2: 苦い夜
パーティーももうすぐ終わりの時間。父は目当ての貴族を捕まえることができたため、私と離れてその相手と話し込んでいた。
そして話し相手を失った私の方はというと、すでに出来上がった若者グループに今更入っていく気にもなれずに、気分転換に庭園へと出ている。
久方ぶりの大規模なパーティーで、会場の盛り上がり(特に若いご令嬢方)は凄まじかった。結局カーディス伯爵令息には挨拶できなかったし、男爵家跡取り(私)の課題である婿探しにもなんら進展はない。
というより、カーディス伯爵令息に嫁探しの兆候が見られてからここ半年。結婚適齢期の女性陣が彼に熱を上げるせいで男性陣も様子見傾向が強く、婚活市場は妙な膠着状態が続いているのだ。「私で妥協してくれるそこそこの男性」が見つからないのも、きっと今の状況が影響しているに違いない。
「はぁ……」
あれだけの美女に囲まれているのだから、カーディス伯爵令息にはサクッと伴侶を決めて欲しいものである。
ちょっとやさぐれた気分になりながら、庭園を歩いた。
ざわつく私の心とは対照的に、そこは幸いにも落ち着いた雰囲気で人影も少ない。微かに会場の喧騒が届く庭をゆっくり歩いていると、まるで別世界を訪れているかのような不思議な感覚を味わえた。
少し上向いてきた気分のままに散策を楽しんで、来客用に開放されている区間の端にあったベンチにゆっくりと腰を下ろす。外灯からやや離れたその場所は背の高い薔薇に囲まれてはいるものの、顔を上げれば夜空に浮かんだ月がよく見えた。
「綺麗……」
その清冽な光に照らされると、疲れた心が静かに澄んでいく。
微かに感じる薔薇の花の香り、木の葉が風に撫でられて立てる微かな音。そのどれもが心地よい。
ひとしきり外の空気を楽しんで、少ししてようやく重い腰を上げた。いつまでも眺めていられそうな光景だけど、あまり長く外にいると父が心配してしまうかもしれない。
「そろそろ戻らなきゃ」
最後に大きく深呼吸する。
そして一歩踏み出そうとしたと同時に、こちらに近づいてくる足音に気づいた。
「……」
思わず息を潜めて足音の行方を探る。するとそれはまっすぐに、こちらへ向かっているようだった。もしかすると父が迎えにきてくれたのかもしれない。
そう思って数歩歩いた時、ちょうど木の影から現れた人物と鉢合わせた。
柔らかな月光を反射して輝く金髪に、驚きからか少し見開かれた紺碧の双眸。父と似ても似つかぬ青年の登場に驚いて、なんの反応もできなかった。
それは相手も同じだったようで、一瞬静寂がその場を支配する。
けれどすぐにその人――カーディス伯爵令息は、人好きのする笑みを浮かべた。
「こんなところにおひとりで? 警備の者もいるとはいえ、少々心配になります。会場までお送りしましょう」
当たり前のように差し出された手。それを見て思った。
あれだけ女性に囲まれるのも無理はない、と。
きっと私と同じように息抜きをしたくてここを訪れたのだと思うのに、見知らぬ女のために、彼はその機会をふいにしようとしていた。
もともと父から話を聞いて抱いていた尊敬の念が胸で膨らむ。それは自然に笑みとなって、私の顔に浮かんだ。
「ご親切にありがとうございます。ですがお送りいただくのは、ご遠慮いたしますわ」
微かな驚きを浮かべた彼の目に視線を合わせる。そしてそれを誘導するように、夜空を見上げた。
「ここからは、月がとても綺麗に見えるのです。息抜きにいらしたのでしょう? ご心配なさらずとも私はまっすぐ会場に戻ります。なのでどうぞ、今宵の月を愛でてくださいませ」
私を連れて会場近くまで戻ってしまうと、人気者の彼はまた誰かに捕まってしまうかもしれない。そんな申し訳ないことはさせられなかった。
一礼して歩き出す。けれどすれ違う前に、彼が行手を阻むように道を塞いだ。
「あの……」
「ミドレ男爵家のご令嬢、でよろしかったでしょうか」
「え、ええ……」
答えながら、密かに驚いた。彼と父は面識があるものの、私とは初対面だ。父と一緒にいるところを見られていたのだろうか。
「男爵と一緒に参加されている姿を、お見かけしていたんですよ。男爵ともお話をしたかったのですが、なかなかタイミングが合わず残念でした」
こちらの疑問に答えるように、彼が穏やかに言葉を紡ぐ。この紺碧の瞳には周りの状況や話相手の思考が鮮明に映っているらしかった。
