26: もし傷つくことがあれば
「うぅ、もう二度とフェルナンド様のお屋敷にお邪魔できる気がしません……」
馬車でミドレ邸まで送られながら、情けない弱音が口をついた。
部屋に通されてからにすればいいのに、なんで私はあの場で求婚してしまったのだろう。本当にありえない。
盛大に落ち込む私とは対照的に、隣に座るフェルナンド様は大層ご機嫌だ。
「そんなことを言わないで、エイリーン。鮮明に会話が聞こえていたのはルーサムくらいだろうし、そもそも夫婦仲が良いのは喜ばしいことなんだから、何も恥じる必要なんてないさ」
「うぅ……」
フェルナンド様のこの堂々たる態度が、頼もしいやら恨めしいやら。
すぐ落ち込んだり浮上したりする私には、フェルナンド様のこのぶれなさ加減はとても好ましいのだけれど、時に小憎たらしく感じることもある。
「それにこの先ずっと一緒にいたいと言ってもらえて、私はとても嬉しかったんだ。ああ、まだ興奮が冷めない。心を鷲掴みにされるとはこのことだね。きっと一生忘れられない思い出になるよ」
でもこれほど喜んでもらえたなら、勢いのままぶつかった甲斐があるかもしれない。なんて思ってしまうからお手上げだ。
少しだけ気分が浮上して顔を上げると、フェルナンド様はまっすぐ私を見ていた。
「落ち着いた?」
「はい……」
どんなに嘆いても、あの場にいた人達の記憶を消せるわけではない。やってしまったものはもう仕方がないのだ。今日まで待たせたフェルナンド様が喜んでくれたのなら、それでよしと思おう。
そう自分に言い聞かせていると、フェルナンド様は和やかな笑みを私に向けた。そして手を伸ばして、私の頭を静かに撫でる。
慰めてくれているのだろうか。
馬車の中には穏やかな沈黙が落ちて、なんだか心地いい。しばらくそのままフェルナンド様に甘えていると、やがて彼が、ゆっくりと口を開いた。
「ねぇ、エイリーン」
どきりとするほど、優しい声だった。
驚いて顔を上げた私の目に、柔らかい表情のフェルナンド様が映る。
「エイリーンは私に対して引け目を感じているようだけれど、私が妻にと願うのは、エイリーンだけなんだ。そしてこの結婚にはなんの障害もない。『釣り合わない』なんて思う必要はないんだよ。もしかすると今後、余計なことを言う人に出会うかもしれない。でも部外者の言葉になんて、耳を傾けないで。私達はこうして時間をかけて、ふたりで未来を歩むことを決断したのだから」
フェルナンド様はそう言って、ゆっくりと私を抱き寄せた。
「それでももし傷つくことがあれば、私にも教えて欲しい。エイリーンが安心できるまで抱きしめるし、何度だってエイリーンの素敵なところを語ってあげる。ひとりで不安になるなんて絶対にしては駄目だよ。他人のつまらない言動で、エイリーンを失いたくないんだ」
包み込むような言葉に、じわっと涙が滲みそうになった。
先程無意識に出てしまった言葉。そこに潜む不安をフェルナンド様は正しく理解して、私を安心させようとしてくれている。いつも大袈裟なほど喜びを表現してくれるのも実は私のためだったのかもしれない。
その言葉と感じる温もりが、胸の奥で冷たく凍る不安を溶かしていくかのようだった。
「ありがとう、ございます」
ああ、やっぱり勇気を出してよかった。
頼り甲斐のあるその背に腕を回して、ぎゅっと抱きしめ返す。彼の香りに包まれると自然に笑みが浮かんだ。
「フェルナンド様も、疲れたり嫌なことがあったりした時には、どうか私に教えてください」
「抱きしめてくれる?」
「だ、抱きしめます」
「キスもして欲しいな」
「う……」
くすっと笑ったフェルナンド様が、私を包んでいた腕を緩める。紺碧の双眸は優しい色を湛えていて、その美しさに見惚れるうちに、ゆっくり私に近づいた。
そっと唇が触れる。
