魔法を舐めるな
「それ、何?」
朝、教室で俺が机の上に置いたものを、沙耶香が覗き込んだ。
手のひらより少し長い筒に、先端に透明な板が張り巡らされている。
後ろ側のスイッチ。これがあるだけで、これが人間製だってことが分かる。
「懐中電灯。人間の物なのに知らないの?」
「いやそれは知ってるけど……何でそれが今この教室に置いてあるのって聞いているの」
これは俺が昔、人間の町で手に入れた懐中電灯だ。
かなり傷だらけだけど、電池を交換したらまだ動いた。
「箒やったろ?」
「うん」
「人間は魔法なしで飛行機を飛ばすんでしょ?」
「まあ、そうだね」
「じゃあ魔法なしで光を出す方法を改めて調べようと思って」
「……ごめん、最後の二つの間かなりすっ飛ばしてない?」
「人間すごいなって」
「私のツッコミに対する反応はないの?」
何か、一日に一回は沙耶香のこの呆れ顔を見ている気がする。
「だって光魔法って、魔力使うだろ」
「そりゃあ、当たり前でしょ」
「これは使わない」
スイッチを押す。
すると、ぱっと白い光が伸びて、朝の半分暗い教室に光の道を作り出す。
「ほら! これすごいだろ!」
「だから知ってるって。私にとっては日用品だし」
なんだよ、この感動を分かってくれないのか。
こっちは沙耶香の箒への感動ぶりに感銘を受けたっていうのに。
「マナト」
今度は別方向から声が飛んできた。
嫌な予感がするなあ。
振り向いたら、息を呑むくらいの美少女がそこにいた。
長くて美しい銀髪が何よりも目を引く。堂々とした顔つきにこの髪が、彼女の存在感を何よりも際立たせていた。乱れ一つない制服が、彼女を優等生だと雄弁に語っている。俺やルカよりも高い身長に、ボリュームのある女性らしさから、彼女のことを姉御と慕う男子もいるとかいないとか。
この学院生活が始まってしばらくすれば、このレイナ・ツワブキの名前を覚えないわけにはいかない。
「何?」
「そろそろ授業が始まるぞ」
「まだ先生来てないけど」
「準備をしろ、準備を」
「してるよ」
「どこがだ?」
レイナの視線が懐中電灯へ向かっていく。
「そんなもの、授業で使わないだろう?」
「光出るじゃん」
やっぱりミカの口癖って移るなあ。
沙耶香は突っ込みたいような顔をしているけど、レイナは全く持ってスルーした。
「光源魔法の授業ではないぞ」
「いつか使うかもしれないからな」
「いつかとは?」
「いつかはいつか」
「片付けろ」
「何でレイナが決めるんだよ」
「見ているだけで気が散るからだ!」
バン、と机が叩かれる。最近この台パンもよく見るなあ。
そんなの、見なきゃいいのに。
「ねえ、勝手に視界に入るからって怒られてもなあ……沙耶香、これどっちが悪いと思う?」
「マナト」
「そ、即答?」
「授業前に机いっぱい道具広げてる人を擁護することはちょっとできないかな……」
そんな……今の俺の机の上なんて、懐中電灯と交換用乾電池とドライバーと昨日外したままの裏蓋だけしか置かれていないのに。
「いっぱいってほどじゃないだろ」
「それを人は散らかっていると言うんだ!」
レイナがまたキレた! この女、優等生って顔しているのに怒りっぽいなあ。
仕方ない。片付けるか。
俺は宝物たちを集めて、巾着袋に入れる。どれだけ物が入っても、この袋は膨らまない。この袋も人間にとっては珍しいのか、いつものように沙耶香は目を丸くしている。
一方、レイナはというと、何もなくなった机の上を見て満足そうに頷いた。
「そう、最初からそうすればいいんだ」
「……セレナ先生より、お前の方が先生みたいだな」
「お前が子供過ぎるんだよ」
「同い年だろ」
「精神年齢の話だ」
「くすっ……」
なんか、沙耶香に笑われたんだが!?
