人間は箒で空を飛ばない
「マナト」
「何?」
「これ……本当に飛ぶの?」
「飛ぶよ」
「絶対?」
「何で疑うんだよ」
「箒だからよ!」
朝一番、飛行実習場に、沙耶香の声が響いた。
手元には、箒がある。木製の柄に、先端には枝を束ねたような穂。しなやかなフォルムは、まさに風を切るためにデザインされており、魔道具の中で杖の次にポピュラーなもの。
うん、どこからどう見ても、普通の飛行箒だ。
「箒は飛ぶだろ?」
「人間の世界では飛ばないの!」
「ああ……そういえばそうだった」
人間は箒に乗って空を飛ばない。
頭では知っているけど、改めて言われると妙な感じだ。
「あれ? 人間の世界にも箒ってなかった? 何に使うの?」
「掃除!」
「掃除に使うの? ……え、用途それだけ?」
「箒なんだから当たり前でしょ!」
「飛ばないのに?」
「飛ぶ方がおかしいの!」
沙耶香が本気で言っている。
俺の周りでは、子供でも知っている道具なのに、人間はこれを掃除にしか使わないのか。
むしろ、これを掃除に使っているという事実に驚きを隠せない。
「沙耶香、紋無しってマジで飛行魔法使わないん?」
ミカが自分の箒を持って近づいてきた。
普段明るい印象が強い彼女だけど、流石に飛行訓練ではしっかりと専用の訓練着に身を包んでいる。多分、この場にいる全生徒の中で一番ギャップがあるな。
「使わないというか使えない」
「じゃあ高いところ行く時どうするん?」
「階段とかエレベーターとか色々あるけど……」
「エレベーター?」
「何それかっこいい!」
何かは分からないけど、とにかく響きがかっこいい!
沙耶香は「ちょっと黙って」と言って、大きく息を吐いた。
「えっと……箱みたいなのに乗って上がるの」
「人間って何でも箱に入るね」
「その認識やめてよ。……言われてみれば事実な気もするけど」
「何だよ何だよ、紋無しは箒も乗れないのか!?」
何やら腹立たしい声が空から降ってきた。
いつの間に来ていたのか、頭上には箒に跨がっていた男子生徒たちがこちらを見下ろしていた。
そして、その前面にいるのは、豪華な金髪。太陽の光を反射してかなり輝いていて、姿勢もかなりいい。彼の内面とは正反対だ。
「うわ、キサラギ……」
俺アイツ苦手だな。
箒の上で見せつけるように体を回転させながら、ハクア・キサラギは大きな声で挑発していた。
「こっちじゃ五歳の子供だって乗ってるぞ! 紋無しの特例ってのは、子供も通過できるものなのかい!?」
「うっせーなあいつら」
後ろからは、ルカもやってきた。
俺よりも体格がいいから、練習着が良く似合う。肩に箒をかけながら、キサラギをうっとおしそうに見上げている。
「何でアイツここまで沙耶香に絡んでるんだ? 好きなのか?」
「冗談でしょ!?」
うわ、沙耶香が本気で嫌がってる。まあ、当然か。
彼女が箒にしがみついていると、「遊んでいないで準備しろ」という声が聞こえてきた。
見れば、セレナ先生が大股で歩いてきていた。
流石にこういう激しい運動がメインになってくると、あの目のやり場に困る服装はできないみたいだ。俺たちと同じ規格の訓練着で、堂々と訓練場を見渡した。
「全員、集合!」
セレナ先生の声が強く響いていく。
俺たちを含めて、生徒が彼女の元に集まっていく。慌てて地面に降りた(落ちた?)キサラギを含めたところで、セレナ先生は言った。
「今日は初回飛行実習だ。面倒だが、今回も担任の私が基礎から確認する。経験者も多いだろうが、指示に従えよ」
と言われても、魔法使いにとって箒に乗ることなんて日常の一部だ。灯火の時と同じように、みんな全く緊張のない顔で体をほぐしている。
ただ一人、沙耶香を除いて。
「……」
唯一の人間は、震えた手で箒を握りしめて震えていた。
どんな顔だ、あれ。興奮しているのか怒っているのか分かったものじゃない。
「どうしたの、さっきから?」
「いや……何でもない」
プイッとそっぽをむいた沙耶香。長い髪が靡いて、その顔を覆ってちょっと面白い。
……俺が人間の機械に向ける顔も、こんな感じなのかな。
「まず飛行具についてだが」
セレナ先生が一本の箒を持ち上げた。
「飛行箒は、柄に刻まれた浮遊術式と推進術式へ乗り手が魔力を流すことで作動する」
