25: 前に進む時
格好良くて仕事ができて、家柄も財力も性格さえも申し分ない完璧貴公子であるフェルナンド様。
そんな彼の隣に立つ勇気を、どうしたら手にできるだろう?
これまで幾度も考えたけれど、結局これといったものは思いつかなかった。
私ときたら容姿もイマイチで、頭も普通。爵位は低く、お金持ちどころか貧乏貴族を名乗る身である。ついでに性格だって捻くれ者だ。
当然小説ヒロインみたいに「実は美女」なんて設定は生えてこないし、謎の流行病を伝統薬で解決してお金や名声を手に入れる、なんてこともできない。
そんな私がフェルナンド様と婚約すれば、飽きられることへの不安と、周囲からの嫉妬や釣り合わないことへの誹りに耐える日々が始まるだろう。それを想像する度に、怖くて足が竦んだ。
でもキャロライン様の言葉で気がついたのだ。
もっと怖いのは、フェルナンド様が手の届かない人になってしまうことだと。
失う恐怖が一歩を踏み出す勇気になる。
そしてその恐怖は、フェルナンド様と共に過ごし育まれた思いがあるからこそ生まれたものだ。気付かないふりをしていただけで、私はとっくにフェルナンド様と離れる選択肢なんて残していなかった。
もう、前に進む時。
大きく深呼吸して気持ちを整える。緊張と共に不思議な高揚感も感じながら、勝負の瞬間を待っていた。
侯爵家の優美な馬車は、つつがなく私とアメルディ様をカーディス邸まで運んでくれた。
慣れないワンピースの生地を指先でそっと撫でる。髪やお化粧は崩れていないだろうか。そんな些細なことを気にしながら、馬車の扉が開くのを見守った。
「おや、ちょうどフェルナンド様も帰られたようですよ。大変良いタイミングでした」
先に馬車を降りたアメルディ様が、にこやかに私へ手を差し伸べてくれる。その手を借りて降りながら、胸がどきどきと早鐘を打つのを感じていた。
今の私をフェルナンド様はどう思うだろう。これから伝える言葉を喜んでくれるだろうか?
ひとつ息を吐いて首をめぐらせると、アメルディ様の言葉通り、伯爵家の馬車がすぐ近くに停まるのが見えた。
そしてその馬車から素早く人影が降りてくる。
柔らかくウェーブのかかった金髪、すらりとしたバランスのよい肢体。甘い顔立ちに輝く紺碧の双眸はすぐに私達を捉えて、そして大きく見開かれた。
「……エイリーン?」
一言呟いたフェルナンド様は珍しく固まっていた。どうやらキャロライン様のかけてくれた魔法は、彼を驚かせることに成功したらしい。
面映さとほの甘い期待を感じながら、フェルナンド様のそばへと駆け寄る。
「ごきげんよう、フェルナンド様。お仕事お疲れ様でした」
正面に立って、その顔を見上げた。
ああ、何から伝えよう。まずは手紙の誤解を解いた方がいいだろうか。
そう逡巡する間に、フェルナンド様は驚きから覚めたようだ。その表情がぱっと明るい笑みに変わる。
「エイリーン! 会いにきてくれたんだね。いつもと雰囲気が違うから驚いてしまったよ。その服、新鮮で刺激的で、少し目のやり場に困るけれどとてもよく似合っている。ああでもやっぱり、ストールが必要かな? 覆い隠したい気持ちとこのまま愛でていたい気持ちが交互に湧いてきて、困ってしまう」
「あの……」
「メイクも髪もいつもと違うんだね、よく見せて。うん、普段の落ち着いた雰囲気も好きだけれど、今日の華やかな姿も素敵だ。どんなエイリーンも魅力的で本当に目が離せない。でもとりあえず、その服を着るのは私の前でだけって約束してくれると嬉しいな。悪い男に攫われてしまってはいけないからね」
「まぁ」
大袈裟な言葉に、思わず吹き出してしまう。
