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魔法学校に普通の人間が入学してきた ~紋無しと人間オタクの魔法使い~  作者: カラス
第二章 ダメダメメイドは命令を聞かない

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最後の一手

 俺は杖を向けたまま、空いている手で鞄の肩紐を外した。

 鞄の中には、ナギから借りた工具が入っている。アリサの腕輪を外すために使った、細いドライバーも一緒だ。

 それを、膨らみ始めた水球の中へ落とした。

 布が水を吸って沈みかける。俺は底から水を押し上げ、どうにか塊の真ん中に留めた。


「《水球》!」


 悪魔の顔に水を放つと、反射的に下側の腕が動いた。

 拘束を引き伸ばし、鎖の先端を俺の右手に向けようとしている。さっきと同じように、水球の向こう側まで突き抜けてくるつもりなのだろう。

 でも、今度はそこに先生たちの魔法がある。


「動かさせるか!」


 セレナ先生が杖を引いて、伸びかけた鎖が止まる。その先端の手前まで水球が迫ったところで、俺の横からルカが杖を突き出した。


「《衝》!」


 水球が横から押され、大きく軌道を変える。

 狙いは、悪魔じゃない。その巨体の後ろで、俺たちの戦いを見ている男だ。


「おや」


 ナギが一歩下がった。

 左手には、外套から取り出した青い石が握られている。さっきの風を直そうとしていたのか、その周りには細い黒い文字が浮かんでいた。

 ナギは右手に持った杖を上げた。

 発生した薄い防壁が、水球の進路に立つ。


「それでは、届きませんよ」


 水が防壁にぶつかり、横へ広がり始めた。

 その内側にある鞄に、今度はキサラギが杖を向ける。


「《衝》!」


 水を突き破り、濡れた鞄が飛び出した。

 ナギの防壁の横を抜け、持ち上がっていた左腕にぶつかる。布越しとはいえ、中身は金属だ。重い音がして、ナギの身体が大きく揺れた。


「っ……!」


 体勢が崩れて、青い光が指の間から零れた。

 石畳に落ちた腕輪の部品が跳ね、その銀色の枠が割れる。剥き出しになっていた細い金属板が折れ、青い石の表面にも白い筋が走り、その前に工具の入った鞄が落ちた。


「これはこれは……随分と、乱暴なお返しでございますね」


 声は丁寧なまま。けれどナギは、もう俺たちを見ていなかった。折れた金属板を指先で起こし、青い石を枠に戻そうとしている。


「お前が貸してくれた道具だ。使い方は、教わってなかったけどな」


 ナギの仮面が、俺の杖の方へわずかに向いた。

 向こうから、低い金属音が響く。悪魔はまだ動いていた。剣を持つ腕が、セレナ先生の拘束を引きちぎろうとしている。青い石が割れても、あいつまで止まるわけじゃない。


「前を見ろ、アズマ!」


 先生の声に、俺は慌てて向き直った。

 悪魔の赤い裂け目が、俺たちを見下ろしていた。

 ナギの方へ盾を寄せようとしたせいで、傷ついた膝が露わになっている。巨体はその脚を庇って、無事な方に体重をかけ直そうとしていた。


「ツワブキ、脚だ!」


 クドウ管理官が叫んだ。

 レイナは、もう杖を向けていた。


「《紫電》!」


 細い雷が、黒い鎧の継ぎ目に突き刺さった。

 キサラギが砕いた場所から、赤い光が噴き出す。悪魔の膝が沈み、傾いた身体を支えようと大剣が動いた。

 その腕を、セレナ先生が横へ引いた。


「そこにつかせるか!」


 剣先が地面を外れ、支えるものを失った巨体が、前へ崩れる。

 地響きとともに片膝が砕け、黒い鎧の腹部に、大きな亀裂が走った。下側の腕が地面を掴んだが、今度はそこにクドウ管理官の光が巻きついていく。


「全員、下がれ!」


 俺たちは入口へ走った。

 振り返ると、クドウ管理官が悪魔の足元に杖を向けていた。白い魔法陣が広がり、地面を這う文字が黒い鎧を登っていく。

 悪魔が、身体を起こそうと暴れ、そのたびに亀裂から赤い光が漏れ、鎧に浮かんでいた文字が乱れる。四本の腕が地面を叩く音は、入口の壁にまで響いていた。


