同じ失敗
黒い外套の犯人は、二つの魔法を使い、二つとも失敗していた。
問題はその失敗の仕方を、俺が知っていたことだ。
「もう一度、見たまま話せ」
クゼ先輩が襲われてから一時間後、俺とルカは、西棟の連絡通路へ戻っていた。
クゼ先輩は治療室へ運ばれていった。左肩にひびが入っているものの、命に別状はないらしい。
廊下にはクドウ管理官とセレナ先生、それに管理部の職員が何人か残っている。床へ白い印がつけられ、壁に残った焦げ跡や、砕けた窓の位置が記録されていた。
「黒い外套を着ていました。フードが深くて、顔は見えませんでした」
「身長と体格は?」
「分かりません。外套が大きかったので」
「声は聞いたか?」
「俺が着いた後は、一度も」
俺の言葉を一言一句違わず、クドウ管理官が杖で紙へ書き込んでいく。
「ふむ。使用した魔法は?」
「最初に火矢。俺が水球で防いだ後、暴風を使いました」
「いきなり風魔法の上級を使ってきたよな」
「ふむ。規模は?」
「最初だけ、強かったです。俺が床まで飛ばされました。でも、すぐに弱くなりました」
「なるほど。その後は?」
「もう一度火矢を使っていました。途中で出てきた下級生へ向けて」
俺は壁に残った焦げ跡を示した。クゼ先輩ではなく、近くの教室から顔を出した生徒へ放たれた炎だ。命中しそうだったけど、火魔法は直前で大きく左へ曲がり、誰もいない壁へ突き刺さった。
「外したのか?」
「分かりません」
「お前の目では、どちらに思えた」
「わざと外したように見えました」
下級生が現れた瞬間、黒い外套の杖はわずかに震えた。それから、炎の左側だけが崩れたんだ。
「なるほど。クゼの証言とも一致する」
クドウ管理官が答えた。
「襲撃者は自分を狙っていたが、途中から現れた生徒には魔法を当てようとしなかった、と」
「なら、目的はクゼ先輩だけだった?」
「それを調べている」
セレナ先生が焦げた壁へ杖を近づけた。
赤い魔法陣が薄く広がり、焦げ跡に残っていた魔力が浮かび上がる。
「確かに、術式の左側だけが崩れているな」
「珍しい失敗ですか?」
「いや。火矢を途中で止めようとした初心者には起こる。右手で杖を持ち、反対側から術式を潰そうとすれば、この形になりやすい」
途中で止める、か。ついさっき、沙耶香がアリサに教えていたことだ。
標的へ届かなかった三本目の火矢。アリサの魔法も、左側から形を失って消えた。
「どうした」
クドウ管理官が俺を見る。
「……アリサと、同じです」
口に出すと、急に喉が乾いた。
「何が同じなんだ?」
「アリサの火矢も、左側から崩れました。今日の夕方、訓練場で使ったものです」
「……それを見ていた者は?」
「沙耶香とレイナ。クゼ先輩も途中から来ました。ほかにも、訓練していた生徒はいたと思います」
「……その使用人は、現在どこにいる」
「治療室の前です。沙耶香たちと一緒にいるはずです」
俺の返答を聞いても、クドウ管理官の表情は変わらなかった。
「ほかには?」
「ほか?」
「同じだと思ったのは、火矢だけか」
答える前に、数日前の飼育場を思い出した。
グリフォンに空へ連れ去られたアリサ。そこで初めて使った、ミカのものと同じ風魔法。あれを発動した瞬間だけ、飼育場全体を叩き潰すような風が吹いた。
「風魔法もです」
「説明しろ」
「アリサの風魔法も、最初だけ強くなりました。その後、急に弱くなったんです」
「確かに、今回と同じだな」
ルカが廊下の一角を指差す。積もっていた埃が、そこだけ綺麗に円状に吹き飛ばされていた。中心から離れるほど跡が薄くなり、途中で途切れている。
「でも、アリサがクゼ先輩を襲う理由なんてありません」
「理由がないことは、証拠にはならん……が、その一方で魔法の崩れ方が似ているだけでも証拠にはならない」