先生が柄を指差す。すると、薄く魔法陣が浮かんだ。
「重要なのは、箒そのものが飛ぶわけではないということだ」
「え? 箒が飛ぶんじゃないの!?」
小さな声が上がった。
沙耶香の驚きの声はセレナ先生もしっかりと聞こえていたみたいで、その解説を付け加えた。
「そうだ。杖と同じ理屈だな。箒は、乗り手の魔力を飛行術式へ変換している。したがって、魔力制御が不安定なら箒も不安定になる」
先生の言葉が続いていくごとに、沙耶香の顔がどんどん曇っていく。
なんか、俺の袖を摘まんだ沙耶香は、「マナト」と呼び掛けてくる。
「何?」
「嫌な予感する……」
「大丈夫だろ。落ちても結界あるし」
「飛ぶ方について言ってるの!」
「そっち? 灯火の時は上手く行ったのに?」
「飛び方以外何があるのよ!」
若干金切り声になりつつある。
そんな中、先生の説明は続いていた。
地面から三十センチ浮かんで、そこで静止。そのまま前進してすぐに停止。左右旋回したかと思えば、高度三メートルまで上昇。
今日はそれだけ、という言葉に指示を締めた。
「無駄だろうが、責任なども面倒だから言っておくぞ。経験者も勝手に高度を上げるな。特に――」
あれ? なんか、セレナ先生の視線が俺を一人狙いしてない?
「何で俺を見るんです?」
「念のためだ」
「信用ないなあ」
「お前の場合は余計にな。上空で箒を分解されたりしたらたまらん」
「しませんよ。……多分」
「その多分、信用できないっての」
沙耶香まで言うか。……興味ないって言ったら嘘になるけど。
セレナ先生はじっと俺を睨んでいたけど、やがて「それでは」と手を上げた。
「全員、箒に乗れ!」
指示に従い、俺たちは箒に跨った。ルカもミカも流れに従う。
そして、全員の魔紋が浮かび上がった。すると、魔力が魔紋を伝って箒に注がれていく。
杖とは違って、箒は空を飛ぶことに特化した術式が組まれている。だから、本当に注ぐだけでふわりと身体が浮かび上がる。
子供のころから何度もやっているプロセスだ。ということは……
目下では、やっぱり沙耶香がまだ地面にいる。また飛べないパターン……
いや、よく見たらそもそも箒に跨ってすらいない。柄を掴んだまま目を閉じて、手を胸元に当てている。
「何してんの?」
「心の……準備よ……! 今から、飛ぶのよ……! 箒に……箒に……!」
「飛ぶって、三十センチだぞ?」
「三十センチでも空中は空中でしょ。こ、これに跨がればいいのよね?」
「うん」
「落ちない?」
「ちゃんと魔力流せば」
「それが不安なの!」
「ああ」
「納得しないで!」
こっちを睨む沙耶香の目に、俺の魔紋が映った。
ああ、彼女は魔力調整ができないからな。
と言っても、今までの練習を振り返れば、大丈夫だと思う。
「大丈夫だって。灯火の時と同じだって。一気に流さない。多すぎない魔力調整を覚えたんだから、何とかなるって」
「……う、うん……! 分かった」
沙耶香が真面目な顔で頷いて跨がった。
ゆっくり魔力を流すと、箒に魔力が流れていくのを感じた。
「お」
「……浮いた?」
「浮いてる浮いてる!」
今はまだ数センチだけど、確かに彼女の足が地面から離れている。
少しずつその高さが上昇していくごとに、彼女の疑いは嬉しさが上書きしていった。
「本当に浮いてる……!」
また彼女の顔が紅潮している。俺に向けたのは、もう満面の笑み。
そのまま沙耶香の魔力は二十センチになり、三十センチに到達した。
「飛んでる!」
「声大きいって」
でも本人はそれどころではないらしい。
目を輝かせて、より大きな声で叫んだ。
「飛んでる! 箒で! 飛んでいるんだ私!」
「だから飛ぶって言っただろ」
「すごくない!? 私、本当に魔法使いになったんだ! 本当に、魔法使いって感じがする!」
「元々それなりになってたのに……それとも、人間からすると?」
「そう!」
ものすごく嬉しそうだ。すごいはっちゃけて、灯火の時以上の歓喜の表情が出てきている。
「あはははは! あはははははッ!」
「おい、柊! 落ち着け!」
いまの沙耶香は、先生の声さえ聞こえていない。急上昇と急降下、空気を全身に浴びながらずっと笑い続けている。
何だか、ちょっと変な感じだ。
俺たち魔法使いにとっては当たり前の、箒で飛ぶことが、沙耶香にはこんなに面白いものなのか。
