23.5: 麗しの侯爵令嬢
フェルナンドがキャロラインへと用意した贈り物は彼女の期待に添えないことへの謝罪の品であり、そしてエイリーンに何かあれば真っ先にあなたを疑うという牽制を含んだものでもあった。
とはいえキャロラインが姑息な手法を取るとは思えないルーサムにとって、この任務は彼女に贈り物を届けるだけの簡単で楽しいイベントでしかない。
そして思いがけず同席を許され、麗しの侯爵令嬢とお近づきになる機会を得られた今、この役を引き受けてよかったと密やかな喜びを感じていた。
しかし。
『きゃあぁ痛いっ。やめてぇっ』
隣の部屋から微かに響くエイリーンの悲鳴を耳にして、ルーサムは思わずキャロラインへと視線を向けた。
招き入れられたウェルズ侯爵邸の一室。品の良いテーブルで、彼女は優雅にティータイムを楽しんでいる。まるで悲鳴など聞こえていないかのように、その美しい仕草には微塵の揺らぎもなかった。
けれど先程の悲鳴はルーサムの幻聴というわけではない。ここにいるのがフェルナンドであればすかさずエイリーン救出に向かうだろう。
そう思いながらも、ルーサムはキャロラインに倣い、紅茶を口へと運んだ。さすがウェルズ侯爵家だけあって香りも味も申し分ない。
『うううぅっ無理無理無理ぃ〜っ!』
けれど再び、エイリーンの悲鳴が響く。悲痛な声に憐憫を覚えたルーサムは、念の為キャロラインへと確認することにした。
「あの、本当に大丈夫なので?」
「何がかしら?」
「随分と過酷なエステのようですが」
「心配ならあなたも体験なさる?」
「いえ、結構です」
きっぱりお断りしたルーサムに、キャロラインはふふっと笑みを向ける。
「あら、試してみられればいいのに。確かに痛みは感じるけれど、終われば身体はすっきりするし健康増進と痩身効果もあるの。私も自分を甘やかし過ぎたと反省する時、たまに利用しているわ」
それって自分への罰的な位置付けでは?
懲罰エステの餌食になっているらしいエイリーンに、ルーサムは同情めいた思いを抱いた。
「エイリーンったら少しふっくらした気がするし、このエステは最適のはずよ。フェルナンドさんも、エイリーンが美しくなる分には文句はないでしょう?」
「ええ、恐らくは」
ここにいるのがフェルナンドであれば、痛みを伴うエステなど不要と言うはずだ。けれどキャロラインの意向に逆らってまでエステを中断させる必要性を感じていないルーサムは、あっさりと彼女の言葉に首肯した。
仮に彼女のちょっとした憂さ晴らしが含まれていたとしても、エイリーン自身のためにもなる真っ当な手法。恨むのなら、ふっくらする原因を作ったであろうフェルナンド自身を恨むべきだろう。
「フェルナンドさんと婚約するとなれば嫌でも注目を浴びるのだもの。エイリーンはもう少し、美容にも気を使うべきね」
まるでふたりの仲を認めるかのような発言に、ルーサムはじっとキャロラインを見つめた。
フェルナンドを婿にと考えていた彼女は、本当にこの事態を受け入れる気なのだろうか。今を逃せば彼女に直接尋ねられる機会など2度と訪れないかもしれない。そう考えたルーサムは、思い切って口を開いた。
「ウェルズ様とミドレ様は、ご友人でいらしたのですね」
「ええ。そこそこ長い付き合いよ」
「だからミドレ様をお認めになるのですか?」
ルーサムの問いに、キャロラインはゆっくりと瞬きをした。
「もともとフェルナンドさんは、私との縁談にあまり乗り気でいらっしゃらなかったでしょう? カーディス家とウェルズ家の繋がりは双方にとって有益だと思ったのだけれど、彼にとってそれは優先すべき事項ではなかった。今回の件でそれが明確になったのだもの。醜く足掻いて関係を崩すつもりはないわ」
「左様ですか」
「ええ。それに彼が選んだのがエイリーンだというのは救いね。微笑んで座っているだけの方達に負けたのなら、思うところもあるのだけれど」
そう言って微笑みを作ったキャロラインは、小首を傾げてルーサムを見つめた。
「安心なさったかしら?」
「はい。つまりウェルズ様は、別の男性に目を向ける気になられたということですね」
「そうせざるを得ないわね、本当に頭の痛いこと」
品の良いため息をついて、キャロラインは微かに目を伏せた。
キャロラインが熱心にフェルナンドを口説いていたのは、他の候補が大きく劣るからだ。家柄もさる事ながら、キャロラインの婿という一見脇役の立場に置かれても歪まない自信と、必要であれば一歩引くことのできる穏やかで柔軟な性格。そしてキャロラインに何かあったとき、代わりに自らが中心となって人を率いることのできるカリスマ性と実力。彼ほどキャロラインの求めるものを満たしている人物はひとりもいない。
