整備室の襲撃者
「螺子、一本足りねえぞ」
「そんなはずない」
「じゃあ、何で一本だけ穴が空いてるんだよ」
三台目の無線機を裏返すと、確かに裏蓋の隅に穴があった。
午後四時三十八分。俺とルカは南棟の魔道具整備室で、クドウ管理官に命じられた修理を続けていた。
「あ、あったあった」
机の上へ目を走らせて、工具箱を動かし、足元まで覗き込んだところで、ルカが俺の袖を摘まんだ。
「動かすなよ。今度こそなくなるからな」
折り返した袖口から、小さな螺子が転がり出た。知らない間に、自分で持ち歩いていたらしい。
「これで三台、全部直ったな」
「まだ通じるか確かめてねえだろ」
「そこまで含めて、ほぼ完成だ」
「その『ほぼ』、信用できねえんだよ」
沙耶香がいないからって、ルカまで代わりを務めなくてもいいのに。
机の端には、俺が描いた黒い箱の略図が置かれていた。
感応石と記憶石、その間をつなぐ人間の部品。思い出せる範囲を書き込んだけど、途中からルカが見かねて線を引き直している。
装置そのものは証拠保管室へ戻された。ここにあるのは紙だけだけど、これも持ち出し禁止だ。
「描き終わったか?」
入口側にいた管理部の職員が尋ねる。
「はい。分からなかったところは、空けてあります」
「後で管理官へ提出する。まず、無線機の確認を済ませろ」
職員は自分の通信具に手を添え、中庭にいる担当者へ試験の開始を伝えた。
俺は修理した無線機を持ち上げる。
「こちら南棟整備室。聞こえますか?」
『聞こえている。少し雑音が入るな』
「調整します」
受信状態を確かめながら、つまみを少しずつ動かしていく。すると、声が遠のき、雑音が強くなっていく。元へ戻しかけたところで、雑音の中に硬い音が混じり出した。
『ピ、ピ、ピ……ピー、ピー……』
これって……。
「マナト。今の、聞こえたか?」
「ああ」
ルカも手が止まっている。
短い音が三回。長い音が二回。黒い箱のそばで聞いたのと、同じ並びだった。
「すみません、また――」
職員を呼ぼうとしたとき、部屋の奥で何かが擦れた。
振り返ると、部品棚の横にあった壁板が内側へ押し開かれていた。昨日まで壁だと思っていた場所に、人が通れるほどの隙間ができている。
その暗がりから、黒い杖が突き出ていた。
「伏せろ!」
職員の声と同時に、ルカが俺の肩を引く。
白い閃光が頭上を走った。
一本だった雷は、途中で三つに分かれた。一つが照明を砕き、もう一つが入口脇の吊り棚を支える金具を撃ち抜く。
最後の一本は、俺の手元へ来た。
「うわっ!」
無線機の側面で火花が弾ける。熱さに手を離すと、それは作業台の下へ滑り込んだ。
「《障壁》!」
職員が杖を上げた。
落ちてきた金属の棚が、俺たちへ倒れる寸前で止まる。支えられた棚から部品が次々と落ち、正面の扉までの道を塞いでいった。
「二人とも、そちらへ下がれ! 管理部、南棟整備室に襲撃者!」
通信具に向かって叫ぶ職員の向こうで、壁板の隙間から黒い外套が現れた。
深く被ったフードの奥は見えない。それでも、クゼ先輩を襲った相手を思い出すには十分だった。
「ルカ、机の陰へ!」
俺たちが身を低くしたところへ、再び雷が飛んでくる。
三本の光が、机と壁、それに床をそれぞれ撃った。
木片が頬をかすめる。黒い影は倒れた椅子を踏み越えて、こちらへ肉薄してきた。
「《衝》!」
ルカが杖を突き出し、接近の衝撃魔法が外套の胸元を捉えた。けれど相手は、片腕をかざして受け止める。靴底が床を擦っただけで、倒れない。
「何だ、その力……!」
黒い影が踏み込む。
伸びた手がルカの胸元を掴み、その身体を持ち上げた。
「ルカ!」
俺が杖を向けた途端、ルカが横へ投げ出される。部品棚の前へ落ちた身体が、鈍い音を奏でた。
「《水球》!」
俺の水が、黒い影に迫る。
相手の杖先にも、青い魔法陣が開いた。あの魔法術式。間違いなく、同じ水球だ。当然のごとく生まれた水球は、俺のものとは逆向きに渦を巻いている。
二つがぶつかり、水が横へ弾けていく。
