人間世界で見たいもの
人間社会実習の準備再開が決まった翌日の放課後、学院の講堂には、予想以上の生徒が集まっていた。
一階の座席はほとんど埋まり、二階席にも人影がある。実習へ行きたい生徒だけではない。学院が人間社会へ近づくこと自体に反対する生徒も、大勢参加している。
そんな中、俺たちは一階前方へ並んで座っていた。
アリサも、学院の来訪者証を首から下げ、レイナの隣にいる。
「アリサちゃんも参加するの?」
沙耶香が聞いた。
「はい。お嬢様のお側を離れないようにしております!」
「今日は、それだけ?」
「……人間世界のお話も、少し聞いてみたいです」
「だったら、そっちを先に言えばいいのに」
「よろしいのでしょうか」
「聞くのに許可はいらないよ」
アリサは一度レイナへ顔を向けかけるけれど、途中で止めて、そのまま正面へ向き直った。
「では、聞きたいのです!」
アリサが背筋を伸ばした。
壇上には、生徒会の腕章を着けた上級生が立っている。
視察の日に学院内を案内していた人だ。名前は知らないけど、厳格そうな女子生徒だ。
「五年のクゼです。今回の人間社会実習では、生徒側の準備責任者を務めます」
おお、あの人場慣れしているなあ。これだけ大勢が見守っているのに、その言葉には一切の揺らぎがない。
「先日の視察を受け、実習の準備再開が仮に認められました。ただし、実施が正式に決定したわけではありません。安全対策、秘密保持、移動手段など、解決していない問題が残っています」
「決まってないのに、どうして意見を集めるんですか?」
後ろの方から質問が飛んできた。それに対してもクゼ先輩は、淀みなく答えていく。
「何を学ぶか決めなければ、必要な準備も決められないからです。現在留守中の生徒会長に代わり、私がこの場にて決定権を預かっています」
クゼ先輩が杖を黒板に向けた。
いつもセレナ先生がやっているのと同じように、黒板に白い文字が書き込まれていく。
『電力』『通信』『交通』『医療』『災害対策』
あの人、本当は先生が変身魔法か何かで化けているんじゃないか。
そう思えるほど、彼女は迷いなくこちらへ向き直った。
「学院の魔力供給が止まった際、代替手段になり得るものを優先します。このほかにも、見学したい施設があれば、理由と一緒に提案してください」
「機械を作っているところ!」
俺は真っ先に手を挙げた。
「工場ですね。理由は?」
「人間の機械が作られるところを見たいからです!」
「同じことを言い直しただけじゃねえか」
ルカ、うるさい。
「壊れたとき、俺たちでも直せるようにするためです」
「お前が触ったら、壊れていない部分まで壊しそうだけどな」
「ラジオは直っただろ」
「半分以上、ナギさんとアリサのおかげでしょ」
沙耶香まで加わった。
「羊毛を入れる場所は俺も確認した」
「ナギさんに教えられた場所をね」
「……工場を希望します」
これ以上は不利なので、話を戻した。
「製造設備として、候補へ入れておきます」
クゼ先輩が黒板へ書き加える。
「家電量販店も――」
「見学先には入れません」
「まだ何も言ってないです!」
「視察の日から聞いています」
俺のことを覚えていてくれたらしい。
きっと、いい意味で。
「多分、違うと思う」
「沙耶香のその多分は信用できる?」
「うん、できる」
それからも、講堂のあちこちで手が挙がった。
「人間の病院を見てみたい!」
「電車は、魔力がなくても動くんですか?」
「緊急時の通信設備は?」
「人間の町で魔法を使わずに身を守る方法も必要だと思います」
当然、反対意見も沢山あった。
「学院の制服で集団移動したら、人間に正体がばれるんじゃないか?」
「人間の設備を入れたら、今度は電気が止まったとき困るだろ」
「侵入者が人間の機械を使っていたのに、さらに持ち込んで大丈夫なのか?」
賛成と反対の声が入り交じり、講堂が騒がしくなる。どれだけ騒がしくなっても、クゼ先輩は決してどちらか一方を止めようとはしなかった。
「すべて記録します。今日ここで、実習の是非を決めるわけではありません」
「随分と悠長な話だね」
反対側の最前列から、キサラギが立ち上がった。いつの間に移動したんだ、あいつ。
「学院へ人間の設備を入れれば、それを維持するために人間の知識が必要になる。やがて学院は、紋無しでは何もできなくなるだろう」
「設備を導入するとは決まっていません」
いきなりこの場を凍り付かせた相手なのに、クゼ先輩は全く動じない。あの人、メンタルすごく強いな。
「今回の実習は、あくまで仕組みを知ることが目的です」
「ふん。知ったところで、魔法使いに同じ物が作れるのかい?」
