視察
「いつも通りにしろ」
視察当日の朝、セレナ先生が、教室の前で全員にそう告げた。
「視察者が来ても騒ぐな。質問されない限り、余計なことを話す必要もない。普段の授業を見せればいい」
「分かりました」
「ただし、アズマ」
「はい」
「お前だけは、いつも通りにするな」
ん? 何で俺だけ?
「お前の場合、いつも通りだと何を始めるか分からんからな」
「大丈夫ですよ。多分」
「「その多分、信用できない」」
沙耶香とセレナ先生の声が重なった。
「え? それ、先生まで言うんですか?」
「便利な言葉だからな。せっかくだし、使わせてもらおう」
今日の学院は、普段より少しだけ嘘をついていた。
廊下はいつもより磨かれていて、掲示物の曲がりは直されている。壊れかけていた教室の扉も、昨日のうちに交換されていた。
「あそこ、間に合わなくて隠してるじゃん」
とミカが遠慮のない言葉を口にした。
彼女の視線の先には、先日の襲撃で穴の開いた壁がある。今そこには、大きな布が掛けられていて、その上には学院の歴史を描いた絵が飾られていた。
「ああ。まだ調査が終わっていないから埋めるわけにはいかなくてな。修理中の場所へ視察者を案内して、瓦礫に躓かれても面倒だろ」
セレナ先生が答える。
「普通に修理中って言えばいいんじゃねえの?」
「聞かれたらな。聞かれなければ、説明を増やす必要はない」
「それ、隠してるって言わない?」
沙耶香の問いに、先生は答えなかった。
教室の後ろには、視察者用の椅子が並べられている。
正式な案内役は、教師と生徒会の上級生で、俺たちは普段どおり授業を受けるだけだ。
「皆様、おはようございます!」
扉が開き、アリサが入ってきた。
髪は綺麗な三つ編み。メイド服には皺一つなく、胸には先日もらった名札が下げられていた。
銀色の盆を両手で持ち、その上には水の入ったグラスが並んでいた。
「おはよう、アリサ」
「おはようございます、お姉ちゃん!」
「声」
「おはようございます、お姉ちゃん」
「私にまで接遇用の声にしなくていいよ」
アリサは、教室の後方へグラスを並べていく。
一つもこぼさず、テーブルへ置く音も、ほとんど聞こえなかった。
「ちゃんとできてるじゃん!」
ミカが小声で褒めた。
アリサは嬉しそうに振り返りかけ、途中で止まった。昨日、急に振り向くなと教わったのを覚えているらしい。ゆっくり体ごと向きを変えた。
「ありがとうございます」
「ちょっと怖いくらい上達してるな」
おお、思ったことをルカが代弁してくれた。
「昨日、寝るまで練習いたしました!」
「……寝たんだよな?」
「二時間ほど!」
「それ、寝たって言わねえぞ」
「今日失敗しなければ、今夜はたくさん眠れます!」
失敗するまで眠らないつもりだったのか。この子、地味に寝不足問題も大きくないか。
「いくら表面を整えても、中身まで一日で変わるものではないよ」
キサラギがまた余計なことを口にしている。
「父上の前で、今と同じ余裕が保てればいいがね」
「保ってみせます!」
「フン。返事だけは立派だ」
「朝から嫌味を言わないと気が済まないの?」
沙耶香が聞く。
「心配してあげているんだよ。父上は、君たちのように失敗を笑って済ませる方ではない」
「お前が余計なことを言わなければ、アリサは落ち着いていられる」
レイナが吐き捨てた。
「おおっと。使用人の精神管理まで周囲に頼るつもりかい?」
「黙れ」
「怖い顔をするなよ。僕は、父上の前でツワブキが恥をかかないよう忠告しているだけだ」
「頼んでいない」
「なら好きにしたまえ」
キサラギは前髪を撫でた。いつもより指の動きが速いのを、俺は見逃していない。やっぱり、あいつも緊張しているんだな。
やがて、学院中へ鐘の音が響いた。
正門が開いた合図だ。
「来たぞ」
セレナ先生の一言で、教室から声が消えた。
◇
最初に入ってきたのは、生徒会の上級生だった。
続いてクドウ管理官、学院の教師が二人。
その後ろには、教育審査会の視察者が五人並んでいる。
中央を歩いているのが、ミツルギ・キサラギだ。
淡い金色の髪に、黒い外套。片手には黒い杖を持っている。その内部には、さらに細身の杖が仕込まれているらしい。
顔は息子にそっくりなのに、父親の方からは、揺るがない品格が感じられた。
「父上」
父親が教室へ入ると、キサラギはほとんど反射的に立ち上がった。
それに対して、ミツルギさんは穏やかに手で制した。
「授業中だ、ハクア」
「し、しかし……」
「今の私は、父親ではなく視察者だ。特別な挨拶は必要ないよ」
「……はい」
おお、いつもなら誰よりも大きく見える金髪が、今日は少し小さい。普段ももう少しああなってくれればいいのにな。
「では、授業を続けるぞ」
セレナ先生の言葉とともに、俺たちの間に漂っていた休憩ムードが一気に消える。
「さて、基礎魔法理論――と言いたいところだが、視察の目的に合わせる。先日の魔力停止についてだ」
黒板へ、学院の見取り図が書き込まれていく。
中央魔力塔から、照明、通信、結界、扉へ線が伸びていって、あれが学院の魔力の伝搬図なんだろう。
「学院の設備は、中央魔力塔から供給される魔力へ依存している。先日の襲撃では、術式への干渉によって、その大半が機能を停止した」
「学院側の不備を、授業で説明するのか?」
ミツルギさんが聞いた。
「先日の一件は、我々も事実として真摯に向き合わねばなりません。それはひいては、生徒たちへの教育にもなります。失敗を隠す方が、後に大きな損害となる可能性もあります」
「なるほど。正直なのはよいことだ」
これは、称賛なのかな。
セレナ先生は眉一つ動かさない。ミツルギさんが質問を続ける。
「では君ら教員は、その対策として人間社会の設備を学ぶ実習を計画したと?」
「あくまで一環として。魔法以外の方法を、すぐに学院へ導入するわけではありません。まず知ることを目的としています」
「なるほど。だが知識を得るために、生徒を人間社会へ出す必要があるのかな」
ミツルギさんの視線が、沙耶香に向いた。
穏やかには見えるけど、どこかこちらを探るような目でもあった。
「学院には、すでに人間社会を知る生徒がいる」
「……私一人が知っていても、意味がないと思います」
沙耶香は一拍置いてから、ミツルギさんへ向き直った。
「電気や機械の使い方を、私だけが説明しても、実際に見たことがなければ分からないことがあります。それに、私も全部知っているわけじゃありません」
「君は人間なのに?」
「……人間だって、全員が機械の専門家ではありません」
あれ。なんで一瞬俺を見たの? 俺、今何も言ってないよ?
