中止ではなく延期
人間世界での実習は、始まる前に中止になった。
「中止ではない。審査保留だ」
「同じです!」
放課後、寮へ戻ろうと本館前を通りかかった俺たちは、正門広場の掲示板へ新しい通知書を貼っていたセレナ先生に呼び止められた。
俺と沙耶香、ルカ、ミカ、レイナ。その後ろには、当然アリサもついてきている。
少し離れた正門前には、キサラギとナギさんもいた。
キサラギはいつも以上に髪やローブを整え、前髪にも触れず、妙に背筋を伸ばしている。
何で全員がここにいるのかは分からないけど、それより今は通知書だ。
表題は、『人間社会における集団実習計画の再審査について』。
その下には難しい言葉が何行も並んでいるけど、要約すると、危ないから待て、だ。
「だから保留だ。まだ再開する可能性がある」
セレナ先生が面倒そうに頭を掻いた。悪いけど、今こそその面倒を押し通す時ではなかろうか。
「どれくらいですか?」
「分からん」
「来月?」
「分からん」
「じゃあ来年?」
「だから分からん!」
セレナ先生が、丸めた書類で俺の頭を叩いた。痛い。
「そんな……」
電車に通信設備、発電所に配電盤。
人間の町には、まだ知らないものが山ほどある。それを学院の実習として、丸一日かけて見られるはずだったのに。
「俺の配電盤が……」
「まだあんたのものじゃないから」
それを言うなよ、沙耶香。
「しっかり中まで見る予定だったのに」
「見学内容に配電盤が含まれるとも決まってなかったでしょ」
「先生、配電盤は?」
「知らん!」
「じゃあ冷蔵庫は?」
「家電量販店へ行く実習ではない!」
「でも、冷蔵庫は魔法がなくても――」
「アズマ。今から一人で人間界へ捨ててくるぞ」
「行っていいんですか!?」
「ああ言えばこう言う! お前は本当に面倒だな!」
セレナ先生が頭を抱えた。
けど、人間社会での実習に期待していたのは、俺だけじゃないはずだ。
この前の事件で、学院の魔法は一斉に使えなくなった。照明も、通信も、扉の開閉も、全部止まった一方で、侵入者たちが持ち込んだ人間の機械は動き続けていた。だから学院は、魔法が使えない状況に備え、人間社会の設備や技術を学ぶ実習を増やすと発表したんだ。
その第一歩になるはずだったのが、今回の集団実習なのに。
「えっと……評議会の一部が反対、ですか?」
沙耶香が通知書を覗き込む。
「反対ではなく、計画の再審査だ。まあ、反対の類義語だな」
……先生、今は面倒だな、とか思っている場合じゃないですよ。
「学院内の教育方針なら、基本的には学院だけで決められる。だが、何十人もの生徒を人間社会へ出すとなれば話は別だ。秘密保持、安全管理、移動経路。全て外部の承認が必要になる」
「この前、俺たちは普通に行けましたけど」
「少人数の外出と、授業として大勢を連れていくのと一緒にするな」
「え? 人数が増えるだけじゃ?」
「その人数が問題なんだ。魔法使いが一人で人間の町を歩いていても、問題ないだろうが、人間初心者の生徒が何十人も集まり、全員で自動ドアに驚いていたら、かなり目立つだろ?」
「ああ、確かに」
あれ? 沙耶香、なんでそっち側に同意するの?
