第89話 未踏破領域②
五十六階層の長い通路を抜け、蒼天の軌跡はようやく次の階段を見つけていた。
周囲に魔物の気配はないが、誰もすぐに階段へは向かわなかった。ここまでの道のりで、何度も罠が見つかっていたからだ。
床に埋め込まれた魔導装置、 壁の向こうに仕込まれた射出機構、さらには不用意に宝箱へ触れた者を閉じ込める結界。
王都にある《聖紋の迷宮》でも、これほどの数の罠が連続して仕掛けられている場所はなかった。
「……これで、周囲に仕掛けられていた罠はすべて解除できたと思います」
最後の魔導陣を確認し終えたアレッタが、小さく息を吐いた。
額には汗が滲んでいる。
「ずいぶん罠の解除に時間がかかってしまいました。申し訳ありません」
「謝ることではないわ」
セレナはすぐに首を横に振った。
「むしろ、アレッタがいてくれたからこそ、ここまで安全に進めたのよ」
「……ありがとうございます」
アレッタは礼を言ったものの、すぐには顔を上げず、何かを考え込むように、解除したばかりの魔導装置へ視線を落としている。
「どうかしたのか?」
リオが尋ねると、アレッタは少し迷ってから口を開いた。
「少し、違和感があるんです」
「違和感?」
「はい。迷宮が自然に生み出した罠というより、誰かが――とにかく解除に時間がかかるよう、わざわざ仕掛けた罠のように感じて」
アレッタは周囲を見回した。
「罠も、解除には手間がかかるものばかりでした。でも、命に関わるようなものは、ほとんどなかったんです」
「……誰かが、あえて探索者を寄せ付けないようにしているってことかしら?」
セレナの言葉に、アレッタは小さく頷いた。
「そう感じただけかもしれませんが」
少し間を置いてから、アレッタは続ける。
「以前、お師様が地下の研究室に籠もっていた頃、上階に似たような罠を仕掛けたことがありました」
「似たような罠を?」
「はい。何度も研究を邪魔されたお師様がなんかブチ切れてしまって……研究を邪魔されたくない、というだけの理由で罠を仕掛けまくったんです」
アレッタは困ったように微笑んだ。
「……それに近いものを感じました」
リオは、改めて周囲を見回した。
罠が多いだけではない。この五十六階層には、誰かが意図して探索者を奥へ進ませないようにしたような痕跡がある。
そんな印象が、妙に強く残った。
「何かあるのかもしれないけれど、考えすぎても仕方がないわ」
セレナは周囲を見回しながら、静かに言った。
「警戒はしつつ、先に進みましょう」
◇
五十七階層へ降りてから、しばらく進んだ頃だった。
「止まってください」
先頭を歩いていたリオが、足を止めた。
「どうした?」
「……何か来ます。多数の反応!」
直後。
通路の奥から、硬い甲殻が石床を叩くような音が一斉に響き、姿を現したのは、黒い外殻に覆われた大型の魔物だった。
一匹や二匹ではない。
「二十匹近くいるわね……!」
セレナが杖を構える。
魔物たちは迷うことなく、蒼天の軌跡へ向かって突進してきた。
「フレアストームを試します!」
リオが前へ出る。
「《フレアストーム》!」
通路を埋め尽くす炎が、押し寄せる魔物たちを呑み込んだ。
だが、炎が消えた後も、魔物たちは止まらなかった。
黒い甲殻の一部が焦げてはいたが、倒れたものはいない。
「効かない……!」
リオが顔を上げ、叫ぶ。
「炎耐性が高いのかもしれません!」
アレッタが叫ぶ。
敵の群れは、すでに目の前まで迫っていた。
「フィエル、お願い!」
「分かった!」
フィエルが盾を掲げる。
先頭の五匹ほどが蒼天の軌跡へ飛びかかろうとした、その瞬間。
「《聖域の檻》!」
淡い光が広がり、半球状の結界が通路を覆い、結界の内側に取り残されたのは、飛び込んできた五匹の魔物だけだった。
残りの魔物たちは結界の外側でリオ達に向けて押し寄せるが、フィエルの結界に邪魔されて中へ入ることはできない。
「よし、これなら数は抑えられる!」
レオルが叫び、ドルクが前へ出る。
「一気に片付けるぞ!」
五匹に分断された魔物たちを、蒼天の軌跡は確実に仕留めていった。魔法への耐性は高いが、数さえ抑えられれば対応はできる。
やがて最後の一匹が倒れると、フィエルが結界の外へ目を向けた。
「次は何匹中に入れる?」
「5匹以内で!」
セレナがすぐに答えた。
「魔法の効き方も、もう少し確かめたいわ」
「リオ、四属性の初級魔法を順番に試して!」
フィエルは頷くと、一度《聖域の檻》を解除した。
外で待ち構えていた魔物たちが、再び一斉に突進してくる。
その中から四匹が内側へ入ったところで。
「《聖域の檻》!」
再び、光の壁が敵を分け隔てた。
蒼天の軌跡は、押し寄せる群れを少数ずつ切り離し、弱点を探りながら、一匹ずつ確実に数を減らしていった。
◇
「ふぅ。終わったな」
最後の魔物が倒れたのを確認して、フィエルが肩の力を抜いた。
通路には、黒い甲殻を持つ魔物たちの残した魔石が大量に転がっている。
「魔法で対処するのは難しいですね」
戦いの最中、敵の反応を確かめていたリオが呟いた。
「火、水、土はほとんど通らなかった。風だけは効いたみたいですけど……」
「風魔法以外ほとんど効かないなんて……」
ミアが、倒れた魔物の甲殻を見ながら息を吐く。
「リオの《フレアストーム》でも、一匹も倒せなかったね」
「その代わり、風なら削れたわ」
セレナが杖を下ろした。
「私とミア、それからアレッタの風の矢が有効だったのは助かったけど」
「はい。風の矢なら、確実にダメージは与えられますね」
アレッタも、手にした魔法樹の心核ボウガン、別名アルカナ・コアクロスへ視線を落とす。
「でも、二十匹を一度に相手にしていたら、対処できたかどうか」
セレナはそう言ってから、フィエルへ目を向けた。
「フィエルがいて良かったわ」
リオが頷く。
「《聖域の檻》で数を分けてもらえたから、敵の性質を調べる余裕ができましたね。全ての敵を相手にしていたら、弱点を探るどころじゃなかったと思います」
「……役に立てたなら良かった」
フィエルは少し照れたように言った。
「数が多い相手なら、これからも同じように対処はできる。それに、やろうと思えば敵の強さに合わせて、結界内に入れる数も調整できる」
「フィエル、相変わらず頼りになるね~」
ミアが笑う。
「敵がたくさん出てきても安心ね」
「いや、安心するのは早い」
ドルクが短く言った。
「今回はうまくいったが、対処が遅れて結界領域内に大量に入られたら、同じ対処は出来ん」
「そうね」
セレナが頷く。
「でも、ひとつ手札が増えたのは確かよ。リオ、感知は広めに、情報は早めに共有してちょうだい」
蒼天の軌跡は、改めて通路の先へ視線を向けた。
五十七階層。ここには、五十六階層とはまた違う形で、探索者を拒む仕組みがあるのかもしれない。
それでも今の彼らには、以前よりも多くの手段があった。
※挿絵はAIで製作したイメージ画です。




