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魔法学校に普通の人間が入学してきた ~紋無しと人間オタクの魔法使い~  作者: カラス
第二章 ダメダメメイドは命令を聞かない

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わたしが選ぶこと

 事件から三日後、俺たちは学院の医務室へ集まっていた。窓から入る陽射しは暖かく、白い掛布団の上には、アリサが開いた手帳と鉛筆が並んでいる。


「ですから、もう元気なのです!」


 そう言って両腕を持ち上げたものの、左手首にはまだ包帯が巻かれていた。額にも小さな布が貼られ、頬には細い擦り傷が残っている。勢いよく起き上がった身体が傾くと、隣にいた沙耶香が慌てて肩を支えた。


「元気な奴は、起き上がっただけでふらつかねえよ」

「今のは、少し勢いがつきすぎただけなのです」

「ほら。まだ寝てないと駄目でしょ」


 ルカに指摘されても言い張っていたアリサだが、沙耶香に背中へ枕を入れられると、大人しく身体を預けた。それでも、掛布団を握る指には力が入っている。


「ですが、三日もお休みしてしまいました。お嬢様のお世話も、お掃除も、お洗濯も――」

「全部、学院の使用人がやっている」


 窓際の椅子に座っていたレイナが答えた。アリサが降りようとするたびに立ち上がりかけていたけど、今度は沙耶香に任せることにしたらしい。


「お前が寝ていても、学院は困っていない」

「そ、そう言われますと、わたしの存在意義が……」

「休めと言っているだけだ。なぜ存在まで否定されたことになる」

「お仕事をしないメイドは、ただのメイド服を着た羊飼いなのです……」

「それはそれでいいんじゃない?」


 沙耶香の返答に、アリサは本気で驚いた顔をした。俺としても、無理に働く怪我人より、その方がよほど安心できる。


「それじゃあ、せめてお水をいただいてもよろしいでしょうか」


 アリサが枕元のコップへ手を伸ばす。空だと気づいたレイナが腰を浮かせたけど、その前にルカが水差しを取った。


「俺がやる。座ってろ」

「その程度、自分でできる」

「知ってるよ。だからって、お前が全部やることねえだろ」


 レイナは立ちかけた姿勢で止まった。ルカが注いだ水を沙耶香が受け取り、アリサの両手へ渡すと、今度はミカが空いた椅子を軽く叩く。


「ほら、レイナも休むじゃん。今日は私たちもいるんだから」

「私は、別に疲れてなど――」

「お嬢様も、お休みください!」


 アリサまで加わって、レイナは口を閉じた。休ませようとしていた相手に心配されるとは思っていなかったのか、少しだけ眉間に皺を寄せている。


「お前はまず、自分の心配をしろ」


 言い返したものの、今度は椅子へ座り直した。アリサが水を飲み終えるまで、その背中はちゃんと背もたれに預けられていた。

 コップを返したアリサは、掛布団の上へ赤い手帳を引き寄せた。鉛筆を持って何かを書き始めたので、俺も少し身を乗り出す。


「何を書いてるんだ?」

「マナト様には、お見せできません!」


 手帳が素早く胸元へ隠された。そこまで警戒されるようなことをした覚えはないんだけど。


「何で?」

「まだ途中だからなのです!」

「じゃあ、完成したら見せてくれる?」

「それは、そのときに考えます!」


 少しくらい見せてくれてもいいと思う。けれど、返事をする前にレイナを見なかったことに気づいて、俺は伸ばしかけた首を戻した。


「ねえ、それって、反省録じゃないよね?」


 沙耶香が尋ねると、アリサは首を横へ振った。


「はい。お姉ちゃんからいただいた、できたことを書く手帳なのです」

「今回のことで、何か書けたの?」

「二つございます。ただ、こちらはまだ、迷っているのですが……」


 アリサはページをめくり、俺たちにも見えるよう膝の上へ置いた。そこには、見慣れた小さな文字で二行だけ書かれていた。


『怖くても、助けてほしいと伝えられた』

『皆様に当たらないように魔法を少しだけ変えられた』


 二行目は何度か消して書き直したらしく、紙の表面が薄く毛羽立っている。アリサはその文字を指でなぞってから、左手首の包帯へ手を移した。


「でも、全部を止められたわけではございません。皆様に魔法を撃って、学校の設備も壊してしまいました。ミカ様にも、無理をさせて……」


 アリサの視線を追うと、ミカの右腕にも薄い湿布が貼られていた。塔から落ちたアリサたちを受け止めたときに、痛めたものだ。


「できたことに書いてよいのか、分からないのです」

「いいんじゃん?」


 ミカは、手帳を覗き込みながら答えた。


「全部止められなかったからって、止めようとしたことまでなくなるわけじゃないじゃん」

「ですが、ミカ様のお腕が」

「私が助けたいと思ったんだよ。アリサちゃんに、落ちた責任まで取ってほしくて受け止めたわけじゃないじゃん」


 そう言って右腕を持ち上げかけ、途中で顔を引きつらせる。すぐに下ろしたけど、アリサにはしっかり見られていた。


「やっぱり、まだ痛むのですね!」

「今のは見なかったことにして!」

「無理するからだ」


 ルカに呆れられ、ミカは唇を尖らせた。それでもアリサへ向き直ると、今度は怪我をしていない方の手で、手帳の二行目を指した。


「そこ、消さなくていいと思う。少なくとも私は、残してほしいじゃん」


 アリサはしばらく鉛筆を握ったまま動かなかった。やがて、擦れた文字の下へ新しい一行を書き加える。


『助けてもらったことを、失敗に数えない』

「これで、よろしいでしょうか」


 読み返してから沙耶香を見ると、彼女はすぐには頷かなかった。代わりに、アリサの手元へ視線を落として尋ねる。


「アリサちゃんは、残しておきたい?」

「はい」

「だったら、消さなくていいよ」


 アリサはもう一度その一行を読んだ。今度は消しゴムへ手を伸ばさず、書き終えた鉛筆を手帳の間へ挟んだ。


     ◇


 扉が二度、短く叩かれた。入ってきたのはクドウ管理官とセレナ先生で、二人とも、俺たちよりずっと疲れた顔をしている。管理官の目元には濃い影があり、先生は乱れた髪を片手で押さえながら扉を閉めた。


