23: 危険にさらされる
キャロライン様とのおでかけは、ある意味フェルナンド様とのデート以上に緊張する。
使用人にも手伝ってもらって髪も化粧も服も整えて、お叱りを受けない仕上がりになれたところでようやく一息ついた。
とはいえ準備に時間がかかったせいで、いつ客人が訪れてもおかしくない時間帯になっている。ここで待てと言われたのは店の方なので、そろそろ移動した方がいいだろう。
「じゃあいってくるわね」
「いってらっしゃいエイリーン。楽しんできてね」
にこやかに笑って送り出す母の中では、キャロライン様は私のお友達扱いらしかった。恐れ多いことこの上ない。
そもそも病院医療分野に力を入れるウェルズ侯爵家と伝統医療を守るミドレ男爵家は、事業面から見ても爵位から見ても関わる要素がほとんどなく、実際キャロライン様と私はそれほど会う機会があるわけではないのだ。
けれどその数少ない機会に不思議と彼女の目を引いてしまうらしい私は、歩き方がエレガントではないと言われて侯爵邸で一日歩き方の特訓を受けさせられたり、有名な経営学者を招いているからと一緒に講義を聞くことになったりと、なんとも不思議な関係が続いている。
まるで優秀で世話焼きな教師と、ポンコツな教え子のよう。世話を焼かれてばかりの私があのキャロライン様の友人を名乗るなど、さすがに烏滸がましいだろう。
そんなことを考えつつ男爵家の庭から店の裏口へと向かって、そのドアを開けた。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます、エイリーン様……。その格好、やっぱり昨日の方とお出かけされるんですか?」
「ええ、そうよ」
どうやら店の外でのやり取りは従業員達にも聞こえてきたらしい。ちょっと恥ずかしくなっていると、パメラが心配そうに近づいてきた。
「行かない方がいいですよ、エイリーン様。気位の高そうな方でしたし、着いて行ったが最後誘拐されたり脅されたり、最悪消されたりしたらどうするんですか」
「消されるって……」
小説みたいな想像に、思わずふふっと笑ってしまう。確かに侯爵家のお嬢様を邪魔する私が主人公なら、今日はとんでもないピンチが訪れそうだ。
「心配してくれてありがとうパメラ。でもあの方は、そんな方ではないから」
「ですが……」
納得していなさそうなパメラの横から、同じような表情のケイトが現れる。
「エイリーン様、昨日脅されてたんじゃないですか? 応接室からもちょっと声が聞こえましたし……」
「え?」
「あ、言っておきますけど盗み聞きしようとしたわけじゃないですからね!? ただ怒ってる雰囲気が伝わってきたというか、ただ事じゃなさそうだったというか……。とにかく、カーディス伯爵令息様に相談されるべきですよ! 何かあってからでは遅いんですから!」
力説するケイトと深刻そうな眼差しのパメラ。どうやらふたりは、本気で私の身を案じているらしい。
まぁ私みたいな小者がこのタイミングで呼び出されたら、上位のお嬢様に締め上げられて終わると想像されてもおかしくない。ちょっと悲しくなりながら、こほんと咳払いをした。
「あのね、本当に大丈夫だから。お出かけのお誘いも初めてのことじゃないし、むしろその、昨日はフェルナンド様のことで背中を押してもらったというか、私もようやく、前に進む決心がついたのよ」
「え!? 背中を、押す!? もしかしてあの方は、ご友人……だったんですか?」
「んー、まぁとても良くしていただいているわ」
「うそ……。まさかエイリーン様がもたもたしてるから、発破をかけにきた、だけ……?」
愕然とした表情で失礼なことを言うケイトに、思わずガクッとなる。まぁ、事実なのだけど。
それに2人には色々心配してもらったし、前に進む決心がついたことを報告できてよかった。そう前向きになろうとする私の前で、なぜか当の2人は不安そうに顔を見合わせる。
「ど、どうしましょう?」
「どうもこうも……。あの、エイリーン様。実はその、エイリーン様が危険にさらされると思ってですね。カーディス様に、昨日あったことを、その、私達の感想と共に報告するお手紙を渡してしまったと言うか……」
「え、手紙? え??」
