第76話 フィエル①
「皆疲れたでしょうから、一度休息しましょう。詳しい話はまた夜にね。ミア、アレッタを客室に案内してくれる?」
セレナがそう言って、その場は一時解散となった。
「それじゃ、部屋を案内するねー」
ミアに促され、アレッタは宿の二階へ上がっていく。
「わぁ……すごい宿ですね……」
部屋へ入ったアレッタが、きょろきょろと辺りを見回した。
「ベルグランのA級パーティって、やっぱりすごいんだ……」
ミアが少し得意げに笑う。
「まぁねー!でも、そのうちアレッタも慣れるよ」
「よろしくお願いします!」
アレッタはぺこりと頭を下げた。そして、思い出したように続ける。
「あ、そうだ。今度、蒼天の軌跡の倉庫も見せてもらえるんですよね?」
その瞬間、再び目が輝く。
「どんな古代遺物があるんだろう……!もしかしたら凄いものもあるかも……!」
その様子に、ミアは思わず苦笑した。
「あんまり期待しないでね。基本、次の冒険の為に売り払っちゃうものが多いし、そんなに沢山あるわけじゃないからね~」
その言葉に、アレッタは微笑む。
「そうなんですね。でも、どうしても期待しちゃいます」
ミアも微笑む。
「じゃあ、私は一旦戻るね。必要なものがあったら遠慮なく言って」
「はい!ありがとうございます!」
◇
そして、夜。蒼天の軌跡の面々は宿の食堂へ集まっていた。セレナが最初に口を開く。
「……それで、明日だけど。まずは、フィエルのところへ行ってみましょう」
リオが少し首を傾げた。
「フィエルさんって、今どこにいらっしゃるんですか?」
レオルが答える。
「ベルグランの郊外だ。中心地からはかなり離れてる」
ミアも続けた。
「小さな酒場をやってるんだよ。常連さんも結構いるみたい」
リオは少し驚いたような顔をする。
「酒場……」
「意外か?」
レオルが笑う。
「まぁ、昔から料理は結構得意だったからな、あいつ」
「基本はお酒を飲む場所だけど、フィエルの料理もかなり評判いいらしいわ」
セレナも口元に笑みを浮かべた。
「以前行った時は義足にまだ慣れてなくて大変だったみたいだけど」
食堂に、少しだけ静かな空気が落ちたが、セレナはすぐ気持ちを切り替えるように続ける。
「明日のことだけど、私とレオルでフィエルに会いに行こうと思うわ。あと、リオをフィエルへ紹介したいのでリオも来てくれないかしら?」
「もちろんです」
リオがすぐに頷いた後、セレナはさらにアレッタへ視線を向ける。
「アレッタさん、あなたもお願いできるかしら?エルディオン様との約束もあるし、霊薬を使う時は立ち会ってほしいの」
アレッタも真剣な顔で頷いた。
「はい。もちろんです。まかせてください」
ミアが少しだけ頬を膨らませる。
「むぅ……私も行きたいけど」
ドルクが口を開き、ミアに答える。
「……人数はあまり多くない方が良い。フィエルも気を遣うだろう」
「まぁ、そうよね……」
ミアは少し残念そうにしながらも納得したように頷いた。
そして、セレナが最後に締めくくる。
「……酒場についたら、この霊薬をフィエルに飲んでもらうわ」
誰も口には出さないが、その場にいる全員が分かっていた。フィエルが、素直に受け取るとは限らないことを。
◇
翌日、セレナ、レオル、リオ、アレッタの四人は、ベルグラン郊外へ向かっていた。
中心地から離れるにつれ、人通りは徐々に少なくなっていく。やがて、街道沿いに建つ、小さな酒場が見えてきた。
木造二階建て。決して大きくはない。だが、丁寧に手入れされていることが、一目で分かる。
看板には《蒼狼亭》と書かれていた。
「ここよ」
セレナが呟き、扉を開けると、店内には数人の客がいた。昼前ということもあり、酒というより食事目的の客が多いらしい。
その奥、カウンターの向こうに立っていた男が、こちらへ視線を向けた。
短く刈った髪。
鋭い目つき。
だが、その雰囲気はどこか穏やかだった。
男――フィエルは、一瞬驚いたように目を見開くが、次の瞬間には、朗らかに笑った。
「おいおい、珍しい客だな。セレナとレオルじゃないか。探索は落ち着いてるのか?」
レオルが笑う。
「よう、フィエル、久しぶり」
「ははっ、本当にな」
フィエルは楽しそうに笑った。
「適当に座れ。今、何か出す。レオルとセレナは酒でいいな?そちらの可愛いお嬢さん二人は何にする?」
「あ、では何かジュースを頂けますか?」
「僕も同じものを」
アレッタとリオが短く答え、フィエルは首を縦に振る。
「了解だ」
四人は席へ腰を下ろす。
フィエルは手際よく飲み物を並べながら、懐かしそうに笑う。
「それで?今日はどうした。まさか、ただ顔を見に来たわけでもないんだろ?」