ああ、でも。出会って間もない頃はフェルナンド様の口から紡がれる褒め言葉を受け止められず、顔が引き攣ったり意識が遠のきそうになっていた。
それが今や、慣れたものだ。むしろ楽しかったり嬉しかったり、そんな前向きな気持ちにさせられる。知らず知らずのうちに、フェルナンド様の明るさと前向きさが卑屈な私にも移っていたらしい。
澄んだ紺碧の双眸を見上げる。
うん。やっぱり私はフェルナンド様とこの先も一緒にいたい。悪い女に彼を攫われたら、私だって嫌なのだ。
「フェルナンド様」
そのためには、彼との関係に名前をつける必要がある。
「私、フェルナンド様が好きです」
初めてのデートで、彼が言っていた。近いうちに好きだと言わせてみせますよ、と。まんまとその通りになってしまったけれど、悔しさは微塵もなく、あるのは不思議な満足感だけ。
「何もかもが釣り合わない私ですが、それでもこの先ずっと、フェルナンド様と一緒にいたいのです。だからどうか、私の夫に、なってくださいませんか?」
小洒落た言い回しも、素敵な雰囲気作りも何もない。ただ気持ちをぶつけるだけの愚直な告白。これが今の私の精一杯。
急な言葉を受けたフェルナンド様の目が、驚愕に見開かれる。
「……」
珍しく言葉が出てこないらしい彼は、思わずというように口元へ手をやった。その頬にうっすら朱が浮かぶのをみて、期待感が込み上げる。
やがて私の告白を消化したらしい彼は、ふっと幸せそうな笑みをこぼした。
「……ああ、もう。今日それを言うなんて。エイリーンには本当に、驚かされてばかりだ!」
眩い笑みを纏ったフェルナンド様に、言葉と共にぎゅっと抱き寄せられる。その腕の強さが、なんだか嬉しかった。
「もちろん、答えはイエスだよ。こんなに素敵で可愛い女性の夫になれるチャンスを逃すなんて、考えられるわけがない」
「フェルナンド様……」
「実は私の方も、そろそろプロポーズをと計画してたんだ。それが逆に、こんなに嬉しいサプライズをもらえるとは思わなかった。エイリーンはいつも私が想像もしていなかった喜びを与えてくれるね。本当にありがとう、エイリーン」
きらきらと輝くような言葉が、胸を満たしていく。
関係に変化をもたらすのはとても怖い。けれどその分、良い変化が生じた時の幸せは言葉にならないほど大きかった。
一度ぐっと抱きしめる腕に力を込めたフェルナンド様が、ゆっくりと身を離す。その瞳は優しい煌めきに満ちていて、まるで囚われたかのように、視線を逸せなくなった。
彼の片手が優しく私の頬を包む。
「愛してる」
手紙でもらったことのある言葉も、彼の声で紡がれた途端、今までになく鮮やかに私の心を染めた。甘い笑みが近づいて、自然に目を閉じる。
が。
こほん! と咳払いが聞こえて、思わずびくぅっとフェルナンド様から距離を取った。
ぱっと視線を向けた先には、澄ました顔のアメルディ様が。
「おふたりとも、誠におめでとうございます。どうぞ末長くお幸せに」
ひいいぃぃぃっ。そうだった。そうだった!
一緒にここにきたアメルディ様は当然、私達が会話するすぐ近くにいたのだった。
そもそもここはカーディス伯爵家のお庭で、よく見るとお屋敷の使用人達もちらちらとこちらを伺っている。さらには侯爵家の馬車までまだそこにいる。
こんな場所で、私はいったい何をやらかしてしまったのだろう。本当に信じられない。
「ルーサム。せっかくいいところだったのに酷くないかな?」
一瞬で真っ赤になって絶句した私とは対照的に、フェルナンド様はなにやらアメルディ様に文句をつけている。
文句どころか止めてくれてありがとうと言いたい心情の私は、ただただ羞恥に悶えながら、手で顔を覆うことしかできなかったのだった。




