警告では済まない
扉を一本の鎖で閉ざしただけで、容疑者は一気に二百人を超えた。
「多すぎません?」
「少なく見積もって、だ」
クドウ管理官の返事は硬い。
避難訓練の翌日、管理棟の会議室には、扉を封鎖していた鎖と錠、それから『人間に頼れば、道を失う』と書かれた紙が並べられていた。
「鎖は訓練場の備品。錠は備品庫に保管されていた予備だ」
「どちらも盗まれた時間は?」
ルカが尋ねる。
「分からん。鎖を保管していた倉庫は、使用した生徒が施錠を忘れていた。錠の在庫も、最後に確認したのは一週間前だ」
「それ、犯人を捜す前に怒られる人がいるじゃん」
「備品管理については、今回とは別に調査する」
「怒られる人が増えただけじゃん」
「カナメ」
「はい。黙るじゃん」
クドウ管理官のこめかみに血管が浮かんだ。
「訓練経路は、前日から掲示されていた。鎖にも紙にも、個人を特定できる魔力痕は残っていない。実習への賛否だけで容疑者を絞ることもできん」
「反対しているだけで、犯人扱いはできないということですね」
クゼ先輩が確認する。
「そういうことだ」
「あの」
アリサが、小さく手を挙げた。
「昨日の午前十時六分頃、わたしは洗濯物を届けるため、東階段の扉を通りました。そのときは、まだ鎖がなかったのです」
「時刻は確かか?」
「はい。十時の鐘を聞いた後、壁へ二回ぶつかりましたので、およそ六分後なのです」
「壁へぶつかった回数で分かるの?」
「いつもの道ですので!」
「……まず、ぶつからずに歩こうね」
言葉を失っている沙耶香はとりあえず置いておいて、まずは事実確認だ。
クゼ先輩が訓練前に中央棟側から扉を封鎖したのは、午前十一時二十八分。少なくとも、
鎖が取りつけられた時間は一時間二十二分まで絞られた。
「お役に立てましたでしょうか」
「ああ。調べる人数は減らせる」
「はい!」
アリサの顔が一気に明るくなった。
「それから、クゼ」
クドウ管理官が続ける。
「実習準備で人気のない区画へ入る際は、必ず同行者をつけろ。脅迫状の宛先はなくても準備責任者のお前が狙われる可能性はある」
「承知しました」
「無理に平気な顔をするな。異常があれば、すぐ通信機を使え」
「はい。一人で何とかするつもりはありません」
クゼ先輩は、昨日と同じように答えた。
◇
会議が終わった後、俺たちは訓練場へ向かった。
アリサが二年後に学院を受験するなら、その魔力量を制御する訓練が必要になる。
「今日は《火矢》を真っ直ぐ飛ばしてみよう」
「はい、お姉ちゃん!」
沙耶香の前で、アリサが杖を構えた。
「力を入れすぎないでね。標的へ当てることより、途中で止められるように意識して」
「止めることを意識するのですね」
「誰かが飛び出してきたら、当てない方が大事だから」
「承知しました!」
アリサの杖先に、赤い魔法陣が現れる。
「《火矢》!」
放たれた炎は、途中まで真っ直ぐ進んだ。標的へ近づいたところで左側だけが潰れ、大きく弧を描いて、隣の的へ突き刺さる。
「命中したのです!」
「命中はしたけど、あっちは狙った方じゃないよ」
「では、失敗ですか?」
「うん。でも、何で曲がったか考えよう」
沙耶香がアリサの後ろへ立ち、杖を持つ手を直す。
「アリサちゃん、炎が大きくなったから、途中で止めようとしたでしょ?」
「はい。このままでは、標的をすべて燃やしてしまうと思いました」
「それで左側から術式が崩れたんだと思う。消すなら、片方から押さえないで、全体への魔力を止めるの」
二本目の火矢は、標的の手前で左へ曲がり、地面へ落ちた。
三本目は、左半分が崩れた直後、その場で消えた。
標的には当たっていない。
それでも、沙耶香は笑った。
「今のはよかったよ」