予想だにしない言葉に、一瞬理解が追いつかなかった。
そもそもどうやって手紙を渡したというのだろう。本人に直接なんてできないだろうし、面識のない平民が急に持参した手紙を、貴族の屋敷に勤める使用人が受け付けるだろうか。驚きで目を丸くする私に、パメラが言いにくそうに説明してくれる。
「エイリーン様が初デートに行かれた日、ここに寄って薬を調合されてたじゃないですか。その間にカーディス様は、もしエイリーン様が困るようなことがあれば連絡して欲しいと、サイン入りのカードを渡してくださったんです」
「まさに今が使う時だと思って、帰りにそのカードと手紙を持って行って、伯爵家の方に渡してきてしまいました……」
「まぁ」
どうやらフェルナンド様に、私のピンチ(誤)が報告されてしまったらしい。なんだか申し訳ない事態だけれど、相手がキャロライン様でなければこれがカードの正しい使い方だったはずで、目の前のふたりを咎める気には到底なれなかった。
「ええっと、そのお相手がキャロライン様だとは、手紙に書いたの?」
「エイリーン様がそう呼ばれていたので、書きました……」
「そう。ならフェルナンド様もあの方の為人はご存じだと思うし、たぶんそう心配はかけていないと思うわ。彼には私から訂正の連絡を入れておくから大丈夫よ」
そう伝えると、2人はほっとしたように顔を見合わせた。
「すみません、早とちりで」
「いいえ、心配をかけたわね。むしろ伯爵家までは距離があるのに、私のために動いてくれてありがとう。ふたりの気持ちはとても嬉しいし、どうか気に病まないで」
貴族街にあるカーディス邸と庶民街にある彼女たちの家は、当然反対方向に位置する。にも関わらず、仕事終わりにわざわざ慣れない貴族街へ足を運び、私を助けるための手紙を届けてくれた2人を思えば、感謝せずにはいられなかった。
彼女達の優しさにほっこりしつつ、フェルナンド様を心配させないよう取り急ぎ簡単なメモを認めて、屋敷の使用人に届けてもらうことにする。その用意がちょうど整ったところで、チリリと店のドアが開く音がした。
「おはようございます。ウェルズ家より、ミドレ男爵令嬢様をお迎えに上がりました」
「お待ちしておりましたわ」
入店してきた身なりの良い男性は、出迎えに行った私に一礼すると家紋入りの招待カード――簡単な身分証明として貴族の使いの者達が使う――を差し出した。
どうやらキャロライン様自身は屋敷でお待ちらしい。
「ではみんな、いってくるわね。お店をよろしく」
「はい、いってらっしゃいませ」
少々忙しかったけれど、とりあえずやるべきことは終えられた。あとは肝心のキャロライン様のお呼び出しの中身が何かだけれど――。
彼女の前でポロッと弱音を吐いてしまったし、まさか最近話題のメンタルトレーニング? というやつでも受けさせられるのだろうか。ありうる。もしくは……。
なんて考えつつ店を出た瞬間。
あからさまに不自然な人物が視界に飛び込んできて、一瞬思考が停止した。
「……?」
誰かを出待ちするかのように店の扉のすぐ横に立ったその男性は、手には綺麗にラッピングされた巨大な箱、腕には華やかなデザインの紙袋を大量にぶら下げている。その色とりどりの持ち物とこれから商談にでも赴きそうなかっちりとした服装がアンバランスで、違和感がすごい。周囲から浮きまくっている。
どう見てもこの辺りで買い物しましたという感じではないし、いったいどこからやってきたのだろう。というか、客や患者が不審がるので扉の横に立たないでほしい。
怖いけど声をかけてみるべきだろうか。
そう思った瞬間、大きな箱の横からひょいとその人が顔を出した。
短めのプラチナブロンドに、薄青の瞳。すっきりとした細面の顔と切れ長の双眸は知的な雰囲気を醸し出している。
どことなく見覚えのあるその人を思い出す前に、爽やかな笑みで声をかけられた。
「おはようございます、ミドレ様。フェルナンド様からの申し付けで、ウェルズ様への手土産をご用意させていただきました」
「て、てみやげ……?」
「ええ。ですがこの量をミドレ様にお預けするのは気が引けます。このまま同行させていただいてよろしいでしょうか?」
このまま、同行?
