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魔法学校に普通の人間が入学してきた ~紋無しと人間オタクの魔法使い~  作者: カラス
第二章 ダメダメメイドは命令を聞かない

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九年間の付き人

「聞こえているなら、なぜ従わない」


 キサラギの声が、少しだけ掠れた。

 ナギの銃口は、まだその胸に向けられている。穏やかに笑っている老人の面とは裏腹に、彼自身が何を考えているかはもう分からない。


「僕は、その銃とやらを下ろせと言っているんだ」

「ええ」

「なら――」

「お命じになれば、私が従う。そうお考えなのですね」


 ナギの言い方には、問いかける響きさえなかった。

 キサラギは口を開いたまま、言葉を詰まらせる。いつものように鼻を鳴らすことも、前髪を撫でることもできず、ただ目の前の仮面を見つめていた。


「キサラギ。そのままでいろ」


 管理官は杖を下げている。けれど、空いている方の手が、背中の後ろでわずかに動いた。それを見たセレナ先生が、俺たちの側へ半歩寄る。


「何が目的だ」

「そちらを通していただければ、それで結構です」


 ナギは銃を持つ手を動かさず、仮面の顎だけを校舎の間へ向けた。


「その腕輪は置いていけ」

「それはどうか、ご容赦いただきたく」

「生徒にそんなものを向けておいて、頼みが通ると思うな」

「ですから、こうしてお話ししております」


 いつもの声だった。ラジオの中を覗き込み、どこに力を加えれば壊れるのか教えてくれたときと、少しも変わらない。それがかえって、目の前の光景をひどく遠いものに感じさせた。