ちょっと羨ましいな。
「おい、マナト!」
「何?」
「前!」
「え?」
どん。
その声がルカのものだと気付いたときには、もう遅い。上からか下からか。どこからか分からないけど、とにかく俺の体はくっきりとした質量と正面衝突したのだから。
ばーん、という音。俺はそれを、耳ではなくて体で感じた。
悲しいかな、交通事故を起こした俺と沙耶香は、身を投げ出されて一緒に地面に落下した。
「ぶほっ!」
「ぎゃっ!」
さすがは訓練場。落下しても重傷にならないよう、魔力が込められた芝生が敷き詰められている。でもそれだったら、衝突の痛みを和らげる結界とかも準備しておいてほしかったな……。
「あ……あはははははッ! あはははははははっ!」
一方、この事故の犯人は芝生で仰向けになりながら大声で笑い続けている。何がそんなに面白かったんだろう。
「おーい、お前ら、怪我はしてないだろうな」
「派手にぶつかったじゃん。ウチはあれやりたくいな……」
駆けつけてきたルカとミカがそれぞれ半笑いになりながら言った。少しは心配してくれ。
そして、「面倒なことをしてくれたな……」と頭を掻くセレナ先生は、しっかりと固い声を上げた。
「柊。お前後で説教な」
だけど、肝心の沙耶香はしばらく笑い続けていて、セレナ先生の声も聞こえていなかった。
◇
「すっごい怒られたよ……」
授業終了後、こってり絞られた沙耶香が教室に戻ってきた。
もう昼休みも中盤に差し掛かっていて、今からの昼食は時間内に終わるか不安が残る。
そんな状況なのに、座席に腰を落とした沙耶香は、まだ何回か笑みをこぼした。
「怒られていたのに、メッチャ上機嫌じゃん」
ミカの言う通り、いままで不機嫌な顔ばかりみてきたから、沙耶香のここまでのニコニコぶりは初めてだ。
「だって、箒で! 飛んだんだよ!」
「じゃあ得したじゃん」
「すごい反応だなあ。俺たちが初めて箒で飛んだ時、ここまで興奮しなかったけどなあ」
ああ、本当にな、とルカが付け加えた。
「だって、魔法使いといえば箒だよ! 箒に跨って夜空を飛ぶっていうのが、人間が真っ先に思い描く魔法使いの姿なんだよ!」
「魔法使いのイメージってそれなんだ。だけどさ、人間だって飛ぶための機械ってあるんでしょ?」
「自分で空飛んでるのはまた違うんだよ! みんな、何とも思わないの?」
「子供の頃から乗ってるし」
「だな」
「じゃん」
「勿体ないなあ……こんなにすごいのに」
勿体ない、かあ。前にも似たことを言われたことがある。
魔法の才能があるのに、興味がないのが勿体ないって。
でも、今は少し意味が違う気がした。
「じゃあ沙耶香。明日、人間のすごいやつ教えて」
「交換? 今日は飛行魔法教えてもらってないけど」
そうだ。いや、そもそも今日の沙耶香、暴走はしたけど魔力コントロールには全く問題がなかった。
「じゃあ、今日の分の一個! 教えて」
「もう使うの? まあいいけど……何聞きたい?」
「羽根のない扇風機」
「まだ気になってたの!?」
「気になるだろ!」
そこまで呆れることはないだろ!
すると、沙耶香は「だったら」と切り出した。
「今度見に行けば?」
「どこに?」
「私たちの……人間の町に。休日なら外出許可出るんでしょ?」
その言葉に、俺は止まった。
ルカもミカも、ゆっくりと俺に視線を移した。
「沙耶香……案内してくれる?」
「私が?」
「人間の町」
「……」
ずっと行きたかった。けど、一人で行っても分からないことばかり。
でももし、人間が一緒なら……俺が知らないことを、沢山知れる!
「お願い」
沙耶香が少し困った顔をする。
「そんな顔しなくても……」
「お願いします。案内して下さい!」
「急に丁寧になった……考えとく」
「本当に!?」
「考えるだけだからね!」
つまり未定だ。それが決まるのが、明日なのか、来年なのかさえ分からない。
だけど、完全に嫌とは言われなかった。
それだけで十分だ。
魔法学校に来てから、俺の知らない人間のことを、たくさん知った。
それと同じくらい、今まで当たり前だと思っていた魔法まで少しだけ違って見えるようになってきていた。
こいつと一緒にいれば、俺は俺の知らないものを沢山見つけられる。そんな気がする。