沙耶香の時と同じだ。この人は、推測だけでものを判断しないから、まだアリサを疑ってはいない。
「誰かが真似した可能性は?」
「難しいだろうな、管理官。一度見ただけで、他人の術式の癖まで再現するのは難しい」
それには、セレナ先生が答えた。
「不可能ではないが……魔法陣と魔力の流れを記録できれば、それに近いものは作れる。だが、それほど精巧なコントロールなど、私にも無理だ」
「記録?」
「ああ。授業用の測定器でも、発動した魔法の出力や偏りは測れるだろう? もっと精密な物なら、術式そのものを保存できるかもしれん。もっとも、そんなもの授業には使わないがな」
「それじゃあ、誰かがアリサの魔法を記録したってこと?」
「可能性の一つだ。今の段階で決めつけるな」
あ、そうか。……でも、そうだと思わないと何も進まないじゃないか。
『ザッ――ピ、ピ、ピ……ピー、ピー……』
全員が動きを止める。
「何だ、今の音」
ルカが聞く。
俺は鞄を開けた。中に入っていたのは、先日修理した携帯ラジオだ。スイッチへ触れていないのに、スピーカーから雑音が流れている。
『ピ、ピ、ピ……ピー、ピー……』
「またこの音かよ……」
「前にも聞いたやつだな」
「前にも聞いた音?」
クドウ管理官の眉が吊り上がる。
「どこでだ?」
「談話室でラジオを直した時です。短い音が三回と、長い音が二回」
「ふむ。原因は分かったのか」
「いいえ……学院の結界と干渉したんじゃないかって、ナギさんが」
「ナギ……キサラギの付き人が?」
クドウ管理官が聞き返す。
「専門家ではないから、詳しくは分からないとも言ってました」
「それにしても、勝手に電源が入るのは変じゃねえか?」
ルカがラジオを取り上げた。そのまま上下左右からラジオを観察している。
「電池の接点がずれたとか?」
「そこは直したんだけどな……」
「お前が言うと不安だな」
「その後、ナギさんとアリサも一緒に確認したでしょ」
「なら、信用できるか」
「俺のことも少しくらいは信用してくれよ」
ラジオから、もう一度短い音が出る。
「こいつは本格的に妙だな……もしかして、関係あるのか?」
「人間の機械がか?」
セレナ先生は疑っているけど、それこそまだ可能性の段階だろ。
一方で、ルカはラジオを持ち上げて、小さく振っている。
「どうした?」
「ああ、ちょっとな」
ルカはそう言って、室内をぐるりと回る。そのまま扉から廊下に出ると、ラジオから出る音が明らかに小さくなっていた。
「あれ?」
元の場所へ戻ると、また音が大きくなる。
「やっぱり……」
「もしかして……この近くに、何かあんのか?」
ルカがもう一度ラジオを左右へ動かす。
確かに、ラジオの音が場所によって変わっている。窓側では遠ざかり、壁へ近づけると強くなる。音を追うと、掃除用具を入れる背の低い戸棚に行き当たった。
「ルカ。もしかして、ここに何かあるのか?」
「まだ可能性の範囲だがな。便利だな、可能性って言葉は」
「二人とも待て」
クドウ管理官が職員を呼び、俺たちを下がらせた。
手袋をつけた職員が戸棚を開く。
中に入っているのは、箒と布、それに空の水桶だけだ。
「おい、何もねえぞ」
ルカがしゃがみ込んだ。
たしかに何も無さそうだけど、現に今ラジオはずっと鳴り続いている。それどころか、近づけると音が一層大きくなった。
こうなってくると、セレナ先生やクドウ管理官も少し怪しんでいるみたいだ。
「《軽圧》」
セレナ先生が軽量化の魔法を唱えた。……待って。その呪文初めて聞いたんだけど。
職員の人が片手で戸棚を持ち上げて、運び出している。すごい、ここまでの軽量化だなんて信じられない。
一方、戸棚の裏側には、細い黒色の線が一本伸びていた。線の先は、壁の隙間へ差し込まれている。
職員が石壁の一部を外すと、中から手のひらほどの黒い箱が現れた。
「何だこれ?」
「備品を示す刻印がない……学院の魔道具ではありません」
