緊急評議会
黒い箱の説明をするために呼ばれたのに、俺はまだ、その箱が置かれた部屋へ入れてもらえていなかった。
午後二時二十分。管理棟の奥にある評議会室の前で、俺は工具袋を膝に載せ、長椅子に座っていた。
「これ、俺がいる必要ありますか?」
隣に立つクドウ管理官は、数分前と同じ質問にも、扉から目を離さずに答えた。
「質問が出たときに答える者が必要だ」
「だったら、最初から俺も入ればいいんじゃ……」
「お前は必要のないところまで喋るだろう。余計な時間を取らせるな」
うう、否定しきれないのが悔しい。
「当然の扱いだね。螺子を外すたびに喜ぶ男を、評議員の前へ出すのだから」
向かいの長椅子では、キサラギが脚を組んでいた。その後ろには、午前中に続いて協力を求められたナギさんが控えている。
「お前も入れてもらえてないぞ」
「父上の用事が済むのを待っているだけだよ。生徒を政治的な議論へ加える必要はないからね」
「でも俺は呼ばれるけど」
キサラギの眉が、ぴくりと動いた。
「君は、もう少し立場というものを理解したまえ」
そのとき、評議会室の扉が開いた。
「マナト・アズマ君。キリヒコ・ナギ殿。入室をお願いします」
お、呼ばれた呼ばれた。
俺とナギさんが動くと、キサラギまで当然という顔で腰を浮かせた。
「ハクア様は、引き続きお待ちください」
「……分かっているよ」
分かっているにしては、立ち上がるのが早かったな。
俺は工具袋を長椅子に残し、ナギさんとともに部屋へ入った。
◇
評議会室には、コの字に長い机が並んでいた。
左右には学院の教員や役員、それに教育審査会の人たちが座っている。俺たちに軽く頷いたミツルギさんは、廊下の息子とは大違いの落ち着きようだ。
中央には証拠品を載せた台があり、透明な覆いの下で黒い箱が口を開けていた。取り外した部品も、一つずつ小皿へ分けられている。
「おう、来たのう。では、本人に聞くとしようか」
高い声に顔を上げて、俺は返事を忘れた。
部屋の奥、一段高い床に置かれた大きな椅子に、小さな少女が座っていた。年配の人たちに囲まれて、そこだけ子供の席が紛れ込んでいる。
少女は悪戯っぽく笑い、椅子から飛び降りた。左右で結んだ長い髪が跳ね、床へ落ちる直前、小さな身体がふわりと減速する。
魔法陣は見えなかった。多分、体内に魔力を巡らせて、衝撃を逃がしたんだ。
「こうして直接向かい合うのは初めてじゃな。マナト・アズマ君」
「ええっと……誰かのお孫さんですか?」
「ぬっ……ぬっはっははは!」
少女が口を大きく開けて笑った。
なんだろう。声は高いのに、笑い方だけ妙に年季が入っている。
「わしを孫扱いとはな。面白い生徒じゃのう、キリヒコ?」
「ご無沙汰しております、学院長」
……え? ナギさん、今何て言った?