一方で、彼の求めるものを自分は持ち得ていないのかもしれないと、薄々勘づいてもいた。
そして今、キャロラインは自分が選ばれなかった事実を突きつけられている。
「ウェルズ様のような素晴らしい女性に選ばれる男性は、とても幸せでしょう」
「慰めをありがとう」
「慰めではなく、紛れもない本心です」
そう断言したルーサムに対して、キャロラインは微かに苦味を含んだ笑みを浮かべる。自分が決して男性に好まれる性格ではないことを、キャロラインは自覚していた。
「あら。自分を立てて支えてくれる女性の方が、男性はお好きではないの?」
侯爵家の後継として、婿に頼るのではなく己が真実その地位に相応しくあるべきだ。
そう考えたキャロラインは常に努力を怠らず、自分を律して生きてきた。けれど男性と肩を並べる行動力と並外れた能力、安易な妥協を許さないその性格は反感やプレッシャーを婿候補に与えるようで、優秀で聡い者ほどキャロラインから遠ざかる。
次期当主として努力してきた日々を否定する気はないけれど、慎ましく男を立てる女であれた方が侯爵家に相応しい婿を迎えられるのかもしれない。そう思うことさえあった。
「私ももう少し、お淑やかになるべきかしらね」
だからそんな言葉が、キャロラインの口からこぼれた。自分を変えるか、もしくは自分の下で安穏とするだけの毒にも薬にもならないような婿を探すか、どちらがより良い選択なのかは判断が難しい。
「それは勿体無いことかと」
けれどそんなキャロラインの葛藤を、ルーサムはあっさりと切り捨てた。
「ウェルズ様は、ご自身が主役になってこそ輝く性分なのではありませんか? 男性優位である貴族社会に、あなた様はたった数年で新しい風を吹き込み、そして周囲に己の存在を認めさせつつある。それは凡人が成し得ることではありません。ウェルズ様に必要なのはその輝きを隠すことではなく、それを理解し支えるパートナーです」
当たり前のように告げられた言葉は、キャロラインが誰かに言って欲しかったもの。たとえその内容が現実的ではないとしても傷つき冷えた心に熱が戻る。
「ふふ、ありがとう。あなたに選ばれた女性も、きっと幸せね」
「ようやく状況が落ち着きそうですし、私もそろそろ伴侶探しを始めようと思っているところなのです」
「あら、そうだったの。ルーサムさんは、アメルディ公爵家に縁のある方なのかしら」
「自由にさせてもらってはいますが、現当主の従甥にあたります」
「……思ったより当主に近しい血筋でいらしたのね」
フェルナンドの下で働いていることから、もっと当主から血筋の離れた身の上と想像していたキャロラインは、驚きで微かに目を丸くした。
基本的に爵位を継ぐ嫡流から血が離れるほど、貴族としての価値は下がる。そのため貴族の社交場に出られるのは当主に口利きをしてもらえる――大体は5〜6親等内くらいの血筋の近しい者だけで、婚姻もその範囲の中で結ばれるのがこの国の貴族の常識だった。
「今後パーティーなどでお会いすることもあると思いますので、その際はお声がけさせていただいても?」
「ええ、もちろんよ」
「ありがとうございます。私はお支えし甲斐のある自立した女性が好みですので、理想の女性に振り向いてもらえるよう精一杯励みます」
爽やかな笑みと共にそんな言葉を向けられて、キャロラインは微かに瞠目した。少し前の会話も相まって、まるで自分が口説かれているように感じたからだ。
「……あなた、変わってるのね」
「アメルディの血筋は、これと見込んだ人を影から支えることに喜びを見出す者が多いのです」
「王家の側近にアメルディの血縁の方が多い理由を知った気がするわ」
2人の間に流れる空気が、ほんの少し温みを帯びる。
それから和やかに会話を重ねていると、不意にノックの音が響いた。
「どうぞ」
「失礼致します」
入室した使用人が、すっとキャロラインに近づく。待っていた知らせにひとつ頷いて、彼女はルーサムに視線を戻した。
「フェルナンドさんへ、今日いただいた贈り物のお返しを用意したの。彼の好みを教えていただけるかしら」
「ええ、喜んで」
「では別室に案内するわ」
ルーサムの返答に、キャロラインは軽く頷いて立ち上がる。けれどそのまま歩き出しそうだった足は、思い直したようにその場に留まった。
「それと……」
翡翠の眼差しが、ちらっとルーサムに向けられる。
「私のことは、キャロラインで結構よ」
それだけ言って、ついて来いとばかりにキャロラインは歩き出した。その姿を目で追うルーサムの口元が緩く綻ぶ。
「光栄です、キャロライン様」
許された名前を早速口にしながらルーサムも急いで立ち上がり、理想の女性の後ろ姿を追いかけた。いつか振り返ってもらえる日がくればいいと、そう願いながら。




