アリサの休日
アリサちゃんが私を「お姉ちゃん」と呼ぶようになってから、放っておけないことが増えた。
「何してるの?」
休日の女子寮、欠伸と一緒に部屋から出た私は、レイナの部屋の前で直立しているアリサを見つけた。
メイド服には皺一つなく、髪も綺麗な三つ編みになっている。ただし、その足元には小さな手帳が開かれていて、持ち主が拾う気配はない。
何だろう、と思って屈んでみる。小さな手帳には、みっちりと可愛い字が書きこまれていた。
『午前六時――起床』
『午前六時五分――お嬢様のお目覚めを待つ』
『午前六時十分――本日は休日なので起こす必要がないと気づく』
『午前六時十一分――反省』
『午前六時十二分――休日に何をするか考える』
そこで記録が止まっている。
廊下の時計は、六時五十九分を示していた。
「えっ……もしかして、四十七分も考えてたの?」
聞いてみるけど、アリサちゃんは動かない。
「アリサちゃん? ……アリサちゃん!?」
こっくりこっくりと頭を揺らしている。これ、寝かけているんじゃない?
背中をトンと叩くと、ようやく「なのですっ!」と我に返った。
「お、お姉ちゃん、おはようございます!」
「うん、おはよう。えっと、昨夜はちゃんと寝たんだよね? 六時まで」
「はい! しっかりお休みしましたのです!」
その割には、さっきまでうとうとしていたような。それに、初日よりはマシとはいえ、まだ目の下にクマも残っている。
「そうなんだ。……アリサちゃん、今日はどうするの? 学校もお休みだけど、なんでレイナの部屋の前に?」
「はい! お嬢様より、本日は仕事をせず、好きに過ごすよう命じられました!」
うわあ、元気。
「でも、何をすればいいのかが分かりません!」
これまた元気。その元気を、決断の方にも持っていってほしいなあ。
「好きなことが決まるまで、動くわけにはまいりませんので!」
「動いていいって言われてるんだよ?」
「ですが、行き先がないのです!」
行き先がない、かあ。
今日は学院へ来てから、この子にとって初めての休日だ。
授業の見学も、魔法の訓練もない。レイナの身の回りを世話することまで禁止されているから、何をすればいいか分からなくなったみたい。
「それじゃあ、家にいたとき、休みの日は何してたの?」
「羊の世話なのです!」
「羊の世話って……それは仕事でしょ? 羊から離れて」
「羊から……」
そんな難しいこと言ったつもりはないんだけど。アリサちゃんはしばらくポカンとしてから、「むむむ……」と考え込んでいる。
「雨の日には、母と小物を作ることがございました。余った羊毛を洗って、色をつけて、針で固めるのです」
「手芸細工みたいなものかな……? それは仕事とかでやってるの?」
「いいえ。……母と好きな形を作っていたのです」
お、いい反応。本人は気付いていないと思うけど、穏やかな笑みを浮かべている。
「それって、楽しかった?」
「……楽しかったです」
小さな返事。よし、それなら。
「今日はそれにしよう」
「お姉ちゃんが作りたいのですか?」
「アリサちゃんが作りたいか聞いてるの……あ、レイナに聞くのは無しね」
助けを求めるようにレイナの部屋を見上げたけど、私は先回り。
アリサちゃんはまだ戸惑っていたけど、やがて手帳を拾い上げて、新しい予定を書き加えた。
『午前六時五十九分――羊毛で何かを作る』
「……はい。作りたいのです」
今の返事は、誰かから命じられたものじゃない。
自分の意思で、やりたいことを決めたんだ。
◇
「何で全員いるの?」
一時間後、羊毛が山積みになった談話室の長机を、マナト、ルカ、ミカ、それにレイナまで囲んでいた。
「面白そうだったからじゃん!」
ミカが白い羊毛へ顔を埋める。
