選ばれた
「案内役に選ばれたのです!」
視察を二日後に控えた昼休み、アリサが教室へ飛び込んできた。
新しいエプロンの胸元には、自分で作った赤い苺の飾り。その下に一枚の紙を押しつけるように抱え、満面の笑みを浮かべている。
「選ばれたって、誰が?」
「わたしです!」
……あれ? おかしいな。耳が壊れたのかな。
アリサが、人間社会見学の是非を問う視察の案内役になったと聞こえた気がしたんだけど。
その声は教室中に響いていた。何事かと集まってきた生徒たちの前で、アリサが得意げに紙を広げる。
『学院視察に伴う接遇補助仮任命通知』
その下には、確かにアリサ・ミネウチと記されていた。
「案内役じゃなくて、接遇補助じゃん」
「お客様をご案内し、お茶をお出しする大切な役割なのです!」
「待って。それ、本当に大丈夫なの?」
沙耶香が聞く。
「はい!」
「その返事が一番不安なんだけど」
「これは傑作だね」
少し離れた席から、キサラギが口を挟んだ。
「学院も、よほど人手に困っているらしい。昨日まで羊を追っていた子を、教育審査会の議員の前へ出すのだからね」
「羊を追うことの、何がいけないのでしょうか」
「何もいけないとは言っていないよ。ただ、父上は細かな無作法も見逃さない。君が茶を一杯こぼせば、疑われるのはツワブキの見る目だ」
アリサの笑顔が曇る。
「黙れ、キサラギ」
だが、レイナが吐き捨てるように遮った。
「アリサを不安にさせて、何がしたい」
「君のために事実を教えただけだよ。ツワブキの名を背負わせるなら、相応の覚悟をさせておくべきだろう?」
「お前に言われるまでもない」
こいつは本当に、人が嫌がる場所を見つけたときだけ元気になるなあ。
「ところで、俺たちには何も届いてないけど」
「お前が何を案内するってんだ?」
何って、ルカ。そりゃあ当然。
「学院」
「入ったばかりの俺らより、上級生の方が詳しいに決まってるだろ」
「人間世界なら行ったぞ」
「半日遊びに行っただけじゃん」
「そうよ。今回は人間の町じゃなくて、学院を見せる視察でしょ」
沙耶香が通知書をアリサへ返した。
「学院の歴史や安全体制は、先生や生徒会の人が説明するんじゃない?」
「おや。人間の道具を見て騒いでいただけの男が、学院の代表になれると思っていたのかい?」
「俺は結構、人間の町に詳しくなったぞ」
「冷蔵庫の扉を何度も開け、店員に怒られる程度にはね」
「それはレイナだ」
「マナト!」
レイナがこちらへ身を乗り出した。俺は慌てて口を閉じたけど、キサラギはもう、何か面白いものを見つけた顔になっている。
「おや。ツワブキが?」
「何でもない」
「言っちゃ駄目だった?」
「言わなくていいことくらい、自分で判断しろ」
確かに、今の話にレイナは関係なかった。そう気づいたところで、ミカがキサラギへ話を振った。
「じゃあ、キサラギは案内役なの?」
ミカが聞くと、キサラギは前髪を撫でた。
「僕は視察者の親族だ。公平性を疑われる以上、初めから候補外だよ」
「つまり、呼ばれてないじゃん」
「その言い方をやめたまえ!」
能力なら選ばれていた、家同士の事情がどうのこうのとキサラギはまだ続けているけど、アリサは通知書を見たまま首を傾げていた。
「それでは、どうしてわたしは選ばれたのでしょうか」
それについては、俺たちにも分からない。
通知書の下には、『午後四時、管理保安部へ出頭すること』とある。
「聞きに行けば分かるだろ」
「……一緒に来ていただけますか、お嬢様」
「そうだな。お前一人で話を聞かせるのは、こちらも不安だ」
レイナが立ち上がると、沙耶香も席を立った。
「私も行く」
「お姉ちゃん!」
「別に、アリサちゃん一人だと心配だからじゃないからね」
「では、なぜですか?」
「……心配だから」
「ありがとうございます!」
「認めるの早いじゃん」
「ふん。ツワブキ家の付き人は、主人だけでなく、紋無しにまで付き添われるのかい?」
キサラギが鼻を鳴らした。
「お姉ちゃんですので!」
「……君は紋無しを姉と呼んでいるのか?」
キサラギの笑みが一瞬だけ消えた。
「アリサが誰をどう呼ぼうと、お前には関係ない。行くぞ」
レイナは、アリサと沙耶香を連れて教室を出ていく。
……ちょっと心配だし、俺も付いていくか。
◇
「君が選ばれたのは、条件に該当したからだ」
放課後、管理保安部の面談室で、クドウ管理官が答えた。
「先日の事件以降、学院へ新たな外部人員を入れるには、通常より厳しい身元確認が必要となった。視察当日は、職員の多くが警備や施設説明へ回される。そこで、すでに学院内に滞在している身元確認済みの付き人の中から、接遇補助を選ぶことにした」
「それで、アリサちゃんが?」
