第102話 油断
六十階層の階段を下りていくと、眼前には重厚で巨大な扉がそびえ立っていた。
いきなりの守護の間。
「階層主でしょうか?」
「四十五階層のレッド・サイクロプス・ギガント、五十五階層のウォー・オーク・エンペラーと続いたから次は六十五階層かと思っていたけれど」
リオの言葉に、セレナは小さく呟く。
「守護の間があるということは、強い敵がいるということだわ。この巨大な扉から考えて、取り巻きも多い可能性が高いわね」
セレナが小さく息を吐いて言った。
「初めての敵だから、何が有効かがわかりませんね」
リオが続ける。
「とりあえず。取り巻きを一掃するためにフレアストームを使ってみましょうか?超級魔法より素早く試せますし」
「そうね。そうしましょうか」
セレナもそれに同意する。
「階層主まで倒したりしてな……」
レオルが笑う。
「あり得るな」
ドルクも微笑む。
「油断は禁物だぞ」
そう言うフィエルも顔が少しほころんでいた。探索が思ったより順調だったこともあってか、緩やかな空気が流れていた。
しかし……
文字通り「油断が禁物」であることを経験してしまうことになることはこの時点ではだれも予想していなかった。
◇
そして、扉を開けると……中央には六十階層の階層主。
重厚な鎧を装着し。左手には光り輝く盾。しかし、装備してるのは人間ではない。
ノーブル・リザードマン。
リザードマンの上位種。
だが、リザードマンと呼ぶには、プレッシャーが強すぎる。まるで本物の竜のようなプレッシャーを持つノーブル・リザードマンが剣を持つ右手をこちらに向けると、周りにいる眷属たちが一斉にこちらを目指して動き出した。
「フレアストームを試します!!」
リオはそう言うと、ノーブル・リザードマンを中心にした範囲を焼き尽くすべく、フレアストームを発動した――魔力の流れを感知したノーブル・リザードマンが、その光り輝く盾を頭上に構えた事の意味を考えずに。
「リオ、駄目!!」
ノーブル・リザードマンの動きにいち早く気づいたのは、セレナだった。
しかし、遅かった。リオの発動したフレアストームは、ノーブル・リザードマンの周りの眷属たちを焼くことは出来た。
だが、リオが放った熱波がノーブル・リザードマンの光り輝く盾に触れた瞬間、キーンという甲高い音とともに、世界から色が消えた。
光り輝く盾は、リオのフレアストームを受け止めただけではない。その強力な威力をそのままに、あろうことかリオ本人に向けて突き返してきたのだった。
――自分の魔法が、自分の命を焼き尽くそうと襲い掛かってくる。
リオの瞳に、逃げ場のない紅蓮の光が焼き付いた。
「――ッ!」
爆音とともに、リオの全身が紅蓮に呑み込まれる。
その直後、信じがたい光景を目の当たりにし、ミアたち『蒼天の軌跡』の面々は、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
硬直を破ったのは、セレナの叫び声。
「ミア、何してるの!! 早く、火を消して!! 水魔法が使えるのはあなただけなのよ!!!」
茫然としていたミアは、その言葉に正気に戻り、まだ炎に包まれるリオに震える手で水魔法を放った。
炎が消え、床に倒れるリオ。だが、魔物たちは待ってはくれない。
次々と襲いかかって来る眷属たち。
「フィエル、結界!!」
セレナの指示と同時にフィエルの結界が発動し、それ以上の敵は近づけない。
しかし、既に結界内には多くの眷属が入り込んでいる。
「こいつら、強いぞ!!」
レオルが叫ぶ。
「アレッタ、転移結晶を準備!! ドルクはリオを抱えて!!」
ミアが必死で治癒魔法をリオに唱える中、ドルクはリオを抱きかかえる。
「いいぞ!」
ドルクの言葉に、全員がアレッタの近くに集まる。
「アレッタ!発動して」
眷属の攻撃に対処しているレオルとフィエルを気にして転移結晶を発動出来ないアレッタに、セレナが指示する。
「数匹眷属を巻き込むのはしょうがないわ!! 早く!!」
それを聞いたアレッタは転移結晶を発動。
全員が入口近くに転移した。
◇
入口近くに転移した後、転移に巻き込んだ眷属はフィエル、レオル、アレッタ、セレナで無事に処理。ミア、フィエルは光魔法でリオを治癒していた。
「リオ、死なないで!! お願い!!」
そう叫びながら震える手で必死に治癒魔法を施すミア。
「フィエル。どうなの?」
「まずいな。表面の火傷は治癒魔法で治癒できるが、内部まで浸透したダメージがデカい上、呼吸も小さい」
そう言っている間にも、リオの胸の鼓動は小さくなり、ほとんど聞こえなくなった。
それに気づいたミアが叫ぶ。
「リオ、死なないで!!」
震える声が漏れた。
リオの頬に触れた指先は冷たくて、胸の奥がぎゅっと縮む。涙で視界が滲む中、ミアはリオの唇に自分の唇を重ね、必死に息を送り込んだ。
普段のミアなら、指先が触れ合うだけでも顔を赤らめていたはずだ。唇を重ねるなど、想像するだけで心臓が張り裂けそうになるような行為。しかし、今のミアにそんな羞恥心は微塵もなかった。
目の前にあるのは、愛しいリオの唇ではない。ただ冷たく、重く、沈黙した「命」の入り口だ。
「……っ、戻ってきて!」
もう一度、もう一度と繰り返す。
「お願い…戻ってきて…」
心臓が痛いほどに叫んでいた。――そして。
「……っ、は……」
かすかな音が、ミアの耳に届いた。
リオの胸がわずかに上下する。
「戻って来た! 戻って来たわ! リオ! しっかりして」
そう言って、ミアとフィエルは再び全力の治癒魔法を施す。
「なんとかなりそうだ」
フィエルが呟く。
「ドルク、リオを背負って! 急いで治療院に連れていきましょう」
リオを背負ったドルクが立ち上がると、ミアはその場に膝をついた。
力が抜けたというより、張り詰めていた糸がぷつりと切れたようだった。
「よかった……ほんとに……」
声にならない声が漏れる。
指先はまだ震えていて、リオの冷たかった頬の感触が離れない。
セレナがそっと肩に手を置くと、ミアはようやく呼吸を整えた。
※挿絵はAIで製作したイメージ画です。
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