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魔法学校に普通の人間が入学してきた ~紋無しと人間オタクの魔法使い~  作者: カラス
第二章 ダメダメメイドは命令を聞かない

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落とさない

 アリサが落ちていく。

 俺たちの声に振り返ることも、杖を取り出すこともない。身体から離れたエプロンの裾が風を受け、細い腕だけが、力なく上へ持ち上がった。

 ついさっきまで、その手は沙耶香の袖を掴んでいた。腕輪も外した。やっと、自分で帰りたいと言えたのに。


「《暴風》!」


 中庭で、緑色の光が広がり、地面から吹き上がった風が、アリサの身体を包んだ。

 それでも、すぐには止まらない。

 落ちながら身体の向きが変わり、崩れた石と一緒に落ちていたアリサだけが、少しずつ塔から離れていく。

 風が、落下を緩めながら横へ運んでいるんだ。


「ミカ……」


 沙耶香の声に、その魔法が誰のものかを理解した。

 中庭を見下ろせば、ミカが風の上級魔法を唱えていた。俺たちの視線に気付いて、にいっと笑みを浮かべた。


「何よ、そのドヤ顔……」


 沙耶香が今言った言葉の意味を問いただす気力もない。

 俺はただ、風がアリサを無事に受け止めたのを見届けて、息を吐くことしかできなかった。

 やがて地面へ近づくにつれて、風が草を大きく波打たせる。ミカは身体を傾けながらも、最後まで杖を下ろさなかった。

 アリサの身体が、草の上に横たわる。

 その周囲に職員たちが駆け寄り、上からは姿が見えなくなった。


「マナト!」


 レイナに肩を引かれた。


「受け止めた。今度は私たちが出るぞ!」


 俺は頷こうとした。

 けれど、喉が詰まって、息がうまく通らなかった。アリサの袖が指を滑っていった感触だけが、まだ手の中に残っていた。


     ◇


 階段まで戻る間、何度も足場が揺れた。

 セレナ先生が残った床を確かめ、クドウ管理官が障壁で崩落を押さえる。その間に一人ずつ扉を抜け、俺たちは下の階へ降りた。

 途中の鉄格子は、職員が固定したままで、入口の扉も開いている。

 そこを抜けた瞬間、外の空気が肺へ入り、俺はようやく大きく息を吸った。


「アリサちゃん!」


 沙耶香が先に走った。

 塔から離れた芝生に、職員たちが集まっている。その手前では、ミカが膝を折って地面に片手をついていた。


「ミカ!」

「あー、やばい。暴風あんだけ長く使うの初めてじゃん……あ、アリサちゃんはあっちで先生たちが診てくれてるじゃん」


 何を言えばいいのか、一瞬分からなくなった。礼を言うべきなのに、口を開くと、さっきの叫び声まで一緒に出てきそうだった。


「あ、ありがとう」


 どうにか、それだけ言った。すると、ミカは「ははっ」と軽く笑顔を見せた。


「本当に、落ちてくるんだもん……間に合って、よかったじゃん」


 杖を握ったままの手が、まだ震えていた。

 制御室のあった場所は、外壁の一部が大きく抜け落ちていた。露出した床が斜めに傾き、その下を、地上の教員たちが張った障壁が支えている。

 俺たちが、さっきまでいた場所だ。


「アリサちゃん、分かる?」


 沙耶香の声に、俺は顔を上げた。

 アリサは敷かれた上着の上に寝かされていた。医務担当の先生が左腕に杖をかざし、その隣で、レイナが落ち着かない様子で手元を見ている。


「意識はある。無理に起こさず、このまま治療室へ運びます」

「……よかった」

「お姉ちゃん……」


 アリサの瞼がわずかに動く。

 何かを探すように視線が揺れ、沙耶香の顔を見つけたところで止まった。


「うん。いるよ」

「お嬢様は……?」

「ここにいる」


 レイナが、少し身を屈めた。


「皆いる。心配はいらん」


 アリサの口元が、かすかに緩んだ。

 沙耶香がその手に指を添えると、弱い力で握り返したようだった。今度は、目を閉じても、沙耶香は何度も呼びかけなかった。