「まぁ、そうなんだけど、先に二人を紹介しておくわね」
「こちらはリオ、蒼天の軌跡の新メンバー。こう見えて、物凄い力の持ち主よ。すぐに蒼天の軌跡の要になると思うわ」
「ほう?こんなかわいいお嬢ちゃんがねぇ……よろしく。フィエルだ」
「はい、フィエルさんのことは皆から聞いています。お会いできて光栄です」
「はは、酒場の親父に会えて光栄もないだろう。ずいぶん礼儀正しいお嬢さんだな」
「で、こっちのお嬢ちゃんは?」
「あ、僕はアレッタ。錬金術師です。色々あって蒼天の軌跡の方に同行させてもらっています。よろしくお願いします」
「あぁ。よろしく」
その後しばらくは、他愛のない世間話が続いた。
ベルグランの様子。
探索者ギルドの話。
最近増えた探索者達。
そして、一通り会話が落ち着いたところでセレナが小さな声で切り出した。
「……フィエル。実は、私たち、アグレス坑道五十五階層の階層主――ウォー・オーク・エンペラーを討伐したの」
その瞬間、フィエルの動きが止まった。
「……なに!?」
店内の空気が、一瞬だけ静まる。
フィエルはセレナを見つめたまま、ゆっくり口を開く。
「今……何て言った?」
「ウォー・オーク・エンペラーを倒したのよ」
セレナが繰り返すと、フィエルはしばらく言葉を失っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……そうか」
その表情に、一瞬だけ複雑な感情がよぎった。
驚き。
喜び。
そして――置いていかれたような寂しさ。
だが、それも一瞬だった。
フィエルはすぐに笑う。
「ははっ……!とうとうやったのか。お前ら。おめでとう!すごいじゃないか」
その笑顔は、本当に嬉しそうだった。
「それだけじゃないの。ここからが本題なんだけれど」
セレナはそう言うと、小さな瓶をカウンターへ置いた。
虹色に輝く透明な液体が入った小瓶。それを見た瞬間、フィエルの表情がわずかに変わる。
「……なんだ、それは」
「ウォー・オーク・エンペラーを倒した後に残っていたの。おそらくレアドロップよ」
セレナはフィエルを真っ直ぐ見つめた。
「王国一の錬金術師に鑑定してもらったわ。少なくとも、ハイエリクサーより数段格上の霊薬であることは間違いないそうよ」
「身体への害もない」
「あと、大事なことだから言っておくけど。創世の雫かもしれない。ただ、欠損が治ることは保証できないってことだったわ」
セレナは一度息を吸った。
そして。
「フィエル、この霊薬を飲んでほしいの」
店の空気が静まり返る。
フィエルは無言のまま、目の前の霊薬を見つめていたが、やがて低く息を吐く。
「……俺が受け取れる訳ないだろう」
その声は、思っていたよりずっと静かだった。
「俺は怖くなって、自分の都合で蒼天の軌跡を抜けた身だ。お前たちに、そこまでしてもらう理由がない」
レオルが眉をひそめる。
「フィエル……」
だが、セレナは即座に言葉を返した。
「理由ならあるわ」
その瞳に、強い意志が宿る。
「フィエルにまた蒼天の軌跡へ戻ってきてほしいの」
「お願い、もう一度、一緒に深層を目指してほしい」
フィエルは視線を伏せたまま、首を横に振る。
「無理だ。今のお前たちなら、俺なんかいなくても先へ進める。それはウォー・オーク・エンペラーを倒したことからも明らかだろう」
セレナは唇を噛む。
「……フィエル。どうしても戻りたくないなら、無理にとは言わないわ」
「でも、せめて霊薬だけは飲んでほしいの。私たちが前に進むためにも……」
フィエルはしばらく黙っていた。
やがて、小さく、だがはっきりと言い切る。
「ダメだ。お前たちが今後ケガをした時のために取っておけ」
「俺はもう、酒場の親父だ」
そう言って、自嘲気味に笑う。
「義足でも何の不自由もない。料理もできるし、店も回せる。その霊薬をもらう理由がない」
「用がそれだけなら、帰ってくれ」
その言葉に、セレナたちの空気が重く沈む。
リオは黙ったままフィエルを見つめていた。
フィエルの表情は穏やかだった。
だが、どこか無理に笑っているようにも見える。
セレナはゆっくり目を閉じ、息を吐いた。
「……分かったわ。今日は一度帰るわ」
セレナは悔しさを押し殺すようにしながら下を向き、踵を返した。
「でも、諦めたわけじゃない。また明日来るわ」
フィエルはあきれたような表情で答えた。
「何度来ても同じだ。無駄なことはするな」
その後、四人は、静かに蒼狼亭を後にした。
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