「わーっ! ふわふわじゃん!」
「顔を埋めないでください! 形が崩れてしまうのです!」
「後で丸め直せばいいじゃん」
「繊維の向きが乱れてしまうのです!」
やっぱり羊から離れられないらしい。
机には白や灰色の羊毛のほか、赤や青、黄色に染められた小さな束も並んでいて、準備万端といったところだ。
「この準備の良さ、まさにメイドって感じだな。そういえば、人間のメイドもいるのか?」
マナトのいつもの癖が発動した。
最初の方に決めていた一日一個の制限も、最近は形骸化している。私は特に突っぱねることなく考えて。
「……美味しくなーれ、もえもえきゅーん?」
「何それ!? それも人間の呪文!?」
「近い近い近いっての!」
こいつ、やっぱり制限復活させてやろうか。
そう思っていたところで、もうミカとルカが作業を始めていた。
「えっと、アリサちゃん。これ、どうやってやるん?」
「なんかのパーツに使えそうだよな、これ」
あの二人はフリーダムだ。各々、羊毛とは全く関係なさそうなものを作り出そうとしていて、レイナは離れたところで、ずっと本を読んでいた。
「でも、意外。レイナもいるなんて……」
「念のためだ。アリサの目付け役だな」
「主人がメイドのお目付け役って……逆じゃない?」
「ご一緒したくないのでしょうか……」
アリサの肩が落ちる。
「お嬢様にも、作っていただきたいのです……」
「あいにく私は手先が不器用でな。下手なものを人前に晒す趣味はない」
「そんな、下手だなんて……」
アリサちゃんの表情がさらに曇ってしまう。
「……わたしは、お嬢様とご一緒に作りたいです」
さっきまでなら、レイナに大声で何を作るべきか尋ねていたはずだ。
でも、今の小さな言葉は、それまで彼女が決して口にしなかった、自分自身の意思だったはずだ。
レイナもそれに気づいたのか、本を閉じた。
「……一つだけだ」
「はい!」
アリサちゃんがぱっと顔を上げた。
「それでは、作り方をご説明いたします。まず羊毛を丸めて、形が崩れないよう専用の針で少しずつ刺していきます」
「ほらー。そこでダークマター作り出そうとしている男子共も話聞け―」
本当に、ミカとルカの二人は何を作り出そうとしているんだろう。ようやく手が止まったときには、手元には毛玉だかなんだか分からない失敗作が散乱していた。この数分でよくもまあ……
「ダークマターって何!?」
こっちはこっちでうるさい! ああ、ダークマターって魔法社会じゃ通じないの!?
私がマナトを締め落として座らせたところで、アリサちゃんが実際に手本を見せた。
赤い羊毛の束から少量を取り、指先で丸める。あれだけ嵩のあった羊毛が、指先ほどの大きさまで縮んだ。さらに、細い針を一定の速さで刺していくと、柔らかかった羊毛が次第に固くなっていく。
「指を刺さないよう、お気をつけください」
「ほーん。……痛っ!」
「言った直後に刺さないでよ、マナト」
「今のは羊毛の方が動いた」
「動くわけねえだろ」
ルカの言うとおりだ。ルカはさすがに器用で、今アリサちゃんが見せた見本と、ほとんど同じ形に仕上げている。
「アリサちゃんは何を作るの?」
「わたしは、皆様のお手伝いをするのです」
「それだと仕事になるでしょ」
「ですが、初めての方には先生役が必要です」
「教えながらでも作れるよ。アリサちゃんは何が欲しい?」
「それでは、お嬢様がお使いになる椅子敷きを――」
「それはレイナのための物」
「では、お姉ちゃんがお使いになる――」
「私のためでもなくて、自分のために、何か一つ選んで作るの」
色とりどりの羊毛を、アリサちゃんの前へ集める。
「わたしのため……」
アリサちゃんは、白、青、黄色と順番に見ていった。迷ったあと、手本に使っていた赤い羊毛へ目を戻す。
