9:回想
「あ……」
「あ……」
鏡写しのような光景に思考停止してしまった。自分から声をかけようと決めている。別に喧嘩してるわけじゃない、ちょっと気まずくなってるだけ。意を決して一歩前に踏み出す。
「あのさ——」
ガチャンと奥の部屋の扉が開いた。
「ん?なんだ、二人して。どっか行くん?」
頭をぽりぽりとかきながらサライスが部屋から出てきた。
「んー?なんだここ、空気わるいなぁ」
「……」
なぜか特に理由はないが、出鼻をくじかれ苛立ちを感じた。”風”の能力を発動させる、細い廊下くらいは飲み込むほどの旋風を起こす。
「へ……?な、なんだよ!なんなんだよー!!」
サライスは戸惑いながらも為す術もなく、接近してきた旋風によって吹き飛ばされる。
そんなサライスの結末に目もくれず、由姫に歩み寄る。対して彼女もサライスの行く末に興味を惹かれつつもあっさりこちらに向き直る。
「あのさ……さっき——」
「少し、歩かない?」
長い銀髪をなびかせ、先行して寮の階段を降りて行った。少しそっけない態度に過去の自分の行いを悔やむ。
寮を出て外に出ると、もう日が落ち始めていた。さっきまで二人で歩いていた道を再び歩き出す。午前とは風景が変わって、全てがあかね色に染まっている。前を歩いている彼女。俺は夕日に目を細めながらも彼女を追い抜く。
「……由姫は誰かのために死ぬ、ってどう思う?」
「え……?」
「他人のために死んだやつと死ねなかったやつ、どっちが正しいのかな。どちらも先に繋げるっていう意味では正しいのはわかる。けれど……残されたものはどうなるんだろうな」
一番付き合いの長いカイムにさえ話すことはなかったのに、出会って間もない彼女に本心を開けている。
「それは……経験した話?」
彼女は空色の瞳で問いかけてくる。目を逸らしこちらを照らす夕日を睨んで短いため息をはいた。
「つまらない話を聞いてくれるか……」
こくんと頷く彼女を見て、思い出話を始めた。
夜月 柊は鬼族領地の出身。鬼族は家の名が全てだった。家も食事も、その扱いも鬼門序列に準じた生活をおくるのが習わしだった。鬼門序列に席を置く、または血統のもの以外は里の外で生活をおくる。資源もなく、ほとんどの鬼は飢餓状態だ。幸い、”夜月”は序列に名を連ねていた。
夜月の当主、父親は見たところ当たり障りのない男だった。母、兄、弟といるときも必要最低限の会話をするだけ。むしろ序列とは思えない、ただ普通の家庭環境だった。であれば、父が剣を振るう姿など見たこともあるはずがなかった。本来序列は領主の任務が与えられるわけだが”夜月”には何もなかった。序列に席を置き、良い暮らしをしている夜月に妬み、恨みを持つものが多くいるのは当然だった。
そんなある日、家の近辺で老種が発見された。近くの家が老種に襲われており、とっさに父は刀を持って家を飛び出した。不幸か、対峙した老種は強敵であり苦戦を強いられていた。襲われている家族の子供が飛び出してしまい、それを守る形で父は老種と刺し違えた。あの時の自分の感情がなんだったのか思い出せない。ただただ映像で記憶している。血を吐きながら倒れ込んだ父と灰になった老種。返り血を浴びて助かった他人の家族たち。彼らはこちらに見向きもせず怯えた様子で去って行った。
父の墓は生前よく足を運んでいた寺の近くに建てられた。墓には”夜月”とだけ彫られている。鬼門序列の当主は自身の名を失う、序列の姓こそが自分の名前になる。だから、父親の名前は”夜月”だった。 後日、俺は一人で墓と寺に行ってみた。自分の気持ちを確認したかったのだろうか。それは違う、本当は父の気持ちを少しでも知りたいと思ったのだろう。涙はでなかったが落ち着きなく墓を見ては寺に移動してを何度も繰り返していた。
日も沈み始めた頃、父の好きそうな花を一輪墓に添えて帰路に着いた。帰り道、先日の事件があったせいか、やけに血の匂いが鼻についた。嫌な記憶を思い出しつつも自宅が見えてくる。この時間では珍しく縁側の扉が全開になっていた。血の匂いが濃くなっていく。さっき嗅いだ匂いは気のせいではなかったらしい。家の前に立つと中は暗く明かりもついていなかった。縁側から中に入ると——。
みんな死んでいた。母も兄も弟もみんな。血痕がひどく、誰が誰だかわからなかった。
「……どうして」
気がつくと誰かに抱き抱えられていた。あの後、駆けつけた序列の誰かが俺を引き取って行ったらしい。優しさでも情けでもなくて、”夜月”だったから。話を聞くと俺はその場で家族と一緒に寝ていたらしい。あとで家族の死因を聞くと、実力不足で序列を降ろされた家のものが夜月の席を奪うため襲撃したとのことだ。そしてその家は、父が刺し違えて救った家族だった——。
当時、自分の中でまとまった答えは自己犠牲は無価値だということだけ。他にもたくさん考えるべきことはあったけれど、日々の忙しさに呑まれて忘れてしまった。