驚きはしたものの、こちらを認識してもらっているならば会場で伝えられなかった礼を伝えるいい機会かもしれない。
「エイリーン・ミドレと申します。父とは今日、カーディス卿にお礼の言葉をお伝えしたいと話しておりました」
改めて、彼に向き直る。
「我が家の事業にお力添えをいただき、本当にありがとうございました。ミドレ家の理念にご理解とご協力を賜り、そのうえ研究施設の新設費まで一部ご負担くださると。どれほど感謝しても足りないほどです」
「いえ。ミドレ男爵のお考えには、私も共感するところが多くありましたから。費用に関しましては……カーディス家にはお金の沸く金庫がありますので、お気になさらず」
茶目っ気のある笑みとともにそう言われて、釣られてクスリと笑った。
カーディス家には、お金が無限に湧いてくる金庫がある。それは数々の事業で成功をおさめ、多額の資産を築いたカーディス家に対し賞賛半分・妬み半分で周囲の者が口にするジョークだ。
けれど彼らの富は、彼らの並々ならぬ努力があってこそ生まれたもの。気軽に受け取ってよいものだとは、私には思えなかった。
「まぁ、ご冗談を。カーディス伯爵家の皆様の行動力と勤勉さは、私でさえよく耳にするほどです。その積み重ねで築かれた富を私どもの事業にお使いいただけること、大変光栄に存じます」
そしてなにより、カーディス家がミドレ家の事業を認め、こうして支援してくれていることが嬉しく誇らしい。
カーディス家は決して甘くはないものの、手を組んだ相手に損をさせない最良の取引相手として多くの尊敬と信頼を集めている。実際父との取引でも、彼は足元を見るでも無理を押し付けるでもなく、むしろ課題や今後の展望までも加味して互いに最大限の利益を得られるよう考慮してくれたらしい。その姿勢のありがたみは弱い立場であるからこそ身に染みて、父が嬉しそうに彼の話題を口にするたびに尊敬の念が膨らんだものだ。
「カーディス卿におかれましても、父と何度も対話の機会を設け、領地にも足を運んでくださったと伺っております。お忙しい中でもご自身で現状を確かめ、こちらに配慮のある案を考えてくださる姿勢には尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。心より、感謝申し上げます」
だからこそ直接お礼を伝えられて、とても嬉しかった。精一杯の気持ちを込めて頭を下げる。
彼にお礼を言えたことを後で父にも報告しよう。そんなことを思いながら彼の言葉を待っていたけれど、なぜかその場には、短くない沈黙が落ちた。
……なんだろう、この反応。
もしや、たかが貧乏男爵家の娘の分際で偉そうな口をきくと、不快に思われてしまっただろうか。残念ながら事業関連に女性が口出しすることをよく思わない男性もそこそこいる。ここは素直にジョークに乗っかって、お金の湧く金庫なんてすごーい! と褒め称えるのが正解だったのかもしれない。
なんて後悔しても後の祭りである。
「その、こうしてお礼をお伝えできて大変嬉しかったです。とはいえこれ以上息抜きのお邪魔をしてはいけませんので、私はこの辺りで失礼致しますわ。機会に恵まれましたら、会場でまた父とご挨拶に伺います」
もうこうなったら逃げるが吉。そそくさと彼の横をすり抜けて退散しようとしたけれど、その前に彼が動いた。
「待って」
言葉とともに腕を掴まれて、驚きに顔を上げる。私を引き留めた当人もなぜか一瞬驚いたように目を見開いたけれど、すぐにその顔には甘やかな笑みが浮かんだ。
「失礼。あなたが去ってしまうと思うと、思わず身体が動いていました」
「え……?」
困惑するうちに、私の腕を掴んでいた手がすっと下へと流れる。
月明かりの中で静かに光る紺碧の双眸が、蠱惑的な色を纏って私を映した。その雰囲気にどきりとさせられて動けないうちに、彼は私の手を掬い上げて、そのまま口元へと引き寄せる。
「……ぁ」
こちらを意識させるように、ゆっくり私の指先へ落とされたキス。甘い雰囲気とまっすぐな眼差しに、否応なく頬が熱を持った。
え、なに、うそ、どうして。
動揺する私の隙を突くように、彼は更なる衝撃を私に叩き込んだ。
「月の精のように清らかで美しいあなたに、一瞬で心を奪われてしまいました。どうか私の妻に、と。そう願ってしまうほどに」
つ、ま……?