そのとき予鈴が鳴り響いて、仕掛けがあったみたいに先生が入ってくる。
「はあ……今日も面倒だな。学期初めは担任が一通り生徒の魔力特性を確認しろなんて、誰が決めたんだ。早く専門教師に全部引き継ぎたい……」
先生は、今日も朝からやる気がない。
教壇に出席簿を叩きつけて、先生は言った。
「今日は教室を使わん。訓練場へ移動しろ」
「また実技か……何やるんだっけ」
「昨日言ってたでしょ。雷魔法よ」
「へえ……」
「興味なさそうね」
「いや……雷はちょっと興味あるかも」
「え? 珍しいね、何で?」
珍しいとは失礼な。俺だって最近、沙耶香の影響で魔法にも改めて関心持っていたところなのに。
それに、雷魔法って何より。
「電気に使えそうだし」
「そっちなんだ……」
沙耶香がため息をついた。
◇
「雷術は火炎術以上に制御を誤った際の危険が大きい」
訓練場で、セレナ先生が言い切った。
「したがって本日は適性確認のみ。指定標的へ最低出力で放電しろ。それ以降の面倒なことは専門教師に委任するからな」
そう言ってセレナ先生が指したのは、壁際にある金属製の標的だ。人型で、しっかりと雷魔法専用の作りになっている。
「雷属性への適性が低い者は無理をするな。術式だけ組んで終了でも構わない」
「だって。雷できる?」
俺は、隣で真剣な顔で先生の話を聞いている沙耶香に尋ねた。
彼女は固まったままの顔をゆっくりと頷かせた。
「一応。基礎術式までは練習した」
「飛ばしたことは?」
「ない」
「じゃあ今日が初めて?」
「……人に向かって飛んでいく形ではね」
「的な」
ああ……この様子じゃあ、今日は術式展開で終わりじゃないかな。
そんなことを考えていると。セレナ先生が名簿から名前を呼んでいた。
「レイナ、来い。普通のサイズで頼むぞ」
「はい」
指名されたのはレイナ。
まあ、彼女が出るだろうなとはちょっと思っていた。他の生徒たちも同じように、「ああ、やっぱりレイナだ」「まあツワブキだしなあ」という感想が漏れ出ている。
ただ一人、沙耶香だけが?マークを浮かべている。
その前で、レイナは右手を的へ向かった。すると、彼女の手の先から黄色の魔法陣が展開していく。
「え!? 杖使わないの?」
「ああ、それは……」
説明しようとしたところで、俺の言葉が止まる。
もう、言葉にできないほどの膨大な魔力が彼女に集まってきていたんだ。
黄色から、青に変わっていく魔力。綺麗だな、という一瞬の感想は。
「《紫電》!」
青白い雷が閃いた。
現象としてはほんの一瞬。だけど、その一瞬で、誰も彼もが言葉を失った。
でも、今命中したか? 標的である金属製の人形には全く影響がないように見えるんだけど。
「なんだアズマ、気付かなかったのか? よく見ろ」
セレナ先生は標的を指さした。言われた通り、目を凝らしてみる。
そして、気付いた。標的のただ一点、心臓部のみに黒い点が穿かれていることに。
「す、すご……!」
「あそこまでやるのは相当な魔力コントロールも必要だな。まあ、お前たちがそこまでできるとは期待していないが」
いや、中級魔法の紫電であそこまで緻密にコントロールって大人でも難しいでしょうよ。無駄を極限まで減らすってことは、出力を上げるよりも難しい。
さすがは、雷魔法の名門と名高いツワブキ家だ。
一方、沙耶香はこのやり取りを終えてもまだ放心状態だった。
「おい、沙耶香? 大丈夫か?」
「……い」
「え?」
よく聞き取れないけど、沙耶香はやっぱり大興奮。
「綺麗だった! すっごくすっごく!」
「お、おう……」
「あんな魔法……初めて見た!」
「雷の魔法なら教科書に載ってただろ」
「実物は違うの!」
昨日の箒と同じだ。
沙耶香にとっては、本で知っているのと実際に見るのとでは全然違うらしい。
前なら、それの何がそんなに違うんだと思っていたけど、今は――少しくらいなら分かる気がする。
それでも、俺自身がここまで目を輝かせる感覚は、まだ分からないけど。
そうして、生徒たちが次々に基本的な雷魔法を放っていく。
大体は初級魔法の閃雷、たまに中級の紫電が放たれる。飛距離が足りなかったり、命中して的が木端微塵立ったり、結果は様々だ。
俺も、簡単に閃雷を放って、的の上半身を吹き飛ばす。
「ん。まあ、こんなもんか」
「俺、雷苦手なんだよな……」
戻ると、ルカが右腕を押さえていた。なんだ、目覚めたりでもしたのか?
「これ、ちょっと反動食らった……痺れが止まんねえ」
「ああ……」
雷魔法の失敗あるあるだな。
そしてミカはというと。
「見ないで!」
「何で?」
「髪!」
栗色の髪が、雷の反動で盛大に逆立っていた。
「ぷっ……! 太陽みたいじゃん! あ、口癖移った……」
「マナッち後で覚えてろ!」
そして、とうとう沙耶香の番が回ってきた。
もう、完全に顔が固まっている。誰も彼もが唯一の人間の動向を見守って、音を発しているのは「おい! 紋無しが雷魔法を成功するか賭けないかい!? 僕は断然失敗に賭けるね!」というキサラギの声だけだ。誰と賭けてんだよ……「知らん」とはルカの声。
沙耶香は杖を出して、魔力を杖に流し込む。
魔紋もないし、制御は人力だから時間もかかる。
でも、魔力の流れは悪くない。
杖の中で魔力を雷属性へ変換できた。。けど、少し乱れてしまった。
「そこ……ッ!」
小声が漏れてしまった。沙耶香がこっちを見てしまい、彼女の集中を切らせてしまったと実感した。
でも、頷いた彼女はすぐに一度術式を止めて、再構成し始めた。
最初から。だけど今度は変換部分を少し細かく組んでいる。
そして。
「《閃雷》!」
ぱちっ。
本当に小さい、青い火花が標的まで飛んだ。
届いた。それだけだけど。
「成功だな。出力は最低限だが、術式自体は成立している。初回なら十分だ」
セレナ先生の評価が、結果を物語っている。
ぱあっと顔を明るくした沙耶香が、「はい!」と嬉しそうな返事をした。
キサラギの「僕の今月のお小遣いがあああああッ!」という悲鳴なんて、彼女の笑顔の前には全く耳に入らなかった。




