16: 貴族らしからぬ
フェルナンド様との初デートを終えて数日。私は今、ものすごく頭を悩ませていた。
前回の反省を活かして次のデートは私が考えると手紙で伝えてしまったものの、あの貴公子をどこへ連れていけばよいのだろう。高級店貸切なんて恐ろしい真似、貧乏男爵家の私にはとてもできない。いっそ貴族を見かけることなんてほぼない、庶民の市にでも連れていってしまおうか。
庶民向けとはいえ腐っても首都だ。
治安はそれなりによく、私も市場調査という名目を掲げて使用人や調薬師達とこっそりお買い物に繰り出すこともあった。その際は一応護衛の人を伴ってはいるけれど、庶民に擬態できる私は危ない目に遭うこともなく、お出かけを楽しめている。
ただフェルナンド様のあの高貴さが容易に隠せるとは思えないので、護衛はそれなりのお金を出して腕の良い人を雇う必要があるだろう。
「それでも、高級店貸切よりはきっとマシよね」
「本気で実行する気かね、エイリーン」
お昼を食べながら唸っている私を見て、父が呆れ果てたような声をあげた。
「だって、他に考え付かないんだもの。お父様は何かいい案がある? 顔見知の目につかず、お金もそんなにかからない、デートにうってつけの場所が!」
「大人しくうちで過ごしたらいいじゃないか」
「……それじゃ面白くないもの。それにほら、『面白い女』はヒーローが普段関わらない世界を見せて、驚きと感動を与えるものなの」
「それが庶民の市かい?」
「ええ、そうよ」
訝しげな父に力強く頷く。
「活気があって面白いし、屋台の串焼きとか甘いパンとかを食べ歩きする背徳感は、他では得られない貴重な経験なの」
「エイリーン。お前の外出を許したことを、私は今ちょっと後悔しているよ」
頭痛がするというように目頭を抑えた父をよそに、母は楽しそうに笑っている。
「あらあら、とっても楽しそうね。でもエイリーンみたいにお忍びで市にいく貴族も、たまにいるわよ?」
「そうだけど、まさかカーディス家の人が市にいるとは思わないでしょ? 腕利の護衛と変装用の服を手配しておいて、当日は着替えてから市を楽しんだあと、公園とかでのんびりするっていうのはどうかしら。屋台で食べ物を買って、そこで食べるの。近々コルディオ侯爵夫人のお茶会があるから臨時収入も見込めるし、それくらいのデートなら私のお金でどうにかなるわ」
「家のお金を使ってもいいから、もっと常識的なデートを考える気はないかい、エイリーン」
まだ反対したそうな父だけれど、反対するなら代替案を出してほしいものだ。
「あら、面白い女を学べと言ったのはお父様なのに。それに相手が相手だから、半端な店に行くとすぐに情報が広まること間違いなしよ。しっかり店員の教育が行き届いた高級店か、貴族とはほぼ関わりのない庶民向けの店、そのどちらかになるのは避けられないと思うの」
「うーむ」
考え込んだ父は、そのまま沈黙してしまった。
代わりの案がでない以上、やはり私の庶民デート案を採用するしかないだろう。フェルナンド様に普段関わりのない世界を見せて、楽しんでもらうのだ。
1人頷いていると、父が伺うような視線をこちらへ向ける。
「もういっそ、関係を隠さないという手もあるんじゃないかい? フェルナンドさんのこと、お前も前向きになってきただろう?」
「それは……」
確かに手紙や先日のデートで、最初の頃とは心境は変化している。でも……。
「もうちょっとだけ、様子を見たいの。万が一関係をオープンにした後に破談なんてことになったら、彼はともかく私の方のダメージが大きすぎるでしょ? 笑い物になった挙句、それでなくとも難航している婿探しが暗礁に乗り上げること間違いなしなんだから、慎重になるに越したことはないわ」
降って湧いた幸運は、ある日突然消えてしまうかもしれない。フェルナンド様の好意を信じないわけではないけれど、彼を繋ぎ止められるという私の自信が足りなくて、決定的な一歩を踏み出すことは怖く感じた。
「あら、慎重になりすぎるとチャンスを逃すわよ? 時には勢いも大切なんだから」
「勢いだけで人生を左右する決断はできないの!」
母の言葉に勢いよく反論して、とにかく! と言葉を続ける。
「次のデートは、庶民デートに決めたわ。近々下見に行ってみるから」
「……エイリーン。どうしても行くなら、デートの計画書を作って事前に私に提出するように」
「はぁい、かしこまりました!」
気の重そうな父の言葉に、了承の返事をする。計画書作成とか面倒ではあるけれど、万一のために情報共有はしておいた方がいいだろう。
とりあえず方針は決められたので、仕事が終わったら計画を詰めて、安全で楽しいデートになるよう手配しなければ。そう決心して昼食の席を立ち、午後の仕事に取り掛かったのだった。
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『ちょ、調薬師になりたい、ですって!? なんって愚かな方なのかしら!』
天使もかくやといった美少女の顔が、みるみる鬼のような恐ろしげな様相へと変わる。突然の変貌に唖然とする私にぐいと詰め寄って、彼女はさらに言葉を重ねた。
『貴族の、それも跡取りとなるかもしれない身でそのようなことを口にするなど、とても許されることではありませんわ! もっとご自身の責務を自覚されるべきではなくって!?』