「それに、先日の侵入事件から、まだ大して日も経っていない」
セレナ先生の声から、いつもの軽さが消えた。
「学院内の安全も確保できていないのに、生徒を外へ出すのか。人間の町で同じ襲撃が起これば、無関係の者まで巻き込む。そう指摘されれば、こちらも無視はできん」
「え? それってもしかして、お姉ちゃんたちのせい……?」
沙耶香が、力なく呟いた。
「違う」
すぐに答えたのはレイナだった。
「侵入を許したのは学院だ。そもそも、侵入者の家族まで責任を負う理由はない」
「でも、狙われたのは私で……」
「それもお前の責任ではない。何でも自分のせいにするな。話が進まなくなる」
「言い方」
「間違っているか?」
「間違ってないけど」
沙耶香は、かすかに笑った。
「では、誰が審査を止めたのですか?」
アリサが尋ねた。
休日に作った苺の飾りが、エプロンの胸元についている。相当気に入ったのかな。
「審査を行うのは、学院の外にある教育審査会だ。名家の当主や、魔法社会の行政に関わる者で構成されている」
「それじゃあ、全員を説得すればいい?」
こうなったら、俺が全員に直談判してやる――と意気込んだら、また頭に書類の角が飛んできた。
「簡単に言うな馬鹿者。学院の運営に口を出せるような連中だぞ」
「うっ、痛い……でも、誰かが最初に再審査を求めたんですよね」
「それは――」
「父上だ」
セレナ先生より先に答えたのは、正門前に立っていたキサラギだった。
全員がキサラギを振り返った。
「父上って、キサラギ家当主のミツルギ・キサラギ?」
おお、ミカ。よくそんなスラスラと名前が出てくるな。
「他に誰がいる」
キサラギは前髪へ手を伸ばしかけ、途中で止めた。
「その通り。ミツルギ・キサラギ。キサラギ家の現当主にして、教育審査会の議員だ」
「お前の父さんが、実習を止めたの?」
「おおっと。気安く父上を悪者にしないでくれたまえ」
あーあ、すぐに芝居がかった調子が戻ってきた。にしても、前髪を撫でないと喋れないのかなこいつは。
「ここに書かれているのは、安全性を再審査しろという要求だ。中止しろとは一言も書かれていない」
「結果的に止まってるじゃん」
おお、いいぞミカ。もっと言ってやれ。
「必要な確認だ。先日の事件では学院の結界が破られ、校舎が破壊され、何十人もの生徒が危険にさらされた」
キサラギは一瞬だけ言葉を切った。
「しかも、侵入者の一人は学院の元生徒だ。父上が学院の体制へ疑問を持つのは当然だろう」
「それで、人間世界の実習まで止めるの?」
沙耶香に、キサラギは眉をひそめて鼻を鳴らす。
「フン。紋無しは考えも浅はかだな。学院の外へ出た生徒を、誰が守る? 人間の町で同じ襲撃が起これば、魔法社会とは関係のない者まで巻き込む。違うかい?」
沙耶香は答えられなかった。
俺も、何も言えない。
気に入らないが、言っていること自体は間違っていなかった。
「だが本当に安全確認だけが目的なら、実施時期すら決めずに保留へ持ち込む必要はない」
レイナが切り込んだ。
「必要な改善項目を学院へ示し、それを満たせば許可すると伝えればいい。期限も条件も決めずに止めるのは、計画を潰すときのやり方だ」
「ツワブキは、父上が学院を困らせたいだけだと言うのか?」
「書類のやり方について言っている」
「同じことだろう」
「違う」
「そこまでにしろ」
ヒートアップしていく二人の間へ、セレナ先生が丸めた通知書を差し込んだ。
「親の話を子供同士で争っても意味がない」
「ふむ。それもそうか。ここで僕たちが議論しても、現実には何の影響もないのだから」
キサラギだって熱中してたくせに。
「先生。再審査では、具体的に何をするんですか?」
ルカの質問に、セレナ先生は「あー」と考え込みながら答えた。
