17: 縛りを忘れて
護衛や変装服の手配、デートコースの下見、コルディオ侯爵夫人のお茶会と忙しい日々を過ごして、とうとうデート当日になった。
ちなみにデートの行き先は、当日のお楽しみとしてフェルナンド様には伝えていない。そわそわしながら待つうちに、やがて約束の時間となった。
「ごきげんよう、フェルナンド様」
「こんにちは、エイリーン。今日は可愛らしい装いですね」
長い髪を緩い三つ編みにして地味な庶民服を着ている私に、相変わらずきらきらした雰囲気で現れたフェルナンド様が物珍しそうな視線を向ける。けれどすぐに、その顔には優しい笑みが浮かんだ。
「あなたが考えてくれたデートプランを、とても楽しみにして来ました。ですがその前にこちらをどうぞ。きっと気に入っていただけると思います」
そう言って彼が手渡してきたのは、大きめの紙袋。ちらりと見える中身には……チョコレートの文字が!
「こ、こちらはっ」
「以前お連れした店のチョコレートですよ」
「あ、あの素敵なお店の? こんなにたくさん! すっごく嬉しいですわ。ありがとうございます」
まさかあのお店のチョコレートを手土産にもらえるなんて! 思わぬ幸せに頬が緩んでしまう。手に持つ重みは幸せの重みに他ならない。
あっさり物に釣られていると、不意にフェルナンド様の手が伸びて、前に垂らした私の三つ編みに触れた。
「この髪型も、少し雰囲気が変わってお似合いですね」
ささやかな接触に、包み込むような甘い声音。
くっ。すごくむず痒いけれど、悪い気はしない。これはチョコレート効果か、もしくは今日までの交流のおかげか。なんとなく後者な気はするけれど、それを彼に悟られるのはまだ早いぞという気持ちもある。
ざわつく胸を押さえつけて、なんとか顔を上げた。
「きっ、今日は、庶民に扮してアトラス通りの市を見に行こうかと思いまして。出店もたくさん出ていてなかなかに興味深い場所ですの。フェルナンド様は、そういった場所を訪れるのはお嫌かしら?」
「ふふっ、いいえ。そういえば幼い頃、お忍びで街を歩く王子の物語を読んで憧れを抱いたこともありました」
「でしたらぜひ今日、体験してくださいませ。お着替えも用意しておりますので、どうぞこちらへ」
デートで市に行くなんて正気か? と拒否される可能性もゼロではなかったけれど、フェルナンド様は予想通り受け入れてくれた。完璧貴公子は柔軟性にも優れるらしい。やはり庶民デートを選んでよかった。
意気揚々と着替え部屋まで先導する私の後ろでは、「うちの娘がすまないねぇ」なんて父がこそこそ謝罪しているけれど、フェルナンド様は楽しそうな様子だし問題はないはず。そうに違いない。
使用人の待つ部屋の前まで彼を導いて、改めてフェルナンド様を見上げた。
「服は3着ご用意しております。フェルナンド様は、一番ご自身に似合わないものをお選びくださいませ」
「一番似合わない、ですか?」
すごく意外なことを言われた、というように目を丸くしたフェルナンド様に力強く頷く。
「ええ。変装ですもの、普段と違えば違うほど良いのです」
「なるほど……承知しました」
一瞬愉快そうな表情を浮かべた彼を使用人に託して、祈るような気持ちでその背中を見送った。
そう、このデート最大の難関はここである。
普段圧倒的美形オーラと堂々たる上位者オーラを無意識に振り撒きまくっている彼を、庶民に見えなくもない程度に抑えるのは至難の業。もしどうしてもダメそうなら最終手段のもじゃもじゃ付け髭を引っ張り出さざるを得ないけれど、さすがにそれは避けたかった。
どうか、彼のオーラと輝きが半減しますように。
ちょっと胃をキリキリさせながら仕上がりを待っていると、しばしの時を経て変身後の彼が現れた。
「エイリーン。おっしゃる通り、一番私に合わないものを身につけましたよ。いかがでしょうか」
「まぁ!」
素晴らしい!