「苺を作りたいのです」
「どうして苺?」
「好きなのです!」
「じゃあ、決まりね」
赤い羊毛を渡すと、アリサちゃんは嬉しそうに作業を再開した。
しばらくして、机の上には各自の作品らしきものが並び始めた。
ルカが作っているのは、針や小さな工具を入れるための細長いケース。マナトは携帯ラジオへ灰色の羊毛を巻きつけている。
「何してるの?」
「ラジオ型の人形だ」
「人形って……中に本物が入ってるよね?」
「再現度を高めるために」
「単に羊毛を使いたかっただけだろ」
ルカに図星を突かれ、マナトが黙った。
ミカが作っているのは、大きな白い雲だった。
「やっぱり雲は、浮いてこそ完成じゃん」
「待って。なんか、指先に魔紋が浮かんでない?」
「《軟風》!」
止めるより先に、ミカの風が雲を持ち上げた。まさに雲のように浮かぶけど、同時にまだ固めていない羊毛まで一斉に舞い上がってしまった。
「うわっ!」
「前が見えねえ!」
「魔法の使用は禁止なのです!」
「うわっはっは! 先に言ってほしかったじゃん!」
「羊毛細工で風魔法を使う方がいるとは思いませんでした!」
ミカの笑い声とともに、談話室が羊毛で真っ白になっていく。
細かな羊毛が落ち着いた頃には、レイナの銀髪がアフロみたいになっていた。
……あ、ごめん。わざとじゃないんだけど、真顔でその髪型は、さすがに笑っちゃう。
「……ミカ」
「ごめんごめん。わざとじゃないじゃん。許して」
「取れ」
「はい、お嬢様……」
ミカが大人しく銀髪へ絡んだ毛を取り始める。
微動だにしないレイナの手元には、黒い獣の人形が置かれていた。
太い四本の脚に、尖った耳と鋭い目。
「お嬢様、とても格好いいです!」
「そうか?」
「はい! 不器用だなんてとんでもない、とても強そうです!」
レイナは黒い人形を見下ろした。
口元がかすかに緩んだ気がする。
本人へ言ったら怒るだろうから、黙っておこう。
「随分と騒がしいと思えば、学院の談話室を羊小屋にでもするつもりかい?」
う、楽しい空間がハクアの一言で台無しに。
談話室の入口には、私服のハクアが呆れたように立っている。
背後には、いつものようにナギさんが控えている。
ハクアは羊毛まみれの床と、宙に浮いている白い雲、ルカの工具入れ、マナトのラジオを順番に見た。
「お前たち、一体何をしている? もしや、そこのメイドに倣って羊にでもなろうというのかい?」
「今日は休日なので、好きな物を作っているのです!」
「は? おいおい、勘弁してくれ。主人から仕事を禁じられ、今度は遊び相手まで与えてもらったのかい?」
「はい!」
「アリサちゃん、あれは嫌味」
私が教えると、アリサちゃんは目を丸くした。
「そうなのですか?」
「困った従者だ。もう少し、人の悪意を理解した方がいいね」
「あなたの悪意が多すぎるだけでしょ」
私たちが言い合っている間に、アリサちゃんは金色に近い羊毛を手に取った。
何度か針を動かし、丸い胴体へ短い脚をつける。形が一瞬で作り上げられて、最後に頭をやや上向きに整えた。
「できました!」
「何がだい?」
「ハクア様です!」
完成したのは、金色の羊だった。
人形とハクアを見比べると、確かに胸を張り、顎を上げているところがよく似ていた。
「僕のどこが羊なんだい?」
「お髪の色が近かったのです!」
「……は?」
「こちらの羊は群れの先頭へ立ちたがるのですが、皆が別の方向へ行っても、一頭だけ気づかないことがあります!」
ミカが吹き出した。ルカは笑いを隠すように机へ顔を伏せている。
私も口元を押さえたけど、完全には堪えられなかった。
「アリサ、多分それ以上は説明しない方がいいよ。キサラギが、何か面白い顔してるから」