「一週間後、教育審査会による学院視察が行われる。施設、授業、警備体制を直接確認し、その結果次第では実習計画へ仮の許可が出る」
「それでも仮なの?」
「ああ。実際に人間社会へ出る前に、もう一度審査を受ける。今回は、その準備を続けてもよいかどうかの審査だ」
つまり、人間世界への実習は、まだ入口にも立っていないらしい。
「でもでも、視察に通れば、人間世界へ行けるんですよね?」
「すぐにではない」
「すぐにではないって……じゃあいつ?」
「早くて数か月後だ。もしかしたら、今年度末になるかもな」
「そんな……」
そんなに遥か先になるのかよ……それまで俺は、どうやって過ごせばいいんだ。
「露骨に落ち込むな。最初の予定でも来月だっただろう」
「ほぼ一年あれば、人間の機械ががらりと変わっちゃうかもしれないのに! 今あるものは今しか見れないんですよ!」
「そんなポンポン全部は変わらないから……多分」
沙耶香……。
「その多分は信用していい?」
「……とりあえず信用していいからステイ」
「はい」
セレナ先生が、もう一枚の紙を俺たちへ見せる。
視察の日程と、確認される施設、学院側が準備しなければならない項目が書かれていた。
「当日は教師や生徒会役員に加え、資料運搬や来客対応の補助も必要になる。担当者はこれから決める」
「お客様へお茶をお出しするのでしょうか!」
アリサが勢いよく手を挙げた。
「それなら、わたしもお手伝いしたいです!」
「アリサが?」
俺たちは全員で顔を見合わせる。アリサだけが首を傾げた。
「何でしょうか、皆様」
「いや……」
苦笑した途端に思い出されるのは、連日アリサと過ごした日々だ。
壊れたラジオ、引きずられたペガサス、グリフォンに連れ去られたアリサ。
「……魔法を使わなければ、大丈夫かな」
「どうだろう? ねえ、この世界ってお茶を出すのに魔法使う?」
「使うことも……」
「無いことも無いことも無いじゃん」
「ミカ、それどっちなのよ」
「んじゃ、多分」
「信用できないんだよなあ……」
俺たちのやり取りを、アリサが首を傾げて見守っている。これ、本人だけが分かっていないパターンだ。
「まあいい。アリサのことは、希望者として伝えておく。選ばれるかどうかは、管理部の判断次第だ」
セレナ先生の言葉に、アリサが勢いよく身を乗り出した。
「はい! 必ず立派に務めてみせます!」
「まだ選ばれていないと言っただろう」
正門の向こうから、澄んだ蹄の音が聞こえてきた。
俺たちも正門の方を向くと、ちょうど学院の結界が淡く揺らぎ、二頭の白いユニコーンに引かれた黒い馬車が入ってくるところだった。
ユニコーンの額から伸びた角は真珠のように白く、陽の光をきらきらと反射している。
馬車の車輪は石畳から指一本分ほど浮いている。蹄の音は響いているのに、車輪が地面を転がる音は全くしない。
「うわ、すご……」
ミカが吸い寄せられるように馬車へ近づいていく。
「あのユニコーン、二頭ともかなり珍しい血統じゃん。角の色も――」
「おい、むやみに近づくなよ」
「それ、マナトが注意するんだ……」
沙耶香、今はそこへ突っ込んでいる場合じゃない。
「それにしても、アリサちゃんが来たときとは、随分違うね」
「わたしは荷物を守るため、運搬絨毯に同乗していたのです!」
「荷物と一緒に固定されてたじゃん」
「あれが最も安全だったのです!」
馬車が正門広場の中央で静かに止まった。
御者が杖を一振りすると、扉へ刻まれた金色の紋様が光り、折り畳まれていた踏み台がひとりでに地面へ降りる。
「あれは……キサラギ家の家紋か」
そう呟いたのは、レイナ。
なるほど。だからキサラギは、さっきからあんなにきっちりとした格好で正門前で待っていたのか。
黒い扉が開いて、黒い杖を持った男性が姿を現した。