「がくいんちょう……学院長!? この子が!?」
「うむ。サツキ・タマヨリじゃ。入学式で挨拶したはずじゃが、覚えておらぬのか?」
学院長が、俺の顔を下から覗き込む。アリサより幼く見えるこの人が、あの老人たちより偉いのか。
「おぬし、何やら失礼なことを考えておらんか?」
「す、すみません。そのとき、俺、寝ていたので……」
「知っておる。壇上から丸見えじゃったからな」
知っているなら、どうして聞いたんだ。
「口まで開いておったぞ。次からは、もう少し上品に眠るがよい」
「寝ること自体はいいんですか?」
「おおっと、確かによくはないのう。反省文は卒業までに出せばよい」
「そんなあ! そして期限が長い!」
「話を進めてください、学院長」
クドウ管理官に促され、学院長は不満そうに頬を膨らませた。
「なんじゃ、おぬしは昔からせっかちじゃのう。たまには生徒と話をさせてくれてもよかろう……さて、アズマ君よ。おぬしはこの箱を開けたそうじゃな?」
「は、はい!」
やばい。なんか、緊張してきた。
「面白かったか?」
「それはもうすごく!」
「ぬっははは! 正直でよろしい。報告書にも、そのように書かれておったぞ」
ルカか。余計なことまで……。
学院長は黒い箱の前へ来ると、台に手をついて中を覗き込んだ。さっきまで揺れていた二本の髪が止まる。
「では、確かめよう。この箱には、二つの流れがあるのじゃな?」
「はい。一つは、外から受け取った信号を、近くにある何かへ渡す流れです。もう一つは、周囲で使われた魔法を測って、記録を外へ送る流れです」
「ふむふむ。感応石で測り、記憶石へ残す。ヤザワ君の報告通りじゃな」
「え? 報告書で分かっていたんですか?」
「一通りはな。じゃが、書いた者の勘違いもあり得る。実物を見た者に、別々に聞いておくのじゃ」
学院長は、覆いの向こうの石を指した。
「この箱を通じて、離れた場所から何者かへ命令を送っていた可能性がある。それでよいか?」
「はい。多分」
「多分?」
「えっと、かなり信用できる方の多分です。ただ、信号を受け取った先に何があるかまでは、分かりません」
「ふむ。分かるところと分からぬところは、分けて記録せよ。よいな、イオリ」
「学院長。今は管理官とお呼びください」
「そう堅いことを言うでない」
イオリって……クドウ管理官の名前か。あの管理官が困った顔をしているのを初めて見たけど、咳払いをして話を戻した。
「キリヒコ・ナギ。部品の年代について、説明を」
「承知いたしました」
ナギさんが黒い箱の前へ進み出る。
「送受信に使われているのは、人間社会の小型呼出器などに用いられていた部品です。同じ型が多く流通していたのは、八年から十年ほど前かと思われます」
「史上初の人間の生徒が在籍していた時期と重なるな」
役員の一人が呟いた。
「ならば、その部品とやらもその生徒が持ち込んだ物ではないのか?」
「断定はできません。構造が単純で魔道具に接続しやすい古い部品を選び、最近組み立てた可能性もございます」
「つまり、人間の技術に詳しい魔法使いなら作れるということか」
「逆も考えられます」
思わず口を挟むと、視線が集まった。
「魔法に詳しい人間でも作れるかもしれません。でも、人間の部品が入っているだけで、人間が作ったと決まるわけじゃありませんよね」
「この学院には、魔法を学んでいる人間がいる。九年前にも、一人いたはずだ」
「舞維さんが作った証拠はありません!」
声が大きくなり、何人かの役員が俺を見た。わざわざ名前を出す必要はなかったのかもしれない。
柊舞維。沙耶香の姉で、九年前に学院を去った人だ。先日学院を襲った一人だから、疑う理由は分かる。
でも、部品の年代だけで、この箱まであの人が作ったことにしてほしくなかった。
「それを言うなら、俺だって人間の道具によく触れています」
「お前に、これを作る技術があるのか?」
クドウ管理官が聞いた。
「今はありませんけど、何度か失敗する時間をもらえれば――」
「作るな」
いや、作らせてほしいという話じゃないんですけど。
「やはり、人間社会の物を学院へ持ち込んだこと自体が誤りだったのではないか」
別の役員が、手元の書類を机に置いた。