職員が断言した。なら。
「ふむ。アズマ。これは人間の機械か?」
セレナ先生に聞かれて、俺は箱へ顔を近づけた。
表面には継ぎ目がある。それに細い線、小さな金属板、その隙間から見える、銅色の部品。
「一目見ただけじゃあ何とも……少なくとも、人間の部品は使われてると思います。……いや、待てよ」
箱の上には、爪の先ほどの透明な石が埋め込まれていた。魔道具に使われる感応石だ。
近くで使われた魔力を測るためのもの。
「人間の機械と、魔道具が繋がってる」
「ほう……それでこれは、何をする物だ?」
「開けないと分かりません」
「アズマは触るな」
「まだ触ってません」
「今から触ろうとしただろう」
「見るだけです」
「手が伸びていたぞ」
見ながら手を伸ばすこともあるでしょうが。
そんな無言の訴えを無視しながら、職員たちは黒い箱を透明な保管袋へ入れる。箱が壁から離れた途端、ラジオの音も途切れた。
「この感応石が、さっきの魔法を測っていたんじゃねえか?」
ああ、一理あるな。
「なら、それを人間の部品でどこかへ送ったとか?」
「可能性はある」
俺は保管袋の中を見る。
「ただ脅して、クゼ先輩を襲うだけなら、こんな物を隠しておく必要はないですよね」
誰かが、襲撃を離れた場所から見ていた。あるいは、使われた魔法を記録していた。
「その一連の件については、我々管理部で調査する」
クドウ管理官が職員へ袋を預けた。
「このことは、許可なく口外するな。特にミネウチには、まだ話すな」
「どうしてですか」
「無関係なら、不必要に怯えさせる。関係があるなら、こちらが気づいたことを知らせることになる。ともかく現時点では、どちらとも決まっていない」
ああ、確かに。現状ではただ似ているだけだ。ここでどちらかに決めつけるなら、先日の沙耶香の件の繰り返しになる。
それにそもそも、この黒い箱が、誰のために何を記録していたのかも分からない。
それでも、胸の奥に引っかかったものは消えなかった。
◇
治療室へ戻ると、廊下の長椅子に全員がそろっていた。
沙耶香、ミカ、レイナ。その隣では、アリサが両手でスカートを握り締めている。
少し離れた壁際には、キサラギとナギさんもいた。
「クゼ先輩は?」
「問題ない」
と、レイナが答える。
「左肩を痛めていたが、すぐに治癒できる程度だ」
「よかった……」
ひとまず、先輩が無事でよかった。
すると、アリサが立ち上がり、大きく頭を下げた。
「申し訳ございません。わたしが、お一人にしてしまいました」
「アリサちゃんのせいじゃないよ」
沙耶香が隣へ座らせる。
「でも、わたしが最後まで地図作りをお手伝いしていれば」
「そうなったら、一緒に襲われてたかもしれないでしょ」
「それでも、お守りできたかもしれません」
「できたかもしれないことを数えたら、何だって自分のせいにできるよ」
沙耶香は、握り締められたアリサの手へ触れた。
彼女の袖口から、銀の腕輪がのぞいた。
「今は、先輩が無事だったことを喜ぼう?」
「……はい」
アリサの返事は小さい。もう、いつものような元気さもない。
しばらく沈黙が続いていると、治療室の扉が開いた。
「クゼさんが、皆さんと話したいそうです」
治療を担当していた先生に呼ばれ、俺たちは中へ入る。
クゼ先輩は寝台の上で上体を起こしていた。左肩から腕にかけて白い布が巻かれているけど、確かにまだ元気そうだ。
「心配をかけ――」
「申し訳ございません!」
先輩がまだ言い終わっていないのに、アリサがまた深々と頭を下げた。
「わたしが先に帰ったために――」
「アリサさんのせいではありません。帰っていいと言ったのは私です」
「ですが……」
「それに、使用人通路の地図はまだ完成していません」
アリサが顔を上げる。
「続けるのですか?」
「もちろん」