「全員揃っているな。ちょうどいい」

「ナギは見つかったんですか?」


 尋ねると、クドウ管理官は首を横へ振った。


「まだだ」

「でも、学院長が外の結界を張っていたんですよね」

「ああ。正規の門を通った記録はなく、結界を強引に破った痕跡も確認されていない」

「じゃあ、まだ学院の中に?」

「その可能性も含めて調べている。あの男は、我々が把握していない通路を幾つも利用していた。脱出方法まで用意していたと考えるべきだろう」


 学院の古い通路や使用人用の扉は、すべて調べ直しているらしい。ナギが逃げ込んだ先からは血のついた布と翁の仮面が見つかったが、その先の足取りは途絶えているという。

 仮面を捨てたあと、あの人はどんな顔で歩いているのだろう。いつもの穏やかな笑顔を思い出しかけて、俺は机の端へ目を逸らした。


「腕輪の記録は?」

「お前が拾った欠片から、いくらか復元できる見込みだ。ただし、大半の情報は、奴が持ち去った部分に入っている」

「それでも、何かは残ってるんですよね」

「ああ。外部から術式へ干渉した痕跡と、人間の機械を模した回路は確認できた」


 管理官がアリサへ向き直ると、彼女は手帳を閉じ、膝の上で両手を揃えた。名を呼ばれる前から、背筋が固くなっている。


「ミツルギ・キサラギにも事情を聞いた。腕輪に服従の術式を入れ、君に贈ったことは認めている」

「では、ミツルギ様が、わたしに命令を……」

「本人は、ナギが外部制御と記録の機構を追加したことまでは知らなかったと話している。現時点では、確認できた物証とも食い違っていない」


 アリサは包帯の巻かれた手首を見下ろした。視察の日、あの腕輪を嬉しそうに着けていた姿を、俺も覚えている。


「それなら、ミツルギ様は悪くないのでしょうか」

「それを君が決める必要はない」


 クドウ管理官の答えは、はっきりしていた。


「ナギの細工を知らなかったことと、他者を従わせる術式を用意したことは別の問題だ。審査会での職務から一時的に外れ、調査を受けることになった」


 アリサは小さく頷いたものの、手首から目を離さなかった。レイナも口を挟まず、その隣で話を聞いている。


「キサラギは、どうなるんですか」

「ハクアなら、変わらず学院に残る」


 今度はセレナ先生が答えた。


「本人も事情を聞かれたが、腕輪の仕掛けを知っていた形跡はない。父親のしたことまで、子供に背負わせる理由はないからな」


 事件の前、レイナが沙耶香へ言ったことと同じだった。俺は少しだけ肩の力を抜いたけど、あいつがそれを聞いて素直に安心するかどうかは、また別の話かもしれない。


「その……それで、人間社会実習は……」

「安全体制を見直す。実施時期は、また延びるだろうな」

「そんな……俺の家電量販店が……」

「そもそも実習先ではない」

「候補にも?」

「アズマ」


 名前を呼ばれただけで、今は押すべきではないと分かった。俺が口を閉じると、管理官は持っていた書類を揃え直した。


「準備そのものは続ける。今回の件で、人間の機械を知らない危険性も明らかになった。警備を見直したうえで、必要な検証は再開する」

「じゃあ、ラジオの研究も?」

「……管理部の許可を受けろ。異常を見つけたら、一人で調べず報告すること。いいな?」

「分かりました」

「分解する前にだ」

「まだ何も言ってません!」


 セレナ先生に頭を押さえられ、俺は続きを飲み込んだ。実習がなくなるわけではないし、研究まで禁止されたわけでもない。行き先の提案は、もう少し先生たちの顔色がよくなってからにしよう。


