灯火
魔法生物実習で四つの魔法を覚えた代わりに、メイド服を一着失った。
アリサ本人は空から落ちたことより焼け焦げたエプロンの方を気にしていたけど、替えが大量にあると分かってからは、いくらか立ち直ったらしい。
そして休日明け、アリサは新しいエプロンの胸元に自分で作った苺の飾りをつけて、第一実技場の中央に立っていた。
「よし。まずは灯火を使ってみろ」
セレナ先生が、アリサの前へ小さな的を置く。
「目安は、この程度だ」
右腕のみに魔紋を浮かばせた先生が杖を上げると、先端に小さな光が灯った。
蝋燭の炎ほどの大きさだ。実技場の中では、それほど明るくも見えない。本来は杖に光を発生させる魔法だけど、コントロール次第ではああやって飛ばすことも可能だ。
「分かりました!」
いい返事をしたアリサが短い杖を構える。彼女の全身にも、俺たちと同じように魔紋が浮かび上がった。
ただ、あまりにもはっきりとしていて、その魔力は灯火に使うには多すぎる。
「《灯火》!」
その魔力で生まれた光は、蝋燭どころではなかった。光が爆発して、実技場が一瞬で真っ白になった。
「うわっ!」
「消せ! 今すぐ消せ!」
目を閉じても眩しい。光だけでなく、顔へ熱まで伝わってくる。
離れて見ている俺たちですらこれだ。間近のアリサやセレナ先生はどうなっているんだろう。
「杖へ流す魔力を止めろ!」
「はい!」
あー、目が痛い。光が消えたけど、視界にはまだ白い残像が残っている。
「も、申し訳ありません……先生のものと同じ形にしたのですが」
「形しか見ていないからだ!」
セレナ先生が目元を押さえながら怒鳴る。
「ったく、普通に教えるよりも面倒な予感がするな……術式そのものは再現できているが、込めた魔力が多すぎる。今の百分の一で十分だ」
「百分の一……」
アリサが自分の杖を見下ろした。
「どのように分ければよろしいでしょうか」
「そこからか……」
先生が頭を抱える。
俺たち魔法使いは、魔紋が魔力の量を自動的に整えてくれる。
必要な分だけ取り出し、属性を変え、術式へ流す。余った魔力を体内へ戻すところまで、ほとんど意識する必要がない。
だから俺も、魔力を百分の一だけ取り出す方法を説明しろと言われても困る。
……そうだ。細かい調整なら。
「沙耶香なら、教えられるんじゃないですか?」
俺が言うと、沙耶香が振り返った。
「私?」
「ああ。だって沙耶香は、毎回自分で調整してるだろ」
魔紋を持たない沙耶香は、魔力の流れを自動で整えられない。
俺たちが無意識に済ませていることも、一つずつ考えて行わなければ魔法を使えない。
「なるほどな」
セレナ先生が頷く。
「柊。教えてやれ」
「私もまだ、教わる側なんですけど……」
「できなかった経験がある者の方が、できない相手へ説明しやすい」
「今の、褒められてます?」
「半分はな」
沙耶香は不服そうに、アリサの前へ立った。
「まず、いきなり全部の魔力を杖へ流さないで」
「はい、お姉ちゃん!」
「今は先生って呼んで」
「はい、お姉ちゃん先生!」
「変な役職を作らないで」
沙耶香は、アリサの腕に浮かんだ魔紋を覗き込んだ。
「必要な分だけ分けるんだけど……昨日、苺を作ったときのことを思い出して」
「苺ですか?」
アリサが、胸元の苺へ触れる。
「赤い羊毛を全部使ったわけじゃないでしょ?」
「はい。一つ分だけ取り分けました」
「魔力も同じ。全部を一つの魔法へ入れるんじゃなくて、灯火一つ分だけ取り分けるの」
「なるほど!」
アリサがぱっと目を輝かせた。
「苺を一つ作る程度の魔力ですね!」
「羊毛と魔力じゃ量が違うから、あくまで考え方だけね」
「では、先ほどの光は?」
「鞄一つ分の羊毛を、全部まとめて苺にした感じ」
「とても大きな苺になります!」
「だから、そんなにいらないってこと」
ようやく理解したらしい。アリサは目を閉じ、自分の胸へ左手を当てた。
「全部を使わず、一つ分だけ……」
全身に浮かんでいた魔紋の光が、徐々に弱くなる。
「そのまま、取り分けた魔力だけを杖へ流して」
「はい」
「急がなくていいから、さっき見た術式を作る」
アリサの杖先へ、小さな魔法陣が現れた。最初のものより、ずっと光が薄い。
「最後に、その分だけ使う」
「《灯火》」
小さな光が生まれた。
セレナ先生の見本と、ほとんど同じ大きさだ。
揺れもせず、明るさも変わらない。
「できました!」
アリサが目を開ける。
「お姉ちゃん、できました!」
「うん。今度はちょうどいいよ」
「昨日、苺を作っておいてよかったのです!」
「そこまで直接役に立つとは、私も思わなかったけどね」
沙耶香とアリサが、小さな光を見ながら嬉しそうに笑い合っている。休日に一緒に過ごしたことが、魔法の練習へつながったらしい。
「よし。ではもう一度だ」
セレナ先生が新しい的を置く。
「今度は、明るさを半分にしろ」
「半分の苺ですね!」
「……その例えを続けるのか?」
「分かりやすいのです!」
あ、セレナ先生絶対に今面倒だって思ったな。
二度目の灯火は、最初の半分ほどの明るさになった。
三度目には、光を二つへ分けた。
四度目は熱を完全に抑え、紙へ近づけても焦げない光にした。
うん、灯火のように、落ち着いて調整できる魔法なら、すぐに形にできるみたいだ。
「術式の形だけではない。魔力操作まで再現し始めている。正式に訓練を受ければ、相当なところまで伸びるだろう」
おお、セレナ先生が素直に称賛しているなんて。明日は槍でも降ってくるんじゃないか?