「また狙われるかもしれないのですよ」
「怖くないとは言いません。でも、ここでやめたら、襲った人の思い通りになります」
クゼ先輩は無事な右手を差し出した。
「今度は一人にならないようにします。だから、また手伝ってもらえますか?」
アリサはその手を両手で握った。
「は……はい! わたしも、最後までお手伝いしたいです」
今度は、誰かの許可を確かめなかった。
「勇敢なことだね」
キサラギが腕を組む。
「次も肩だけで済む保証はないというのに」
先輩は何も言い返さない。だけど、その力強い眼差しに気圧されて、キサラギは何も言わなくなった。
一方、クドウ管理官が寝台のそばへ立つ。
「犯人について聞く。姿は?」
「黒い外套を着ていました。顔は分かりません」
「声は聞いたか?」
「一度だけです。後ろから呼び止められました」
「名前を呼ばれたのか?」
「いいえ」
クゼ先輩が少し迷う。
「『案内役から手を引け』とだけ……それも、どんな声だったか、くぐもっていてよく分からなかったです」
俺とルカが、ラジオ越しに異変を聞いたときのことだな。
実際、先日の学院視察でクゼ先輩は正式な案内役を務めていたし、今進めている人間社会実習でも準備責任者だってことは周知の事実だ。
「その後は?」
「何も言いませんでした。いきなり魔法を撃たれて……」
クゼ先輩は、途中で言葉を止めた。
「ただあの人は、私以外へ魔法を当てようとしませんでした」
「どうして、そう思う」
「下級生が廊下へ出てきた時、明らかに杖の向きを変えました。それでも炎が出てしまって、無理に曲げたように見えました」
確かに、黒い外套の犯人はクゼ先輩を襲った一方で、関係のない生徒は傷つけなかった。
「もしかしたら、やりたくなかったのでしょうか」
アリサが呟いた。
「何?」
「本当にその方が皆様を傷つけたいのでしたら、途中で魔法を止める必要はないと思います」
「それでも、クゼ先輩は怪我をしてる」
と、沙耶香。
「はい。ですから……ご自分のしたいことと、しなければならないことが、別なのかもしれません」
「誰かに命じられている、と?」
レイナが尋ねた。
「分かりません。ただ、わたしでしたら、そういう時に迷うと思ったのです」
アリサは、自分の左手首を押さえた。
袖の下にある銀色の腕輪ではなく、その奥の手首ごと包むように。
「命令されたことと、自分がしたいことが違えば、すぐには決められません」
「なるほどな……アリサ。お前なら、どうする」
レイナの問いに、アリサは少し考えた。
「……皆様へ相談します」
「そうか」
以前なら、命令に従うと即答していただろうな。犯人はアリサと違い、誰にも相談できなかったのかもしれない。
クドウ管理官が全員を見回した。
「人間社会実習へ協力している者は、今夜から単独行動を禁ずる。クゼだけではない。柊、アズマ、ヤザワ、カナメ、ツワブキも対象だ」
「アリサは?」
沙耶香が聞く。
「正式な協力者名簿には載っていない。だが、ツワブキから離れるな」
「はい!」
「護衛するという意味ではない。一人で動くなという意味だ」
「同時に行えばよろしいのですね!」
「……好きにしろ」
アリサ、強いな。あのクドウ管理官が疲れた顔で出ていったぞ。
管理部の職員が持っていた保管袋の中で、黒い箱が一瞬だけ見えた。
ナギさんがその箱へ目を向ける。けれど、それは誰でも気になるのだろう。すぐにキサラギの後ろへ戻った。
それにしても、と俺は犯人が使った魔法を思い返した。
最初だけ強すぎる風、左側から崩れる炎。黒い外套の犯人が残したのは、どちらもアリサと同じ失敗だった。
アリサ本人が使ったのか、誰かが真似したのか、それとも別の方法で使わされたのか、まだ何も分からない。
ただ一つ確かなのは、黒い箱の向こうにいる何者かが、アリサの失敗を知っているということだった。




