人間に魔法を教えることになった
魔力もある。術式も間違っていない。
それなのに、なぜ沙耶香の魔法は安定しないのか。
「――その才能、私に寄こしなさいよ!」
沙耶香の声が、実技棟いっぱいに響き渡った。
その声がぴしゃりと、この訓練場から音を奪い去った。
話し声も、魔力が発動する音も。あちこちで浮いていた《灯火》まで、何個か驚いたように消えている。
「どうやって?」
「本当に寄越せると思って言ってないわよ!」
また怒られた。
だけど、それ以上に、彼女の赤くなった目が印象に残った。
「お前ら、元気だなあ」
固まっていると、セレナ先生が呆れたように額を押さえる。
「初回授業で才能の譲渡を要求した生徒は初めて見たぞ。なかなか面白い話だな」
「わ、私だって好きで言ったんじゃありません!」
「じゃあ誰に言わされたんだ」
「こいつです!」
「俺!?」
うわ、躊躇いなく俺を指さしてきた。
理不尽だ。
一方、セレナ先生は面倒臭そうに頬を掻いている。やがて「まあいい。柊」と沙耶香に呼びかける。
「他人と比較してもお前の魔法は安定しないぞ。まずは自分の課題を――」
「先生」
思わず、言葉が口を突いてきた。より一層面倒そうな先生が怪訝そうな顔でこっちを向いた。
「何だ、アズマ」
「さっきから気になってるんだけど……沙耶香、魔力はちゃんと流れてるよね?」
「……流してるわよ」
沙耶香がはっきりと言い切った。そのまま彼女は、杖を一瞬光らせた。
「ほら」
「術式も間違ってない?」
「教本通りよ」
「じゃあ、何で失敗するんだ?」
「それが分からないから怒ってるんでしょ!」
そうなんだけどさあ。そんなにむっとしないでよ。
それにしても、何でできないんだろう。魔力が足りないなら、そもそも光は生まれない。術式を間違えているなら、毎回魔法が発動する前に崩れるはずだ。
でも沙耶香の《灯火》は、一秒で消えることもあれば十秒近く保つこともある。きっと、他に原因があるんだ。
「教本、持ってる?」
「……あるけど」
「見せて」
「嫌」
「何で!?」
「昨日からあなたに物を渡すと、全部分解されそうで怖いのよ!」
「本は分解しないよ」
「その言い方だと本以外はするのね」
……しないよ。沙耶香のスマホ、まだ見れてないし。
「柊。見せてやれ」
お、セレナ先生の鶴の一声。
セレナ先生に言われ、沙耶香は渋々鞄から一冊の本を取り出した。
随分使い込んでいる、と率直に思った。
ページの端が擦れていて、紙のあちこちに小さな付箋まで貼られている。果たして何回めくったのか、表紙の外側も剥がれかかっていた。
「……すごい勉強したんだな」
「したわよ。だからさっきから言ってるでしょ」
ずっと怒りっぱなしだな。
構わず俺は、《灯火》のページを開いた。
そこには、かなり詳細に魔法発動の手順が書かれていた。
一定量の魔力を杖へ誘導。そこから杖内部の術式へ接続して、火属性へ変換。後は杖先での維持。
「普通……以上じゃない? それにこの手の教本は、読み手が分からない用語や既出の術式を補足欄に表示してくれるから……」
「アズマ」
横からセレナ先生が口を挟んだ。
「お前、《灯火》を使う時にそれを全部意識しているのか?」
「え?」
うーん、ピンとこないな。試しに一度杖を光らせて、気付いた。
「……してない」
「でしょうね!」
沙耶香が叫んだ。
「何も考えてない奴が何で私より上手いのよ!」
「何もっていうか……光らせようとは思ってるよ」
「それだけ!?」
「アズマに限らず、大体の魔法使いはそんなものだ」
セレナ先生が杖を持ち上げた。
「面倒だが、ここで行わないともっと面倒になりそうだな。授業を戻すか」
杖先が空中を走る。すると灯火と同じ要領で、赤い光の文字が四つ浮かんだ。
――魔力。
――魔紋。
――術式。
――発動。
「魔力は、魔法を動かす力そのもの。そして術式は、その力を使って何を起こすのかを決める構造だ」
赤い線が、順番に文字を繋いでいく。
「《灯火》なら、魔力を火属性へ寄せ、熱と光へ変換し、指定した位置に留める。呪文はその術式を呼び起こすための合図だと思えばいい」
「だったら……私は全部やってます」
沙耶香が手を挙げる。目も顔も真っ赤にして、今にも泣きだしてしまいそうになっている。
「だろうな」
「じゃあ何で?」
「問題はこいつだ」
セレナ先生が、『魔紋』の文字を杖で叩いた。そのまま、彼女は自分の腕へ魔力を流した。
すると、赤い紋様が、皮膚の上へ浮かんだ。
