4.5: ミドレ男爵令嬢獲得に向けた作戦会議
「どうだったかなルーサム。酒の上での戯れなんて不本意な疑惑は、これで綺麗さっぱり払拭できたんじゃないかな? 運良く男爵にもお会いできたし、やはり今日訪問して正解だったね」
馬車に乗り込むなり放たれた上司の言葉に、秘書のルーサムは密かに嘆息した。
朝っぱらから人を叩き起こし、超が付くほどの重要案件前に捩じ込む必要のある緊急の用事がこれとは、いったい誰が想像できるだろう。
「そうですね。大幅なマイナスが、プラスマイナスゼロくらいにはなったんじゃないですか?」
白けきったルーサムの返答に、フェルナンドは揺るがぬ笑みで応える。
「ミスの対応は後に回すと取り返しがつかなくなるからね、今ゼロに戻せたのなら十分な成果と言える。ありがとう、ルーサム。これも予定調整や手土産の手配に協力してくれた君のおかげだ。もちろん、時間外手当には色をつけておくからね」
そしてこういうところが、この人の憎めないところである。再び小さく嘆息するとともに、ルーサムは騒動の発端へと意識を向けた。
「それにしても、フェルナンド様が女性に振られるなんて面白……驚きですね。酒に酔っていようと、むしろこれ幸いと結婚を迫る勢いのご令嬢が大多数だと思っていました」
社交界一のモテ男である彼の口から、「この人だと思った女性を酒気帯びで口説いたら嫌われた」という趣旨の言葉を聞いた時、ルーサムは思わず己の耳を疑ったものだ。
「本当にね。こちらとしては誤解のないよう妻というゴールまで示して、極めて誠実に申し込んだつもりだったんだけど……。ふふ。お酒をたくさんお飲みになりまして? と言った時の、彼女の蔑みを隠せないあの目! 思い出すだけでゾクゾクしてしまうよ」
「ちょっと、変な性癖に目覚めたとか言わないでくださいよ?」
思わず口元を引き攣らせたルーサムに、フェルナンドは爽やかな口調で告げる。
「私はあれで、絶対彼女を手に入れてみせると心に誓ったんだ」
「えぇ……」
「というのは半分冗談で、別に蔑まれたい願望があるわけではない」
「ではなぜ突然出会ったばかりの、しかもこれまでノーマークだった女性を追いかけようだなんて思われたんです」
そろそろ身を固めなければと言って結婚相手を探しはじめたくせに、どの女性からのアプローチものらりくらりと躱してきたフェルナンド。そんな彼が急に家格も低く、素朴な見た目の女性に心を決めてしまった理由がルーサムにはまったく推測できなかった。
「そうだねぇ。なんというか、色々新鮮で印象深い子でね」
問われたフェルナンドは、ゆっくりとした口調で言葉を紡ぐ。
「何も聞かずにそっと場所を譲ろうとしてくれた気遣いには感動したし、話してみれば容姿や成果ではなく私の仕事に対する姿勢を褒めてくれる点も、とても好ましかった。そこに着目して理解を示してくれる女性なんて、なかなかいないだろう?」
「まぁ、そうですね」
領地経営や事業に参加する女性も出てきてはいるものの、働かないことが貴族女性の特権でありステータスであるという考えを持つ者もまだまだ多い。フェルナンドを囲む深窓のご令嬢方も大半が後者で、その関心のほとんどは容姿や家柄、財力にこそ寄せられる。影の努力や日頃の積み重ねに視線が向けられることはほとんどないのだ。
実は凄まじく努力の人であるフェルナンドを知る身としては、彼の語る理由を理解できなくもない。と思ったルーサムだけれど、その思考は急に響いた笑い声にかき消された。
「更には会話中ずっときらきらした目で私を見ていたくせに、交際を申し込まれた途端怒ってしまうのも面白い! 悉くこちらの予想を裏切ってくれる感じがなんとも魅力的で、これを追いかけずにはいられないだろう?」
「はあ?」
「ちょっと突飛なところはあるけれど、裏表のないまっすぐな子なんだろうね。ただ貴族社会で生きるには苦労しそうな気質だし、そんな彼女が将来男爵家を背負って立つ身だというんだから危なっかしくて仕方ない。これはもう、私が捕まえて守ってあげるしかないじゃないか!」
「いやいや、あなたのその思考はちょっとどころかだいぶ突飛ですよ」
思わず素で突っ込んだルーサムに、フェルナンドは含み笑いで返す。
