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魔法学校に普通の人間が入学してきた ~紋無しと人間オタクの魔法使い~  作者: カラス
第二章 ダメダメメイドは命令を聞かない

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応接室

 視察者たちが次の施設へ移動すると、授業は本来の形へ戻った。

 その後、俺たちは教室に残り、アリサは視察団について学院内を回った。

 付き添っていた上級生から聞いたところでは、予定外の資料を求められたときも、勝手に判断せず担当の教師へ確認できたらしい。魔法生物飼育場では、雲羊へ近づきすぎた視察者を、失礼にならない言葉で止めることもできたという。

 少なくとも、昼休みまでは大きな失敗をしていない。

 そして残る仕事は、最後の応接だけになった。


「今のところ、失敗してないじゃん!」


 応接室へ向かう途中のアリサを、ミカが呼び止めた。


「はい。ここまで、反省録への追加はないのです!」

「まだ終わってねえから、気を抜くなよ」


 ルカが釘を刺す。


「最後に全部ひっくり返すのが、一番笑えねえからな」

「縁起でもないこと言わないでよ」


 沙耶香が、斜めになっていたアリサの名札を直した。


「練習どおりにやれば大丈夫。何か予定と違うことが起きたら、手順じゃなくて、相手が何を求めているか考えるんだよ」

「はい、お姉ちゃん」

「アリサ」


 レイナが呼ぶ。


「失敗するなとは言わない。危ないと思ったら、一人で何とかしようとせずに下がれ」

「ですが――」

「返事だけではなく、覚えておけ」

「……はい」


 アリサが盆を持ち直す。


「それでは、行ってまいります」


 応接室の中では、五人の視察者が長いテーブルを囲んでいた。

 一番奥に座っているのは、ミツルギさんだ。

 壁際にはナギさんと、なぜかキサラギまで立っている。最後の意見交換だけは、学院の生徒として見ておくよう、ミツルギさんから命じられたらしい。

 扉は完全には閉じられず、細い隙間が残った。

 俺たちは邪魔にならないよう廊下の角へ移動し、そこから応接室の様子を窺う。

 アリサが、一人ずつ茶を出していく。

 取っ手は右、茶は七分目。テーブルへ置く音も、ほとんど聞こえない。

 最後は、ミツルギさんだ。


「アリサさん」

「はい」

「君の家について、聞いてもいいかな?」


 カップを置こうとしていたアリサの手が、一瞬止まった。


「はい。何でしょうか」

「君の祖父の代には、ツワブキの嫡流に名を連ねていた家だと聞いている。今では遠縁となり、羊を育てて暮らしているそうだね」

「はい。現在は百二十七頭の羊を育てております」

「それでも、ツワブキ本家の命令には従うよう教えられている」

「そのように教わっております」

「忠義深い家だ」


 ミツルギさんは、アリサの胸元にある名札を確認した。


「ツワブキ家は、よい使用人を持ったね」


 アリサがぱっと顔を上げる。


「ありがとうございます」

「父上」


 壁際からキサラギが口を挟んだ。


「その者は、昨日まで盆の扱いさえ満足にできなかったのです。今日一日だけで評価するのは、まだ早いかと」

「ハクア」

「ですが――」

「私が評価しているのは、今日ここで見た働きだ。今は君の意見を聞いていない」

「……申し訳ございません」


 キサラギは口を閉じた。


「気にせず、続けなさい」

「はい」


 アリサが、最後のカップを取る。けれど、その指には力が入りすぎていた。

 カップの底が、盆の縁へ当たる。


「あっ」


 陶器が傾いた。

 こぼれた茶が、ミツルギさんの白い手袋と、黒い外套の袖へ広がっていく。

 応接室が、しんと静まり返った。


「父上!」


 キサラギが叫んだ。

 アリサは盆を抱えたまま固まっている。

 沙耶香が息を呑み、レイナの右手が強く握られた。

 それでも、二人とも応接室へは入らなかった。今ここで仕事をしているのは、アリサだからだ。


「も、申し訳ございません!」


 アリサは震える声で謝ると、一度だけ目を閉じた。昨日、ナギさんから教わった言葉を思い出しているのかもしれない。

 手順ではなく、相手が何を求めているか。

 アリサは盆をテーブルへ置いた。


「お怪我はございませんか?」

「ああ。問題ないよ」

「ナギ様、乾いた布をお借りできますか」

「こちらをどうぞ」


 ナギさんから布を受け取り、まずミツルギさんの袖に染みた茶を押さえる。


「ただちに新しいお茶をお持ちします。その後、改めてお召し物の処置をさせてください」

「分かった」


 ミツルギさんは、濡れた手袋を外した。


「一度の失敗で、それ以前の働きまで失敗になるわけではない。ただし、失敗した後に何をするかは見ているよ」

「はい」

「それから、ハクア」


 キサラギの肩が揺れた。


