10: 愛しいという言葉より
顔合わせの翌々日。
執務室でミドレ領から届いた領地経営資料を見ながら、例年よりやや上向きそうな状況に安心感を覚えていた。
男爵家としては珍しく広めの領地を持っているミドレ家だけれど、そこは山々に囲まれた、一言で言えばど田舎だ。薬草類の栽培・採取と加工以外は、農作物の栽培が主である。
大当たりをすることもないけれど、国の人口は増える一方で工業関連への移行により田畑が減少傾向にある昨今、農作物の需要はやや高く、多くはないながらも安定した収益を得られていた。
領地を見てくれている祖父や叔父一家に感謝しながら資料に目を通していると、同じく執務室で書類を見ていた父が、急に楽しそうな笑い声を上げた。
「……なに?」
父が眺めているのは先程屋敷の使用人が持ってきたものだろう。嬉しいニュースでも綴られているのかと思っていると、父は立ち上がってこちらに近づき、封筒ごとその資料を私の机に置いた。
「エイリーン、フェルナンドさんからだよ」
「え? もしかしてこの間話してた外国薬との併用についての資料!?」
「違う違う、事業とは関係ない」
「そうなの?」
封筒に入れられた書類は、個人的なお手紙という感じもしないので思わず期待してしまった。そこそこ厚みもあるし、いったいなんだろうと思いながらも中を取り出して、目を通してみる。
「んん!?」
そこに綴られていたのは、フェルナンド・カーディスその人に関する情報の数々だった。
釣書のような基礎情報や経歴から始まり、家関係について、自分と結婚するメリットデメリット、理想の結婚観、好きなもの嫌いなもの、普段の過ごし方や趣味などなど。そして最後は「あなたのことも少しずつ教えて欲しい。まずは好きなものから」という言葉で締めくくられていた。
「え、何これ、え??」
一瞬縁談を申し込む時に家同士で取り交わす書類かと思ったけれど、どうやら彼自身が自己アピールのために作成したもののようだ。ざっと目を通しただけでも、中身はきちんとミドレ家――というより私の向けに作成されていることが見て取れる。
思いがけないことに言葉を失っていると、父が私の頭にぽんと手を置いた。
「私はそれを見て、彼がお前との将来について真剣に考えてくれているんだと嬉しくなったよ。外も暗くなってきたし、今日はもう屋敷に帰ってじっくりそれを読んでみなさい。きっと彼の為人が分かってくるだろうから」
「……うん」
ぼんやりと手の中の書類を眺めた後、トントンとそれを揃えて封筒へと入れる。そして持ち上げた封筒は実際の重さ以上に、私の手にずっしりとした重みを感じさせたのだった。
「さてと」
夕食も湯浴みも終えて、改まった気持ちで自室の机に向かう。
フェルナンド・カーディス伯爵令息情報が詰まった封筒を手に取り、なぜか少しの緊張を感じつつ、書類を取り出して机の上に置いた。そしてゆっくり、一枚一枚それに目を通していく。
家のこと、彼のこと、将来のこと。読み進めるごとに、彼に抱いていた疑念や不安が解消されていって、思わず感心してしまった。例えば最大の懸念である、お互いの家格差についても最初の方で触れられていた。
「私みたいな貧乏男爵家の娘と関わるなんてカーディス伯爵夫妻に止められるんじゃないかと思っていたけれど、独立予定だからその辺りは自由にできるのね」
彼は次男で、歳の離れた兄にはすでに子が2人生まれている。爵位を継ぐ可能性はほぼないため、結婚後は家を出て独立する――つまりカーディスの指揮系統からは外れて、個人の事業家としての活動が主になる――方向で家族と話はついているらしい。
もともと血筋や婚姻による繋がりよりも契約書重視の考え方を持つ一族のため、政略結婚はする予定がなく、問題のある相手でもない限り結婚相手は彼の希望で決められるそうだ。独立後もカーディス家の仕事の一部は委託という形で継続するため実家との縁が切れるわけではないけれど、自由になる部分は多いと書かれている。
