21: 嫌な予感しかしない
フェルナンド様への返事はまだかと父に問われてから、はやひと月。最近両親や従業員達は、私への遠慮がなくなってきた。
「エイリーン様、ご婚約はいつのご予定で?」
「焦らしすぎるのも良くありませんよ」
「はー、私もかっこいい人からの求愛に頭を悩ませてみたいですぅ」
「ケイトなら迷わず付き合っちゃうんじゃない?」
「確かに」
「あぁもうっ。いいから、仕事してちょうだい!」
お昼前に執務室から一階へと下りてみれば、運悪く患者がいなかったせいで従業員達に囲まれこの状態。貴族や雇い主の威厳なんて私にはどこにもないらしい。思わずため息がこぼれる。
でもいい加減ふたりの関係を進めるべきだとは、私も思っていた。
フェルナンド様は相変わらず私のこともミドレの事業のことも大切にしてくれている。この先を彼と共にありたいという思いは日増しに強くなっていた。
あとは婚約発表した後に想定される、あの残念な地味顔女が? 貧乏男爵家のくせに? ぜんぜん釣りあってないわ! 身の程を知りなさいよ!! なんていう非難に耐える覚悟を固めるだけだ。
ああ……、想像するだけで胃がキュッと痛くなる。
私みたいなのを選んだことで、フェルナンド様の評判まで下げてしまうんじゃなかろうか。そんなことになったら本当に申し訳ない。
そんなふうに従業員達の後押しと予想される苦難の板挟みにあいながら、フェルナンド様用の薬草茶のブレンドをしていると、客足の途絶えていた店内にチリリとベルの音が響いた。
「あっ、こんに、ち、……」
来訪者の合図を受けたケイトが素早く私のそばを離れて対応に回る。けれどなぜかその声は、不自然に途切れた。
「?」
続く不思議な沈黙に顔を上げて、生薬棚からドアの方へと視線を巡らせる。すると視界に飛び込んできたのは、フェルナンド様が初めてここを訪れた時を彷彿とさせる、店に馴染まないきらきらしい人のお姿だった。
「ごきげんよう」
凛と美しい声がその場に響く。
物語から飛び出してきた姫君のごとき可憐な姿は、一瞬にして私のみならず従業員全員の視線を釘付けにしていた。
ゆるく巻かれた豪奢な金髪、しみひとつない白皙の美貌。一見すると華奢で可愛らしいとも思える容姿は、強い意志を宿した翡翠の双眸とほんの一瞥で人を従えてしまえるような気品によって、侮ることなど許されない緊張感を人に与える。
そんな一目で分かるほどの高貴なる女性が、急にここを訪れた理由は何か。
冷たい汗が背を伝うのを感じると同時に、翡翠の眼差しがひたと私に据えられた。
「あら。お久しぶりね、エイリーン。ちょうどよかったわ」
思わずギクッと身体が強張る。
「お、お久しぶりですわ、キャロライン様」
なんとか言葉を返したけれど、内心では
混乱と焦りと後ろめたさが荒れ狂い、表情が引き攣りそうになるのを堪えるのがやっとだった。
キャロライン・ウェルズ侯爵令嬢。
女性ながら侯爵家の跡取りであり、侯爵の片腕として精力的に事業にも領地経営にも携わる才女であり、そしてフェルナンド様を婿として狙っていることを隠さない彼女がわざわざ私に会いに来るなんて。
もう、嫌な予感しかしない。
「その……、よろしければ、別室へご案内いたしますわ」
けれど私に用事があるらしい彼女をこんなところに立たせておくわけにはいかないので、震える心を隠しつつ、精一杯丁重に応接室へとご案内差し上げたのだった。
キャロライン様は私のひとつ年下で、双子の妹を持つ三姉妹の長女だ。侯爵夫人は双子の出産後に体を悪くし次の子を望めなかったため、幼い頃から自分が将来侯爵家を背負って立つのだと、弛まぬ努力を続けてきた尊敬できる人である。
女性ながら男性と肩を並べて活躍するその姿は、成人間もない頃こそ他の貴族から煙たがられることも多かったけれど、今では好意的な注目を集め始めていた。
私とは比べ物にならないほど多忙であるキャロライン様。そんな彼女がわざわざ私に会いに来る用件とは? なんて、どんなに考えてもフェルナンド様のことしか思い浮かばない。
ああ、でもなぜフェルナンド様もキャロライン様も、屋敷ではなく店の方へ来てしまうのだろう。屋敷の方ならまだまともなおもてなしができるし、キャロライン様に至っては呼び出してくれた方が心の準備もできたのに。
ケイトが緊張しつつ出してくれたお茶――紅茶ではなくリラックス効果のある薬草茶だった――を口に運びつつそんなことを考えていると、同じく優雅にお茶を口に運んだキャロライン様は、不思議なお茶だけれど悪くないわと感想を述べた後、私へとまっすぐ視線を向けた。
「フェルナンド・カーディスとあなたが仲睦まじく寄り添うのを見たというお話が耳に入っているのだけれど、本当かしら?」
ズバッと切り出されて、思わず肩が跳ねた。
雰囲気からして信頼できる筋から話を聞いたのだろう。何度も共に外出していれば、いくら注意して隠していても情報は漏れてしまうらしい。
まだ外部の誰かにフェルナンド様とのことを話す決心はできていなかった。けれどこの状況で誤魔化せるような相手ではない以上、腹を括るしかないだろう。
ゆっくりと深呼吸して口を開いた。
「……フェルナンド様と交流させていただいているのは、事実です」
「まぁ、いつから? どのような関係なのかしら」
「それ、は……」
重ねて問われた私は、結局その後も問われるがまま、これまでのことを洗いざらい話してしまっていた。
パーティーで偶然出会ったこと、将来を見据えたお付き合いを提案されたこと、お互いを知り合う時間を作ってしばらく経つこと。
淡々と相槌と質問を繰り返す彼女は表情ひとつ変えずに私の話を聞き、そして話を聞き終わった後、少し冷めてきているであろうお茶に手を伸ばした。
どんな反応が来るのかと、まるで教師に叱られる前の子どものような気持ちになる。
彼女からすれば、私は急に現れてフェルナンド様を横から取っていこうとする邪魔者だ。しかも取るなら取るでさっさとすればいいのに、無駄にウジウジ悩んでいるというおまけ付き。イラつかないわけがない。
うぅ。リラックス効果のあるお茶が、その効果を十二分に発揮してくれないだろうか。
そんなことを祈りつつお茶を飲むキャロライン様を見つめていると、やがて彼女は優雅な仕草で、ティーカップを机に置いた。
「エイリーン。本当に、あなたって……」
一呼吸ののち、伏せられていた視線が私へと向かう。その瞳は燃え盛る炎のように輝いていて、思わず逃げ腰になった。
「なんっっって愚かで、はた迷惑な方なのかしら!!」
「ひっ」
迫力のあるお叱りに、思わずきゅっと身を縮める。それと同時に、否応なく遠い昔の一場面が脳裏を過ぎった。
ああ、なんて愚かな方なのかしらと糾弾された8歳の頃から、私とキャロライン様の関係はぜんぜん変わっていない。年上なのに頼りなくてふわふわしている私と、それを目にしてバシッと叩き直さずにはいられないキャロライン様。
フェルナンド様はなぜ彼女ではなく、私みたいなのを選ぶのだろう。私だったら絶対キャロライン様を選ぶのに。本当に理解できない。
そんなことを考えつつも、またも精神的にコテンパンにされそうな気配に、思わず身をすくめたのだった。