そこにはスタイルのよさをダボっとした服のシルエットに殺され、高貴なオーラを野暮ったいデザインに封じられ、妙にちぐはぐで残念な仕上がりになっているフェルナンド様がいた。
普段の洗練された装いとは正反対。髪も適度に乱され、似合わない眼鏡が秀麗な目元をぼかしている。その堂々たる態度のせいで地味とは言えないものの、仕上がりはいい感じと言えた。使用人達の奮闘が透けて見える。
思わず拳を握った。
「さすがフェルナンド様ですわ。初めてとは思えないほど、とってもうまく変装できておいでです」
「お眼鏡に適ったようで何よりです」
思わず心のままに褒め称えると、私の言葉にくすりと笑みが返される。
「それにしても、似合わない服を着て褒められる日が来るなんて想像もしていませんでした」
「初めに申し上げた通り、変装は普段と違えば違うほど良いのですわ」
とはいえ普通、美形には美形らしくいてほしい人の方が多いだろう。私がフェルナンド様にこんな格好をさせたとバレたら、社交界のお嬢様方から大顰蹙を買いそうだ。
なんて思いながら、彼に目深に被れる帽子を手渡し、改めてその全身を観察する。
「出かける前に時計は外しておいてくださいませ。あと慣れない人混みでお金を持ち歩くのも危険ですから、フェルナンド様は身一つでいらしてください」
「市は見学のみのご予定ですか?」
「いいえ、軽くお買い物やお食事もできればと思っております。今日のデートのお支払いは私がいたしますのでご安心ください」
「エイリーンが?」
唖然とした表情を浮かべる彼は、男性リードで男性支払いが当たり前の貴族常識を取り上げられて戸惑っているのかもしれない。
でも、これも安全なお忍びのためなのだ。下手に抵抗される前にと言葉を重ねる。
「市で私を呼ぶ時は、エリーとお呼びください。フェルナンド様はルイと呼ばせていただきます。言葉遣いも、もっと砕けたものにしていただけると有難いですわ」
「……エリー?」
「ええ、ルイさん。いい時間になりましたし、そろそろ出かけましょう? さ、時計とお財布は使用人に預けて」
「え、ええ……」
戸惑っている隙にフェルナンド様から貴重品を没収し、にこりと笑みを作る。
「市の手前で護衛と待ち合わせしてるので着いたら紹介しますね。安全には配慮してますし、楽しんでもらえると嬉しいです」
畳み掛けるような私の言葉に、フェルナンド様は半ば呆然とした様子で頷いた。お財布の携帯禁止がそんなにショックか? と不思議に思いつつ、商家の使うような庶民派馬車へと彼を誘導する。
ちょっと申し訳ないけれど、市にはスリもいるし、人混みに慣れてなさそうな彼にお金を持たせるのは怖かった。あの財布達は父の金庫で厳重に保管するので許して欲しい。
なんて考えていると、大人しく私の後ろを歩いていた彼が急にクツクツと笑い声を立て始めた。
「ああもう、本当に……エリーには驚かされる。今度は私の容姿と財力を封じるなんて!」
「ええ、と……容姿は封じ切れてない気がするんですけど……」
そして別に彼の戦闘力を削ぎたいわけでもない。
意図せぬところで面白い女を実践したらしいことに微妙な気持ちになりつつも、せっかくなのでともうひとつ、庶民に馴染むためのテクニックを提案してみる。
「ルイさん、ついでに一人称も変えてみませんか?」
「ああ、なるほど。僕か俺かな? エリーはどちらがいいと思う?」
「僕、の方があってる気がします」
「では俺にしてみようか」
「え」
このお上品な貴公子然とした風貌で、俺?
驚きのままにフェルナンド様を見上げると、とても満足そうに見つめ返された。
「エリー。庶民同士なのだから、俺のことも呼び捨てで呼んでくれるかな。敬語も駄目だよ」
なんだろう、「俺」の違和感がすごい。そして順応するのが早い。
何やら落ち着かない気持ちにさせられるけれど、当の本人が楽しそうだからまぁいいか。
「ならルイって呼ぶわね」
「うん、とてもいい。変装なんて初めてだけど、新鮮で楽しいものだね。まるで普段の自分がどこか遠くへ行ってしまったみたいだ」
清々しい笑みを浮かべる彼に、うんうんと頷き返した。
身分、家名、期待、理想。内外からくる様々な要因に影響されて、無意識のうちに「あるべき自分」を定め、その枷に縛られて生きている人は少なくない。けれど変装中はそんな縛りを忘れて、純粋に物事を楽しむことができるのだ。
きっと私よりもよほど多くのものに縛られている彼が、少しでもその自由を感じることができたのならば、私も嬉しい。
「庶民に紛れて市を歩くと、もっと世界が変わって見えるの。期待していて」
「ふふ、楽しみだ」
フェルナンド様が、悪戯っぽい声で笑う。
その様子を見ながら、今回のデートの出来次第では第二弾を企画するのもいいなと気の早いことを考えながら、馬車へ乗り込み市へと向かったのだった。
*ブックマークや評価等ありがとうございます
ひっそり更新している当作品に反応いただきとても嬉しく思っております
残り3週間弱、お付き合いいただけますと幸いです
*感想ありがとうございます
お察しの通り西洋医学と東洋医学(漢方医学)を意識しました
お仕事要素は薄めですが、雰囲気でお楽しみいただけると嬉しいです




