閑話:身だしなみ
五十六階層以降の探索準備が進む中、リオはますます訓練に打ち込んでいた。
朝は剣を振り、昼は魔法の制御を見直し、夕方には感知の訓練をする。
少しでも強くなりたい。
少しでも、蒼天の軌跡の役に立ちたい。
その気持ちが、リオを訓練へと向かわせていた。
けれど、その結果として――。
「リオ」
ミアの声が、いつもより少し低かった。
訓練所から戻ってきたリオは、思わず足を止める。
「はい?」
「最近、また適当になってきてるよね」
「何がですか?」
「身だしなみ」
リオは思わず視線をそらした。
心当たりは、あった。
王都でミアに連れられて美容室へ行った時は、確かに髪も整えられ、服装にも少し気を使うようになっていた。
けれど、深層攻略の準備が始まってからは、どうしても訓練が優先になっていた。
「ちょうどいいところがあるの」
「いいところ?」
「王都で行った美容室、覚えてる?」
「……覚えてます」
忘れられるはずがない。
「その支店が、ベルグランにもできたんだって」
リオは嫌な予感を覚えた。
ミアはにこりと笑う。
「だから、行こう」
「……誰がですか?」
「リオが」
リオは言葉に詰まった。
正直に言えば、行きたくなかった。
王都でミアと行った経験は、それほど悪くはなかった。
疲れて寝ていたからだが……。
ただ、あの場所で整えられた後に鏡で見た自分は、いつもに比べても完全に女の子だった。
それが、落ち着かない。
「でも、今は深層探索の準備もありますし……」
「準備は確かに大事。でも、身だしなみも大事だよ?」
ちょうどそこへ、セレナが通りかかった。
ミアはすかさず声をかける。
「セレナも、リオに何か言ってやってくれない?」
ミアにそう言われ、セレナはリオを見た。
訓練で乱れた髪。
動きやすさを優先した可愛げのない服。
そして、全く化粧っけのない顔。
セレナは一瞬だけ考えた後、真面目な顔で頷く。
「そうね。身だしなみは大事よ」
「セレナさんまで……」
「蒼天の軌跡の一員なら、なおさらね」
リオは困惑した。
「深層探索に、身だしなみはあまり関係ないと思うんですが……」
「あるわ」
セレナは即答した。
「探索者として人前に出る以上、見られ方も大事よ。ギルドでも、他のパーティでも、第一印象は無視できないもの」
そこへ、ちょうどレオルがやって来た。
「何だ? 何の話だ?」
ミアはすかさず振り返る。
「レオル。身だしなみって大事だよね?」
「おう。大事だな」
レオルは迷いなく頷いた。
「ほら」
「それに、レオルを見て」
「レオルだって、髪も髭も整えてるし、服装にも気を使ってるでしょ?」
本当にそうだった。
確かにレオルは探索時も含めて、いつも見た目を整えている。
ミアが勝ち誇ったようにリオを見る。
「レオルさん、身だしなみって探索者にとって大事ですか?」
「当然だろ。戦う前からだらしなく見えたら、相手になめられる」
「それに、いつ誰に見られるとも限らないからな」
そこに通りがかったドルクも静かに口を開いた。
「大事だぞ」
リオは少し驚いてドルクを見る。
「ドルクさんまで?」
ドルクはいつも通り無表情だった。
「髪が乱れていれば、視界に入る。服が乱れていれば、動きに影響する」
ドルクは短く言い切った。
セレナも、ミアも、レオルも、真面目な顔をしていた。
リオは全員を順に見回す。
誰も笑っていない。
むしろ、自分だけが分かっていないのではないかという気さえしてきた。
「……分かりました」
リオは小さく息を吐いた。
「そこまで皆さんが言うなら、行ってきます」
そこにセレナが追い打ちをかける。
「リオ、今日だけじゃだめよ」
「必ず月に一回は身だしなみを整えなさい」
「これは、蒼天の軌跡のメンバーとして当然のことです」
リオはすっかりうなだれて答えた。
「分かりました……」
「少し準備してきます」
リオはそう言って、部屋を出て行った。
扉が閉まる。
一拍。
二拍。
「……ぷっ」
最初に肩を震わせたのはレオルだった。
「くくっ……ミア、セレナ、あれはちょっとひどいんじゃないか?」
「リオ、完全に信じてたぞ」
それを合図に、ミアも耐えきれずに吹き出した。
「ふふふっ。みんな、協力ありがとう」
「ちゃんと私に合わせてっていう合図、分かってくれたね」
「だってそうしないと、リオ、すぐにまた適当になっちゃうんだもん」
「せっかく綺麗なのに」
セレナも口元を押さえながら、静かに笑っている。
「あれで良かったのかしら。ちょっと可哀想な気もするけど」
ドルクも笑う。
「セレナが一番ノリノリだったが」
セレナは小さく頷いて答えた。
「まぁ、身だしなみが大事なのは本当だし」
「王都から帰った時のリオは、本当に綺麗だったもの」
そして、少しだけ照れたように笑う。
「ついミアに乗っちゃった」