「外れましたが?」
「外したんじゃなくて、自分で止めたでしょ」
アリサは杖を見つめて、少し遅れて嬉しそうに笑った。
「はい!」
「アリサさん」
訓練場の入口から、クゼ先輩が呼びかけた。
「昨日使った使用人通路について、教えてもらえませんか?」
「反省すべき点がございましたでしょうか!」
「違います。一般生徒用の避難経路として使える場所を、地図へまとめたいんです」
「わたしの知っている道が、またお役に立つのですか?」
「ええ。お願いできますか?」
アリサは一度だけレイナを見上げる。
でも、答えを求める前にクゼ先輩へ向き直った。
「わたしも、お手伝いしたいです」
「ありがとうございます。それでは、夕食後にお願いします」
◇
夕食を終えた後、俺とルカも使用人通路の確認へ同行した。
避難訓練で通信が途切れた場所を調べ、携帯無線機がどこまで通じるか確かめるためだ。
「次の角を右です」
懐中電灯を持ったアリサが、狭い通路の先頭を歩く。
「その先に三段ございます。二段目だけ少し高いので、お気をつけください」
「地図は逆さまに持ってたのに、道は本当に覚えてるんだな」
俺が言うと、アリサが胸を張った。
「歩いた道は、足が覚えているのです!」
「頭でも覚えた方がよくない?」
「足と頭の両方で覚えれば完璧なのです!」
「今は足だけなんだ」
俺たちの後ろでは、クゼ先輩が通路の曲がり方や段差を書き込んでいる。ただ道を写すだけじゃない。大人数が通れる幅があるか。荷物を抱えていても進めるか。途中で扉が閉じた場合、別の出口が残るか。
要素を一つずつ確かめながら、新しい避難経路を作っているんだ。
「クゼ先輩、ここは通信できます」
俺は携帯無線機の送信ボタンを押した。
「こちら西棟使用人通路。聞こえますか?」
『聞こえている』
中庭にいるクドウ管理官の声が返ってくる。少し雑音は混じるけど、昨日よりずっとはっきりしていた。
「微調整なしで遠距離で話せるなんて。人間の機械も、案外役に立つものですね」
クゼ先輩、何を仰るか。
「案外じゃなく、普通に役立ちます」
「すぐ壊そうとする奴が持ってなければな」
「壊そうとしてない。中がどうなってるか確かめたいだけだ」
「それを分解って言うんだよ」
おい、ルカ。ちょっとひどいぞ。
そんなこんなで、一時間くらいで予定していた通路の確認は終わった。
ここから先は、生徒会室や職員室へ続く普段の廊下だ。まだ何人かの上級生が行き来していた。
「俺たちは、この通信機を調整してから戻ります」
片方の無線機から、さっきから小さな雑音が聞こえている。近くに魔道具整備室があるから、ルカと二人で確認しよう。
「分かりました。では私は、迎えの生徒会役員が来るまで、ここで待ちます」
クゼ先輩が答える。
「それでは、わたしは水差しを配膳室へお返ししてきます」
アリサは、休憩中に使った空の水差しを持ち上げた。
沙耶香がいれば、きっと「一人で大丈夫?」と聞いただろうけど、ここから配膳室までは使用人通路を通れば数分だ。アリサ自身も何度も歩いている。
「大丈夫なのです。お返ししたら、すぐに戻ります」
「気をつけてな」
「はい!」
アリサが使用人通路へ入る。
俺とルカは魔道具整備室へ向かい、クゼ先輩は人通りのある連絡廊下に残った。
それから、二分も経たなかった。
机に置いた携帯無線機が、突然雑音を吐き出すまでは。
『……誰ですか』
「クゼ先輩?」
俺は無線機を取った。突然どうしたんだろう。
「こちらマナトです。どうしました?」
『黒い、外套……』
何かが床を擦る音がした。
『来ないでください!』
なんだ、なんだ。今の先輩の声、ただ事じゃなさそうだ。直後、無線機の向こうと、整備室の外から同時に破裂音が響いた。