 ただ、手を添えたまま、アリサの顔を見ていた。


「アズマ。お前の手も見せろ」


 セレナ先生が俺を呼んだ。

 隠すつもりはなかったけど、反射的に指を曲げてしまった。その動きを見て、先生が眉を寄せる。


「握れるか?」

「多分、少し痛いです」

「つまり重傷か」


 問答無用とばかりに先生が俺の手に杖を向ける。

 冷たい感覚が指先に広がり、ようやく、自分がずっと拳を握ろうとしていたことに気づいた。


「俺、袖には届いたんです」


 先生は答えなかった。


「もう少し、ちゃんと掴めていれば」

「カナメが受け止めた」


 短い返事だった。

 俺が顔を上げると、先生はアリサの方を見ていた。


「お前一人で、最後まで掴んでいなければならないわけではない」


 何か言おうとして、やめた。

 少し離れたところで、ミカが職員に肩を借りて立ち上がっている。杖を持つ手はまだ震えていたけど、沙耶香に声をかけられると、いつものように頷いていた。

 俺は、ようやく指を開いた。


     ◇


「管理官。これを」


 職員の一人が、布に包んだ銀色の破片を持ってきていた。

 腕輪だ。二つに割れた外装と、そこから外れた小さな部品が、布の上にまとめられている。塔の近くに落ちた物を、職員たちが回収してくれたらしい。

 クドウ管理官が受け取り、割れた面を確かめた。

 俺も、手当てされた指をかばいながら近づく。


「そこ、見せてください」


 銀の飾りの内側に、小さな板が収まっていた。表面には細い銅線が通り、その先が青い石の下に入り込んでいる。

 外から見えていた石は、ただの飾りじゃなかったんだ。


「これは……人間の部品か?」

「はい。あの黒い箱と、似たつなぎ方をしてます」


 俺が答えると、セレナ先生が身を屈めた。

 石そのものには触れず、その下にある金具と、周囲に刻まれた紋様を見比べる。


「記憶石のようだな。術式を保存するための物だ」

「でも命令を受けるだけなら、要りませんよね」

「ああ」


 クドウ管理官の指が止まった。

 黒い箱は、外からの信号を中継しながら、使われた魔法を記録していた。箱が押収されたあとでも、腕輪の中には記録を残せる物があったんだ。


「この石は、アリサ自身の魔法だけを記録していたんですか?」

「分からん。だが、この大きさの感応範囲なら、近くで使われた魔法まで拾っていた可能性はある」


 つまり、塔で俺たちがアリサを止めるために使った魔法も、残っているかもしれないな。


「どこまで残っているんですか?」

「ここでは調べん。下手に触って別の術式を動かす可能性がある」


 管理官はそう言い、布を閉じようとした。


「どうやら接続部分は、切れているようですね」


 背後から、ナギさんの声がした。

 振り返ると、少し離れた場所にナギさんとキサラギが立っていた。二人についていた職員も、その隣からこちらを見ている。


「ただ、石の固定具には、まだ細い線が残っているようでございます」


 ナギさんにつられて、俺はもう一度石の周りを見た。

 回路が複雑に絡み合っていて、どの線のことか分からない。


「その下に――」


 ナギさんが一歩近づいた。


「そこから見ろ。触れる必要はない」


 クドウ管理官が告げると、ナギさんは穏やかに頷いた。


「承知いたしました」


 そうしてナギさんは、その場から腕輪を見下ろす。


「まあまあ距離ありますけど、分かります?」

「ええ。それなりに。そうですね……そこの箇所とか」

「そこ?」


 彼が指さしているのは、どのあたりだろう。

 俺だけでなく、皆の注目が腕輪に集まっていく。

 そして。

 青い石の載った布の端が掴まれ、下から伸びたもう片方の手が、クドウ管理官の手首を払った。


「――おい!」


 管理官が包みを引き戻そうとする。

 それより先に、ナギさんが身体ごと踏み込んだ。

 布が強く張り、管理官の指から抜ける。

 俺が手を伸ばしたときには、ナギさんはすでに後ろへ下がっていた。そして、その手には証拠品である腕輪の入った包みが握られていた。