初めてのキスはすごくどきどきして無性に恥ずかしくて、逃げ出したくなるほど幸せだった。
一瞬で真っ赤になった私をフェルナンド様は再び腕の中に閉じ込める。平静に見えた彼の鼓動も少し早いのに気がついて、なんだか嬉しくなった。
この夢みたいな時間がずっと続けばいい。そんなことを思いながら、ふたりきりの時を過ごした。
謎の勢いでフェルナンド様へ求婚してから、順調に婚約の話は進んだ。
両家の顔合わせも早々に終わり、今後はフェルナンド様の婚約者としてお互いの出席するパーティーなどにも参加することになる。諸々の用意を整えて一年後には結婚の予定だ。
行動の早いお嬢様方からは早速嫌みったらしいお手紙を頂戴しているけれど、それも予想の範囲内。多少心は傷つけど、それ以上にフェルナンド様との未来が大事なのだから耐えてみせよう。
「さて、そろそろ準備しないと」
今日の午後は、フェルナンド様とデートの予定だ。
ここしばらくはお互いの家同士の話し合いだったり、今後の予定合わせだったり、お世話になったキャロライン様のもとへご挨拶に赴いたりと忙しくしていたので、会う頻度は高かったもののふたりでゆっくりできるのは久しぶり。楽しみで仕方がない。
少しずつ上達してきたお化粧技術と気持ち華やかな服で準備を整えて、迎えを待つべく自室のある2階から1階へと降り、談話室を覗いた。
「おや、エイリーン。そろそろ時間かい?」
「新しいお洋服を着てるのね。よく似合ってるわ」
機嫌のよい両親は、何やらソファに座って話をしていたらしい。母が手招きしたので、そちらへと近寄った。
「ふふ、私達の娘は最近ますます可愛くなったわね。そう思わない?」
「そうだな。面白い女枠云々言っていた頃はどうなることかと思ったが、無事幸せを掴み取ったようで安心したよ」
「う……」
父に揶揄うような視線を向けられて、つっと目を逸らす。
そういえば最初の頃は、誤解で面白い女枠に当てはまってしまっただけでは? なんて邪推していたのだった。でも振り返れば抱きしめられて怒ったり、お忍びデートを決行したり、果ては庭先で唐突に求婚したりと、面白い女というより奇行の目立つおかしな女かもしれない。フェルナンド様は本当に、こんな私のどこを気に入ってくれたのだろう。謎だ。
「ま、まぁ、無事結婚の予定まで立てられたんだから、いいじゃない」
「そうだな、それに……」
父の視線がその手に持つ封筒へと向けられる。
「うん、うちには勿体無いほどいい婿さんだ。私も肩の荷が降りた気がするよ」
「フェルナンド様は色々仕事を抱えてらっしゃるし、頼りすぎないようにしなきゃいけないから、お父様の引退は当分先でお願いね!」
「はいはい。これから忙しくなりそうだし、私も可愛い娘夫婦のために頑張るとするよ」
そう言って笑う父を見て、首を傾げる。
「ところで、その封筒は?」
「とってもいいお話さ。エイリーンが帰ってきてから話そうか」
「?」
とってもいいお話とはなんだろう。気にはなったけれど、追求する前にちょうど使用人が顔を出した。
「あら、待ち人がお見えみたいよ」
「これまでみたいにこそこそする必要はないんだから、堂々と楽しんでおいで」
「はぁい、行って参ります!」
どうにも父は私を揶揄いたいようで困る。まぁ、それだけ心配をかけていたのかもしれないけれど。
ちょっぴり憤慨しながら談話室を後にして、エントランスへ向かった。
でもこの斜めになりかけの機嫌も、彼の顔を見れば瞬時に回復してしまうだろう。婚約してから初めてのデートは緊張するし、人目も気にはなるけれど、せっかくだから思う存分楽しみたい。
そう思いながらフェルナンド様のもとへ辿り着くと、いつもの如く新しい服を大袈裟に褒めてくれて、それがとても嬉しくて、予想通り幸せな気分でデートをスタートすることになったのだった。




