第69話 レアドロップ
ウォー・オーク・エンペラーが崩れ落ちた後もしばらく、蒼天の軌跡の誰も動かなかった。
守護者の間には、激戦の余韻だけが残っている。
砕け散った床。
焼け焦げた壁。
そして、巨大なウォー・オーク・エンペラーの亡骸。
レオルがようやく大きく息を吐いた。
「……マジで勝ったんだな」
ドルクも小さく頷く。
「うむ」
セレナはまだリオに支えられたまま、小さく笑った。
「本当にね……」
ミアも嬉しそうに笑う。
「でも、これでやっと前に進めるよ」
その言葉に、一瞬だけ空気が静まった。
フィエル。
誰もその名前を口にはしない。
だが、全員が同じことを考えていた。
その時だった。
ウォー・オーク・エンペラーの亡骸が淡く光を放ち、消えていった。
巨大な魔力が霧のように崩れていく。
やがて、亡骸が完全に消え去った後、そこには勝利の証が残されていた。
巨大な魔石。
そして――
虹色に輝く液体が入った、小さな瓶。
「……っ」
リオが息を呑む。
レアドロップ。
時折魔物が魔石以外のアイテムを落とすことがある。そして、五十五階層の階層主のレアドロップともなればその価値は計り知れない。
今回の虹色に輝く液体が入った小さな瓶。
近づくだけで分かる。
普通のアイテムではない。
セレナも表情を変えた。
「見たことのない霊薬系アイテムね……エリクサー?」
セレナはゆっくりと小瓶へ近づく。
そして、その虹色の液体を見つめたまま、小さく呟いた。
「……いえ」
「エリクサーなら何度か見たことがあるけれど、それより遥かに強い魔力を感じるわ……」
レオルが眉をひそめる。
「エリクサーっていやぁ、深層でも滅多に出ねぇ超レア品だろ?なんでも、体力・気力・魔力を完全に回復する霊薬ってことだよな?」
「ええ。そうね」
セレナは頷いた。
「そして、その上位とされるハイ・エリクサーは、名前だけなら私も聞いたことがあるわ。エリクサーの効果に加え呪いや病気、状態異常すら完全に回復すると言われている霊薬よ」
「もっとも、見たこともなければ、入手したという話すら聞いたことはないけれど」
ミアも小瓶を見つめる。
「じゃあ……これがハイ・エリクサー?」
セレナは首を振った。
「断定はできないわ」
「でも……少なくとも普通のエリクサー級ではないと思う。ハイ・エリクサー級……?もしくは、それ以上……?もしかして……?」
「いえ、期待しすぎるのは早計ね」
空気が静まり返る中、ドルクが低く呟いた。
「階層主のレアドロップか……」
リオも小瓶を見つめていた。
強い魔力。
だが、それだけではない。
まるで生命力そのものが凝縮されているような、不思議な感覚。
リオがつぶやく。
「ともかく、これほどの魔力反応を持つアイテムなら、何か特別な効果があるのは間違いないと思います」
セレナも頷いた。
「ええ。ただ、私たちだけで判断はできないわね。一度クランへ戻りましょう」
「鑑定が必要ね」
レオルも真剣な顔になる。
「だが、下手な奴に見せるのは危ねぇな。絶対に揉める」
「そうね」
セレナは小瓶を慎重に布へ包みながら答えた。
「まずはクランマスターへ相談しましょう。クランの錬金術師なら何かわかると思うわ」
そして、蒼天の軌跡は、ウォー・オーク・エンペラーを撃破した証と共に、守護者の間を後にした。
◇
蒼天の軌跡がクランハウスへ訪れた頃には、すでに夜になっていた。
長時間に及ぶ深層攻略。
さらにウォー・オーク・エンペラーとの激戦。
全員の疲労は激しい。
だが、その表情には確かな高揚感があった。
クラン『灯火の輪』のクランハウス。
その一室。
クランマスターのアークレインは表情を変えずに蒼天の軌跡の帰還報告を聞いていた。
「……なるほど」
「五十五階層の階層主、ウォー・オーク・エンペラーを遂に撃破しましたか。おめでとうございます。悲願達成ですね」
驚きは見せない。
その表情にわずかな笑みを乗せながら、アークレインは蒼天の軌跡を祝福する。
レオルが笑う。
「まぁ、死ぬほどキツかったけどな」
ドルクも頷く。
「うむ」
セレナは布に包んでいた小瓶を机の上へ置いた。
「それと、これを見てほしいのですが」
アークレインへ小瓶を渡すと、その表情が変わった。
「これは?」
セレナが答える。
「ウォー・オーク・エンペラーが消えた後に現れたものです。おそらくはレアドロップ」
アークレインは慎重に小瓶を手に取った。
虹色の液体。
揺らめく魔力。
静かな部屋の空気がわずかに張り詰める。
しばらく観察した後、アークレインは無言で小瓶を机へ戻した。
「……」
レオルが腕を組む。
「何かわかるか?」
アークレインは目を伏せて首を横へ振った。
「申し訳ありません。少なくとも、私には何かわかりませんが、かなりの魔力を感じます。おそらくはエリクサー以上の貴重品でしょう」
セレナも真剣な顔になる。
「そこまでは我々も想像がついたんですが……」
「ケミルなら、何かわかるでしょうか?」
その言葉に。
アークレインは表情を曇らせた。
「それなのですが……」
「クラン一の錬金術師ケミルは三日前、王都の工房へ移籍しました」
一瞬、部屋の空気が止まる。
「はぁ!?」
最初に声を上げたのはレオルだった。
「おいおい、マジかよ!」
ドルクも眉をひそめる。
「タイミングが悪すぎる……」
ミアも驚いた顔になる。
「三日前!?」
アークレインは頷いた。
「王都でもこれまで停滞していた階層攻略が進んだようで、深層の新素材の鑑定依頼が急激に増えているようです。高位錬金術師は、今やどこも取り合いで、王都側から、かなり好条件を提示されたようです」
「我々も引き留めようとはしたのですが、同じ以上の条件を出すことができず、引き留められませんでした」
その声には、わずかに苦みが混じっていた。
レオルが舌打ちする。
「本気でタイミングが悪いな……」
セレナも小さく息を吐く。
「そうね……」
アークレインは再び小瓶へ視線を向けた。
「……ケミルが残っていれば、何かヒントくらいは見つかったかもしれませんが、これほどの魔力反応を持つ霊薬系アイテムとなると、ケミルでも確証は持てなかったかもしれませんね」
そして、小さな声で続ける。
「今私が提案できることは一つしかありません。ギルドへ正式な鑑定依頼を出してください」
セレナが確認する。
「ギルド所属の錬金術師へ、ですか?」
「ええ」
アークレインは頷いた。
「下手な工房へ持ち込めば、間違いなく厄介事になります。迷宮都市ベルグランで、ギルド以上に信頼できる鑑定場所はないでしょう」
レオルが鼻を鳴らす。
「だろうな。こんなもん見せたら、欲出す奴は絶対いる」
「ええ」
アークレインはすぐに同意した。
「明日、ギルドへ向かってください」
「私からも話は通しておきます」




