6: お金は裏切りません
「エイリーン様、あんな格好いい人どうやって落としたんですか? コツとかあれば教えて欲しいです!」
「さっきのことは忘れてちょうだいお願いだから!」
店に戻るなり無邪気に話しかけてきた従業員のケイトに言葉を返しながら、これ以上何か言われる前にと素早く2階の事務所にあがった。そのまま執務室へと避難して、パタリとドアを閉める。
「あーあ」
いっそ緘口令でも敷くべきか。どうやって落としたも何も、私が理由を知りたいくらいなのに。
ため息をつくと同時に、問題のカーディス伯爵令息のことが頭に浮かび上がる。
一瞬で心を奪われたとか将来を見据えてとか、やっぱり信じ難いし、私に近づく理由が別にあるのではと疑ってしまう。でも同時に、今日わざわざ王弟殿下との面会前に来てくれたという彼の様子からは、私を揶揄っているとも思えなかった。
「結局私は、何も分かっていないのよね」
あの時知った気になっていた彼の「本性」は、私の偏見が大いに入っている。父の言うとおり、私はまだ何かを判断できるほどフェルナンド・カーディスという人を知ってはいなかった。でも何を知れば、この縁を繋ぐべきか断つべきか判断できるのだろう。
昨日彼の唇が触れた指先を、そっとさすった。
「とりあえず、今は彼のことは忘れよう」
気にしだすとキリがなくなることは、昨日から実証済み。沸き起こる疑問を無理やり押さえつけて自分の机へと向かう。
そこに積まれているのは、新しい研究施設に関連する資料の数々だ。
この国の伝統医療は、数百種類の生薬等を組み合わせて作る『伝統薬』を用いたもので、他国の医療とは異なる独自の進化を遂げてきた。症状や体質によって細かく薬の調整を行う伝統医療の担い手は昔こそ医者として尊敬を集める存在だったけれど、今では病院医師と区別するために『調薬師』と呼ばれ、時と共にその数を減らしている。それでも地域の人々に寄り添い、伝統的な医療を提供し続けている人達はまだまだ残っていた。
ミドレ家はそんな彼らへ生薬を供給し続けると共に、流派によるばらつきの大きかった調薬知識を集約し、改良を加え、研究開発や後継者育成用の施設を領地に作るなどその保全に尽力し続けている。
そして新たな試みとして5年ほど前から手掛けているのが、「簡易薬」と名付けた簡単に手に取ってもらえる伝統薬の販売だった。肩こりや腰痛、咳や軽い風邪などの比較的軽微な症状に対する伝統薬を診察なしで購入してもらう手法は、煎じる手間を省いた丸薬や粉薬での提供という手軽さや診察代がかからない安さから、徐々に売り上げが伸びつつある。
ただ生産効率や品質の均一化など、課題もまだまだ多い。それを解消するための新施設への投資は、ミドレ家にとって大きな決断だった。
「どうか、うまくいきますように」
簡易薬の販売は、幼い頃から伝統薬に親しんだ私が周囲の調薬師達と議論しながら編み出した、新たな生き残りの道だ。従来の診察を軸とした医療のみに固執すれば、遠からず病院との競合に負けてしまう。
伝統医療の要は、薬。個々人に合わせた調薬技術も大切だけれど、まずは伝統医療の良さを広く再認識してもらうための一手を打つ必要があった。
カーディス家の助言と宣伝の効果もあってか、最近簡易薬の状況は上向いてきている。このまま波に乗ってくれることを期待する反面、研究開発のために動くお金を書面で見ると、怖くなることもあった。
もし、なんの成果も出せなかったら? 計画が頓挫して、多額の負債だけが残ったら?
想像するだけで背筋が凍る。
あの失敗なんて無縁ですという顔をしたカーディス伯爵令息も、私と同じ恐怖に身を震わせることはあるのだろうか。それとも本当に、失敗しない秘策を会得しているのだろうか。
プライベートはもちろん、彼の仕事ぶりだって、私は人伝にしか聞いたことがない。
「ああもう、だめ。またあの人のこと考えてる」
頭を振って雑念を追い出し、書類に向き直った。
新しい施設に導入する機器や人員、そして研究の優先順位と成果の見込み。まだまだ詰めるべき事項は山積みで、震えて待っているだけでは何も始まらない。
「がんばらなきゃね」
残念ながら、伝統薬はただの気休めで効果はないと思う人も多い。問題なく病院医療を受けられる上流階級の人達ほどその誤解は強く、いずれ伝統医療は禁止されるのではという不安も存在していた。
けれど伝統医療には、病院医療とは異なる優れた点も多い。病名のつかない症状や体質の改善、複合疾患や女性特有の症状の緩和など、伝統医療でこそ救ってあげられる人は必ずいるのだ。
そんな人達へこれからも伝統医療を提供できるように、今やれることを全力で取り組みたい。決意も新たに、書類へと向き直った。
「エイリーン様、カーディス家の方とご結婚なさるって本当ですか?」
「嘘よ! もうそんなに話が大きくなってるの?」
仕事を終えて執務室を出るなり、2階の事務員にとんでもない質問を浴びせられてしまった。
せっかく仕事のことで占められていた頭の中に、ぽわんとお綺麗な貴公子の顔が浮かんできて、慌てて打ち消す。
無理無理無理。結婚なんて想像すらできない。
こほんと咳払いして、努めて真面目な表情を作った。興味津々の従業員達にきちんと現状を伝えておかないと、とんでもない噂が広まる未来が見える。