「分かりません。作れない可能性もあります」
「なら、学ぶ意味はないだろう」
「作れないことと、対処できないことは同じではありません」
クゼ先輩はキサラギから目を逸らさない。
「侵入者が使った人間の部品を、私たちはすぐに判別できませんでした。知らない物を使われたとき、何も分からないままにしない。そのための実習でもあります」
「結局、人間を信用するという話ではないか」
「人間ではなく、知識の話をしています」
「その二つを切り離せると思っているのかい?」
「少なくとも、知らないまま怖がるよりはよいと思います」
おお、キサラギの嫌味を、正面から普通に返している。
沙耶香も同じことを思ったらしく、小声で呟いた。
「先輩、強いね」
「キサラギが相手でも全然怒らないな」
「君たち、聞こえているぞ!」
「静かにしろ」
レイナに言われ、キサラギが黙った。あいつ、レイナの言うことは聞くんだな。
「それで、ほかに意見のある方は?」
クゼ先輩が講堂を見回す。
「はーい!」
うわ、珍しいな。ミカが人間の話でいきなり積極的に手を上げるなんて。
お前もとうとう人間の魅力について分か――
「先輩は、人間世界で見たいものとかないんですか?」
「私ですか?」
まさか、自分の意見を求められるなんて思っていなかったんだろうな。クゼ先輩は一拍考え、黒板に書かれた『交通』の文字へ目を向けた。
「私は電車に乗ってみたいですね」
「意外と普通じゃん」
「カナメさんからはそう見えるかもしれませんね。でも、家名も身分も尋ねず、同じ切符を買えば何度でも同じ場所まで運んでくれる。……どんな感覚なのか、少し興味はありますね」
彼女の言葉に、何人かの反対派から騒がしさが消えた。もしかしたら、話がいい方向へ向いたのかもしれない。
「あ、あの……」
俺の隣でアリサが小さく手を上げた。
けど、肩より上まで持ち上げたところで、不安そうに止まる。
「どうしたの?」
沙耶香が尋ねた。
「わたしは学院の生徒ではございませんので……」
「言いたいことがあるなら、聞いてもらえばいいでしょ」
「ですが」
「駄目だったら、先輩が駄目って言うよ」
アリサの顔が、レイナへ向きかけた。
いつもなら、ここで答えを求めていたけど、途中で止める。
アリサは自分で正面へ向き直り、下がりかけていた手を真っ直ぐ上へ伸ばした。
「では、そちらの方」
クゼ先輩に指されて、アリサが立ち上がった。
「わたしは学院の生徒ではないのですが、発言してもよろしいでしょうか」
「付き人の方ですね。参考意見としてなら、どうぞ」
「ありがとうございます!」
アリサの大きな声が、講堂全体に響いた。
何百人もの視線が集まり、アリサの体が一瞬強張る。肩もわずかに震えたけど、座ろうとはしなかった。
「あの……人間世界にも、羊がいると伺いました」
「羊?」
クゼ先輩が聞き返した。
「はい。魔力を持たず、空へ浮くことも、雷を出すこともないそうです」
講堂のあちこちから、戸惑った声が上がる。
確かに、羊と言えば、浮かぶか魔力が暴発するイメージが強いから、それらが無い羊はうまく想像できない。
「その羊を、人間の方々がどのように育てているのか、見てみたいです」
「今回の実習は、学院の安全設備を学ぶことが中心ですが……」
「羊も、生き物です」
アリサは自分の言葉を探しながら続けた。
「魔法を使わずに、多くの羊を守り、迷子にせず育てているのでしたら、それも人間の知恵だと思うのです」
クゼ先輩が一拍考える。
「そうですか……確かに、生物管理の方法としては参考になるかもしれません」
黒板の一番下へ、新しい言葉が書き加えられた。
『牧場』
「見学先にできるかは分かりませんが、意見として記録します」
「ありがとうございます!」
アリサが嬉しそうに頭を下げた。
椅子へ座ると、すぐに赤い表紙の手帳を取り出す。
沙耶香からもらった、失敗ではなく、できたことを書くための手帳だ。
『人間世界で見たいものを、自分で決めた』
アリサはその一行を指先でなぞった。
「別に、何でも書かなくていいんだよ」
沙耶香が照れたように言った。
「書きたいので、書いたのです」
「……なら、いいけど」
アリサは満足そうに赤い手帳を閉じた。
実際に牧場へ行けるかは、まだ分からない。
◇
説明会が終わると、講堂の出口に置かれた意見箱へ、用紙が次々に飛び込んでいく。
賛成か反対か。見学先の希望や、不安に思っていること。用紙には名前を書いても、書かなくてもよいことになっている。
「これだけあったら、読むだけでも大変じゃん」
ミカが記入した紙が飛行機の形に折られて、自動で意見箱へ滑り込んでいく。
