3: 予想外の出来事
一夜明けて。
昨日の怒りがまだ胸の内に燻ったまま、朝の準備を整える。
「なーにが妻よ。偶然で終わらせたくないとか、互いを知る時間が欲しいとか、まさに相手をたぶらかす時の常套句じゃない」
そりゃあれだけ格好良くてお金持ちなら喜ぶ人もいるかもしれないけど、ならそんな相手を選んでくれればいいのに。遊びたいなら、遊びたい同士でくっつくのが平和でしょ。真面目に生きたい貧乏人を巻き込まないで欲しい。
はあっと大きなため息が出た。
「あー、やめやめ。もう忘れよう。少なくとも仕事面では優秀な方だろうし」
そう口に出して、少し不安になった。まさかお父様、騙されてないよね、と。
以前聞かされた内容はミドレ家にとってメリットが大きくありがたいお話ではあったけれど、まさかとんでもない裏があるとか?
私は父の補佐をしているとはいえ、対外対応は未婚女性が出てくることが好まれない風潮のため、基本的に内部仕事ばかりだ。カーディス家との細かな打ち合わせの内容までは把握していない。とはいえ締結された契約書上では、特におかしな点はなかったはずだ。
だ、大丈夫だと思おう。
自分を納得させて、化粧のために椅子へと座った。
裕福ではないミドレ家では、使用人の数も必要最低限。家事全般は任せているものの、簡単な身支度くらいなら自分でやってしまっていた。
飴色の目に、化粧映えしない残念な地味顔。見慣れた顔にうっすら化粧を施し、なんの変哲もないダークブラウンの髪を梳かしながら、思う。
こんな田舎くさいぱっとしない見た目の貧乏男爵家の娘があのカーディス家次男の妻になんてなったりしたら、納得できないお嬢様方に刺されてしまいそうだと。
カーディス家の面々は20代前半までをほぼ仕事に捧げるらしいが、フェルナンド・カーディスはもう27歳で、そろそろ身を固める時期と思われている。実際未婚の貴族令嬢も参加するパーティーへの出席率が急に上がった彼をめぐり、結婚相手を求める女性達の本気度は怖いほどに上昇を続けていた。
家を継がない次男とはいえ、彼自身の個人資産も相当なものだと囁かれている。むしろ当主夫人としての責務や土地がらみの面倒もなく贅沢な暮らしが保証された彼との結婚は、数多のご令嬢の目にたいそう魅力的に映っていた。
「あんなに人気者なんだもの。私と会ったことさえ、もう忘れてるんじゃないかしら」
私なんかが彼の妻になんて、無用の心配どころか、きっともう2人きりで会う機会すらないだろう。事業関係は父が対応するし、パーティーでは彼の方がたくさんの取り巻きに囲まれている。昨日もあの後、会場に戻った彼はずっとご令嬢方に囲まれていた。
庭園での邂逅は、本当にこの先2度とない偶然だったのだ。
「はぁ。とりあえず、事務所行こ」
つらつらといつまでも引き摺ってしまうけれど、いい加減日常に戻らなくてはいけない。新施設開設の件もあり、やることは山積みなのだから。
一つ大きく伸びをして、気持ちを切り替えつつ椅子から立ち上がった。
首都の貴族街と庶民街の狭間にひっそりと構えた、ミドレ家のタウンハウス。その隣には小さな店舗と、薬草をはじめとする様々な生薬を保管するための大きな倉庫が建てられている。
店舗2階にある事務室へ赴き、ミドレ家用の執務室のドアを開けると、中は無人だった。昨日は夜遅かったし、父はまだ休んでいるのかもしれない。
ふと思い立って、カーディス家と事業提携した3年前と現在の資料を出してきて、改めて比較する。そして思った。
「昨日、あんなあからさまじゃなくて、もっとやんわり優しくお断りすればよかった、かも……」
もし相手の機嫌を損ねて提携解消なんてことになったら、ミドレ家にとっては大打撃だ。いずれ海外を視野に、なんて話ができるようになったのも、カーディス家の後ろ盾があるからに他ならない。
「薬草栽培や伝統医療の保護に力を入れるなんて、時代遅れで先がないって周りに笑われてるものね」
自国メルハスが他国との交易を積極的に行えるようになったのは、ここ100年ほどのことだ。
東を険しい山脈、西南北を海に囲まれた陸の孤島のようなメルハスは、さらに東寄りの海岸線は断崖絶壁が続き、潮の流れも穏やかとはいえない。そのうえ他国は戦争や革命で乱れていたため国交は安定せず、他国の状況が落ち着き、蒸気船が実用化された頃になってようやくまともな交易を行えるようになったのだ。