「魔紋は単なる魔法使いの印じゃない。魔力を術式へ送り込む際に、流量や性質を調整する役目を持つ」
「調整……」
「必要以上に入れば逃がす。足りなければ補充させる。流れが乱れれば整える。術式に応じて属性も寄せる。もちろん高度な術なら術者自身の技量が必要だが、《灯火》程度なら大部分を魔紋が勝手にやる」
「……勝手に?」
沙耶香の顔が引きつった。
俺は自分の腕を見る。灯火が未だに発動していて、俺の手には赤い魔紋が走っている。これが今も尚、魔力を適量に定めているんだ。
ずっと持っているものだから、そんなことを考えたこともなかった。
「つまり俺、《灯火》使う時……」
「かなりの部分を身体任せにしている」
「へえ……そうだったんだ」
「へえじゃない!」
隣から怒鳴られた。
「私は一個ずつ全部やってるのに、あんたは身体が勝手にやってるの!?」
「そうみたい」
「やっぱりその才能寄越しなさいよ!」
「魔紋は才能とはちょっと違うんじゃ……」
いや、待って。その話を突き詰めていくと……。
「気付いたようだな。そう。柊には、魔紋がない」
セレナ先生の答えは簡潔だった。
「魔紋が無い以上、魔力を調整する手段がない。本来なら魔紋が補助する部分まで自分で処理しなければならん」
「それも教本で読みました」
だけど、沙耶香はすぐに反論した。
「だから魔力量も、流す速度も、術式への接続も全部覚えました。試験だってそれで通ったんです」
「特例試験ではどの程度だった?」
「……最後に《灯火》を十秒くらい維持できました」
「十秒か……まあ、魔紋が無い者が十秒も出せたら大したものか」
先生がそう呟いているのを聞き流しながら、俺はもう一度教本を見下ろす。
『魔力を中心に集めて……流量を一定にして……術式へ接続……』
確かに、今先生が言ったことと同じことが書いてある。
合わせて、沙耶香のやり方も思い出す。
「沙耶香、もう一回やってみて」
「また?」
「今度は近くで見たい」
「……変なことしない?」
「魔法に?」
「私に」
「……しないよ」
「今、少し考えたわね?」
「気のせいだよ。それより、早くもう一回やってみてよ」
「……分かったわよ」
沙耶香は疑いながらも、杖を構えた。
「魔力を集めて……流量を一定に……」
沙耶香が必要ない呪文を口にする。
俺はそのなか、ひたすらに沙耶香の中を流れる魔力だけを見つめる。
本来なら全身に魔紋が現れて、魔力を杖に注いでいくところだけど、彼女の場合はそれがない。それでも、魔力そのものは確かにある。十五歳なら十分なくらいだ。
「術式に接続。《灯火》」
光が生まれる。今度は五秒くらい続いて、消えた。
「ほら」
「もう一回」
「まだやるの?」
「今度は魔力をちょっと少なく」
沙耶香はその言葉に従ったけど、全く光が出ない。
「今度は少し多く」
一瞬だけ強く光って、弾ける。
「速く」
次は失敗。
「ゆっくり」
「ゆっくりって……あっ!」
今度は途中で術式そのものが弾けるように崩れた。
杖の先で、光が粉々になったんだ。
「どんどん酷くなってるじゃない!」
「いや、分かったかも」
「何が」
俺は教本を見て、自分でも《灯火》を出す。全身に薄い魔紋が出て、俺の頭を介することなく杖に光が宿る。
今度は、あえて「何も考えない」をやめる。
魔力が杖へ流れる瞬間を意識してみる。
確かに、魔力が流れている。それも、一本だけじゃない。
俺が必要だと思っている量より多く出た魔力を、別の魔紋が戻している。
術式へ入る直前には流れがいくつかに分かれ、均一に整えられていた。
「何これ」
「自分の魔法でしょ」
「初めてちゃんと見た」
「だから何で私より知らないのよ!」
俺は沙耶香の言葉を耳から流して、教本を開く。
『一定量の魔力を術式へ流す』
その一行。
「これさ……『一定量を流せ』とは書いてあるけど、どうやって一定にするか書いてないよね」
「え?」
沙耶香が俺の隣から教本を覗き込んだ。しばらく経ってから、俺の意図を理解してくれたのか「確かに」と頷いた。
「小さじ適当とか、そういうのと同じ感覚だったかも……?」
その例題について詳しく聞きたい気持ちをぐっと抑えて、俺は続ける。
「俺たちの場合、ある程度の余分な魔力は魔紋が勝手に逃がしてくれる。途中で流れが乱れても直してる」
「でも私は……」
「全部、自分でぴったり合わせないといけない」
だから結果が安定しないんだ。
少しでも多ければ弾けるし、少なければ発動しない。途中で僅かに乱れれば消えるから、みんなみたいに欠伸しながら魔法なんて論外だ。