「私だって、機械のことなんて詳しくは知りません」
「なるほど。それでも君は、この学院に人間社会の設備が必要だと考えている?」
「全部を置き換えろとは思ってません。でも、魔法が止まっただけで何もできなくなるのは危険です」
「ならば魔法を止められないよう、強化する方が先では?」
「両方やればいいと思います」
沙耶香は、ミツルギさんから目を逸らさなかった。
「一つの方法だけに頼らない方が、安全です」
「ふん。紋無しらしい意見だね」
なんだ、キサラギが途端に元気になった。
わざわざ沙耶香へ体を向けて、いつもの嫌な笑みを浮かべている。
「魔法を持たないから、人間の道具へ頼る。学院全体を、果たして君に合わせる必要があるのかい?」
「別に私に合わせろなんて言ってない」
「結果は同じだろう。人間の設備を入れれば、維持するために人間の知識が必要になる。学院が紋無しへ依存することになるんだ」
「知らないまま、また敵に使われるよりましだ」
レイナが割り込んできた。
「侵入者は、人間の部品と魔法を組み合わせていた。私たちは構造を知らなかったから、止めるまでに時間がかかった」
「だから、人間の猿真似をするのか?」
「学ぶことと、真似ることは違う」
「困ったものだ。名門ツワブキまで、紋無しの便利さに目が眩んだらしい」
「ハクア」
ミツルギさんが息子の名前を呼んだ。
「何でしょうか、父上」
「視察中だと言ったはずだ。君の意見を聞く時間ではない」
「……申し訳ございません」
お、黙った。
すごいな。たった一声で、あのキサラギを黙らせた。さすがはお父様だ。
「それでは、他に人間の機械が役立った例は?」
ミツルギさんの隣に並んでいる視察者が尋ねる。
これは、チャンスではないか?
俺が勢いよく手を上げると、セレナ先生と沙耶香が、同時に怪訝そうに俺を見た。
「……いや、質問されたからさ」
「まだ指されてないでしょ」
「アズマ」
セレナ先生が、諦めたように俺を指す。
「答えろ。短く、簡潔にな」
「はい」
俺は机の中から、修理した携帯ラジオを取り出した。
「ってアンタ、それ持ってきたの!?」
沙耶香が声を潜めて詰め寄る。
「使うかもしれないと思って」
「何もするなって言われてたでしょ!」
「質問された時のためだよ」
ラジオを掲げる。
「えー、学院の魔法が止まったときも、人間の機械は動いていました。これは電池で動くラジオです」
「それが、学院の安全とどう関係するのかね?」
「魔法の通信が止まっても、別の方法で連絡できるかもしれません」
「ほう。人間の放送が、学院内まで届くのかね」
ミツルギさんが真剣な眼差しで聞いてきた。
一瞬たじろんだけど、俺はすぐに答えた。
「ほとんど届きません」
「それでは意味がないではないか」
「だから、どうすれば届くか調べるんです」
お? 教室が静かになった。これ、少しは効果があったか。
「使えるか分からないから捨てるんじゃなくて、使えるようにできるか確かめる。そのために、人間の町で本物を見る必要があります」
ミツルギさんが、俺とラジオを見比べる。
「君は、魔法より人間の機械が優れていると思っているのかい?」
「違います」
前なら、そう思っていたかもしれないけど。
あの人との再会が、俺にこう思わせてくれたんだ。
「どっちも使えた方が面白いです」
「……面白い?」
「はい」
「安全ではなく?」
「安全にもなると思います。多分」
沙耶香が額を押さえた。
「最後で台無し……」
「その多分は、信用できないかな」
ミツルギさんが聞く。
「これから調べるので」
俺が答えると、ミツルギさんが初めて口元を緩めた。
「正直な生徒だ」
褒めているのかどうかは、分からなかった。




