27: 近くにいても離れていても
堂々と楽しんでおいでと父に送り出された久しぶりのデート。
行き先はフェルナンド様にお任せだったので、とんでもなく目立つ場所だったらどうしようという恐れもあったのだけれど、着いた先はなぜかカーディス家のお屋敷だった。
婚約後初のデートの選択がここというのは、なんだか意外である。
とはいえ外で人目に晒されることを思えば、私的には嬉しい選択だ。多少の緊張は残るとはいえ、婚約のあれこれで何度も足を運んでいる場所なのだから。
馬車から降りて密かにほっとしていると、フェルナンド様が私の背に腕を回してゆっくり歩き始めた。
「今日は私の部屋で話そう。エイリーンに見せたいものがあるんだ」
「見せたいもの、ですか?」
「そう。喜んでもらえると思うから、期待していて」
そう言うフェルナンド様はとてもご機嫌で、こちらも釣られて笑顔になる。
そして同時に、フェルナンド様の私室へ通されると分かってどきどきしてきた。プライベートな空間に入れてもらえるのは、それだけ親密な関係になったということ。少し照れ臭い。
「ここだよ」
案内されて開かれたドアの先。そこには大量の書籍や資料が所狭しと置かれた、私室というよりも仕事部屋という感じの空間が広がっていた。
ざっと見渡しても、あまり趣味関係のものは見当たらない。入り口からデスク、その近くに置かれた休憩用のソファセット辺りは綺麗だけれど、奥の方には棚に収まりきらなかった本や書類が積み重ねられていて、うっかり足を踏み入れると崩壊させそうだ。
圧倒される間に、フェルナンド様は私をソファへと導く。
「ちょっとだけここで待っていて。すぐに戻るから」
「はい」
座り心地のよいソファへ私を座らせると、フェルナンド様は部屋を出て行ってしまった。見せたいものが何かは気になるけれど、考えたところで分かるはずもない。なので今は、フェルナンド様のお部屋に注意を向けることにした。
好きな人が普段過ごしている空間というだけで、そこはとても特別で興味深い場所になる。書類まみれの空間にゆっくり視線を這わせた。
きらきら貴公子な彼の部屋としてはずいぶんと地味というか、実用性重視で飾り気がほとんどない。それは意外なようでいて、とても彼らしい部屋だとも感じた。
いつも余裕の表情で眩しく輝いている姿は、決してその身分や才能だけで培われたものではない。仕事の成功も人を惹きつける話術も、それを成し得る下地があってこそだ。影の苦労を他人に感じさせないだけで、彼自身はとても努力の人なのだと思う。
なんだか気の引き締まる思いがして背筋を伸ばしていると、かちゃりとドアの開く音がした。
予想以上に早い帰還に、もう少しゆっくり見たかったなぁと残念に思いつつ、ドアへと視線を向ける。けれどそこに見えたのは、フェルナンド様の姿ではなかった。
「え?」
金髪に青い目の男の子がひとり。年は4〜5歳くらいだろうか。
やや険しい顔でこちらを見ているけれど、その表情すらとてつもなく可愛くて、間違いなく将来有望である。
驚きに言葉を失っていると、その子はてくてく近づいてきて、じっと私の顔を見上げた。
「お姉さんが、フェル兄様と結婚する人ですか?」
フェル兄様! どうやらフェルナンド様は、この子にそう呼ばれているらしい。年周りからしてフェルナンド様の甥っ子だろうか。次期当主夫妻にはご挨拶をしたものの、子ども達は小さいのでと顔合わせの席には同席していなかった。だから顔を合わせるのは、これが初めてになる。
「ええ、そうよ」
「ふーん。フェル兄様のお嫁さんなら、もっと美人かと思ってました」
けれどいきなり、グサッと言葉の刃で刺された。油断していたぶん、ダメージが大きい。
「そ、そう……、ご期待に添えなくて残念だわ。私はエイリーンというの。あなたのお名前を教えてもらってもいいかしら」