「ナギ!」


 叫んだのが誰かは分からない。

 それよりも先に、ナギさんの手が上着の内側から出てきた。


「銃!?」


 沙耶香の声と、乾いた破裂音が重なった。

 クドウ管理官の足元で、石畳が弾けたんだ。


「何……!?」


 管理官とセレナ先生が、同時に愕然としている。俺だってそうだ。今、魔法陣は、一つも開かなかったんだから。


「やはり便利ですね」


 ナギさんの声はいつも通りだ。いつも通りすぎて、今の一瞬の動きが嘘だと思いたくなるほど。

 彼が手にした黒い物体からは、その威力を示すように煙が上がっていた。


「銃……あれが……?」


 初めて見た。

 人間が、殺し合いを進めるために作り上げた凶器。分解してみたいという欲求と、危険性による戦慄が俺の体を同時に支配する。


「ナギ! 何をしている!」


 すぐ近くに立っていたキサラギ。彼の視線は、自分の胸元に突きつけられた銃へ向いていた。

 何が起きたのか、まだ分かっていない。


「急に動かれますと、危のうございます」


 ナギさんが言い放った。

 その視線は、クドウ管理官とセレナ先生の杖を順番に確かめていた。


「ハクア様に、何かあってはいけませんので」

「……ナギ?」


 キサラギの声が、わずかに裏返った。

 ナギさんは答えない。

 銃を構えたまま半歩動き、キサラギの身体を、俺たちとの間に置く。レイナが横へ回ろうとすると、銃口もそれに合わせて動き、レイナの足が止まった。

 その背後では、沙耶香がアリサの前に身を寄せていた。医務担当の先生が二人を庇い、ミカも杖を持って立ち上がっている。

 誰も、何が起きたのか説明してくれなかった。

 けれど、ナギさんが誰へ銃を向けているのかは、見れば分かった。


「腕輪を置け。今なら、それを下ろす時間はある」


 クドウ管理官の言葉に対し、ナギさんは一礼した。


「お気遣い、ありがとうございます」

「冗談を言っているのではない」

「ええ。私もでございます」


 彼の声は、少しも荒くならなかった。工具を貸してくれたときも、アリサにお茶の出し方を教えていたときも、こんな声だった。

 俺は、上着に仕舞われた包みを見つめる。あの中にあるのは、アリサから外した腕輪だ。俺たちが手を伸ばしても届かなかった身体を動かし、何度も傷つけさせた物だった。


「それを、持っていくんですか」


 ナギさんの視線が、俺へ向いた。


「アリサを助けるために、手伝ってくれたんじゃなかったんですか」


 返事はない。代わりに、空いている手が上着の内側へ入った。

 もう一つ銃を出すのかと思って、俺は身体を固くした。けれど、取り出されたのは……。


「何だアレ?」


 それは、老人の笑顔をかたどった面だ。目尻と頬には深い皺が刻まれ、白い眉と顎髭がついている。細められた目も、緩んだ口元も、ただ見れば穏やかな表情だった。

 ナギさんはそれを顔に掛け、その間ずっと銃口は、キサラギから外れなかった。


「……何のつもりだい」


 キサラギが、さっきより低い声で尋ねた。


「僕が誰か、分からなくなったのか?」

「そのようなことはございません」


 老人の面が、わずかに傾く。面で多少くぐもっているけど、それでも彼の声色は変わらない。


「なら、その物騒な物を下ろしたまえ。腕輪も返すんだ」


 キサラギが、ようやくナギさんの顔を見た。

 けれど、そこにはもう、見慣れた付き人の顔はない。


「ナギ。これは、僕の命令だ」


 動かない。少しの間を置いてから、面の奥で、かすかに息を吐く音がした。


「ええ。よく聞こえておりますよ、ハクア様」


 丁寧な返事。それにもかかわらず、銃口は下がらなかった。

 俺の鞄の中で、工具が小さく触れ合った。腕輪の留め具に差し込んだ、あの細いドライバーも入っている。

 貸してくれた人は目の前にいるのに、俺はもう、その道具を返すために近づくことさえできなかった。


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