呆然とする私に、彼はなおも言葉を重ねる。
「導かれるようにこの場で出会った偶然を、偶然で終わらせたくないと願うのは私だけでしょうか。ほんのわずかの会話で私の心を捉えたあなたのことを、私はもっと知りたくてたまらないのです」
そして彼は請うように、捉えたままの手を指先で撫でた。
「叶うならばこの先を見据えて、互いをよく知る時間をいただけないでしょうか」
ふわっと世界が優しい色を放った気がした。
甘やかな言葉、甘やかな仕草。月明かりにいっそう際立つ彼の美貌と熱を含んだ眼差しが、私の心を絡め取っていく。
――どうしよう、夢みたい。
失敗続きの婿探しの中、小説みたいにある日突然素敵な男性に出会って求めてもらえたら……なんて夢想した日は数知れず。けれど現実はいつも残酷で、めぼしい相手には逃げられてばかり。
そんな私の手を今、誰もが羨む理想の貴公子がとっている。
しかももともと父から話を聞いて淡い憧れを抱いていた相手だ。その言葉を拒む理由がどこにあるだろう。こんな幸運、きっと2度と巡ってこない。
心臓がうるさいほどに音を立てた。夢のようなチャンスを捕まえようと小さく口を開く。
けれど、了承の言葉を紡ぐ寸前。
急な風が2人の間を吹き抜けると同時に、私の中の冷静な私が爆速で飛び出してきて、思いっきり叫んだ。
「そんなロマンス展開っ、あるわけないから!!!」と。
はたと我に返った。
そう、そうよ。
落ち着くのよ、エイリーン!
私みたいな地味系貧乏女に、超絶優良株の美形金持ち貴公子様が急に言い寄ってくるなんて、どう考えてもおかしくない?
しかも妻? 今日初めて会ったばかりで?
先ほどまで数多の美女に囲まれていた彼が、出会ったばかりの底辺女を妻にしようなんて考えるはずがない。つまりだ。私はただ、遊ばれそうになってるだけ、なのでは……?
思わずぐっと奥歯を噛み締めた。
うわぁ、最悪。絶対そうだ。きっと華やか美女に囲まれすぎて、たまには地味な女を味見したくなったというやつなのだろう。
しかも「月の精のように清らかで美しい〜」なんて歯の浮くようなセリフをすらすら言えることからして、彼が女遊びの常習犯である可能性は極めて高い。本気にしたが最後、遊ばれて捨てられる未来が目に見えるようだった。
なんて迷惑な。夢どころかとんだ悪夢である。
腹の底から湧いてくる怒りを堪え、かろうじて淑女の仮面を被ったまま彼を見上げた。
「ふ、ふふふ。いやですわ、本当にご冗談がお好きですのね。ああもしや、お酒をたくさんお飲みになりまして? しばらくここでお休みになられた方がよろしいですわよごきげんよう!」
滅んでしまえ、遊び人!
バッと勢いよく自分の手を取り返し、何を言われる前に彼の横をすり抜けてその場を離れた。
あーもうっ。もうっ。本当にがっかり!
尊敬できる人だと思ってたのに、裏では身分差のある女性をあんなセリフで引っ掛ける最低男だったなんて。捨てられても泣き寝入りするしかない相手を選ぶあたり、本っ当にタチが悪くて腹が立つ。
事業の件がなければ、思いきり罵倒してやりたかった。ついでに平手打ちのひとつでもお見舞いして差し上げたい!
「あーあ」
自分の中に作り上げていた「尊敬できるフェルナンド・カーディス伯爵令息」の像が、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。
人から聞くだけでは、遠目で見るだけでは、人の本性なんて少しも分からない。そんな当たり前のことを思い知らされた、苦い夜だった。