でも相手は小さな子ども。ショックを抑えて笑顔を向けると、その子は気まずそうに視線を逸らした。
「……レイモンド」
「レイモンド君ね、どうぞよろしく。これから仲良くしてもらえると嬉しいわ」
握手のために手を差し出す。けれどレイモンド君はじっと私の手を見たあと、いやいやと言うように首を振った。
その青い目には、いつのまにか涙がいっぱいに溜まっている。
「やだ、仲良くしない! フェル兄様のこと、連れていっちゃうくせに!!」
「え?」
「フェル兄様は僕のなのに。僕のなのに。なんで……」
ぽろぽろと、大きな瞳から涙がこぼれ落ちていく。
フェルナンド様との結婚でご令嬢方に泣かれるのは覚悟していたけれど、まさかこんな小さな子を泣かせることになるなんて。さすがに予想外すぎて、一瞬頭が真っ白になる。
「父様も母様も、兄様の方が大事だし、ミイナも、いなくなっちゃったのに、なんで、なんで、フェル兄様まで、……うぅっ、やだよぉっ」
全身で悲しさを表現するその姿。孤独を思わせる言葉は、以前の手紙にあったフェルナンド様の過去を思い起こさせた。
綴られていた彼の幼少時代。両親と会うことは稀で、誕生日すらほとんど共に過ごすことはなかったという。
「……」
跡取りである長男が大切にされることも、親子関係が希薄なことも、貴族では割とよくある部類の話ではあった。けれど幸いにも両親の愛情を一身に受けて育った身としては、それはとてつもなく寂しいことに思える。もしかするとフェルナンド様は、同じ孤独を抱えるこの子の唯一の理解者であったのかもしれない。
「みんな、僕のことなんてどうでもいいんだ。でもフェル兄様、僕のこと、大切って……っ。うっ、だから、フェル兄様をっ、とって、いかないで……!」
縋り付くような声に、胸が締め付けられる。思わずその子の視線に合わせるようにソファから降りて、床に膝をついた。
結婚を取りやめることは、さすがにできない。でもこの子から奪うだけの状況にもしたくはなくて、言葉を探した。
「レイモンド君も、フェルナンド様のことが大好きなのね」
「……っ」
「とっても素敵で、優しい人だものね」
こくりと、微かな頷きが返ってくる。涙は変わらず頬を滑って、抑えきれない悲しみをこちらに伝えていた。
「寂しい思いをさせてしまってごめんなさい。でも私と結婚しても、フェルナンド様は今と変わらず、レイモンド君のことが大好きよ」
恐る恐る手を伸ばして小さな頭に触れてみる。拒まれなかったので、そのままそっと、柔らかな髪を撫でた。
「レイモンド君を大切に思う気持ちは、変わったりしないわ」
これほど慕ってくる小さな子を、フェルナンド様が厭うはずがない。彼らの普段を知らなくとも、今のレイモンド君の様子からその関係性は容易に推察できた。
「でも、でも……っ」
「そうね、会えない日は寂しいわよね。そんな時は、お手紙を送るのはどうかしら」
「手紙、なんかっ……」
「私とフェルナンド様も、今お手紙を送り合っているのよ。会えない日も多いけど、もらったお手紙を読むと嬉しくなるし、宝物になるわ。悲しい時に読み返すと元気をもらえるの」
「……」
「それにここから私のお屋敷まではそんなに離れていないから、いつでも遊びに来てくれていいのよ。もしご両親が許してくれるなら、お泊まり会もしましょうか」
「お泊まり、会?」
「そう。私の屋敷に遊びにきて、デザートたっぷりのお夕食を食べて、たくさんおしゃべりして、カードで遊んで、ちょっと夜更かしした後みんなで一緒に寝るの。楽しそうでしょう?」
「…………うん」
少し落ち着いてきたのか、とめどなくあふれていた涙が止まってくる。持っていたハンカチで顔を拭いてあげると、居心地悪そうに身動ぎした。
