第2話 消えた部屋
意識が浮かび上がる。最初に感じたのは、冷たい石の感触だった。
……硬い。床か……
ぼんやりとした意識の中で、リオはそう思った。次に聞こえてきたのは、水音と誰かが話している声。
「あっ! 目を覚ました」
女の声だった。明るい声。どこか聞き覚えがある。
「魔力反応は安定してるよー? でもなんか変な感じなんだよね、この腕輪」
別の声。こちらは静かで落ち着いていて、近い。
「呪術系かもしれません。外そうとしない方がいいでしょう」
「だよねぇ……」
腕輪?
リオはゆっくり瞼を開いた。光の眩しさに思わず顔をしかめる。ぼやけた視界の向こうに見えたのは、見慣れたダンジョンの石天井――浅層第一セーフティエリアだった。そして、目の前には人影がある。
「……起きたわ」
静かな声の主は、長いプラチナホワイトの髪を後ろで束ねた女性だった。整った顔立ちと、深い青の瞳。セレナだ。
リオの意識が、一瞬で覚醒する。《蒼天の軌跡》、A級パーティだ。なんで? どうして?
混乱のまま身体を起こそうとして――違和感に気づいた。
「……え?」
身体が軽い。いや、軽すぎる。視線を落とすと、そこにあったのは知らない身体だった。細い肩、白い肌、そして膨らみのある胸。左腕には銀色の腕輪。
瞬間、思考が止まった。
「…………は?」
自分の声が聞こえた。甲高い、知らない女の声だった。
「えっ」
近くでミアが目を丸くする。
「かわ……」
そこで口を押さえる。
「じゃなくて! だ、大丈夫ですか!?」
リオは反射的に後退した。だが身体感覚が噛み合わない。バランスを崩し、そのまま床へ手をつく。長い髪が肩から滑り落ちた。
「っ……!」
息が詰まる。なんだこれ。なんだこれ。なんだこれ。頭の中で言葉が回る。
セレナが静かに毛布を差し出した。
「落ち着いてください」
「落ち着けるか!」
思わず叫ぶ。声がまた高い。違う、自分の声じゃない。リオは震える手で自分の喉へ触れた。細い。肩も、腕も。全部が違う。
「……あいつ」
脳裏に浮かぶ、半透明の男の笑顔。
“人生がちょっと変わるだけだから!”
「ふざけんな……!」
思わず吐き捨てる。ミアが心配そうに覗き込んだ。
「だ……大丈夫……じゃなさそうだね……? 何か大変なの?」
リオは答えられなかった。代わりに、周囲を見回す。そこに、自分の荷物が置かれていた。使い込んだ片手剣、短弓、採集袋、浅層で集めた素材。全部ある。
リオは反射的に剣を掴んだ。その瞬間、少しだけ安心した。まだだ。まだ全部失ったわけじゃない。
「……あの」
声が掠れる。セレナとミアがこちらを見る。リオは視線を逸らしながら、小さく頭を下げた。
「助けてくれて……ありがとう」
ミアが少し驚いた顔をする。セレナは静かに頷いた。
「動けますか?」
「……大丈夫だ」
即答だった。大丈夫なわけがない。だが、今はそれどころではなかった。確認しなければならない、あの場所を。
リオは急いで荷物をまとめる。ミアが慌てる。
「えっ、ちょっと待って!? その状態でどこ行くの!?」
「……戻る」
「戻る?」
リオは短く答えた。
「確認しないと」
それだけ言うと、リオは剣だけを持って走り出した。長い髪が背中で揺れる。
ミアがぽかんと見送る。
「……あの子、大丈夫かな」
セレナは静かにリオの背を見つめていた。
「少なくとも、混乱だけで動けなくなるタイプではなさそうです」
近くで槍使いのレオルが苦笑する。
「いや、でも魔力すごかったぞ。浅層であんな反応、初めて見た」
「うんうん。びっくりするくらい強かったよね」
ミアが頷く。セレナは少しだけ目を細めた。
「……ええ」
その視線の先で、リオの姿が通路の奥へ消えていく。
リオは走っていた。荒い呼吸、乱れる髪、慣れない身体。だが止まれなかった。あの部屋へ戻れば、何かわかるはずだ。元に戻る方法も、あの男の正体も、この意味不明な状況の理由も。
通路を曲がると、見慣れた浅層の湿った石壁が目に入る。水音も前回ここへ来た時と同じ。
「……ここだ」
リオは立ち止まった。間違いない、ここだった。隠し扉を見つけた、風の流れていた壁。リオは壁へ駆け寄り、触れ、叩き、隙間を探る。
だが――。
「……ない」
ただの石壁だった。
「そんなはず……」
リオは必死に壁を探り、位置を確認する。何度も。何度も。
「絶対に……ここだった……!」
壁を叩き、何か仕掛けがないか、必死に探る。だが、何も起きない。ただの石壁。
「ない! ない! 絶対ここのはずなのに!!」
声が通路へ響くが、返事はない。隠し部屋は。古代遺物は。半透明の男は。最初から存在しなかったみたいに、消えていた。
「なんで……」
膝から力が抜け、そのまま崩れ落ちる。長い髪が肩から滑り落ちた。そこで初めて、視界の端に映る細い指、白い肌。知らない身体だ。
リオは震える手で、自分の腕を掴んだ。戻っていない。夢でもない。
ただ、冷たい石壁だけが、静かにそこにあった。
※挿絵はAIで製作したイメージ画です。