「お姉ちゃん先生のおかげです!」
「教えられたことを、一度で全部できたのはアリサちゃんでしょ」
「では、二人の力なのです!」
「……そうだね」
沙耶香の笑みが、さっきまでよりわずかに曇った。笑ってはいるのに、視線はアリサの光から外れている。
「少し休憩していいですか」
沙耶香は先生の返事を待たず、実技場の壁際へ歩いていった。
アリサは胸元の苺へ触れると、自分から沙耶香のあとを追った。
「……」
俺も二人の方へ向かった。
彼女は壁際のベンチに腰を掛けていた。アリサもすぐに追いついていて、俺は二人から少し距離を置いて陣取った。
盗み聞きするつもりはない。ただ、実技場は声がよく響くんだ。
「お姉ちゃん……怒っていらっしゃいますか?」
「怒ってないよ」
「では、悲しいのですか?」
沙耶香はすぐに答えずに、自分の手を見下ろしている。
「ちょっと……悔しかっただけ」
「もしかして、わたしが、早く覚えたからでしょうか」
「うん」
沙耶香は、誤魔化さなかった。
「私、灯火を十秒続けるだけでも、何度も失敗したから。魔紋がないせいで、みんなが簡単にやってることも、一つずつ覚えないとできなかった」
俺も覚えている。
初めて沙耶香が灯火を使ったときは、光が点いている時間より、消えている時間の方が長かった。
「それを、アリサちゃんは一度でできた。羨ましくて、ちょっと嫌になったの」
「申し訳――」
アリサが謝りかけて、口を閉じた。
「……これは、謝ることではないのですよね」
「うん。アリサちゃんは何も悪くない」
「では、次は失敗した方がよろしいでしょうか」
「わざと失敗するのも駄目」
「難しいです……」
「別に、アリサちゃんが成功するのを嫌がってるわけじゃないよ」
沙耶香が、アリサの胸元を指さす。
「昨日、それを自分で選んだとき、私も嬉しかったでしょ」
「はい」
「今日だって、魔法が使えるようになったこと自体は嬉しい。ただ、羨ましいのも本当。それだけ」
「反対の気持ちが、同時にあってもよいのでしょうか」
「よいも何も、実際にあるんだから仕方ないでしょ」
「どちらかを選ばなくても?」
「気持ちまで、一つに決める必要はないよ」
アリサはしばらく考え、胸元の苺を指先で撫でた。
「昨日、わたしは自分が好きな物を選びました」
「うん」
「あのときは、苺と杏から一つを選ぶよりも簡単でした」
「比べる順番が逆じゃない?」
「ですが、魔法で何をしたいかは、苺を選ぶより難しいのです」
沙耶香が意外そうに眉を上げる。
「考えてたの?」
「はい。先生から、魔法を学ぶことも考えるよう言われましたので」
「何か決まった?」
アリサは短い杖を、両手で握った。
「わたしは、お嬢様のお役に立ちたいのです」
「それは前から聞いてる」
「ですが、それとは別に……わたし自身が、魔法を覚えたいのです」
その言葉は、昨日の「作りたい」よりも迷いなく出てきた。
「昔、嵐の夜に、羊が一頭だけ群れから離れたことがございました」
アリサは杖の先に、小さな光を浮かべる。
「夜の間は見つけられず、朝になってから、森の近くで震えているところを見つけました。あのとき、遠くまで照らせる光や、雨の中でも声を届けられる風を知っていれば、もっと早く見つけられたと思います」
「それを覚えたいの?」
「はい。それから、今度誰かが危険になったとき、命令を待つだけではなく、自分で何ができるか考えたいです」
「誰かって?」
「お嬢様や、お姉ちゃんや、皆様です」
アリサは一拍置いて、付け加える。
「特に、お姉ちゃんが空から落ちたとき、受け止められる魔法を覚えたいです!」
「私は空から落ちる予定ないんだけど」
「予定がなくても、落ちることはございます!」
「この前落ちたのはアリサちゃんでしょ!」
「では、お互いに受け止められるようになりましょう!」
沙耶香は頭を抱えた。けど、さっきまでの暗い表情は、もう消えている。
「分かった。明日も教える」
「よろしいのですか?」
「私も、教えてる間に復習できるから。それに――」
沙耶香が、アリサの短い杖を指した。
「私にも、アリサちゃんがどうやって魔法陣を覚えてるのか教えて」
「見たまま覚えております!」
「それができないから聞いてるの!」
「では、一緒に考えるのです!」
アリサが立ち上がる。
誰かの顔色を確認することもなく、自分から沙耶香へ頭を下げた。
「お姉ちゃん。明日も、わたしと一緒に練習してください」
「うん。一緒にやろう」
休憩の終わりを待たず、二人は実技場の中央へ戻ってきた。
「先生。もう一度、灯火を使ってもよろしいでしょうか」
アリサが自分から尋ねる。
「構わん。ただし、今度こそ実技場を照らす程度にしろ」
「はい!」
アリサは杖を上げた。
「《灯火》」
小さな光が浮かぶ。
今度は、誰かが見せたものと同じ大きさではなかった。
最初に成功した光より少し明るく、けれど眩しくない。離れた場所まで照らせるよう、自分で強さを決めた光だった。
その明かりが、アリサの胸元についた苺を赤く照らしている。
昨日、アリサは自分のために苺を選び、今日は自分のために魔法を学ぶと決めた。
まだ小さな灯火一つ。それでも、暗い場所で誰かを探すには、十分な明るさに見えた。