「それから、ミネウチ」


 先生に呼ばれ、アリサが顔を上げた。手帳の端を握ったまま、次の言葉を待っている。


「以前、お前には魔法の制御を学ぶ必要があると話したな」

「覚えております。二年後、学院を受験することも考えるようにと」

「ああ。今回も、お前が途中で魔法を止めようとした形跡が残っていた。十分な制御を身につければ、できることはもっと増える」


 アリサの指が、手帳の表紙から少し離れた。先生はその様子を見てから、続ける。


「傷が治ったら、基礎的な制御訓練へ参加できるよう手配する。ただし、学院を受験するかどうかは別だ。二年ある。その間に考えろ」

「今、申し上げてもよろしいでしょうか」

「決めているのか?」

「はい。もう、考えたことがあるのです」


 アリサは手帳を開き、少し前のページを探した。鉛筆で書かれた文字の上には日付があり、今日になって慌てて考えたものではないことが分かる。


『魔法を、誰も傷つけずに使えるようになりたい』

『人間世界の羊を見てみたい』

『自分で選んだ仕事を、最後までできるようになりたい』

「わたしは、学院で魔法を学びたいです」


 アリサは手帳から顔を上げ、セレナ先生を真っ直ぐに見た。


「二年後、受験したいのです」

「ほう。受かるとは限らんぞ」

「勉強いたします!」

「魔法を使うだけの試験ではない。羊の名前以外も覚える必要がある」

「百二十七頭の名前と見分け方は、全部覚えております!」

「なら、覚える根気はあるな。教科書の方にも使え」

「はい!」


 声が医務室へ響き、アリサは慌てて口を押さえた。先生は注意する代わりに、小さく息を吐いている。


「まずは傷を治せ。教科書は逃げない」


 必要な話を終えると、先生と管理官は連れ立って出ていった。扉が閉じても、アリサは開いたページを見つめたまま、しばらく手帳を閉じようとしなかった。

 レイナが椅子から立ち、ベッドのそばへ来る。今度は誰も座らせようとはせず、そのために場所を空けた。


「学院へ入れば、今までのように私の世話だけをしてはいられなくなるぞ」

「はい」

「授業も受ける。自分の時間も必要になる。それでも、受験するのだな?」


 アリサはレイナを見上げた。答えるまでに少し時間はかかったけど、手帳に書いた希望を隠そうとはしなかった。


「わたしは、お嬢様のメイドでいたいです。ですが、それだけではなく、魔法も学びたいのです。お姉ちゃんと一緒に勉強して、人間世界の羊も見たいです」

「欲張りだな」

「いけませんでしょうか」

「ふ……いいや」


 レイナの手が、アリサの頭へ置かれた。三つ編みを崩さないように、指先がそっと髪を撫でる。


「両方欲しいなら、そのための方法を考えろ。最初から片方を諦める必要はない」

「はい!」

「ただし、家族にはお前自身の口で話せ」

「父に、わたしが……?」


 アリサの声が細くなった。今度は手帳ではなく、掛布団の皺を見つめている。


「私から命じれば、お前が選んだことまで家の命令になってしまう」

「怒られるかもしれません」

「そうだろうな」

「反対されたら、どうすればよろしいのでしょうか」

「まず、なぜ学びたいのかを話せ。それでも聞いてもらえなければ、私も話す」


 アリサが顔を上げた。レイナは頭へ置いていた手を下ろし、手帳に並んだ三つの希望へ目を向ける。


「お前が話す間は、そばにいる。それなら言えるか?」

「……はい。言ってみたいです」


 目元を赤くしながらも、アリサは頷いた。レイナへ伸ばしかけた手を途中で止め、大切そうに手帳の端を押さえる。