「資格を持つ者は複数いたが、上級生の介助を目的としたものが大半で、全員持ち場を離れられない。キリヒコ・ナギは視察者側であるキサラギ家の使用人だ。学院側の担当にはできない」
「つまり、残ったのがアリサか」
俺が言うと、クドウ管理官の目がこちらへ向いた。
「消去法だけで選んだわけではない。ツワブキ家使用人初等課程修了。書類上は、最低限の接遇能力を持つと認められる」
「書類上はな」
レイナが頭を抱えた。
「実際の働きを確認したのか?」
「今から確認する。あくまで仮任命だ。能力が足りなければ外す」
「外されるのですか!?」
「大声を出すな。ここは面談室だ」
「申し訳ございません!」
クドウ管理官が眉間を押さえた。
「若干、後悔し始めている」
「だから言っただろ」
レイナがため息をつく。
「アリサ。向いていないことを無理にやる必要はない。断っても構わないんだぞ」
「ですが、これはツワブキ家のメイドとしていただいたお役目です」
「また家のための話にすり替えるのか。私が聞いているのは、お前自身がやりたいかどうかだ」
アリサは答えに詰まった。
反射的にレイナ、次に沙耶香へ答えを求めかける。けれど、尋ねる前に踏みとどまり、胸元の苺へ指を添えた。
「……失敗するのは、怖いです」
「ああ」
「ですが、羊毛細工も、魔法の練習も、自分でやりたいと決めたことでした。どちらも、やってよかったと思えました。ですから今回も、わたしにできるか試してみたいです」
「そうか」
レイナはそれ以上、何も言わなかった。
「では試験を行う。合格できなければ外すが、異論はないな?」
「はい!」
◇
「まず、足音を立てないように」
「はい!」
「返事も、今の半分ほどの音量で結構です」
「はい!」
「もう少し小さく」
「はい」
「結構です」
接遇試験は、来賓用の応接室で行われることになった。
複数の客へ対応できるか確かめるため、俺たちも客役を任される。おかげでルカとミカまで揃い、結局いつもの全員が見守っていた。
指導役はナギさんだ。視察当日の担当には入れないが、事前の指導まで禁じられてはいない。レイナがキサラギへ頼み、クドウ管理官の立ち会いを条件に引き受けてもらったらしい。
「僕の付き人を借りるからには、失敗しないでもらいたいものだね」
そう言ったキサラギ自身は、一番よい椅子へ座っている。
「お前は帰ってもいいぞ」
「ナギを貸しているのは僕だ。指導が無駄にならないか、見届ける権利くらいあるだろう?」
「ネチネチ言いたいだけじゃないの?」
「まさか。父上の前で茶をこぼし、ナギの教え方まで疑われては困るからね」
「まだ失敗すると決まってないでしょ」
「今日はまだ、何も壊していないのです!」
アリサが胸を張った。
「本人も、いずれ壊すと思っているらしい」
「言葉尻を取らないでよ!」
「ハクア様」
ナギさんが静かに呼ぶ。
「本日の私は、アリサ様へ接遇をお教えするためにおります。見守っていただければ幸いです」
「……分かっているよ」
キサラギは腕を組み、しばらく黙った。
「では、改めまして」
ナギさんが銀色の盆を持ち、手本を見せる。
歩いているのにカップはほとんど揺れない。テーブルへ置くときも、音一つしなかった。
「お客様が着席された後、右側からカップを置きます。取っ手は右。茶は七分目。砂糖とミルクは別に。ここまではよろしいですか?」
「はい」
アリサは小さな手帳へ、猛烈な勢いで書き込んでいく。
表紙には、『反省録・第十二巻』と記されていた。
「それ、十二巻もあるの?」
「これまでの失敗を、すべて記録しております」
「見せて」
「お断りいたします!」
「どうして?」
「恥ずかしい失敗も含まれておりますので!」
「恥ずかしくない失敗もあるの?」
「羊小屋の扉を閉め忘れましたが、羊たちが自力で帰ってきた件は、成功に近い失敗です!」
「普通に失敗じゃねえか」
言うな、ルカ。
「失敗を記録するのは悪いことではございません」
ナギさんが言った。
「ただし、記録すること自体が目的にならないように。次の行動へ生かしてこそ、意味があります」
「はい!」
アリサは応接室までの経路と所要時間まで書き加えた。
『厨房から正面廊下――四分二十六秒』
『使用人通路――三分十二秒』
『盆を持った場合――十七秒追加』
「時間まで測ったの?」
「お茶を冷まさず、お届けするためなのです!」
ナギさんは手帳を覗き込み、使用人通路の途中にある扉を一つ書き足した。
「当日は、こちらが施錠される可能性もあります。正面廊下を使う場合も覚えておきましょう」
「承知しました」
接遇では、通れる扉まで確認するものなのか。付き人って大変だな。
ひと通り手順を覚えたところで、試験が始まった。
中央の椅子にはクドウ管理官。左右には沙耶香とキサラギ。俺たちは、二人の後ろに並んでいる。