『でっ、でも、病を治す調薬師のお仕事も、とても大切で、すごいもので……』
『お黙りなさい!』
ぴしゃりと遮られて、思わず口を噤む。
『調薬師とは違い、国や領地の政策に関与することは限られた者にしか許されませんのよ!? 調薬師の仕事が大切だと言うのなら、彼らの上に立ち、彼らを取り巻く環境を整えることを考えるべきでしょう。民を導き、行く先を示す。それが生まれながらに特権を与えられた貴族の――あなたの役目ではないのですか!!』
パーンと頬を平手打ちされたような衝撃に、ぐらりとよろめき後ずさった。目の前の彼女の、燃えるような熱が籠る翡翠の瞳が眩しくて、眩しくて――――。
ハッと、目が覚めた。
夜の静けさに包まれた部屋、見慣れた自分の机、そこに突っ伏して寝てしまったために、少し皺になった庶民デート計画の草案。
夢から現実へと、意識が戻ってくる。
「あー、……懐かしい、わね」
あれは昔、実際に体験したことだった。
子どもの頃、調薬師になりたくてその勉強にのめり込んでいた私。幼い私に周囲は優しかったし、両親もまだ子どもだからと自由にさせてくれていた。
けれどそんなふうに甘やかされていた私の言動が、ひとつ年下の高位貴族のお嬢様の目に触れてしまったのだ。
今思い返しても至極真っ当な糾弾だけれど、あのセリフを突きつけた彼女は当時わずか7歳。本当に恐ろしい。人生2周目だと言われた方が驚かないだろう。
その後もちょっと外で遊んで日焼けしていた私の美意識の低さだとか、言葉の使い方だとか、延々と説教されていた記憶がある。同年代の交友を深めるために企画された集まりだったのだけれど、楽しむどころか帰る頃には半泣きになっていた。
でも……。今は、感謝している。
あの日から私の意識は変わり、末端ながら貴族として、次期当主の可能性をもつ身として、物事を考えるようになった。そして弟や従兄弟にも恵まれなかった私は、今や正式に男爵家の跡取りだ。至らない点は多いけれど、きっとあのままお気楽に成長するよりは幾分かマシな大人になれた気がしている。
とはいえ変に頑固だった私は、調薬と貴族の勉強を両立してやるんだからと、しばらく明後日な闘志を燃やしていたのだけれど。
懐かしさにふっと笑いながら、皺になったデート案を見直した。
「貴族らしからぬデートなんて計画していたから、あんな昔の夢を見てしまったのかしら」
もしや、庶民デートはやめておけという啓示? うーんと悩んで、決断する。
「いいわ、このまま進めましょう」
せっかくここまで計画を練ったし、やはりいいアイデアだと思うのだ。貴族らしからぬことだって、たまには必要かもしれない。
「調薬師になる努力も、今は活かせているしね」
昔は王宮や高位貴族に仕えるために、伝統医療を習得する貴族もいたらしい。けれど時代は変わり、尊い身分の方にお仕えするのは伝統医療を修めた者ではなく、外国の医療技術が軸となった国家医師の資格を持つ者だ。
当然貴族や富裕層は伝統医療になんて目もくれず国家医師の資格取得を目指すので、貴族で伝統医療に明るいのはおそらく私くらいだろう。
けれど伝統医療にも、優れた点はあるのだ。
外国医療では原因不明の病はもちろん、例えば女性特有の心身の不調に関しては、外国薬よりも優れた効果を発揮できる場面が多い。そして有難いことに、その事実に気づいてくれた貴族の方もいる。それがコルディオ侯爵夫人だ。
自身の不調改善のために片っ端から治療方法を試していたというコルディオ侯爵夫人は、年上のご婦人から伝統薬の効果を聞きつけ、そしてミドレ家と縁を持つことになった。
幸いなことに伝統薬で症状が改善した夫人は、更に同じ悩みを抱える人を、お茶会を通じて私に紹介してくれるようになったのだ。
「貧しい庶民のもの」というイメージがついてしまった伝統薬も、侯爵夫人の紹介でかつ貴族の端くれである私から提供すれば、抵抗感も薄れるらしい。基礎的な診断と処方であれば私にも可能なので、お茶会でその人に合わせた伝統薬を試してもらい、気に入ったらミドレ家に注文を入れてもらうようにしている。ささやかではあるけれど、伝統医療の有用性を広める活動を始めることができたのだ。
プライド高い貴族夫人達を相手にできるのは、同じく貴族の身分を持つ私だからこそ。貴族らしからぬ経験もこうして役に立つし、きっと伝統医療が見直される未来にも繋がると信じたい。
「フェルナンド様は、どう思われるかしら」
男爵家の後継でありながら伝統医療に詳しく、庶民に擬態できるどころかそれを楽しんでいる変わった女。それを面白いと思ってもらえるか、はたまた相手にする価値なしと見限られるか。
ただ一度デートするだけなら、父の言う通りにお金をかけて背伸びして、無難なデートにしたと思う。でもこの先を共に歩むのであれば、ちょっと取り繕ったところでそのうち実態を見破られるのがオチだ。
それなら初めから、私らしいスタイルで勝負した方がいい。振られるにしても今ならまだ傷は浅いのだから。そんな思惑が私の中にあった。
子どもの頃に受けたお叱りも、調薬師になりたいと努力した日々も、私の糧になっている。フェルナンド様との出会いも、いつか得難い大切なものだったと振り返る日がくるのだろうか。
そんな期待と不安が入り混じる胸を抱えて、椅子から立ち上がった。