「ありがとうございます、お嬢様」

「その前に、試験勉強だ。礼だけで合格できると思うなよ」

「承知いたしました!」

 レイナは顔を背けたけど、頭に触れていた手は、まだアリサのすぐそばにあった。


     ◇


 そろそろ戻ろうと俺たちが椅子を片づけ始めたところで、扉が開いた。入口にはキサラギが立っていて、両手で果物の入った大きな籠を抱えている。制服の襟が少し曲がり、いつも整えている前髪も、額へ一房落ちていた。


「何しに来たの?」


 沙耶香が尋ねると、キサラギは籠を持ち上げて見せようとした。けれど、思ったより重かったらしく、すぐに抱え直す。


「見舞いだよ。見れば分かるだろう」

「自分で持ってきたんだ」

「この程度、僕一人で運べる」


 そう言った途端、傾いた籠から赤い果物が一つ転がり落ちた。アリサが反射的に腰を浮かせたけど、沙耶香が肩へ手を置く方が早かった。


「アリサちゃんは、そのまま」

「ですが――」


 俺が拾おうとする前に、キサラギが屈んだ。籠を片腕で抱え、自分で果物を拾い上げる。右手の包帯が見えたので手を貸しかけたが、本人はそのまま立ち上がった。


「見なかったことにしたまえ」

「別に、それくらいで笑わないよ」

「口元が緩んでいるが?」

「来てくれたのが意外だっただけ」


 沙耶香が台の上を空けると、キサラギはそこへ慎重に籠を置いた。ようやく両手が空き、少しだけいつもの姿勢に戻る。


「受け取りたまえ。学院からの見舞い品だ」

「学院から?」

「何か問題でも?」

「ううん。ありがとう」


 あっさり礼を言われたせいか、キサラギは次の言葉を失った。意味もなく襟元へ触れ、それから、もう用事は済んだとばかりに踵を返す。


「お待ちください、ハクア様」


 アリサに呼び止められ、その足が止まった。


「先日は、助けていただき、ありがとうございました」

「僕は悪魔の膝を砕いただけだ。君を助けたつもりはない」

「それでも、皆様が勝つために必要だったのです」

「……そうかい」

「お手の怪我は、大丈夫でしょうか」


 キサラギは包帯の巻かれた右手を背中へ隠した。アリサはその動きを追いかけず、返事を待っている。


「君に心配されるほどではない」

「それなら、よかったのです」


 会話は途切れたのに、キサラギは扉へ向かわなかった。籠を見て、窓を見て、最後に俺たちがまだいることを確かめるように顔を動かす。


「それから、父上が君に渡した物についてだが」


 声が、それまでより小さくなった。アリサも背筋を伸ばしたけど、キサラギは目を合わせない。


「仕掛けについては、僕も知らなかった。だが、父上が正しいと思って、君を何度も責めた。茶をこぼせば家の恥になるとか、失敗するなら辞退しろとか……」


 言いかけたまま口を閉じ、包帯の端を左手で押さえる。俺たちは誰も続きを促さず、アリサも黙って待っていた。


「あれは、僕が言ったことだ。君が必死にやっていたのに、余計なことを言った。それについては……悪かった」


 キサラギがこんなふうに謝るところを、俺は初めて見た。アリサも驚いたらしく、口を少し開けたまま彼を見つめている。


「ありがとうございます」

「なっ、なぜ礼を言うんだい」

「謝っていただきましたので」

「そこは普通に受け入れたまえ。僕に二度も言わせる気か?」

「申し訳ございません!」

「謝るのは君ではない!」


 いつもの声が戻り、俺は少しだけ安心した。キサラギも落ち着かなくなったのか、前髪へ手を伸ばす。けれど包帯が髪に引っかかり、直すつもりが、かえって一房跳ねてしまった。