「このお屋敷を出ても、フェルナンド様はレイモンド君の優しいお兄様のままよ。住んでいるところが少し離れるだけ」
「本当に? ちゃんと会える?」
「ええ」
「遊びに行ってもいいの?」
「もちろんよ。私とレイモンド君も親戚になるのだから、遠慮しないで」
そう言うと、レイモンド君はしばし考えた後にゆっくり頷いた。そして何やら吟味するような目で、じっと私を見つめる。
今度は何を言われるかと内心どきどきしていると、レイモンド君は何かを結論付けて、ちょっと得意そうに口を開いた。
「あのね」
「なにかしら」
「エイちゃんは僕のお嫁さんになって、みんなでここに住めばいいと思います」
「……」
ああああ、どうしよう。小さい子の思考回路が全然わからない。でもやっぱり、どうにかフェルナンド様をここに留めたいと願っているんだろうなぁ。
嬉しそうなレイモンド君の前で途方に暮れていると、コンコンとドアをノックする音がした。視線を向ければ開いていたドアからフェルナンド様が顔を覗かせて、苦笑を浮かべつつこちらを見ている。
「フェル兄様!」
「レイ、コリアナが探していたよ」
ぱっと駆け出して足に抱きついたレイモンド君の頭を、フェルナンド様が優しく撫でた。もう片方の手には大きな花束を抱えている。もしかして、これを取りに行っていたのだろうか。
「フェル兄様。僕とエイちゃんが結婚したら、このお屋敷にいてくれますか?」
「それは無理だよ、レイ。エイリーンは家を継ぐ人だし、何より私の婚約者だからね。結婚するためには、相手にも結婚したいと思ってもらわなくてはいけないんだ。私はエイリーンと結婚するためにとってもとっても頑張ったんだよ。いつかレイにも、レイだけのどうしようもなく大好きで、ずっと一緒にいたいと思える人が見つかるはずだ。レイにはその人を、お嫁さんにしてほしいな」
「うん……」
「ねぇ、レイ。近くにいても離れていても、私はレイを愛しているよ。そのことをどうか、忘れないでいて」
「……フェル兄様が結婚しても、また会えますか?」
「会えるよ。それに、レイにも会いにきて欲しいな。勉強を頑張って、お祖父様やお父様と交渉して、私のところに遊びに来る権利を勝ち取るんだ。与えられることを待つだけの、格好悪い男になってはいけないよ。欲しいものは正々堂々自分の力で手に入れるんだ」
「フェル兄様みたいに?」
「そう。私みたいに」
フェルナンド様の言葉をじっと考えていたレイモンド君は、少ししてこくりと頷いた。
「僕、頑張ってエイちゃんのお屋敷に住めるように、交渉します!」
「なかなか大きな目標を立てたね。たくさん努力が必要になるだろうけど、レイと一緒に住んで、一緒に働くようになったら楽しそうだ」
「はい。フェル兄様、待っていてくださいね!」
レイモンド君がそう宣言すると同時に、ドアの近くにひとりの使用人の姿が見えた。
「レイモンド様、そろそろお部屋にお戻りになりましょう」
レイモンド君を探していたというコリアナさんだろうか。小声でレイモンド君に声をかけて、ここから連れて行こうとしている。
「さ、レイ」
フェルナンド様にも促されて、レイモンド君は部屋に戻ることにしたようだった。一歩外へと足を踏み出して、けれど何かを思い出したように、あっと声を上げる。
振り返ったその青の目は、まっすぐ私に向いていた。
「あのね、エイちゃん。さっきはいじわる言ってごめんなさい。エイちゃんは、とってもかわいいです」
それだけ言って、ぱっと駆け出していった。かわいいのは間違いなくレイモンド君の方である。
「エイリーン」
不意打ちで心を射抜かれて悶えていると、床に膝をついたままだった私にフェルナンド様が近づいて、手を差し出してくれた。花束と貴公子はとんでもなく絵になる組み合わせだなぁなんて思いながら、その手を取り、ゆっくり立ち上がったのだった。