「西の廊下だ!」
ルカの工具が放り出される。
俺たちが整備室を飛び出した途端、焦げた臭いが鼻に入った。
さっき先輩と別れた場所へ急ぐと、そこにはクゼ先輩が廊下の壁際にもたれかかっていて、その手からは携帯無線機が転がっていた。
そして先輩の前には、黒い外套をまとった何者かが立っていた。
深く被ったフードの奥は暗い。大きな外套が全身を覆い、体格さえ分からない。
「クゼ先輩から離れろ!」
黒い影が、こちらへ杖を向ける。
フードの奥に浮かぶ魔紋とともに、赤い魔法陣が現れた。
「《水球》!」
俺の水球と炎の矢が正面からぶつかる。
白い蒸気が廊下に広がり、視界を塞ぐ。途端に、蒸気の向こうから風が爆発した。
俺の身体が浮き、背中から床へ叩きつけられる。
「ぐっ……!」
「マナト!」
ルカが俺の前へ出た。
「《衝》!」
圧縮された魔力が、黒い影へ放たれる。
けれど相手は横へ跳び、廊下の壁へ片足をついた。そのまま壁を蹴り、俺たちの頭上を飛び越えていく。
「待ちやがれ!」
ルカの怒鳴り声に対して、黒い影は、逃げ道に立つ俺たちへ杖を向けた。
ただ、最初の爆発が嘘だったかのように、その後の風は弱かった。外套の裾と床の紙を揺らしただけで消える。
そのとき、近くの教室から一人の下級生が顔を出した。
「何の音――」
「出てくるな!」
黒い影の杖先が下級生へ向き、炎の矢が放たれた。
「伏せろ!」
間に合わない。そう思った瞬間、火矢の左側が崩れた。
炎は下級生の直前で大きく曲がり、誰もいない壁へ突き刺さる。
黒い影の手が、小さく震えていた。
「今、わざと……」
そいつは下級生を一度だけ見ると、そのまま廊下の奥へ走り出した。
「止まれ!」
俺とルカが追う。
けれど黒い影は、壁際にある小さな扉を開け、使用人用の階段へ飛び込んだ。
俺たちが扉へ着いたときには、もう足音が聞こえない。
「クソッ、どこへ行きやがった?」
「分からない。道が分かれてる」
狭い階段の途中から、三方向へ通路が伸びていた。
黒い影は、迷わずそのどれかへ消えたらしい。
「マナト君……」
後ろから、クゼ先輩の声がした。
俺たちは追跡を諦め、先輩のところへ戻る。左肩が赤く腫れているけど、意識はあった。
「大丈夫ですか?」
「はい。すぐ、管理保安部へ……」
ルカが携帯無線機を拾い、クドウ管理官を呼ぶ。
「誰に狙われる理由があるんです?」
「分かりません。ただ、あの人は……」
クゼ先輩が息を整える。
「案内役から手を引け、と」
「案内役?」
一昨日の脅迫状と昨日の鎖。そして今度は、実習準備の責任者が直接襲われた。
『次は警告では済まない』
書かれていた言葉が、現実になったんだ。
「クゼ先輩!」
廊下の向こうから、アリサが走ってきた。
「どうされたのですか!?」
空になった両手を身体の前で握っている。
「配膳室へ水差しをお返ししていたところ、警報が聞こえて……」
「近づくな。まだ安全を確認できていない」
ルカの声にアリサはその場で足を止め、倒れているクゼ先輩を見つめた。
「も、もしかしてわたしが、離れたから……」
「違います」
クゼ先輩が、弱い声で答える。
「あなたは頼まれた仕事をしていただけです」
「ですが、わたしがご一緒していれば……」
「その場合、あなたまで襲われていたかもしれません」
アリサは何も言えずに俯く。
遠くから、管理部の職員が走ってくる音が聞こえてきた。
火矢が突き刺さった壁をじっと見つめてみる。炎の左側が崩れ、誰もいない場所へ曲がった跡。つい数時間前にも、同じ曲がり方をする火矢を見たばかりだ。
今、クゼ先輩を心配そうに見つめているアリサが使ったものと同じものだ。




