第4話 だからなんだ
銀色の光が、暗い部屋に揺れていた。リオはベッドの上で身体を起こしたまま、左腕を睨みつける。
腕輪だ。どれだけ外そうとしても外れなかった、あの銀の腕輪。そこから淡い光が滲み出し、空中に人影を結んでいた。半透明の男は、黒髪に軽装という姿で、腹が立つほど楽しそうな笑顔を浮かべていた。
『やっほー!』
「……」
リオは無言で枕を掴んだ。そして全力で投げつける。枕は男の身体をすり抜け、壁に当たって落ちた。
男は楽しそうに笑う。
『いやー、元気そうでよかったよかった』
「戻せ」
『うん?』
「今すぐ戻せ!!」
リオの声が部屋に響く。その声が自分でも驚くほど高い声だったことにまた腹が立つ。
男は腕を組み、少し困ったように首を傾げた。
『えー……やだよ』
「やだじゃない!」
怒鳴るリオに、男は変わらぬ軽い調子で続けた。
『だってさぁ、僕、ずーーっと待ってたんだよ? 何百年も何百年も。やっと適性値9999の素体に出会えたのに、はい元通りです、なんてつまらないじゃん』
「俺はお前の面白さのために生きてるんじゃない!」
顔を真っ赤にして叫ぶリオに、にこやかに男は続ける。
『でも人生って面白い方がいいでしょ?』
「お前は面白いかもしれないが、俺は最悪なんだよ!」
リオはベッドから立ち上がり、腕輪を掴むが、銀の腕輪は肌にぴったりと馴染んでいた。締め付けられているわけではないが、外れる気配はまるでない。
『無理無理。それ、君専用に同期しちゃったから』
「ふざけるな……!」
『あ、でも安心して。呪いの制御端末兼、成長観察用の記録装置兼、僕との通信装置だから』
「安心できる要素が一つもないだろうが!」
男はけらけら笑った。まるで悪びれていない。リオは奥歯を噛みしめる。
「なんで今さら出てきた、二日も黙ってたくせに」
『それはほら、今の自分のことを落ち着いて理解する時間が必要だったでしょ?』
「落ち着けるわけないだろ」
『でも、いきなり説明しても聞かなかったと思うよ? 最初は現実を受け入れる時間が必要なんだ。これは経験則』
「何の経験則だ」
『TS導入の――』
「TSってなんだよ!」
『あー、わかりやすくいうと……性別転換のこと』
「ふざけんな!!」
リオは叫び、肩で息をする。そんなリオを、男は満足そうに眺めていた。その視線が嫌だった。恐怖でも、敵意でもなく、ただひたすらに嬉しそうだった。自分が作ったものが期待通りに動いているとでも言いたげな目。
「……お前は何をした」
リオは自分を落ち着かせるように、声を落として尋ねた。
男は待ってましたとばかりに顔を輝かせる。
『説明していい?』
「短くしろ」
『無理かなぁ』
「いいから早くしろ」
『説明するね』
男が空中で指を鳴らすと、淡い光でできた文字や図形が部屋の中に浮かび上がる。人体図や魔力回路、見たこともない術式。リオには半分も理解できなかった。
『まず、君の身体はただ女性化しただけじゃない。肉体構造、魔力回路、感覚器官、反応速度、全部最適化してある』
「最適化……?」
『そう。探索者として、古代装置の適合者として、今の君は、元の君よりずっと高性能』
リオは反射的に拳を握った。
「勝手に人の身体をいじっておいて……」
『まあまあ。君、元々経験と判断力は悪くなかったようだからね。足りなかったのは出力と器の方だったんだよ』
リオは無言で男を睨んだ。男の言葉が胸に刺さっていた。足りなかったのは、出力と器。それは、自分でも何度も思ったことだった。剣技は人並みで大きな才能はない。慎重さだけでは上へ行けない、そう思っていた。
『で、その不足分を補った。というか、かなり盛った。ダンジョン感知、身体強化の自動補正、あと反射速度と体幹制御もかなり良い感じに』
「……だからなんだ」
リオは吐き捨てる。
「強くなったから喜べって?」
『うん』
「言い切るな!」
男は本気で不思議そうな顔をした。
『だって探索者でしょ? 強くなりたかったんじゃないの? 上に行きたかったんじゃないの? A級とか、深層とか、憧れてたんでしょ?』
リオは息を詰まらせた。それを言われたくなかった。確かに、憧れていたし、《蒼天の軌跡》を見て、眩しいと思った。クラウスが上位パーティに入った時、置いていかれたと思った。自分には無理だと思った。
でも。
「こんな形で強くなりたかったわけじゃない」
リオは震える声で言った。
「俺は……」
言葉が続かない。
男は少しだけ首を傾げた。
『まあ、最初はそう言うよね』
「最初も最後もそうだ」
『どうかなぁ』
男はにやりと笑う。その笑い方が気に食わなかった。
『とにかく、今の身体はすごい。せっかくだから試してみるといいよ。あ、腕輪は外せないからね。僕がたまに連絡するのにも使うし』
「もう二度と出てくるな」
『無理かな。腕輪を通して、君のことはいつも見てるから』