 背後では、医療担当の先生がアリサを抱き上げている。沙耶香がその身体を支え、レイナとミカが二人を庇う位置に移った。

 アリサの手は、沙耶香の袖を掴んだままだった。


「……父上が、命じたのかい」


 キサラギが聞いた。


「腕輪を取り戻せと。だから、こんなことをしているのかと聞いているんだ」

「いいえ。こちらは、ミツルギ様のご指示ではございません」

「だったら、なぜだ! あれは父上が渡した物だろう!」

「ええ。ミツルギ様がご用意なさった物です。ただし、あの方が用意されたままの物ではございません」


 俺は、ナギの外套に目を向けた。

 奪った腕輪は、布ごとその内側にしまわれている。銃を持っていない左手が、さっきからずっと、その辺りに触れていた。


「あの記録の仕組みを加えたのは、お前か」


 セレナ先生が尋ねた。


「ええ。それと、外から指示を送るための仕組みも。古い服従の術式だけでは、できることが限られておりましたので」

「ミツルギは、それを知っているのか」

「いいえ。あの方は、ご自分の用意された術式が働くものとお考えだったでしょう」


 キサラギの顔から、残っていた血の気が引いていく。

 父親が、アリサに何を渡したのか。その贈り物に、自分の付き人が何を加えたのか。一度に聞かされたことを飲み込めないように、唇だけが何度か動いた。


「だから、アリサを……」


 俺が言うと、仮面がこちらを向いた。


「工具を貸したのも、あれを取り出すためだったんですか」

「記録まで壊されては困りますからね。留め具を外していただければ、それが一番でした」


 鞄の中で、工具同士が小さく触れ合った。

 俺はあの道具を使って、アリサを助けようとした。ナギも同じことを考えていると思って、受け取ったんだ。


「あのまま塔の下敷きになれば、回収は難しかったでしょう。皆様が間に合ってくださって、助かりました」

「助かったって……!」


 踏み出しかけた俺の腕を、ルカが掴んだ。

 その手にも、強い力が入っている。俺だけが腹を立てているわけじゃない。それでも、目の前にはキサラギがいる。

 ナギの銃口は、一度もそいつから外れていなかった。


「ナギ」


 キサラギが、また名前を呼んだ。


「九年だぞ」

「ええ。よく存じております」

「九年間、僕の側にいたじゃないか。学院へ来る前から、ずっと……」


 そこで、声が途切れた。

 キサラギは何かを言おうとして、結局、同じ名前をもう一度呼ぶ。


「ナギ」

「はい、ハクア様」


 返事だけは、すぐに返ってきた。

 キサラギの眉が歪む。さっきまで何度も命令を繰り返していたのに、今度は続きが出てこなかった。


「九年間、一度も疑われませんでしたね」


 ナギが言った。


「ご自分がお命じになれば、私が従うと。私が何を考え、何を見ているかなど、お確かめになる必要もなかったのでしょう」

「そんなことは――」

「靴も、服も、歩かれる先も、すべて整えてまいりました。それらが、ご自身のお力で整ったものとお考えだったようですが」


 キサラギの拳が震えた。

 俺はあいつの嫌味が嫌いだ。アリサや沙耶香に投げつけてきた言葉を、忘れたわけでもない。

 それでも今、銃を向けられたまま立ち尽くす背中を見て、笑う気にはなれなかった。


「……僕のことを、ずっと笑っていたのか」


 その問いに、ナギは答えなかった。

 外套の内側から、左手を抜く。その指の間には、淡い青色の石が挟まれていた。


「その手を止めろ」


 クドウ管理官の制止も聞かずに、ナギの親指が、石の縁を撫でる。

 青い石の奥で、細い光が点いた。


「今だ!」


 クドウ管理官が踏み込んだ。

 同時に、セレナ先生の杖が跳ね上がる。キサラギと銃口の間に、薄い光の板が差し込まれた。

 銃声が響く。

 光の板に白い亀裂が走る。その向こうでクドウ管理官がキサラギの襟首を掴み、身体ごと横へ引き倒した。


「伏せていろ!」


 二発目の弾丸が、頭のすぐ上を通った。

 俺は反射的に身を縮める。転がってきたキサラギの肩をルカが掴み、俺もその腕を引いた。

 さっきまでそいつが立っていた場所に、セレナ先生の防壁が広がっていく。


「その武器を捨てろ!」


 管理官の声とともに、地面を這うように光の帯が走った。

 ナギの足元に迫り、その両脚を絡め取ろうとする。もう、人質はいない。

 けれどナギは、逃げようとしなかった。

 青い石を握った左腕に、黒い魔紋が浮かんでいた。


「契約に従い、来なさい」


 芝生の上に、黒い円が開く。中央に重なった文字が回転し、その内側から、何か大きな物がせり上がってきた。


「《バルグレム》」


 最初に現れたのは、盾だった。

 人の身体ほどもある黒い盾が、ナギの前に突き立つ。光の帯がその表面に巻きついたが、次の瞬間、内側から押し返されて弾け飛んだ。

 地面が沈み、俺たちが踏んでいる芝生まで揺れていく。近くに落ちていた石片が跳ね上がり、何か巨大な質量が現れたと理解したころには、黒い円の中から、鎧を着た巨大な身体が立ち上がっていた。

 腕が、四本ある何か。上の右腕には、俺の身長より長い剣。左腕には、さっきの盾が握られている。腰の横から伸びた残りの二本は、それぞれ黒い鎖を引きずっていた。

 顔に当たる部分は、分厚い兜で覆われている。

 その真ん中を走る赤い裂け目が、ゆっくりと俺たちの方へ向いた。


「契約悪魔だと……!」


 セレナ先生が、杖を握り直す。


「負傷者を下げろ! 建物の陰まで運べ!」


 医療担当の先生たちが動いた。

 沙耶香もアリサを支えたまま下がっていく。レイナはその前を離れず、ミカは両手で杖を持ち直した。アリサを受け止めたばかりの腕が、まだ少し震えている。

 悪魔の右腕が持ち上がり、剣先が退避する先生たちに向けられた。


「まだです」


 だけど、ナギの言葉一つで、巨大な剣が、空中で止まった。


「先に、こちらを」


 ナギは悪魔の背後へ下がり、左手の石を持ち上げた。

 青い光が、細い糸のように伸びていく。糸の先が黒い鎧に触れた途端、その表面に幾重もの文字が浮かび上がった。

 悪魔は動かない。

 ナギの手元から流れ込んでくる光を、黙って受け入れている。


「記録を移しているのか!」


 セレナ先生が声を上げ、杖を振るった。

 光の帯が、今度は悪魔の側面を回り込んだ。だが、下側の腕から鎖が跳ね上がり、その帯を途中で叩き落とす。

 飛び散った光の向こうで、ナギは石を掲げ続けていた。


「アリサの魔法を、そいつに覚えさせるつもりか!」


 俺が叫ぶ。


「アリサ様だけではございませんよ」


 ナギが答えた。


「皆様は、随分と熱心に戦い方を見せてくださいました。あの方を止めるために、何を使い、どこを狙い、誰と組み合わせるのか」


 中央塔でのことが、頭をよぎった。

 アリサを傷つけないように、俺たちは何度も攻撃を変えた。誰かが引きつけ、誰かが足を止め、その隙に腕輪へ近づこうとした。


「それを、全部……」

「ええ。ご協力に感謝いたします」


 鎧の表面を走っていた文字が、赤い光の中に沈んでいく。

 ナギは青い石を外套に戻した。銃もしまい、乱れた袖口を片手で整える。

 もう、あの銃で俺たちを遠ざける必要はないということか。


「逃がさんぞ」


 クドウ管理官が、悪魔の正面に立った。


「外周は学院長が押さえている。そいつを呼んだところで、外へ出られると思うな」

「タマヨリ様ですか。困りましたね。では、通していただけるまで、お願いするしかございませんね」

「ナギ!」


 俺の横で、キサラギが立ち上がった。

 膝にも肘にも泥がついている。ルカが止めようとしたが、その手を振りほどき、杖を抜いた。


「僕を見ろ!」


 老人の面が、わずかに傾いた。


「お話でしたら、後ほど伺います、ハクア様」

「後ほどだと……?」

「今は、そちらの皆様にもお相手いただきませんと」


 ナギは悪魔の背後で、一歩だけ横へ退く。その動きだけで、もうキサラギの方を見ていないと分かった。

 キサラギは杖を上げたまま、動かない。俺はそいつの肩を掴み、剣の正面から下がらせた。


「おい、キサラギ。今は下がれ」

「離したまえ」

「あとでいくらでも怒れよ。今、そこで突っ立ってたら死ぬぞ」


 返事はない。けれど今度は、俺の手を振りほどかなかった。

 黒い鎖が地面を擦る。それが、悪魔の最初の一歩の合図だった。巨体が俺たちとナギの間を完全に塞ぎ、盾の横から覗く赤い裂け目が、杖を持った俺の右手に向いた。


「バルグレム。道を開けなさい」


 ナギの声に従って、剣が振り上げられた。

 クドウ管理官の防壁が、俺たちの前に広がる。そこに黒い刃が叩きつけられ、足元から胸の奥まで、重い衝撃が突き抜けた。

 防壁に亀裂が走る。

 俺は杖を上げた。剣を押し返すのか、脚を止めるのか。頭の中で次の一手を選ぼうとしたとき、盾の陰で、下側の腕がすでに動いていた。


「お気をつけください」


 ひび割れる防壁の向こうから、ナギの声が届いた。


「皆様の戦い方は、すでに学習済みです」


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