ただ彼個人で立ち上げた事業とカーディス家関連の事業とで抱える仕事が多く、外国出張で2週間以上家を空けたりなども想定され、普通の婿のようにミドレ家の事業に専念はできないらしい。領地経営も知識はあれど経験はほぼないため、実務はこれから学ばせてもらいたいなど、いい面ばかりでなく悪い面もしっかり伝えてくれていた。
「あなたに負担をかけることは否定できないけれど、これまでの経験や人脈で、ミドレ家の事業に貢献できる点は大いにあると考えています、か」
私がどうしたらいいのか分からないと足踏みして何ひとつ前に進めていない間に、彼はこの先を具体的に考えていたらしい。
手放せない事業もあるが、もし婿入りとなればいくつかの事業は徐々にカーディスの血縁に譲り、当主となる私を支える心づもりであるというありがたい言葉も書かれている。
「先日語り合った未来を手にできるよう、共に力を尽くしましょう」
病院と伝統医療の融合。彼もそれを目指してくれるという意思表示に、胸がほんのりと温かくなった。
ただの気まぐれでは? すぐに飽きられるのでは? そんな心の底にあった疑いと消せない拒否感が、彼自身の手で綴られた言葉達のおかげですっと薄れていく。
そして、思った。
彼のことを、もっと知りたいと。
知らなきゃとか考えなきゃとかいう義務感からではない。ただ自然に、こうして真剣に私との今後を考えてくれているらしい彼のことを、知りたいと思った。近づいてみたいと思った。
美しいや愛しいという言葉より、綺麗で高そうなブレスレットより、今私の手の中にある書類はずっと、私の心を動かした。
「あーあ」
父は私がころっと絆されることを予想して、あんなに楽しそうな様子でこの書類を渡してきたのだろう。ちょっと悔しい。
そんなことを思いながら続きに目を通していくと、やがて家関係や事業についてなどの真面目な内容から、好きなものや趣味などのくだけた内容に変わった。
「好きなもの。疲れた私の心を察して月の見える静かな場所を譲ろうとしてくれた、気遣いのできる素敵な女性。その澄んだ眼差しと月明かりに照らされた美しい姿は、私の心を一瞬で、捉、え……?」
ひいいいぃぃぃぃっ。
これ、もしかしなくてもあのパーティーの夜のことよね。うわぁっ、油断した!
よくもまぁ、私の父も読むことを想定した書類に、こんな全身が痒くなるような言葉を書けるものである。
「色んな意味でさすがだわ……」
むず痒さを誤魔化すようにぽりぽりと二の腕を掻きながら、恐る恐る続きを読み進める。
そんな感じで感心したり驚いたり、それなりの時間と気力を消費して、彼が送ってくれた書類に向き合った。
そしてすべてを読み終えた後。もう一度ぱらぱらと紙をめくりながら、この書類にかけられた労力と心遣いに感謝を覚えるとともに、きちんと休めているのかと心配になってしまった。好きなものや嫌いなものもただの列挙ではなく、なぜ好きなのかの理由やちょっとしたエピソードまで添えてある。
多忙そうな仕事の合間を縫ってわざわざこれを作ってくれたカーディス伯爵令息を思うと、心が揺れた。
頭の中にある考えを文字に起こすだけでも相当大変なこと。顔合わせの日までは王弟殿下と自領に赴いていたというので、この文章の大半は2日前の顔合わせを終えてから書かれたのかもしれない。まさか徹夜でもしたのだろうか。
「えっと、便箋は……と」
もうそれなりに遅い時間になってしまったけれど、その熱意に応えたくてペンを取った。
この書類のお礼、カーディス伯爵令息……ううん。「フェルナンド様」のことが理解できたように感じて、嬉しかったこと。今後について私もしっかり考えたいと思っていることと、リクエスト通り私の好きなものについて。
そして最後に、この手紙に返事がなくてもまたこちらから送るので、どうか無理はせず休んで欲しい。身体を大切にして欲しいと結んで、ペンを置いた。