「失礼いたします!」
「声」
「失礼いたします」
盆を持ったアリサが入室する。歩幅も姿勢も、ナギさんに教わった通り。クドウ管理官の右側へ回り、カップを置こうとした。
「私は茶ではなく、水を頼んだ」
アリサの手が止まった。
「ですが、手順では、最初にお茶をお出しすると……」
「水を頼んだ」
「では、お茶を置いた後でお持ちします」
「先に水を持ってこい」
「ですが、お茶が冷めてしまいます!」
アリサの手が震え、盆の上でカップが小さく鳴った。
「この程度の変更で固まるのかい? 父上の前なら、もう失格だね」
「ハクア様」
「分かっている。黙ればいいのだろう?」
「落ち着いてください」
ナギさんが静かに促す。
「今、何をするためにこの部屋へ入りましたか?」
「手順を守るためです」
「いいえ。お客様に、心地よく過ごしていただくためです。手順は、そのための手段に過ぎません」
「手段……」
「手順とお客様の希望が異なる場合、どちらを優先しますか?」
アリサはカップとクドウ管理官を見比べた。
「……お客様の、ご希望です」
「結構です。では、一度退室し、水をお持ちください」
「はい」
アリサはカップを置かずに退室した。
「主人が一から十まで命じなければ動けないのなら、主人が自分で動いた方が早いね」
キサラギが言う。
「今そこまで言わなくていいでしょ」
沙耶香がキサラギを睨む。
「なぜ君が怒るんだい? 似た立場だから、放っておけないのかな」
「どういう意味?」
「魔紋を持たない君も、ここでは何をするにも人の助けが必要だろう?」
沙耶香が立ち上がりかけた。
「やめろ」
先に止めたのはレイナだった。
「視察直前に問題を起こすな。二人ともだ」
「私じゃなくて、あいつに言ってよ!」
「僕は事実を述べただけだがね」
「なら、その口を閉じろ」
レイナの右手に小さな雷が走り、キサラギは顔を背けた。
そこへ、アリサが水を持って戻ってきた。
今度は迷わず、クドウ管理官の前へグラスを置く。
「これでいい」
「承知いたしました」
「私はミルクを二つお願い」
「はい」
「僕は茶葉を変えてくれたまえ。この香りは好みではない」
「いきなり難しくない?」
俺が口を挟むと、キサラギは鼻を鳴らした。
「父上なら、この程度は言うかもしれないからね」
失敗を待ち構えるような笑みが、キサラギの口元に浮かぶ。
けれど、今度のアリサは止まらなかった。
「申し訳ございません。ただいま別の茶葉はご用意しておりません。同じ茶葉を短時間で蒸らし直し、香りを抑えることはできますが、いかがでしょうか」
キサラギの笑みが消えた。
「……それで構わない」
「承知いたしました」
アリサが一礼すると、ナギさんが小さく頷いた。
「合格です」
「本当ですか!?」
「声を」
「……本当ですか?」
「ええ」
アリサがぱっと顔を上げる。
「できました、お姉ちゃん!」
「まだお茶を淹れ直してないでしょ」
「そうでした!」
厨房へ走りかけたアリサが、自分で気づいて早歩きに変える。
「大丈夫かな」
沙耶香がまだ心配そうにしている。
「直前まで練習すれば、多分」
「その多分、信用できない」
それでも、最初よりはずっとよくなっている。
言われた手順に従うだけではなく、その先にいる相手が何を求めているのかを考えた。
「まあ、最低限だね。使用人なら、できて当然だ」
「一言くらい普通に褒めればいいじゃん」
「僕がなぜ、ツワブキ家の使用人を褒めなければならない?」
キサラギは最後まで素直じゃない。
アリサが戻ると、クドウ管理官が正式な担当者一覧と名札を差し出した。
教師三人と、生徒会の上級生二人。その一番下に、接遇補助として新しい名前が書き加えられている。
『アリサ・ミネウチ』
「当日は、その名札を着けろ」
「はい!」
アリサは、紙に記された自分の名前を何度も指でなぞった。
「必ず、立派に務めてみせます」
「その視察だが、審査会から予定を一日前倒しするとの連絡が入った」
「一日前?」
「明日の午前九時だ」
アリサの指が止まった。
「明日……」
キサラギも眉を寄せた。けれど、その後ろに立つナギさんだけは、予定の変更に驚いた様子を見せなかった。
「父上は、一度の失敗も見逃さない」
キサラギがアリサへ向き直る。
「怖じ気づいたのなら、辞退するのは今のうちだよ」
アリサは通知書と、自分の名前が入った名札を見下ろした。
レイナにも、沙耶香にも目を向けない。
「いいえ。わたしは、やるのです」
名札を両手で握りしめる。
「明日、お客様をきちんとお迎えします」
キサラギの笑みが、わずかに薄くなった。
「……なら、好きにしたまえ」
視察まで、あと一日。
アリサが自分で選んだ初仕事まで、あと一日になった。