「サキモト!」

「ああ!」


 セレナ先生の杖先に、光が集まっていく。

 それは細く絞られ、割れた鎧の隙間に真っ直ぐ伸びていった。

 途端に、悪魔の身体が反り返った。腹部から胸へ、内側の光が突き抜けた。黒い鎧が幾つにも裂け、その隙間で、赤い文字が一つずつ崩れていく。


「バルグレム」


 ナギの呼びかけに、悪魔は一切反応しなかった。

 兜の真ん中にある裂け目が明滅する。大剣を握っていた指が開き、重い刃が地面へ落ちた。


「バルグレム。立ちなさい」


 ナギの命令もむなしく、鎧の胸が内側から砕けた。

 黒い破片が宙へ飛び、セレナ先生が俺たちの前に防壁を広げる。その表面に幾つもの破片がぶつかり、砕けながら黒い煙に変わっていった。

 赤い光が消えた。

 あとに残ったのは、地面を覆う煙と、倒れていく巨大な盾だけだった。


     ◇


「動くな、ナギ!」


 クドウ管理官の声が飛んだ。

 ナギは、落ちている青い石に手を伸ばしていた。

 だが、その指が触れる前に、小さな衝撃が石畳を走った。大きな欠片が弾かれ、俺たちの手前まで転がってくる。

 キサラギだった。


「アズマ。拾え」


 俺は屈み、青い欠片に手を伸ばす。

 同時にナギの右手が、外套に入った。


「また銃!」


 沙耶香の声で、俺は身体を縮めた。

 銃声が響く。

 目の前に差し込まれた防壁に、白い傷がついた。俺は青い欠片を掴み、そのまま地面に伏せた。


「そのままでいろ!」


 セレナ先生が、俺とキサラギの前へ出た。

 ナギは銃を構えたまま、残った破片を左手に掻き集めていた。白い手袋には泥と血が付いて、拾おうとした小さな金属片のうちいくつかが、その指から滑り落ちる。

 今まで、あの人が何かを取り落とすところなんて見たことがなかった。

 ナギは拾い直そうとした、その時。


「《引牽(いんけん)》!」


 最後の青い石が、引力の魔法で引っ張られた。


「ハクア様」


 石が収まったのは、キサラギの手。彼を、ナギは仮面越しへまっすぐ見据えていた。


「ご自分の付き人を邪魔するようには、お教えしていなかったはずですが」

「僕の付き人は、生徒を傷つけようとしない」


 キサラギの返答にも、ナギの仮面は穏やかに笑ったままだった。


「それでは、私はもう不要ということでしょうか」


 キサラギは口を開きかけた。

 そのまま一度閉じ、泥のついた杖を握り直す。


「……僕の付き人のふりは、もうやめろ」


 短い言葉。ナギは、少しの間黙っていた。


「左様でございますか」


 その背後で、悪魔の盾が崩れた。

 石畳にぶつかった衝撃で泥水が跳ね、黒い煙が大きく広がる。視界の向こうで、ナギの外套が翻った。


「逃がすな!」


 クドウ管理官の光が、煙の中へ走った。

 何かが弾ける音がした。

 けれど、煙の端から見えたのは、横へ身を投げるナギの姿だった。仮面の白い髭が一瞬だけ見え、そのまま校舎の角へ消えていく。


「あっちです!」


 壁際の低い出入口が開いている。

 一般の生徒が使う扉ではない。大きな廊下から外れた、狭い通路へ続く場所。ナギの外套の裾が、その奥へ消えた。

 近くにいた職員が二人、すぐに後を追う。クドウ管理官も入口まで走り、杖を構えたまま中を確かめた。


「隣の棟へ連絡! 通路の出口を押さえろ!」


 別の職員が駆け出した。

 俺も立ち上がろうとしたが、足に力が入らなかった。濡れた地面に手をつき、そこでようやく、自分の膝まで震えていることに気づいた。


「もう行くな」


 セレナ先生が言った。


「追うのは私たちの仕事だ。お前たちは、そこにいろ」

「でも、ナギが……」

「分かっている」


 先生は、通路の入口から目を離さなかった。

 すぐに中へ続こうとはせず、別の職員へ指示を出している。さっきまで銃を向けられていたことを思い出し、俺は口を閉じた。

 あの狭い通路へ、考えなしに飛び込むわけにはいかないんだ。

 俺は、握っているものに目を落とした。

 青い石の、大きな欠片だった。