あの事件以来、俺は「千覇 せんば」の家に引き取られた。今までの生活から一変、毎日欠かさず剣術や能力の訓練に明け暮れた。小さな子供の両手は皮が剥がれ血だらけ。俺は何もかも忘れるように目の前のことに没頭した。そしてそんな日々もすぐに幕を下ろす。
——鬼門序列1位の千覇が突如姿を消し、のちに中央都市の戦人序列1位に入ったのだ。
そこからの日々は簡単だ。千覇を失った家族や親戚筋の連中は、引き取った俺を裏切り者だの疫病神だのと罵詈雑言を向けた。大の大人たちからは訓練と称し骨が折れるほどの暴行を受けた。これが新しい日々の始まりだった——。
……これは俺が他人を拒絶した罰なのか。他人の命なぞどうでもいいと思ってしまった罪なのか。身体中の痛みは熱さに変わっていた。熱があるのか体は重く、物理的にも動かすことができない。暴力に参加しなかった大人たちも見て見ぬふりで去っていく。
どれくらい経ったか、夕焼け色の空を見上げているといつもの女の顔があった。肩より少し上に切られた黒髪に桜色の着物を着た、俺と同い年くらいの女の子。こちらを心配そうな顔で見つめた後、俺を抱えようと試みるがやはり体はまったく動かなかった。そして諦めたのか、ついにここから去っていった。呆れた気持ちを胸に再び目を閉じた。——ほどなくして複数の足音が聞こえてくると男性の大人が俺を抱えた。
「辛いのは今だけだ」
聞き慣れたセリフを聞いて静かに意識を落とした。
目を覚ますと見知らぬ部屋の布団の中にいた。全身から激痛が走り、金縛りにあったかのように体がびくとも動かない。
「だめですよ。まだ全身あざだらけ、骨も折れています。……どうしてもっと自分を大事にしないんですか?」
年齢に似つかわしくない口調で話しているのは序列「阿修羅」の娘の「小夜」だった。いつも傷だらけの俺を見つけてくれるのが小夜、そこから運んでくれるのが父親の阿修羅だ。そしていつからか小夜は俺の世話係になり、阿修羅も特に口を挟むこともなかった。
数年が経ち、俺は中央都市の異端討伐軍の存在を知る。頃合いだったのだろう、俺はお世話になった「阿修羅」と小夜たちにお礼を言って鬼族の領地を出ることになる——。
「——そして軍に入った、ってことなんだけど」
黙って聞いていた彼女の顔色を窺う。最近の由姫っていうよりも最初に会った時の印象に近かった。感情の読み取れない表情で黄昏の夕日を見ている。
「誰かのためって、確かになんなんだろうね。自分のために他人を助けるなんてのも矛盾してるし」
「ああ、損得で回る世界の方がよっぽどマシだ」
結局自分が何を言いたかったのかわからない。こんな過去を由姫に話して何をしたかったのか……。開いた本心が露出したままで居心地が悪い。
「……こんな話を私にしたってことは、あなた自身何かを探してるんでしょ?」
何かを探す、確かに探しているのかもしれない。今まで自問自答するにも自分自身を信じきれないから一生納得のいく答えが見つからない。いつまで経っても人生の舞台の上で踊り狂っている。台本がないのでその場しのぎで波に流され、幕の引き方がわからないので急に座り込む。そんな人生を今までおくってきた。要はただ時間に流されてるだけだった。その過程も終着点もさほど興味なかったんだ。
「探してるのはきっと、自分自身。個性、人格……目標、自分を確立させるのが怖いから感情を見て見ぬふりをしてきたんでしょう?柊は自分の存在意義が希薄だと思ってる。だから揺さぶられた気持ちと向き合えない」
ああ、確かにそうだ。父親が死んだ時の光景はよく覚えているのに、その時の感情が自分の中で整理できていない。だから戸惑い、涙が出なかったワケもよくわからないんだ。今まで何度も吐き出た感情をそのままにしてきた。
「……そうだな。今まで気持ちの変化は何度かあった。けど俺はそれと向き合えなかった。時間が勝手に解決してくれるんだって、逃げてただけなのかもな」
「そう、だから向き合うならその瞬間がいい。……けど、変わることは難しいよね」
「かも、しれないな」
「——なら、私を見ればいい。お手本にはなれないと思うけど、見本にはなるんじゃない?」
彼女が立ち上がり両手を広げる。由姫を照らす逆光の夕日は今、彼女を産み落としたかのように神々しい朱色を放っている。長い髪が揺れて、堂々とした彼女はなぜか誇らしげに微笑んでいる。
「私には記憶がない、ほとんど今生まれたようなもんだよ。その私の生き様を見れば少しは答えに近づけるんじゃない?」
なんとも大胆な発想に納得せざるを得ない。俺が初めて心惹かれた生き物の人生……見て見たくなった。今はそれだけでよかった。自分の人生なんかよりも俄然興味が湧いた。
「ありがとう由姫」
「うん。まぁお互い、色々探して行こうよ」
そう言って俺たちは歩き出した。その足取りは軽く走り出したくなるほどの高揚感だった。