「出所の分からぬ機械が、学院内から見つかった。今いる紋無しの生徒も、一度隔離して調べるべきだ」
「柊沙耶香については、襲撃時の所在を教員と複数の生徒が確認している」
クドウ管理官の返答にも、役員は引き下がらなかった。
「それでも、姉と連絡を取っている可能性は残る」
「そもそも人間社会との行き来を許すから、こうなるのだ」
「第一、紋無しを入学させたことが――」
「黙れ」
低い声だった。
その一言で、全員が口を閉じた。俺も、反論しようと開きかけた口が閉じた。
学院長は笑っていない。役員たちを順番に見ると、さっきまで声を張っていた人も、手元の書類へ目を落としている。
「証拠と恐れを混ぜるでない。この箱には、人間の技術と魔法、双方の知識が使われておる。調べるべきは、その知識をどう得て、何のために使ったかじゃ」
「しかし、学院長――」
「人間であるというだけで疑うのは、調査ではない。分からぬものに、分かりやすい名前をつけて安心しておるだけじゃ」
学院長は、透明な覆いに映った自分の顔へ目を落とした。
「九年前にも、わしらは同じことをした。何が起きたか調べるより先に、一人の少女に答えを押しつけた。結果、かの少女は今や狐の面に身を隠し、我らに牙を剥く道を選んでしまっておる」
その声は、さっきよりも静かだった。
「同じ間違いを二度見逃すつもりはないぞ」
俺は学院長の横顔を見ていた。
舞維さんが学院にいた頃にも、この人はあの椅子に座っていたのだろうか。今と同じ顔で、何を見ていたのだろう。
「学院長のお考えには同意します」
沈黙を破ったのは、ミツルギさんだった。
「ただし、部品の年代が柊舞維の在籍時期と重なることは事実です。関係があるかどうか、確認は必要でしょう」
「無論じゃ。可能性を捨てるな。ただし、可能性を結論にするな」
「承知しました。では、装置について、もう一点だけ」
ミツルギさんは、ナギさんへ顔を向けた。
「ナギよ。この箱から送られる記録は、学院の外まで届くものなのか?」
「実際に試しておりませんので、距離までは申し上げられません。ただ、この送信部と電池では、大きな出力は得られないかと」
ナギさんが、覆いの中にある小さな金属板を示す。
「厚い石壁を何枚も挟めば、さらに届きにくくなります。別の中継器がなければ、受信する側の装置も、学院内か敷地の近くにあると考えられます」
俺は黒い箱を見下ろした。確かに、遠くへ送れない信号なら、受け取る側が近づかなければならない。
「記録を集める装置もしくはそれを持つ者が、まだ近くにいる可能性があるわけですね」
ミツルギさんは、そこで一度言葉を切った。
「タマヨリ学院長。このような状況で、実習の準備を続けるおつもりですか?」
「ふむ……そうじゃのう」
学院長はすぐには答えず、クドウ管理官へ目を向けた。
「二人は壁際で控えさせよ。装置について、まだ確かめることがありそうじゃ」
俺とナギさんに、椅子が用意された。どうやら説明係の仕事は、まだ終わらないらしい。
「クゼ君は、学院内で準備に携わっている最中に襲われました。もはや校外へ出さなければ安全、という段階ではありません。犯人を捕らえるまで、計画に関わる活動を止めるべきです」
その意見に、何人かの役員が頷いた。俺も、実習へ行きたいというだけでは反対できなかった。
「危険な場所へ、生徒を出すつもりはない」
「襲撃されたのは、普段から生徒が通る廊下です。どこが危険なのか、学院側も把握できていないのでは?」
学院長は否定しなかった。実際に俺とルカが先輩と別れたときにも、廊下にはほかの生徒がいたんだ。
「そのとおりじゃ。じゃから、活動の仕方を変える」
学院長の目配せを合図に、クドウ管理官が、用意していた書類を広げた。
「現場調査と設備の点検は、教職員を中心に行う。生徒の協力が必要な場合は個別に許可し、職員が立ち会う。作業場所と参加者を管理部で把握し、準備に関わる生徒が単独で移動することも認めない」
「それは、実習に関わる生徒だけの措置ですか?」
ミツルギさんが尋ねる。
「巡回は学院全体で増やす。人通りの少ない場所や、使われていない部屋も確認する。計画を中止するかどうかにかかわらず、必要な措置じゃ」