「集計を手伝えるかな? 先輩に聞いてみようかな」
「いいえ、それには及びませんよ」
「うわっ!」
沙耶香が跳び上がった。
いつの間にか、後ろには噂のクゼ先輩がにっこりと立っていた。
「く、クゼ先輩!? は、初めまして。私……」
「柊沙耶香さんですね。一度お話したいと思っておりました。トウカ・クゼと申します」
「あ、ご丁寧にどうも……」
二人が同時に頭を下げると、所作の違いが明確になる。
先輩、なんていうか高貴だ。
「レイナみたいな名家なんだっけ?」
「お前そういうこと面と向かって聞くなよな」
ルカに小突かれるけど、ちょい気になったんだ。仕方ないだろ。
すると、クゼ先輩はくすりとほほ笑んだ。
「家の話になるといささか恥ずかしいのですが……いわゆる没落貴族ですね。ツワブキ家とは比較になりません」
「アンタ本当に……!」
痛い。いだだだだ。沙耶香、頬を抓らないでくれ。
ミカが「大変そうだし手伝うじゃん」と言い出したけど、クゼ先輩は首を振る。
「まずは生徒会で内容を分けるから大丈夫です」
「俺、家電量販店って書かれた紙だけ探せますよ」
「それを抜き取るつもりだろ」
ルカに襟を掴まれた。
「な、なんだよ。確認するだけだって」
「お前の用紙一枚しかないと思うぞ」
「まだ分からないだろ。人間の冷蔵庫に興味がある魔法使いは、俺だけじゃないかもしれない」
「多分、あんただけだよ」
「いやいや、多分って言葉は信用できないから大丈夫だ」
「アンタじゃないんだから」
そんなことを話しているうちに、クゼ先輩が杖を意見箱に向けた。
すると、箱が開いて、何十枚もの紙が俺たちを見返してきた。
「お? どれどれ……」
「アンタは見ない! そもそもこれは、クゼ先輩しか見ちゃダメなやつでしょうが!」
「だって、見えてしまって……ぐあああっ!」
や、ヤバい。沙耶香に首を絞め上げられる……!
このままだと、舞台化粧や衣装って書かれた希望が、俺の最期の光景になってしまう!
クゼ先輩も、固まっていないで助けて!
だけど、クゼ先輩の様子がおかしいことに沙耶香も気づいたらしく、俺の首から腕を離した。
何十枚もの意見用紙の中に、一つだけ見慣れないものが混じっていた。
学院指定の用紙ではない茶色い封筒が、紙の束から滑り落ちる。
「何でしょうか」
アリサが拾い上げる。
茶色い封筒には、宛名も差出人も書かれていない。
「何だろ……? アリサ、まずはクゼ先輩へ渡して」
「なのです!」
沙耶香に言われ、アリサは両手で封筒を差し出した。
「こちらが、箱の中に入っておりました」
「ありがとう」
クゼ先輩が封を開く。
中に入っていたのは、半分に折られた一枚の紙だった。
目を通した途端、先輩の表情が変わった。
「何が書いてあるんですか?」
俺が覗き込むと、紙の中央には、黒い文字で短い文章が記されていた。
『人間社会実習から手を引け』
そして、その下にもう一行。
『次は警告では済まない』
「うわ、脅迫じゃん」
ミカの一言が、状況をはっきりと物語っていた。
「一体誰が入れたんだ?」
説明会に参加していた生徒の多くは、すでに廊下へ出ているし、そもそも意見箱には誰でも入れられる上、匿名も認められていたのだから、今からこの封筒を入れた人物だけを見つけるのは難しいだろう。
俺たちの視線が、一度だけキサラギへ向いた。
講堂の隅からこちらを窺っていたキサラギは、帰ろうともせず、その場に残ってこちらを見ていた。
うん、より一層怪しい。
「何だ、その目は」
「あんた、実習に反対してたじゃん? 言いそうだなって」
「ばかばかしい。僕なら、言いたいことは正面から言う。名前を隠して脅す必要などない」
キサラギは、クゼ先輩が持つ紙を睨んだ。
「それに、反対意見と脅迫を一緒にしないでもらいたいね。僕は実習の必要性を疑っているだけだ。暴力で止めろとは言っていない」
嫌味ではなく、本気で不快そうだった。
確かに、こいつなら名前を書いたうえで、もっと長く嫌な文章を送りつけてきそうだ。
「とにかく、これは管理保安部へ届けます」
クゼ先輩は脅迫状を封筒へ戻した。
「説明会は、中止するのですか?」
アリサが聞く。
「いいえ」
クゼ先輩は、迷わず答えた。
「反対意見なら聞きましょう。ですが、脅せば自分の意見が通ると思わせるわけにはいきませんから」
「怖くないんですか?」
「ええ、怖いですよ」
先輩は、あっさり認めた。
「だから、管理保安部へ相談です。怖くないふりをして、一人で何とかしようというのは傲慢ですから」
人間社会へ向かう計画は、ようやく少しだけ動き始めた。
同時に、それを止めようとする誰かも、この学院の中で動き始めていたんだ。