マナトの忠告は一足遅かったみたいだ。
「そんな物はいらない!」
ハクアは怒鳴ると同時に、人形を弾き飛ばした。
「ああっ……!」
金色の羊が、机の向こうへ飛んでいく。
床へ落ちる――その寸前、白い手袋が下から受け止めた。
「危ないところでした」
ナギさんだ。いつ動いたのか、近くにいた私にも分からなかった。人形についた羊毛を指先で整えて頷く。
「ご安心を。壊れてはいませんよ」
「よかった……ありがとうございます!」
「何を勝手に拾っているんだい、ナギ」
「ハクア様には不要とのことでしたので」
ナギさんは金色の羊を眺め、穏やかに微笑んだ。
「でしたら、私がいただいてもよろしいでしょうか」
「なぜ君が欲しがる?」
「よく似ておりますので」
「ナギ!」
ハクアは頬を赤くしながら、ナギさんの手から人形を奪い取る。
「僕を模した物を、君が持っている方が不愉快だ! これは僕が……!」
「捨てるの?」
ミカが聞くと、ハクアは人形を見下ろした。
それから、なぜか潰さないように両手で持ち直す。
「僕の部屋で処分方法を考える!」
「結局持って帰るんじゃん」
「黙りたまえ!」
ハクアは金色の羊を上着の内側へしまうと、肩を怒らせて談話室を出ていった。
ナギさんは私たちへ一礼して、ハクアを追う。
「怒らせてしまいました……」
アリサちゃんが、しょんぼりと扉を見つめる。
「大丈夫。あれは多分、気に入ってるから」
「本当ですか?」
「捨てるだけなら、部屋まで持って帰らないでしょ」
「なるほど……さすがお姉ちゃんなのです!」
そんな騒動のあとも、私たちは羊毛細工を続けた。
昼前には、アリサちゃんの手元で、親指ほどの苺の飾りが完成していた。丸い赤い実に小さな緑色のへたと留め具がついている。
「それは誰にあげるの?」
「……わたしが使っても、よろしいでしょうか」
「どうして私に聞くの。アリサちゃんが作ったんでしょ?」
「では、わたしが使います!」
アリサちゃんは、自分のエプロンの胸元へ苺をつけた。何度も角度を直したあと、満足そうに頷く。
「似合うじゃん!」
「ありがとうございます!」
誰かのためではなく、自分のために作った物。きっとアリサちゃんにとっては、それだけでも特別なのだろう。
「私からも、これ」
私は机の下へ隠していた人形を差し出した。
白くて丸い羊に、灰色がかった金色の三つ編みをつけたものだ。左右の長さは揃っていないし、片方の目も上へずれている。
それでも、何を作ったのかくらいは伝わるはずだ。
「わたし、ですか?」
「三つ編み、似てるでしょ」
「はい! わたしより綺麗に揃っています!」
「そこは比べなくていいから」
アリサちゃんは、壊れ物に触れるように人形を両手で受け取った。
「いただいても、よろしいのですか?」
「もちろん。アリサちゃんのために作ったんだから」
「わたしのため……」
何度も人形を眺めたあと、アリサちゃんが勢いよく立ち上がる。
勢いのまま私へ飛びつきかけて、途中でぴたりと止まった。
「あの……抱きついても、よろしいでしょうか」
「転ばないならね」
「はい!」
今度はゆっくり近づいてきて、私の身体へそっと額を預ける。
「ありがとうございます、お姉ちゃん」
「うん」
妹がいたら、こんな感じなのだろうか。そして……お姉ちゃんも、昔はこんな気持ちだったのかな。
正解は分からないけど、私はアリサちゃんの頭を軽く撫でた。
ただ、アリサちゃんが自分で選べるものを一つ増やすたび、なぜか私まで嬉しくなる。
この子が私をお姉ちゃんと呼んでくれる間くらいは、もう少しそばで見ていたい。
それは誰かに命じられたからではなく、私が自分でそうしたいと思ったことだった。