学院長が言葉を継いだ。
「新たな説明会と校外調査はしばし停止。じゃが、見学先を資料で調べることや、魔法に頼らぬ設備を職員の監督下で検証することまで、全て取りやめる必要はあるまい」
「そこまでして、今続ける理由は何ですか?」
「脅迫状に書かれたことが、犯人の目的の全てとは限らぬからじゃ」
学院長の指が、黒い箱へ向いた。
「実習をやめろという警告と、生徒が使った魔法の記録。その二つが、どうつながるのか、そこが分からぬうちは、計画を止めれば襲撃も終わるとは言えぬ」
確かに、実習を止めるためだけなら、使われた魔法まで記録する必要があるのだろうか。
「止めても安全になるとは限らない。だから続けると?」
「安全を確かめられる作業だけを残す、と言っておる。犯人を誘い出すために、生徒に同じことを続けさせるつもりはない」
学院長はクドウ管理官へ向き直った。
「監督できぬ作業は許可するな。許可した後でも、危険があればその場で止めよ。わしへの確認を待つ必要はない」
「承知しました」
書記の人が紙に書き加えていく。ミツルギさんも、その手元を見ていた。
「では、決定じゃな」
どれだけ時間が経っただろうか。もはや話の内容が頭に入らなくなっていたのに、学院長の声だけは、俺をしっかりと我に返させた。
「人間社会実習の実施日は、引き続き未定とする。新たな説明会と校外調査は停止。学院内での研究、設備の検証、見学計画の準備は、管理部の監督下で継続する」
思わず息を吐いた。
行ける日が決まったわけじゃない。それでも、全校生徒から集まった意見も、クゼ先輩がまとめようとしていた計画も、全部しまい込まれることはなくなった。
「評議会の決定は尊重いたします」
ミツルギさんが静かに言った。
「ただし、次の被害者が出た場合、私は改めて全面停止を求めます、その際は、責任をお取りになるということでよろしいでしょうか」
「無論じゃ。生徒の安全を預かり、この条件で続けると決めたのは、わしらじゃからな」
学院長は小さな手を机の縁に置いた。
「何かあったとき、実習を望んだ生徒に責任を押しつけることだけは許さぬ。よいな?」
その問いは、ミツルギさんだけに向けられたものではなかった。
机を囲む大人たちが、それぞれ頷く。最後にミツルギさんも、わずかに頭を下げた。
「承知しました」
学院長は黒い箱へ向き直った。
「こちらは分解した状態で保管せよ。電池を外し、送受信部と魔石は、それぞれ別に封じる。調査は管理部が引き継ぐのじゃ」
「承知しました」
「キリヒコ・ナギの見解は、記録に残す。ただし、今後は証拠品に直接触れることを禁ずる」
「かしこまりました」
隣でナギさんが一礼する。
「マナト・アズマ君。おぬしもじゃ」
「俺もですか?」
「おぬしは特にじゃ。次に外してみたい部品を、目で探しておったじゃろう」
しまった。見られていたのか。
返事をする前に、クドウ管理官が俺の前へ来た。
「お前とヤザワには、後程構造の略図と、訓練用の無線機の修理を頼む。職員を立ち会わせる。図の分からない部分は、空けておけ」
「あ……はい。分かりました」
「今日は、許可された作業だけだ。勝手に信号を探しに出るなよ?」
まだ言っていなかったことまで、先に止められた。
学園長は満足そうに頷く。
「さて。これで、おやつにしてもよいかのう」
「先に決議書へ署名をお願いします」
「……昔の教え子が代わりに書いてはくれぬのか?」
「責任を取ると、今おっしゃったばかりです」
「そういうところだけ覚えがよいな」
学院長は頬を膨らませながらペンを受け取った。つま先立ちになっても書きにくかったらしく、大人しく椅子へ戻る。その姿に、俺の肩からも力が抜けた。
役員たちが書類を揃え始める中、俺はもう一度だけ黒い箱を見た。
この箱を分解しても、命令を送った相手まで止まったわけではない。ナギさんの見立てが正しければ、記録を受け取る装置も遠くにはなかった。別の中継器を使ったとしても、誰かが学院の近くまで持ち込んでいる。
俺たちがこの部屋で話し合っている間、その誰かは何をしていたのだろう。
扉の向こうには、いつもの廊下が続いている。
そこを歩く誰かが、この箱の続きを知っているかもしれない。