「……ふん、見なかったことにしたまえ」

「それ、今日二回目だぞ」

「アズマ。君は今すぐ忘れろ!」


 忘れろと言われると、余計に覚えてしまう。キサラギは俺を睨んだあと、今度こそ足早に医務室を出ていった。


「結局、あの果物、本当に学院からなの?」


 扉が閉じると、ミカが籠を覗き込んだ。俺も同じように近づき、果物の間に収まっている物を見つける。


「多分、違うな」


 金色の羊だった。アリサが休日に作り、キサラギが自分の部屋で処分すると言って持ち帰った人形が、赤い果物にもたれて胸を張っている。


「それ、持ってきてくれたんだ」


 沙耶香が小さく笑った。アリサは両手で人形を受け取り、少し乱れていた頭の毛を指先で整える。


「ハクア様をお呼びした方がよろしいでしょうか」

「どうして?」

「お忘れ物かもしれません」

「それを言いに戻ったら、また怒ると思うよ」


 アリサは人形と扉を交互に見た。それから何かを納得したように頷き、金色の羊を枕元へ座らせる。


「では、今は見なかったことにするのです」

「アリサちゃんまで覚えたじゃん!」


 ミカが笑うと、アリサもつられて笑った。人形は枕に背中を預け、作った本人より少しだけ偉そうに、俺たちを見上げていた。


     ◇


 アリサがもう一度手帳を開くと、今度は誰も覗き込もうとはしなかった。本人が膝の上へ広げ直してから、俺たちへ見える向きに少し傾ける。

 三つの希望の下に、鉛筆がゆっくりと新しい予定を書き加えた。


『二年後――御霊代魔法学院を受験する』


 書き終えたあと、アリサはその一行をしばらく眺めていた。休日の朝には、何をして過ごすか決められず廊下へ立っていた子が、今は二年先の予定を書いている。


「勉強は、いつから始めるんだ?」

「傷が治ってから、お姉ちゃんと相談するのです」

「教科書は私たちのも見せられるよ。ただ、私が分からないところは、ほかの人にも聞いてね」

「はい。皆様にも、お願いしてよろしいでしょうか」


 アリサが俺たちを見回したので、俺は頷いた。ルカも肩をすくめ、ミカは「分かるところなら」と答える。レイナは少し考えてから、まず何を勉強してきたのか確かめる必要がある、と言った。

 その言葉を聞いたアリサが、また手帳へ書こうとした。けれど途中で鉛筆を止め、今ある予定の下へ、別の一行を加える。


『何を学びたいかは、自分で決める』

「合格しましたら、お姉ちゃんの後輩になるのですね!」

「二年後なら、そうなるね」

「同じ授業も受けられますか?」

「学年が違うから、普段の授業は別かな」

「そんな……」


 アリサの鉛筆が止まった。けれど、さっき書いた予定へ線を引こうとはしない。


「でも、放課後なら一緒に練習できるよ」

「本当ですか?」

「うん。今もそうしてるでしょ」

「では、受験勉強もお願いします!」

「だから、私に分からないところは、みんなにも聞いてね」


 沙耶香が笑うと、アリサは大きく頷いた。鉛筆をしまい、赤い手帳を両手で閉じる。その隣では、金色の羊が相変わらず胸を張っていた。

 人間世界の実習がいつ実現するかは、まだ決まっていない。ナギも捕まっていないし、持ち去られた記録が何に使われるのかも分からない。それでも、アリサの手帳には、誰かから渡されたものではない予定が残った。


「まずは、父へお手紙を書きます」

「今から?」

「はい。わたしが勉強したいことを、忘れないうちに伝えたいのです」


 沙耶香が机から便箋を取り、レイナがベッド脇へ椅子を寄せた。アリサは二人へ礼を言ってから、便箋の最初の一行に、ゆっくりと鉛筆を置いた。


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