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貧乏男爵令嬢なこの私に、富豪の貴公子が即落ちするとかありえない!  作者: 秋灘 才


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20/30

19: 曖昧で優しい時間

 愛しいエイリーンへ


 昨日は最高のデートをありがとう。

 初めての変装も、活気のある市の見学も、屋台の食べ物も、公園でのんびり過ごす時間も、全てが新鮮でとても楽しかった。


 実はエイリーンがデートプランを考えると言ってくれた時、てっきり行きたい場所のリクエストをくれるものだと思っていたんだ。それをもとに私の方で手配するつもりでいたから、エイリーンに『行き先は当日のお楽しみ』と手紙をもらった時には、心底驚いてしまったよ。

 そしてデート当日も。これまで女性にリードしてもらったうえに、デート代まで払ってもらうなんて想像したこともなかったから、エイリーンの頼もしさには痺れてしまった!


 エイリーンはいつも私を翻弄して、容赦なく心を攫っていくね。デート中も、無邪気で愛らしい笑顔を向けられるたびに、抱きしめたくなる衝動を堪えるのに必死だった。

 こんなに私を夢中にさせるエイリーンが他の男に奪われたらどうしようかと、思わずリーに相談してしまったよ。


 あ、リーはエイリーンが私にくれた子猫につけた名前なんだ。今も私が手紙を書く姿を見守ってくれている。この子を私のそばに置いてくれてありがとう、エイリーン。

 リーを大切にするし、婿入りの時には連れて行くからね。

 という言葉を現実にできるように、私も努力するよ。


 最初のデートでは醜態を晒したし、昨日も頼って甘えてばかりだったから、これからどう挽回しようかと頭を悩ませているんだ。でも不思議だね。エイリーンとの距離は縮まったように感じてる。もしかして、駄目な男がタイプ?

 なんてエイリーンのことを考えていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。


 そろそろ寝なくてはエイリーンに叱られる時間になってきたけれど、なんだか興奮して眠たくならないんだ。だからエイリーンにもらったお茶を淹れてくることにする。

 この部屋にはエイリーンからもらった手紙やお茶があって、そしてリーも来て、そんなエイリーンとの思い出に触れるたびにすごく満たされた気持ちになるんだ。


 私がどれほどエイリーンを好きでいるか、伝わっているかな? エイリーンが今伝わってると思っている100倍は好きだってこと、覚えておいて。

 愛しているよ。



 あなたの虜フェルナンドより




 〜*〜*〜*〜*




「くっ。久々に濃ゆい手紙が来たわね」


 身悶えしながら手紙を読み終わり、甘さを流すように紅茶を口へと運んだ。


 ここ最近は手紙も大人しめだったから、すっかり油断していた。この緩急の付け方ひとつでも、人の心を翻弄するテクニックは絶対私よりフェルナンド様の方が上である。

 言葉遣いだって庶民デートのまま親しみのあるものに変わっているし、本当に距離の詰め方が上手い。


「ふぅ」


 まぁとりあえず、フェルナンド様がお忍びデートを楽しんでくれてよかったと思おう。

 乱れた心を落ち着かせてから、もう一度手紙を手に取った。


 昨日はありがとうから始まる手紙は、デート翌日である今日すでに私の手元にある。つまりデートを終えた夜に、この手紙を書いてくれたのだろう。本当にまめな人だ。

 読み進めて、ふと目が止まる。


「他の男に奪われたらどうしようだなんて。私を欲しがるような変わり者、フェルナンド様くらいなのに」


 男爵家とはいえ私は正式な貴族の跡取りだし、そこそこモテるのではなんて期待していた頃もあったけれど、現実は甘くなかった。

 優秀な人は貧乏男爵家になんて興味を持ってくれず、貧乏男爵家でもいいという人の中には、ヒモ志望か? というようなやる気も何もない人や、女の私に代わって自分が舵取りをしてやろうという傲慢な人、伝統薬事業の継続が危ぶまれそうな人など、なかなかこれといった人がいない。高望みしているつもりはないけれど、私にだって譲れない部分はあった。


「はぁ。この人と結婚するべきだって、簡単に分かればいいのに。みんなどうやって結婚相手を見極めてるのかしら」


 思わずため息がこぼれる。

 人を見る目に恵まれていないらしい私は、痛い思いをしてから人の本性を知ることもあった。

 それの最たるものが、成人間際に親戚の紹介で知り合って、交流を持った人だ。うっかり聞いてしまった彼の本心は、思い出すたび心を塞ぐ。


『ああ、ミドレ男爵家との話? まぁ文官勤めよりはマシかなって思ってる。薬草栽培も、外国薬の原料になる植物に移行させれば儲けも見込めるんじゃないかな。さすがに今のままでは無理だって。貧乏庶民に媚び売ったって、なんの得にもならないだろ?』


『エイリーン嬢ねぇ。ちょっと褒めると素直に喜んじゃう簡単で扱いやすいタイプだから、結婚さえすればこっちが手綱を握れると踏んでるよ。ん? そりゃアマンダ嬢みたいな美人と結婚できたら最高だけど、子爵家の三男じゃ高望みできないし。でも胸が結構あるのだけはポイント高いかな。顔は今ひとつだけど!』


 ははは、と続いた笑い声。彼が友人との会話の中で語った本心と、それを物陰で耳にしてしまった時の血の気が引くようなショックは、今もはっきり覚えている。


 成人してパーティーにも出席するようになって、そろそろ彼との関係を固めようかと両親とも話していた最中。

 パーティー会場の陰で繰り広げられていた男同士の会話を聞いてしまったのは、幸いだったというべきなのか。穏やかでいい人だと思っていたから、ミドレの事業も私自身のことも貶めるような言葉を耳にして、とても傷ついたし苦しくなった。


 伝統薬事業のことを、弱い人に手を差し伸べる意義ある行いだと言ってくれたのは嘘だった? 私のことを可愛いと言ってくれた言葉に、本心はひとかけらも含まれていなかった? 