さらっと自分を連れて行けと主張する目の前の人に呆気に取られたけれど、同時に思い出した。この人はたぶん、フェルナンド様が初めて店を訪れた時に伴っていた人だ。
ああ、ケイト達の届けてくれた手紙は、しっかりフェルナンド様を心配させていたらしい。そう悟って、密かに頭を抱えたのだった。
私の裁量で勝手に他人を伴うことはできないけれど、ウェルズ家の使いの方もまた、カーディス家からの使いを追い返すべきかの判断ができない。
結局、荷物をたくさん持っていた男性――ルーサム・アメルディ様は一旦侯爵邸までお連れして、キャロライン様の判断を仰ぐこととなった。
そして馬車の中。改めて自己紹介を終えた後、私は荷物に囲まれた彼に頭を下げている。
「ご心配とご迷惑をおかけしたようで、申し訳ございません」
「いえいえ。私は面倒な商談の同行より、お嬢様方に贈り物をお届けする方が楽しいですから。むしろお礼を申し上げたいほどです」
「そうおっしゃっていただけると救われます。フェルナンド様にもよろしくお伝えくださいませ」
「承りました。ちなみにミドレ様から昨日いただいたお手紙を『まさか縁談のお断りか?』と懸念しておりましたが、否定しておいてよろしいでしょうか?」
「お願い致します」
ケイト達の手紙も相まって、フェルナンド様の中でよろしくない方向に想像が働いたらしい。
申し訳なく思いつつアメルディ様の話を聞くと、今日のアポイントをキャンセルして私のところに来ようとしていたフェルナンド様を周囲が止めて、彼が代わりに来てくれたという。私のせいでフェルナンド様が仕事に穴を開けることにならなくて本当によかった。
ほっとしていると、アメルディ様がくすりと笑う。
「ウェルズ様が曲がったことのお嫌いな方だと頭では分かっていても、心配が尽きなかったのでしょう。普段澄ましているフェルナンド様が動揺する様は、見ていて楽しかったですね」
「まぁ」
きっと彼はフェルナンド様に近しい人なのだろう。その口調はただの仕事仲間よりももっと、気安い親しみを感じた。
そんな彼から私の知らないフェルナンド様の普段の様子を聞けるのは楽しくて、馬車での移動時間はあっという間に過ぎていく。
そして程なく、馬車はミドレ邸とは比べ物にならないほどご立派なウェルズ侯爵邸へと到着した。
ウェルズ家の方がキャロライン様の判断を仰ぎに走る間に、アメルディ様は馬車から出て、せっせと紙袋を腕に装着し箱を持ち上げる。店の前に立っていた不審者の完成だ。
お荷物を置かれてはと気遣うウェルズ家の使用人と、『いえいえ大丈夫です』と爽やかに断る彼のやりとりを見守っていると、やがてキャロライン様ご本人が姿を見せる。
「ごきげんよう、エイリーン。あなたひとりを招待したつもりだったのだけれど?」
「ええと、ご招待ありがとうございます。彼は……」
どう説明したものかと一瞬言葉に詰まると、アメルディ様はさっとその後を引き継いだ。
「突然押しかけて申し訳ございません。私はフェルナンド・カーディスの秘書を務めている者です。ミドレ様が本日お世話になりますお礼にと、フレーシアで話題のスイーツを預かって参りました。彼の国で話題の化粧品などもいくつかお待ちしておりますので、ご査収ください。あ、こちらは御令妹様方がお好きと伺っておりますテディ社のぬいぐるみで、瞳にルビー・サファイアをあしらったナツィーラ北部地方限定のペアセットでございます」
そう言って彼は、手に持っていた大きな箱をキャロライン様の隣に立つ使用人に渡した。
若干呆れた表情のキャロライン様は、ため息をつきつつその様子を眺めている。
「まぁ。フェルナンドさんはいったい何を思って、これを寄越したのかしら」
「良好な関係の継続を願ってのことと存じます」
「良好な関係、ねぇ」
アメルディ様の言葉を繰り返した彼女は、仕方なさそうにふっと息を吐いた。
「いいわ。あなたもおいでなさい」
くるりと身を翻したキャロライン様が颯爽と歩き出した後を、アメルディ様と共に追従する。
なんだかよく分からないけれど、今日は彼と3人でお茶会にでもなるのだろうか。フレーシアのお菓子はまだこの国で入手が難しく大変貴重で、しかもカーディス家が用意したものならば美味しいに違いない。お茶菓子として出てきたら嬉しいな。
なんて呑気な思考で歩いていた私だけれど、間もなくそんな甘い話はないことを、骨の髄まで分からされることになってしまうのだった。