「熱い物を運んでいる者へ、横から余計な声をかけるのは危険だ。今回の失敗には、君にも責任がある」

「……はい。申し訳ございません」


 アリサはこぼれた茶を拭き、厨房へ戻った。

 数分後、新しいカップを持って、もう一度ミツルギさんの前へ立つ。

 戻ってきたアリサの手は、もう震えておらず、カップは音もなく正しい位置へ置かれた。


「どうぞ」

「ありがとう」


 ミツルギさんが一口飲む。


「うん。よい味だ」

 アリサは、深く頭を下げた。


     ◇


 視察が終わったのは、午後二時を過ぎた頃だった。

 正門前には黒い馬車が止まり、二頭の白いユニコーンが銀色の馬具を揺らしている。


「正式な結果は、後日書面で通知する」


 馬車へ乗る前、ミツルギさんがクドウ管理官へ告げた。


「だが、学院側が問題を認識していることは理解した。必要な改善が行われるなら、実習の準備を続けることに、私は反対しない」

「ありがとうございます」

「礼を言われることではない。判断するのは、審査会全体だからね」


 まだ許可が出たわけじゃない。それでも、計画を止めると言われなかっただけ、昨日よりは前進だ。


「それから、ハクア」

「はい、父上」

「今日の振る舞いについて、反省文を一枚書きなさい。ナギへ預けるように」

「……承知しました」

「反省録なら、アリサちゃんに書き方を教えてもらえるじゃん」


 ミカの小声が耳に入ったのか、キサラギがこちらを睨んできた。だけど父親の手前、何も言い返せないみたいだ。


「アリサさんも、こちらへ」

「はい!」


 見送りの列に加わっていたアリサが、ミツルギさんの前へ進み出た。


「君が初めての仕事を務めると聞いて、終えたときに渡そうと思っていた物がある」


 ミツルギさんがナギさんを見る。

 ナギさんは上着の内側から小さな黒い箱を取り出し、アリサへ差し出した。蓋を開くと、中には細い銀色の腕輪が収められていた。中央には、淡い青色の石が一つだけ埋め込まれている。


「これは……?」

「災い避けの護符だ。大げさな物ではない。お守りとして受け取ってくれればいい」

「わたしが、いただいてもよろしいのでしょうか」

「最後まで仕事を務めた君へ渡すものだよ」


 アリサは銀色の腕輪を見つめた。


「……ありがとうございます。大切にいたします」


 腕輪を箱から取り出し、自分の左手首へ着ける。

 やや大きく見えた銀の輪は、留め具を閉じるとアリサの手首へぴったり収まった。


「いかがでしょうか?」

「よく似合っているよ」

「ありがとうございます、ミツルギ様!」


 アリサが深く頭を下げた。

 ミツルギさんは穏やかに頷くと、黒い馬車へ乗り込む。すると二頭のユニコーンが歩き出し、馬車が学院の正門を抜けていった。


     ◇


 アリサが食堂へ現れたのは、夕食が始まってしばらくしてからだった。


「遅かったね」


 沙耶香が隣の席を空ける。


「申し訳ございません。茶器の確認と、反省録への記入に時間がかかりました」

「増えたの?」

「三ページほど!」

「お茶一回で?」

「失敗の原因と、ハクア様のお言葉への対応と、二度目に成功した理由を記録いたしました!」

 いつものアリサだ。顔には疲れが残っているけど、朝から働き続けていたのだから当然だろう。


「でも、最後までできたじゃん!」


 ミカが自分のことのようにうれしそうだ。


「お茶も褒められてたね」

「はい、お姉ちゃん!」


 アリサは、今日一日着けていた名札を両手で持ち上げた。


「わたし、初めてのお仕事を、最後まで務めることができました」

「途中でこぼしたけどな」


 ルカが言う。


「それでも、最後まで務めました!」

「そこは譲らねえんだな」

「失敗しても、その後にやり直せば、それまでの全部が失敗になるわけではないと教わりましたので!」


 アリサは胸を張った。


「誰に?」

「ミツルギ様です」

「へえ」


 俺には、意外だった。

 レイナは何も言わず、アリサの次の言葉を待っている。


「お嬢様」

「何だ」

「わたしは、ツワブキ家へ恥をかかせてしまったでしょうか」

「いいや」


 レイナは短く答えた。


「途中で投げ出さず、最後まで務めた。むしろ誇りに思う。よくやった」


 アリサが勢いよく顔を上げた。


「はい!」


 食卓には、苺と杏、二つのジャムが置かれていた。

 アリサは二つの瓶を見比べ、苺の方を取った。誰にも尋ねず、自分のパンへたっぷりと塗っていく。

 人間世界へ行ける日は、まだ決まっていない。

 正式な許可も、まだ下りてはいない。

 それでも、止まっていた計画は、少しだけ先へ進んだ。


「多分、今日は成功だな」

「その多分は、今日は信用していい」


 沙耶香が答える。

 アリサは苺ジャムのパンを頬張り、今日一番嬉しそうに笑っていた。


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