淡い金色の髪を後ろへ流し、上等な黒い外套をまとっている。背が高く、穏やかに笑っているのに、簡単には近づけない空気を漂わせていた。
「ハクア」
男性に名前を呼ばれ、キサラギの肩がわずかに震えた。
「父上」
いつもの芝居がかった口調はない。
教師へ返事をするときよりも、ずっと硬い声だった。
「元気そうで何よりだ。学院生活は楽しめているかい?」
「はい」
「ナギも、ハクアの世話をご苦労だったね」
「もったいなきお言葉です、ミツルギ様」
ナギさんが前へ出て、深く頭を下げる。
そうか、あの人が現キサラギ家当主、ミツルギ・キサラギ。人間社会実習を審査保留へ持ち込んだ諸悪の根源だ。
「視察は一週間後じゃないんですか?」
沙耶香が声を潜めると、セレナ先生も周囲へ聞こえないよう答えた。
「今日は事前協議だ。視察項目について、学長や管理部と直接話し合うらしい」
ミツルギさんは、ハクアの向こうにいる俺たちを順に見渡した。
最初にレイナ。そして、沙耶香で目を止める。
「柊沙耶香さんだね」
「……はい」
まさか、直接話しかけられるなんて思わなかった。俺も、そして沙耶香当人も目を白黒させている。
「先日の件は災難だった。姉君との再会も、望んだ形ではなかっただろう」
沙耶香の表情が固まる。
「だが、安心してほしい。私は人間社会との交流そのものに反対しているわけではない。学院が生徒を守れると証明できるなら、私も実習へ反対する理由はないからね」
「だったら、最初から審査を止めなくてもよかったんじゃないですか?」
気付いたときには、俺の口からはそんな言葉が出てきていた。
「ちょっとマナト!」
沙耶香に袖を引かれる。向こうでは、キサラギの表情が引きつっていた。
「も、申し訳ありません、父上。こいつは、誰に対してもこの調子で……」
「人間世界の実習を楽しみにしていたんです! だから、早く行きたいんです!」
「熱心なようだね。うん、その様子を見れば分かるよ」
ミツルギさんは怒らない。むしろ、面白がるように目を細めた。
「マナト・アズマ君。君の話も聞いている」
「俺の?」
「ああ。学院で最も、人間の道具へ興味を持っている魔法使いだそうだね」
「はい!」
「そうか。ならば君にも、学院が外へ出る準備を整えていると証明してもらおう」
ミツルギさんは俺たちの横を通り過ぎかけ、レイナの後ろにいたアリサへ目を留めた。
「おや。レイナ・ツワブキ嬢。久方ぶりだね」
「ええ……ご息女の結婚式以来かと」
「三年ほどか。ツワブキ家も、付き人を置くようになったのか」
「いえ。本家から勝手に送られてきただけで……」
珍しいな、レイナが相手と目を合わせていない。
「何、悪いことではない。身分に応じた者を側へ置くのは、名家の責任だからね」
「お初にお目にかかります!」
アリサが深々と頭を下げた。
「ツワブキ家にお仕えしております、アリサ・ミネウチと申します!」
「おお、これはこれは。礼儀正しい子だ」
「ありがとうございます!」
アリサは嬉しそうに答えた。ミツルギさんの目が、その胸元の苺の飾りで一瞬止まる。
しかし、何も尋ねなかった。
「ふむ。では、一週間後を楽しみにしているよ」
最後にそう言い残し、ミツルギさんは本館へ歩いていった。
キサラギとナギさんも、本館へ続いた。
「反対していないって言ってたな……案外、話の分かる人なのかな」
なら、この問題も思ったより簡単に解決するかもしれない。
そう期待に胸を膨らませていると、レイナが「違う」とばっさり切り捨てた。
「あの男は、反対だとは言わずに、反対を通す」
「うわ、一番面倒な人じゃん?」
「ああ。だから気を抜くな」
そうなのか。人間世界へ行くまで前途多難なのは変わらないか。
つまるところ、人間世界へ出る前に、まず自分たちの学院が安全だと証明しなければならない。
視察まで、あと七日。