そうして他国からもたらされた知識や技術は、領地に港を持っていたカーディス伯爵家を筆頭とした貴族によりこの国に取り込まれ、広がり、やがて急速な産業発展を遂げた。
便利になる生活。知識水準も向上し、平民から富豪に成り上がる者も見受けられるようになった。
けれど良いことばかりでもない。ミドレ家が関係することで言うと、他国からもたらされた医療技術だ。
この国では昔から、生薬を組み合わせて作る伝統薬に通じた者が、医者を名乗って診療を行っていた。
けれど今は他国の知識を基にした国家医師の資格が作られ、国が多額の資金をかけて各地に設立した病院で、国家医師による医療が提供されている。そこで使用される薬は当然他国産の外国医薬品で、この国に昔から伝わる薬草各種を領地で栽培していた家は大きな打撃を受けた。
伝統医療を禁じられはしなかったものの、民間療法の一種として正式な医療とは見做してもらえない。先細りが確実な伝統医療関連から撤退する人は、当然多かった。
そんな中でミドレ家が伝統薬事業から手を引かなかったのには、理由がある。外国薬は効き目が強い反面、副作用に苦しむ者も出ていたことと、何より病院の診療費は裕福でない者にとっては非常に負担が大きかったことだ。
必要としている人達がいる以上、生薬の供給を断つわけにはいかない。
その先代達の決断を父も受け継ぎ、私も支持している。けれど同規模の領地や爵位の者達が時代に即した産業に転向し、成功を収めているのを見ると、苦い思いもあった。領民にとって、この決断は本当に良いものだったのだろうかと。
「だからこそ、あのカーディス家と手を組めることになるって聞いて、嬉しかったのよ」
まだお若いのに本当にしっかりした方だよと、父が嬉しそうにカーディス家次男について話していたことを思い出す。成人して間もなかった3年前の私は直接話をする機会なんてなかったけれど、まるで救世主が現れたかのように感じたものだ。
とはいえミドレ家にとって大切なこの事業も、きっとカーディス家にとっては慈善事業の一環的な位置付けなのだろう。他国のように平民の暴動が起きないよう、この国の高位貴族はうまく立ち回っている。
高額な診療費の問題だけではなく、病院の普及が追いついていない地域では、まだまだ伝統医療頼りの面もあった。そうした背景から伝統薬の供給に手を貸し、病院診療を容易に受けられない層に手を差し伸べることで民衆の不満軽減とカーディス家のイメージアップを図ることが主なる目的だと私は思っていた。
その思惑はどうあれ、カーディス家の物流網を利用させてもらえるお陰で、ミドレ家は国内での生薬や伝統薬販売の輸送経費を抑えられている。そのうえ資金援助までしてもらっているのだ。
つまり多少女癖が悪くとも、仕事に関しては代えようのない大切な相手。昨日の件で態度を変えるほど狭量だとは思えないけれど、機嫌を損ねないに越したことはなかった。
「またお会いすることがあったら、昨日の件は忘れて精一杯友好的に接しよう」
そう決意していると、急に慌ただしいノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼しますっ」
何やら興奮した様子で現れたのは、一階店舗で客対応を担当している従業員だ。
「エイリーン様、下にすっごい美形の貴族様がいらしてますよ。フェルナンド・カーディス様と名乗られましたが、あの方がかの有名なカーディス家の方なんですかね?」
「な、なんですって!?」
まったく予想外の出来事に、一瞬頭が真っ白になった。
昨日の件を蒸し返されることなんてないと思っていたのに、このタイミングで訪問されるとどうしても嫌な想像が膨らんでくる。もしや私みたいな女に断られてプライドが傷ついたとか? 逆恨みされて事業に影響が出たらどうしよう。
「お、お父様を呼んでこないと」
「ですがエイリーン様にお会いしたいとのことでしたよ」
「〜〜っ、とりあえず下に降りるわ。誰か裏からお父様を呼んでくるように走らせてくれる?」
「かしこまりました」
「応接室の掃除は大丈夫だったかしら」
「一応、今朝掃除はしてます」
「なら、いいわよね、たぶん」
思考がまとまらないけれど、お待たせするのもマズい気がする。大きく深呼吸して、執務室からフェルナンド・カーディス伯爵令息の待つ1階へ向かった。




