
その様子を、大工房の上の連絡橋から静かに見下ろしている影があった。
魔王ルヴィアだ。
彼女の元には、すでに前線の部隊長たちから驚愕の報告が次々と舞い込んできている。
『補給の速度が従来の三倍に跳ね上がりました!』
『武器の欠品なし。新型の鎧、全兵士に行き渡りました!』
派手な魔法兵器が開発されたわけではない。一騎当千の英雄が現れたわけでもない。
ただ、「荷車が壊れなくなった」。
たったそれだけの、極めて地味で当たり前の物理的な改善が、魔王軍の枯れかけていた血流を劇的に蘇らせていたのだ。滞っていた物資が末端の兵士まで行き渡り、折れない槍と死なない鎧が、彼らに立ち向かう勇気を与えている。
「……やはり、私の目に狂いはなかった」
ルヴィアは、搬出所で次々と荷車を送り出しているゲンの背中を見つめ、熱を帯びた吐息を漏らした。
強大な魔力や、一振りの名剣などではない。
組織の誰もが見落としていた足元の弱点を見抜き、ただの鉄と脂と木工技術で、軍全体を底上げしていく。
山奥から来た職人の手によって、魔王軍は今、静かに、だが確実に、決して崩れない強靭な要塞へと変貌を遂げようとしていた。