「じゃあ……これ、私が覚えてないんじゃなくて……そもそも、書かれている通りにやっても、私にはできないってこと?」
「多分」
「アンタの多分、信用できないんだけど」
それを言われると厳しいなあ。
困っていると、俺の背後からセレナ先生も教本を覗き込んできた。
「なるほどな。柊の場合、より高精度の魔力制御が求められるということか。研究テーマとしては面白いかもな」
「先生も知らなかったの?」
「魔紋の補助がない者へ基礎術式を教えた経験がないからな」
「ええ……先生なのに」
「馬鹿言うな。教師も万能じゃない。知らないものは知らん」
あっさりしてるなあ。
「で、アズマ。分かっただけか?」
「え?」
「原因が分かったなら、どうする?」
「どうするって……」
杖も教本もあるし、沙耶香は一応《灯火》そのものの使い方は理解している。
ピースは揃っている。完成形も分かっている。残る問題は、パズルの組み立て方だ。
だったら。
「一個ずつやればいいんじゃない?」
「一個ずつ?」
「全部同時にやるから崩れるんだよ」
「魔法って同時にやるものでしょ」
「俺たちはの場合はね」
沙耶香の教本を机代わりにして、指で順番をなぞる。
「最初に魔力量を決める。十秒くらい持ったときがあったよね。だったら、魔力はそこから増やさない。次に流す速度を固定。術式に入れた後は、光の大きさを変えない。できる?」
「馬鹿な! そんなの灯火じゃない!」
うわ、びっくりした。
なぜかキサラギが顔を真っ赤にしてこっちを睨んでいた。ハクアって名前なのに赤いとはこれいかに。
「何だよいきなり」
「そんな馬鹿げた魔法陣なんて、有り得ないと言っているんだ!」
「沙耶香が使えるようにするんだから、いいだろ別に? その魔法陣をお前も使えと言ってるわけじゃないし」
「勝手に改変なんて、認められるか!」
そうは言ってもなあ。だって今これ、先生公認でやっているんだぜ?
セレナ先生を見ると、彼女は「やってみろ」と沙耶香に顎で指示した。
「……やってやるわよ!」
沙耶香が杖を握り直した。
一度深呼吸して。
「魔力は、ここまで」
「そう。それ以上増やさない」
「分かってる」
「流す速さ――」
「ちょっと黙って」
「はい」
怒られた。けど、さっきまでとは違う。
沙耶香の魔力が、一つずつ整えられていく。
魔紋が無い、魔法の発動。新鮮味を覚えながら、俺は彼女が魔法を唱えるのを見守っている。
そして。
「《灯火》」
白い光が灯った。
一、二、三.
そろそろ揺れる頃だ。
五、十。
沙耶香が息を呑む。
「集中して!」
「分かってるってば……!」
二十秒経った。
光は消えない。
「でき……てる?」
「できてるできてる!」
「本当に?」
「見えてるだろ」
「だって今まで……あっ!」
そこで集中が切れて、光が消えた。
驚いて、沙耶香が尻餅をついている。しばらく茫然としていたけど、俺と彼女は顔を合わせる。
「何秒?」
彼女の問いに、俺は明確に答えた。
「三十秒。最高記録だ! 今までの三倍だ!」
顔を真っ赤にした沙耶香が「もう一回!」と叫んだ。
赤い顔だけど、今度は泣いたりする顔じゃない。興奮のあまりに紅潮しているんだ。
「《灯火》!」
今度は一度で灯る。
十、二十、三十秒。
さっきより安定していた。
一方で、呆然とした沙耶香が、杖先の光を見つめている。やがてその顔が、ぱあっと輝き出した。
今朝実技棟へ来た時と同じ___いや、もっと嬉しそうだ。
「できた……私、ちゃんと……魔法使えてる」
その顔に、俺まで嬉しくなった。
なんか、初めて魔法を使った子供みたいな顔をしている。
「よかったな」
「……うん」
珍しく素直だ。これなら――。
「じゃあ今日の質問!」
「今それ言う!?」
光が弾け飛んだ。
「ああ……なんで乱れちゃうんだよ……」
「あんたのせいでしょ!」
また怒られた。
けど、今度の沙耶香は、少し笑っていた。
それから数日、沙耶香は、放課後になると俺を捕まえるようになった。
灯火だけじゃない。水、風、土、雷___初歩の術式を一つずつ、魔紋なしで使える形に直していく。
といっても、俺が全部教えているわけじゃない。
「ここまで魔力を出して、固定」
「分かった」
「次に――」
「そこはもうできる」
一度分かると早い。昨日失敗したところを、今日はもう間違えない。
こいつ、俺より真面目なんじゃないか?
お読みいただきありがとうございます。
ようやく、沙耶香の《灯火》が安定しました。
ここからマナトと沙耶香の、少し変わった魔法の練習が始まります。