「そう? でも半年ほど費やしてみても、彼女ほど琴線に触れる人はいなかったんだ。私はもう、彼女に決めた。ようやく伴侶探しの苦行を脱することができて喜ばしい限りだね」
清々しい顔でそう言ってのけるフェルナンドを見て、ルーサムは大きなため息をついた。
「いや、何をさも結婚が決まったかのようにおっしゃってるんですか。さっきの彼女、将来を見据えた申し出に対して喜んでいませんでしたよね?」
「急な訪問で驚かせたかな」
「恐ろしいほどに前向きで結構ですが、先方にも選ぶ権利があるということはお忘れなく」
そう指摘するルーサムに、フェルナンドは不思議そうな顔で瞬きしてみせる。
「結婚相手として、私になんの不足があると? 資産も地位も持っているし、容姿にも恵まれている。これまで品行方正に生きてきたつもりだ。今の社交界に、私以上の男がいるかな? お断りされる理由が見当たらない」
「そうかもしれませんが、自分で言われると腹が立ちますね」
「ただまぁ確かに、想定よりも反応は芳しくなかった、か……?」
「急な申し出に対する戸惑いもあるかもしれませんが、単にフェルナンド様が好みではないという可能性だって排除できませんよ」
「私が、好みじゃない?」
この言葉にこんなに驚けるのは、いっそ羨ましいとルーサムは思った。
「ええ。あなたが申し込んでいるのは、政略結婚ではないでしょう?」
「そうだね」
「つまり損得だけではなく、感情面も影響されてくるということです。彼女がワイルド系がタイプだとか、物静かな人が好きだとか、自信家な男は鼻につくとか、そういう嗜好だった場合フェルナンド様はお呼びじゃありません」
「何やら言葉に棘がないかな」
「気のせいです」
きっぱり否定したルーサムは、さらに言葉を続ける。
「フェルナンド様だって、資産も爵位も容姿にも恵まれて女性ながら事業にも携わっているウェルズ侯爵令嬢のアプローチを、お受けにならないじゃないですか。それこそお断りする理由がありませんよ」
「……あの志に見合うものを、私には差し出せないんだ。キャロライン嬢にはきっと別に相応しい男が現れるはずさ」
「つまりミドレ男爵令嬢も、今のあなたと同じ心境かもしれないということです。今日本気を示したらあとはとんとん拍子に事が運ぶなんて考えは、捨てるべきですね」
そう断言されたフェルナンドは、一瞬考え込んだ後口元に笑みを浮かべた。
「なるほど。私はすでに交渉成立は確実な気でいたけれど、実は交渉のテーブルにすらつけていない状態だったと。いいね、ますます楽しくなってきた」
「楽しくなるのは結構ですが、交渉のテーブルにつくどころか相手のニーズさえ把握できていない状態だということを、お忘れなく」
「大変的確な指摘だ。ではまず情報収集と根回しに取り掛からなくては」
「ええ。ですが今月はかなりスケジュールを詰めていますからね。集めた情報を精査し、それを元にミドレ男爵令嬢にアプローチをしに行きたければ、さっさと仕事を終わらせることです」
そう言われたフェルナンドは、小首を傾げて己の秘書を見つめた。
「ちょっと聞いてみるんだけど、自分が休みたいから私を焚き付けて仕事の時間を短縮させようとか、そういう魂胆があったりするのかな?」
「まさか。私は純粋にフェルナンド様の恋が実るように、助言を差し上げているだけです」
「恋? ……恋ねぇ」
馴染みのない言葉を口の中で転がして、フェルナンドはふっと笑った。
「まぁ、恋も仕事も実らせてみせるさ」
「一回くらい失恋を経験するのもよろしいのでは? と言いたいところですが、情報収集の協力くらいはして差し上げましょう」
「珍しいね、何か欲しいものでも?」
「ただフェルナンド様に早く落ち着いて欲しいだけですよ」
そんな会話を続けるうちに、やがて馬車は目的地である王弟殿下のお屋敷へと近づいてきた。
これから数日かけて、カーディス家が販売権を手に入れた最新型自動車の売り込みと、馬車事業者の強固な反対で実現が進まない王都内での自動車利用緩和に向けた意見交換を行う予定となっている。ふたりはミドレ男爵令嬢獲得に向けた作戦会議を一旦とめて、目の前の大仕事へと意識を切り替えたのだった。