 縁に残った銀色の枠は歪み、細い金属の線が何本か飛び出している。中では淡い光が明滅していたが、ナギが持っていたときのように文字が並ぶことはなかった。


「それを渡せ」


 戻ってきたクドウ管理官に、俺は欠片を差し出した。


「一部は、持っていかれました」

「見ていた」

「これ、中身は……」

「読めるかどうかも含めて、調べる」


 管理官は布を広げ、俺の手から欠片を受け取った。

 その横で、別の職員が散らばった金属片を拾い集めている。ナギが取り落とした部品も濡れた工具も、一つずつ布の上に並べられていった。

 俺は、口の開いた鞄を見た。細いドライバーが、泥の中に半分埋まっている。

 あれを使って、アリサの腕輪を外した。その道具を持っている間ずっと、貸してくれた相手を疑わずにいたんだ。


「……全部、嘘だったのかな」


 口から零れた言葉に、誰もすぐには答えなかった。

 ラジオを直すときの説明も、アリサに茶の運び方を教えていた声も、俺が困るより先に差し出された道具も。


「それは、捕まえてから本人に聞け」


 クドウ管理官が答えた。


「今は手当てを受けろ。お前も、そっちの二人もだ」


     ◇


 入口の奥へ戻ると、沙耶香がすぐに俺たちに気づいた。


「マナト! 撃たれたの!?」

「当たってない。先生が止めてくれた」

「本当に?」

「ああ。泥まみれになっただけだ」


 沙耶香は俺の袖と胸元を確かめ、ようやく息を吐いた。


「そういうときくらい、すぐに返事してよ……」

「悪い」


 その向こうで、アリサが顔を上げた。

 まだ毛布の上に寝かされている。俺たちを順番に見てから、入口の外へ目を向けた。


「あの、悪魔は……」

「止めたよ」


 俺が答えると、アリサは目を閉じた。

 けれど、すぐにまた開く。


「ナギ様は?」

「逃げた。今、先生たちが捜してる」

「……そう、ですか」


 アリサの視線が、キサラギに向いた。

 キサラギは入口の壁に背を預けていた。杖を持つ手を下げたまま、通路のある方を見つめている。


「ハクア様、お手が……」

「いい。少し擦っただけだ」


 そう答えた手のひらには、まだ血がついていた。

 医療担当の先生が近づくと、キサラギは何かを言いかけた。だが、結局その手を差し出し、黙って傷を洗われ始めた。

 アリサは、それを見届けてから俺の方へ顔を戻した。


「わたしが、お話ししたことは……役に立ちましたでしょうか」

「ああ」


 俺は、その横に座った。


「風が弱くなるって分かってなければ、あそこでは動けなかった。水の回り方も、火矢が曲がった理由も、聞けてよかったよ」

「ですが、上手くできなかったことばかりなのです」

「塔で、俺たちに当てないようにしたのも?」


 その言葉に、アリサが押し黙る。

 すると、沙耶香がそっとその手に触れた。


「アリサちゃんが止めようとしてくれたこと、ちゃんと分かったよ」

「でも全部は、止められませんでした」

「うん。でも、今こうして話せてる」


 アリサは、沙耶香の顔をじっと見つめていた。

 それから俺、レイナ、ミカ、ルカへと順番に目を向ける。最後に、手当てを受けているキサラギまで確かめたところで、ようやく肩から力が抜けた。


「よかった……なのです」


 その声は、小さかった。

 するとレイナが毛布の端を直し、アリサの顔にかかった髪を指で払った。


「お前も怪我人だ。もう起き上がろうとするな」

「はい、お嬢様」


 アリサは素直に頷いた。

 少し迷ってから、沙耶香の手を握る。


「お姉ちゃん」

「何?」

「今は、少し眠りたいのです」

「うん。ちゃんと休もう」


 医療担当の先生が、運ぶ準備を始めた。

 アリサはその間も沙耶香の手を握っていたが、やがて、自分からゆっくりと指をほどいた。

 まぶたが閉じる。

 左手首には包帯だけが巻かれていた。銀色の腕輪は、もうどこにもなかった。

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