冷たい飛沫が顔にかかる。外套の裾も濡れていたけど、相手は構わずに机の端へ手を伸ばした。
狙いは、黒い箱の略図だ。
「させるか!」
紙へ伸びる腕目掛けて、もう一度水球を放つ。
即座に黒い影が身を引く。水は外套の端をかすめ、背後の部品棚にぶつかった。
「……あ」
しまった。大きく傾いた棚の下には、まだ起き上がれないルカがいた。
「ルカ!」
ルカが顔を上げるけど、もう間に合わない。
俺が杖を振り直すより早く、黒い影が机から離れた。
「え」
俺の口からたったその一文字が漏れた一瞬、時が止まったみたいだ。
略図を通り過ぎ、ルカの目の前に飛び込んだ黒い外套は、両腕を上げて倒れてきた棚を受け止めた。
木材が軋み、外套の膝が沈むけど、それ以上棚は落ちなかった。
「……何で?」
ついさっき、自分で投げ飛ばした相手なのに、何で助けたんだろうか。
黒い外套は棚を支えたまま、足元のルカへ顔を向けた。
「離れろ、ルカ!」
俺の声で、ルカが目を覚ます。一瞬きょろきょろと左右を見渡して、目の前にいる黒い姿に唖然としていた。
「ルカ!」
「うおおおっ!?」
我に返ったか、ルカは床を転がってその場から離れた。
身体が棚の下から抜けた瞬間、黒い影は両腕を振り、棚を横へ押し倒した。工具箱と割れた魔力灯が、壁際へ雪崩のように落ちていく。
フードの奥から荒い息が流れ、俺の下からルカが「た、助かった……」という声が漏れ出ていた。
「お前……誰かに、やれって言われたのか?」
相手の杖が、こちらを向く。
一瞬息を呑んだそのとき、作業台の下に落ちた無線機が、ひび割れた音を出した。
『……ピ、ピ、ピ……』
杖を持つ手が跳ね上がる。
次の瞬間、相手は俺の目の前にいた。
胸元を掴まれ、息が詰まる。抵抗しようと相手の左腕に手をかけると、布越しに硬いものが当たった。
手首を囲む、金属の輪のような感触だった。
「返して……」
「え?」
今、誰が言った?
聴覚が物事を理解するよりも前に、すでに身体が浮き上がって床へ投げ出されていた。遅れて、背中に痛みが走る。
「っ!」
痛みが全ての集中を途切れさせる。
その間にも、侵入者は机の上から略図を掴んでいた。
「待て……!」
指先が布に触れるのと同時に、相手が振り払おうとした。そして、その拍子に左の袖口がずれる。
細い手首と___銀色の輪が見えた。
模様までは分からない。そこから弾けた光に指を焼かれ、俺は布を離してしまった。
「止まれ!」
職員の杖から、光の縄が伸びる。
黒い影は身を屈めてかわすと、略図を握ったまま、部品棚の奥へ飛び込んだ。そして壁板の隙間へ、その裾が吸い込まれていく。
俺が起き上がったときには、暗い通路だけが残っていた。
◇
応援の職員が到着すると、正面の扉を塞いでいた部品が取り除かれた。
俺たちを守っていた職員も、ようやく障壁を解く。杖を持つ手が、細かく震えていた。
「襲撃者は奥の通路へ。黒い外套、杖を所持。資料を一枚奪っています」
「二人で追え。無理に接触するな」
クドウ管理官の指示で、職員たちが通路へ入っていく。
セレナ先生は、床に座ったルカの前で膝をついた。
「どこを打った?」
「胸と背中です。あいつ、片手で俺を持ち上げやがった」
「動くな。アズマも、そのまま座っていろ」
俺は言われたとおり、倒れた作業台に背中を預けた。
部屋中、水浸しだ。それに三台並んでいた無線機のうち、一台は側面が焦げ、もう一台は机から落ちて裏蓋が外れている。
全部直したばかりだったのになあ。
「奪われたのは、黒い箱の略図だな」
クドウ管理官が確認する。
「はい。それだけです」
「相手は、最初から紙を狙っていたか?」
「途中からは。無線機にも攻撃していました」
管理官は空になった机の端を見た。
俺は、濡れた床に残る三本の焦げ跡に目を落とす。
「……管理官」
「何だ」
「今の雷も、アリサと同じでした」
ルカがこちらを見る。
「飼育場の閃雷か」
「ああ。あのときも、三本に分かれただろ」
「ほかには?」