 さらに下品な会話に移行していくのが耐えられず、思わず彼の前に姿を現していた。


『まぁ。そんなにおっしゃるなら、諦めずアマンダ様にアプローチしてみられればよろしいのではなくて?』


 瞬時に顔色を無くした彼。動揺を隠せないまま半端に見慣れたいい人の仮面を被り、しどろもどろに口にする言い訳なんて、どれも滑稽で信じるに値しなかった。

 こんな人の目耳がある場所で本音を口にしてしまう迂闊さも、私やミドレ家を見下した本心もすべてにがっかりしたし、そんな人を信じていたことが悔しくて仕方なかった。でもどうしたら彼の本性を見破ることができていたのだろう。その疑問の答えは、今になっても分からない。


 そのあとすぐに彼がミドレの事業を担う気がないことを両親に告げて、間もなく話は立ち消えになった。彼からも追い縋られることはなかった。けれど私の中には男性への不信と自信のなさが根を張り、今へと至っている。


 だからフェルナンド様とのことも、決定的な一歩を踏み出すのが怖かった。

 フェルナンド様はミドレの事業に明るく協力的で、そして私を好きだと言ってくれる。けれど、本当にその言葉を信じていいのだろうか。好意が膨らむごとに不安の影は色濃くなっていく。


「エイリーンが今伝わってると思っている100倍は好きだってこと、覚えておいて……」


 フェルナンド様は言葉を惜しまない。

 私を知ろうとしてくれて、将来も具体的に考えてくれて、頼りになって、優しくて、こんな人がどうして私に近づくのかと途方に暮れる。


 私には特別なところなんてない。

 フェルナンド様の周囲には積極的で自信に溢れた女性が集うから霞むだけで、ちょっと視野を広げてみれば、私みたいな人間はごろごろ見つかるはずだ。それに気がついた時、彼の興味も一瞬で褪せてしまうのではないか。もっと清楚で美しい花に、心を移してしまうのではないか。

 その不安を乗り越える勇気を、私は持てるだろうか。


「あーもうっ。だめだめ。頑張らなきゃって思ったでしょ、エイリーン!」


 パチンと頬を叩いて、不安に押しつぶされそうな自分に喝を入れる。


「少なくとも今の彼に、嘘なんてないでしょう?」


 フェルナンド様は、妥協で私に近づいてきた人達とは全然違っていた。

 私といる時に、本当に楽しそうに笑ってくれる。「私」を好きだと言って、まっすぐに求めてくれる。私と関わることで、満たされると言ってくれる。

 だから最後の一歩を踏み出すことを考えるほどに、私は彼に惹かれてしまっていた。そして聡い彼はおそらく、私の心の変化なんて簡単に察しているのだろう。


 大丈夫だと思いたい心と、でも彼みたいな人に演技をされていたら私には見抜けないという恐怖。傷を伴う思い出はいつまでも私の足を引っ張って、前へと進ませてはくれない。


「はぁ……」


 やるせないため息がこぼれた。大きく揺れ動く心に振り回されて、なんだか苦しい。

 ぼんやりしていると、机の上に持ってきていた箱がふと目に入って、なんとなく手を伸ばした。


 鍵のかかるその箱の中には、今までやりとりしたたくさんの手紙と、顔合わせの時に贈られたブレスレットが入っている。庶民デートにはさすがにつけて行けず、仕舞われたままになっていたそれを取り出した。


「綺麗、ね」


 もらった時は得体の知れない贈り物に慄くだけだったのに、今は嬉しいという気持ちが込み上げる。慎重に左腕につけて、その控えめな輝きを見つめた。

 白珊瑚の薔薇と真珠、小さなダイヤモンド。華やかすぎないそれは、確かにあの月夜の静謐な美しさに似ていた。

 しばらくそれに魅入っていると、不安定になっていた気分も少しずつ、落ち着いてくる。


「……手紙の返事、早く書いた方がいいわよね。駄目な男がタイプって誤解されたら大変だもの」


 適応力に優れた彼が、駄目男を演じ始めてしまってはいけない。ちょっとあり得そうな想像にくすっと笑って、ブレスレットを優しく指先で撫でた。そしてペンを手に取る。


 フェルナンド様が木彫りの子猫に見守られながら手紙を書いてくれたことを私が嬉しく思ったように、このブレスレットをつけて手紙を書いたことを伝えたら、彼は喜んでくれるだろうか。そんな想像をするだけで、胸がほんのりと温かくなる。


 遠くない未来、胸の中に巣食う様々な不安を乗り越えて、フェルナンド様に好きと伝える時が来るかもしれない。

 でも今はまだ、彼のくれる曖昧で優しい時間に甘えさせてもらいたかった。


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