「あのね、まだ何ひとつ決まってるわけじゃないの。お願いだから今日のことを外で話したりしないでね? 誤った噂のせいでお相手に迷惑がかかる恐れもあるし、私の方も彼のことを狙ってる貴族の恨みを買う可能性が高いから」
そう言うと、楽しそうだった事務員達が確かにというように顔を見合わせる。
「女性の嫉妬は怖いと聞きますね」
「仕事に支障がでる可能性も考えられます」
「せっかく最近順調なのに、それはいけません。エイリーン様、早々にカーディス家の方を手に入れる方が、何かとよろしいのではないですか?」
その言葉に、思わず脱力しそうになった。長年経理として勤めてくれている真面目な年長従業員までこれか。笑えない。
「ダドリーさんまでやめてちょうだい。あの方とは、昨日初めてご挨拶したくらいの関係でしかないのよ。ああ、もう。下の人達も、まさか患者さん達に話したりしていないわよね」
すでに話が広がり始めていたらどうしよう。そう危惧したけれど、事務員達は大丈夫だと思いますよ、とのんきに応えた。
「さすがにその辺は弁えていると思います。だからこそ、内々で盛り上がっているのですが。ただ念の為釘を刺しておかないと、家族に話してしまったりする者はいるかもしれませんね」
「ちょっと行ってくるわ」
下にいるのは受付や会計を行う接客事務員と、症状や悩みの聞き取りを行って薬を調合する調薬師及びその見習い達。もうお店の営業時間は終わったので、後片付けに取り掛かっているはずだ。
「お疲れさま」
階段を下りて声をかけると、みんなの視線が私に集中する。
「お疲れさまです」
「あ、エイリーン様! ちょうどよかったです。はい、どうぞ」
「ん?」
渡されたのは小包装にされたお菓子だ。なぜお菓子? と思うと同時に、カーディス伯爵令息が手土産にお菓子も持参していたことを思い出す。
「いいですよねー、私もあんな彼氏が欲しいです」
ふふふと笑うのは、1年前からここで接客事務をしているケイトだ。私と歳の近い女性従業員で、よほど今日の出来事が楽しかったらしく、口元がにやけている。
「誤解よ。彼氏じゃないし、まだ何も決まってないの。昨日会ったばかりなんだから……」
「一目惚れされるなんて、ますます羨ましい〜」
「カーディス家ってこの国で知らない人がいないくらいの大富豪ですよね。どんな善行を積んだら、そんな相手に見初められるんでしょう。本当に羨ましいです」
ケイトに続き、調薬師見習いのパメラまでもそんなことを言う。パメラは夫と離縁した後、子どもを育てながら調薬師を目指す非常に珍しい女性で、こういった話に興味を示すとは思っていなかったので少し驚いた。
「羨ましいかしら。実際当事者になると、困惑が大きいものよ」
「困惑している場合ですか、エイリーン様。愛だの恋だのは信用なりませんが、お金は裏切りませんよ。このチャンスをものにしないでどうします!」
「ええ……?」
前のめりのパメラに強い口調でそう言われて、思わず半歩後ずさる。そんな私に鋭い視線を向けたまま、パメラはさらに言葉を続けた。
「いいですか、お金さえあればとりあえず生きていけるし、子どもに必要な教育だって受けさせられます。お金に余裕があれば好きなお菓子や新しい服だって買ってあげられるし、一緒に過ごす時間だって十分に取れるでしょう。素晴らしいじゃないですか。反対に貧乏人と結婚したらどうなると思います? 生活には苦労するし、離縁しても分ける財産がないどころか、子どもに養育費だって払わないんですよ!? 結婚は絶対に、お金持ちとするべきです! じゃないと後悔しますから!」
「そ、そう……」
パメラはとても苦労したらしい。年上女性からの実体験を交えたお話に圧倒されていると、調薬師のひとりがパメラの頭をコツンと小突いた。
「こら、エイリーン様は貴族のご令嬢だぞ? 庶民の結婚と同列に扱うんじゃない」
「うっ、そうでした。つい自分に重ねてしまい……申し訳ありません。でもこのチャンスを逃すのはもったいないと、具申いたします……」
「え、と。その、心配してくれてありがとう」
なんだか話が思わぬ方向に行ってしまった。ちょっと考えさせられる話ではあったけれど、ここに来たのは口止めのためなので、話を戻させてもらう。
「とりあえず、さっきも言った通りまだ何も決まっていないの。お相手を巻き込むことになってもいけないし、今日のことは他言無用でお願いするわ」
「かしこまりました」
「我々は職業柄口が堅いので、ご安心ください」
「ありがとう。くれぐれもよろしくね」
口々に了解してくれた従業員達。とりあえずは大丈夫だと思おう。
口止めを終えて、ようやく店を出た。目と鼻の先にある屋敷に帰りながら、カーディス伯爵令息はなぜわざわざ従業員達の目の前であんなことを口にしたのだろうかと、ちょっとげんなりしてしまう。周りの「当然相手を受け入れますよね?」という圧がすごい。もしやこれを狙ったのだろうか。あり得そうで怖い。
「これくらいの強かさと抜け目のなさがないと、成功できないのかな……」
とはいえ、それなら結婚相手も私みたいなのじゃなくて、もっと身分とか資産とか人脈とかを持ってる人を選べばいいのに。
とぼとぼ歩きながら、またひとつため息をこぼした。
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