「水球です。俺とは逆向きに回っていました。アリサが空から落ちたときに使ったものと、同じです」
クドウ管理官が、俺の正面にしゃがみ込んだ。
「顔は見たか?」
「見えませんでした」
「声は?」
「一度だけ。返して、って。小さくて、苦しそうでした」
「聞き覚えは?」
あの、喉から無理に押し出したような、短い言葉を思い出す。
「……分かりません」
「そうか。ほかに見たものは?」
「左手首に、銀色の輪がありました」
管理官の視線が止まる。
「腕輪か?」
「そう見えました。石や模様までは、見えてません」
「分かった」
それ以上、誰の名前も口にしない。
俺も、言えなかった。
◇
沙耶香たちが来たのは、その少し後だった。
職員に案内されて入ってきた沙耶香は、床に座る俺たちを見るなり駆け寄った。
「マナト! ルカ!」
「二人とも意識はある。騒ぐな」
セレナ先生の言葉に、沙耶香が足を止める。
その横から、アリサが顔を出した。
「お怪我をなさったのですか!?」
「今、先生が診てくれてる」
「包帯でしたら、ございます!」
アリサが鞄から取り出した包帯を両手で差し出した途端、俺は息を呑んだ。
その袖口から、銀の腕輪がのぞいたんだ。
中央に、小さな青い石。視察の日、ミツルギさんから贈られたお守りだ。
俺の視線に気づいたのか、アリサが包帯を少し持ち上げた。
「これでは足りませんか? では、まだ……」
「……いや。大丈夫」
相手の腕に、あの石があったかどうか――だめだ。どれだけ思い出そうとしても、銀色の光しか浮かばない。
「お前たちは、どこにいた?」
「西棟のリネン室です」
クドウ管理官へ、沙耶香が即答した。
「クゼ先輩のお見舞いの後、治療室で布を頼まれて。職員さんに行き先を伝えて、皆で取りに行ってました」
「ふむ。全員、同じ場所か?」
「はい。いや、正確には、アリサちゃんだけがリネン室内で、私たちは扉の前で待ってました」
「何分ほどだ」
「四分くらいです。入ったのが四時四十三分で、出てきたときは四十七分でした。廊下の時計を見ていたので、間違いないと思います」
職員たちの探索魔法のおかげで、最初の雷が飛んできたのは四時四十四分頃だと判明している。逃げるまで、三分はかかっていないと思う。
「リネン室から、ここまでは?」
「普通の廊下なら、歩いて七分ほどかかる」
レイナが答えた。
「私たちが警報を聞いたのは、その部屋を出てからだ。職員を呼び止めて、何があったか尋ねた」
「ほかに出入口は?」
「見た限りでは、私たちが待っていた扉だけです。窓もありません……し」
答えながら、管理官を見る沙耶香の目に、だんだんと疑念が混じっていく。
「あの……どうして、アリサちゃんが中にいた時間を聞くんですか?」
「襲撃者の移動経路と、周辺にいた者の行動を確認している」
「私は、扉の前にいました」
沙耶香の声が、少し強くなった。
「アリサちゃんが出てきたら、分かります」
アリサは包帯を抱えたまま、沙耶香と管理官を交互に見ていた。
「わたしは、棚から布を出しておりました。ほかの方には、お会いしていないのです」
リネン室にいたのなら、ここへ来る時間はない。沙耶香だけではなく、レイナとミカもその扉を見ていた。
そもそも、俺が誰かに似ていると思い込んでいるだけなのかもしれない。腕輪なんて、珍しい装飾品でもないし、アリサの魔法を真似する方法があるのなら、同じ癖が現れてもおかしくはない。そもそも黒い箱には、魔法を記録する仕組みがあったわけだし。
そう考えながら、床の焦げ跡を見た。
左から崩れる火矢に、最初だけ強すぎる風。逆向きに回る水と、三本に分かれる雷。
「マナト様?」
呼ばれて顔を上げると、アリサが心配そうに俺を見ていた。
「やはり、お背中が痛むのですか?」
差し出された小さな手を、俺はすぐには取れなかった。
ルカを投げ飛ばした手も、倒れてくる棚を支えた手も、黒い手袋に覆われていた。その下にあった手がどんな形だったのか、俺は見ていない。
見ていないはずなのに、目の前の手から、なかなか視線を離せなかった。




