第29話 深層の洗礼①
深層一層目、三十一層。
周囲の景色は中層と大きく変わらない。
湿った石壁。
薄暗い通路。
天井から滴る水滴。
だが。
空気が違った。
重い。
張り詰めている。
まるで迷宮そのものが侵入者を拒んでいるようだった。
リオは身震いしながら周囲を見回した。
「景色は中層と変わらないのに」
「ずいぶん重苦しい雰囲気ですね」
レオルが笑う。
「そうだな」
「これが深層だ」
セレナも頷いた。
「本当に危険なのはここからです」
リオはセレナに尋ねる。
「ここからというのは?」
「深層は大きく三つに分かれています」
セレナが説明を始めた。
「三十一層から五十層までが深層上部」
「五十一層から八十層までが深層中部」
「そして八十一層以降が深層下部です」
リオは思わず息を呑んだ。
百層近いダンジョンだとは聞いていたが、改めて聞くと途方もない。
「五十一層以降は何が違うんですか?」
ミアが肩を竦める。
「ダンジョンじゃなくなるんだよねー」
「は?」
「森林とか」
「砂漠とか」
「溶岩地帯とか」
「氷雪地帯とか」
リオは目を瞬かせた。
「ダンジョンの中ですよね?」
「そうなんだけどねー」
ミアも苦笑する。
「私も最初は意味分からなかった」
セレナが続ける。
「深層中部からは環境そのものが脅威になります」
「戦闘能力だけでは攻略できません」
リオは黙って頷いた。
想像以上だった。
しばらく歩いた後、ふと疑問が浮かぶ。
「皆さんはどこまで行ったんですか?」
レオル達が一瞬だけ顔を見合わせた。
「最高到達は五十五層だ」
レオルが答える。
リオは目を見開く。
「五十五層!?」
そんなに深くまで……
リオが驚く中、レオルは苦笑していた。
「昔の話だけどな」
「昔?」
「蒼天の軌跡は昔五人だった」
リオは言葉を失う。
今は四人だ。
つまり。
一人いない。
「今の四人で安定して攻略できるのは四十五層までだな」
ドルクがぼそりと言った。
それ以上は危険度が跳ね上がる。
リオはそれ以上聞かなかった。
聞いてはいけない気がした。
レオルが話題を変えるように荷物へ手を伸ばした。
「その話は後だ」
「それより先にこれを渡しておく」
小さな水晶を手渡される。
青白く輝く結晶。
リオは目を見開いた。
「これって……」
「転移結晶だ」
実物を見るのは初めてだった。
存在は知っているが、深層探索者が使う高級魔導具……くらいの認識しかなかった。
「使い方は簡単です」
セレナが説明する。
「魔力を流し込むだけ」
「発動者を中心に三メトルほどの範囲を転移させます」
「転移先は?」
「ダンジョン入口です」
リオは感心した。
「便利ですね」
ミアが苦笑する。
「便利だけど高いよー」
「そんなにですか?」
ドルクが答える。
「一般的な中層探索者が一年かけて稼ぐ程度だ」
リオは絶句した。
思わず結晶を見つめる。
そんな物を自分が持っていていいのだろうか。
「だから」
レオルが真顔になる。
「死ぬと思ったら迷わず使え」
リオは思わず顔を上げた。
「ですが……」
「金ならまた稼げる」
ドルクが言う。
「我々なら深層上部で安全マージンを取って戦えば数か月で買い戻せる」
「探索計画は遅れますけどね」
セレナが補足する。
「だが」
ドルクの声が低くなる。
「再起不能になれば元も子もない」
その瞬間だった。
レオル。
ドルク。
セレナ。
ミア。
四人の表情に一瞬だけ影が差した気がした。
本当に一瞬だった。
だが。
何かあったのだろう。
そう思った。
「分かりました」
リオは真剣に頷いた。
その時だった。
不意に肌が粟立つ感覚。
リオが違和感に気づくのとほぼ同時に、ドルクが足を止めた。
「止まれ」
全員の動きが止まる。
「……何か、います」
リオが小さく呟いた。
レオルが前方を指差す。
「見ろ」
通路の先に、三体の人影が立っていた。
蜥蜴の頭。
鱗に覆われた身体。
武器を持った魔物。
リザードマン。
リオはほっと息を吐いた。
「リザードマンですか」
中層でも見たことがある。
確かに強い魔物だが、蒼天の軌跡なら問題ない。
そう思った。
「よく見ろ」
レオルが言う。
リオは目を凝らした。
そして気付く。
中央の一体は盾を持っている。
左の一体は槍。
右の一体は弓。
「役割分担……?」
レオルが頷く。
「そうだ」
セレナも続ける。
「深層の知能持ち魔物は集団戦を行います」
「前衛」
「中衛」
「後衛」
「人間のパーティと変わりません」
リオは改めてリザードマン達を見る。
ただ群れているだけではない。
隊列を組み。
互いの位置を意識している。
「深層では魔法を使う個体も現れます」
セレナが小声で言った。
「この辺りではまだ珍しいですが」
「三十五層を超えた辺りから魔法を使う個体が増えます」
リオは思わず息を呑む。
魔法を使う魔物。
それだけで危険度が一段階上がる気がした。
その時。
弓を持ったリザードマンがこちらへ視線を向けた。
数秒。
互いに見つめ合う。
そして。
リザードマン達は黙ったまま武器を構えた。
レオルが槍を握る。
「歓迎してくれるらしい」
ドルクが前へ出る。
セレナの周囲に魔力が集まり始める。
ミアも杖を構えた。
リオは剣を抜く。
深層。
その本当の姿を知る戦いが始まろうとしていた。
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