リオの顔が引きつった。
「……見てる?」
『うん。成長記録って大事だからね』
「最悪だ……!」
『じゃ、今日はこの辺で。新しい身体、楽しんでね』
「待て!戻す方法を――」
『またねー』
光がすっと消え、男の姿も、浮かんでいた図形も、何もかも消えた。
部屋には暗闇だけが残り、リオはしばらく腕輪を睨みつけていたが、やがて力なくベッドへ腰を落とす。
「……なんなんだよ」
何度目か分からない言葉が漏れた。身体は戻っていない。腕輪は外れない。原因の男は、話すだけ話して消えた。
リオは鏡にかぶせた布をとり、自分の今の姿をじっと見つめた。白い肌、膨らんだ胸、細い腰、丸みを帯びた尻、すらりと伸びた脚。外見がすっかり変わっている。
だが、外見以上に、いつもと違う感覚に気づいていた。あの日からずっと混乱したままで意識できていなかったが、改めて今の身体を確かめてみると、とても軽い。いや、軽いだけではなく、動きやすい。呼吸が深く、視界も広い。部屋の外の足音まで、妙にはっきり分かる。廊下を歩く女将の足音、隣室の寝返り、階下の酒場で椅子を引く音。あり得ないほど鮮明だった。
「……嘘だろ」
リオは立ち上がり、窓際まで歩く。その動作が、滑るように自然だった。身体が遅れない。まるで重さがないかのように。これまでの自分の身体よりも思い通りに動くのが、ひどく気味悪かった。
◇
翌朝、女将のマルグレタに顔を合わせるのも気まずかったリオは、まだ日も昇らぬうちに宿を出た。向かったのは、クラン《灯火の輪》の訓練場だった。朝なら人は少ない、そう思った通り、訓練場にいたのは数人だけだった。
リオは端の方へ行き、木剣を手に取る。いつも使っていた重さのもののはずだった。
「……軽い」
思わず呟く。軽すぎる。以前なら片手で扱うには少し重い訓練剣だったが、今は枝のようだった。
リオが剣を軽く振ると、ひゅ、と空気が鳴る。身体が勝手に動く。足はしっかりと地面をとらえ、軸が全くぶれない。腕の振りに身体全体が自然についてくる。
「……」
もう一度、今度は少し速く振ってみるが、木剣の先は相変わらず狙った位置でぴたりと止まる。以前なら、ここで手首に重さが残ったが、今はない。
次に、訓練用の標的へ向かい、軽く踏み込んだ。その瞬間、身体が前へ飛んだ。
「うわっ!?」
予想以上の速度に自分で驚き、慌てて止まる。足がもつれるかと思ったが、身体は勝手に姿勢を立て直した。
明らかにこれまでと違うその動きに、リオは息を呑む。
「……本当に」
本当に、強くなっている。動きが全く乱れず、綺麗すぎるほど安定している。
訓練場の端にいた探索者が、こちらを見た。
「おい、今の……」
リオは慌てて手を握る。鼓動が速い。怖かった。強いことが怖い。今まで届かなかったものが、突然手の中にある。その理由が、自分の努力ではなく、あの男の悪趣味だということが、たまらなく嫌だった。
しばらく呆然とした後、リオは訓練場を出て、そのままダンジョンへ向かった。生きていくには稼がなければならない。宿代も、食費も、装備の維持費も要る。自分がリオだと信じてくれたのは、今のところクラウスだけ。この姿で以前と同じように依頼を受けられるかも分からない。だが、探索者であることだけは変わらない。そして、元に戻る手がかりを探すなら、あの隠し部屋をもう一度見つけるしかない。
「……潜るしかない」
リオは小さく呟き、浅層へ入る。いつもの通路、湿った空気、苔の匂い。だが、すべてが違って見えた。通路の先にいる魔物の気配が分かる。壁の向こうの空洞、足元の罠。全部が、ぼんやりとではなく、輪郭を持って感じ取れた。
「……そこか」
曲がり角の向こうにホーンラビットが三体。以前なら、慎重に距離を取って一体ずつ誘い出した。今は違った。
リオは短く息を吐き、踏み込む。一体目、首元へ剣の柄を叩き込む。二体目、飛びかかってくる前に足を払い、剣を突き刺す。三体目は飛び退こうとした魔物へ、一歩で距離を詰める。自分でも信じられない速度で、剣先をホーンラビットの喉元へ突き刺すと、その小さな身体がその場に崩れ落ちた。
たった数秒。それだけで終わった。
「……」
リオは剣を下ろすが、息は乱れておらず、身体も重くない。勝った。あまりにも簡単に。それは、かつて自分が憧れていた戦い方だった。無駄がなく、速く、強い。
リオはしばらく黙っていたが、やがて小さく笑った。笑いというより、乾いた息だった。
「……だからなんだよ」
強くなった。確かに強くなった。今なら、今まで行けなかった場所へ行けるかもしれない。上位パーティにだって、手が届くかもしれない。
けれど。
「こんな身体で、一生生きていけっていうのかよ……」
答える者はいない。
腕輪だけが、左腕で冷たく光っていた。
※挿絵はAIで製作したイメージ画です。




