飼育場大騒動
「全員、伏せろ!」
セレナ先生が叫んだ瞬間、上空から吹き下ろした風が、飼育場の地面へ激突した。
草が一斉に伏せ、砂と藁が巻き上がる。木製の柵が軋み、逃げ遅れた俺たちは地面へ叩き伏せられた。
「ぐっ……! これのどこが軟風なんだよ! 暴風じゃねえか!?」
ルカの叫びも、風の音にかき消されていく。
雲羊たちは綿毛のように舞い上がり、飼育場のあちこちへ飛ばされていた。
荒れ狂った風はほんの一瞬で勢いを失い、草の表面を撫でる穏やかな流れへ変わっていく。
「最初だけ強すぎるじゃん!」
「申し訳ございませえええん!」
上空からアリサの謝罪が降ってきた。
アリサの放った風を翼の下から受けたグリフォンは急上昇。そしてその背中が、飼育場の上空を覆う結界へぶつかった。
青白い光が広がり、グリフォンの悲鳴とともに薄い膜のようだった結界が大きくたわんだ。
衝撃で、グリフォンの足に取り付けられていた長綱の安全金具が弾け飛ぶ。強い力が加わった際、脚を傷めないよう外れる仕組みだったらしい。
問題は、その綱がアリサの腕へ絡んだままだということだ。
「え?」
グリフォンから切り離されたアリサが、空中へ取り残される。
支えを失えば当然、落下あるのみ。
「アリサ!」
沙耶香が悲鳴を上げた。
真下にはミカの軟風のクッションが残っているけど、あの高さから落ちる人を完全に受け止められるほど強い風じゃない。
俺は杖を抜き、落下地点へ向けた。
「《水球》!」
青い魔法陣から水が溢れ、大きな球体を作る。
水は右回りに渦を巻きながら、ミカの風の上へ浮かんだ。
でも、あれじゃ深さが足りない。もっと大きくしようにも、アリサはもうすぐそこまで落ちてきている。
「アリサ、身体を丸めろ!」
「はい!」
返事をしたアリサは、落下しながら俺の魔法陣と水の流れを目で追っていた。
「《水球》!」
「空中で使うのか!?」
アリサの杖先から、俺のものより一回り大きな水球が飛び出した。
ただし、回転が逆だ。
右回りの俺の水球に対して、アリサの水球は左回り。
二つが空中で衝突する。
反対向きの流れがぶつかり、互いの勢いを削りながら横へ広がった。球体だった水が、ミカの風の上で大きな水の受け皿へ変わり、その中心へアリサが落ちた。
アリサの落下を受け止めた水の受け皿は形を維持できずに粉々になって、俺たちの頭上から雨となって降り注いだ。
「アリサ!」
沙耶香が真っ先に駆け出した。
水浸しになった草の上で、アリサが勢いよく身体を起こす。
「無事なのです!」
「本当に!?」
「全身が濡れただけでございます!」
「それを確認してるの!」
沙耶香はアリサの肩や腕を確かめ、強く抱きしめた。
「この馬鹿! 羊毛なんて放っておけばよかったでしょ!」
「ですが、飲み込んだらグリフォンさんのお腹が……」
「だからって、アリサが空へ連れていかれてどうするの!」
「申し訳ございません、お姉ちゃん……」
「次からは、こんなことしないでよ」
「はい。次はもっと素早く羊毛を取り返します!」
「そっちじゃない!」
反省していないというより、反省する場所を間違えている。
上空で、グリフォンが甲高く鳴いた。結界へぶつかった鋭い目が、地上のアリサを捉えた。
「まだ興奮している。下がれ!」
セレナ先生が、俺たちとグリフォンの間へ入った。
けれど、グリフォンが見ていたのはアリサ本人じゃない。
水浸しになったエプロンのポケットから、灰色の羊毛が飛び出していた。
「まだ持ってたの!?」
「非常時に備えておりますので!」
「今がその非常事態!」
グリフォンが翼を畳んで、落下するような速さで、アリサへ向かってくる。
「お姉ちゃん、下がってください!」
アリサが沙耶香の前に踏み出そうとした。
「私を庇ってる場合じゃない!」
沙耶香がアリサを押し退け、杖を上げる。
「《火矢》!」
唯一魔紋を経由しない赤い魔法陣から、一本の炎が放たれた。
グリフォンへ当てるためじゃない。進路を炎で塞ぎ、接近を諦めさせるための魔法だ。
グリフォンが翼を傾け、横にずれた。
炎を避けても、グリフォンはアリサへ向かい続ける。
アリサも杖を上げる。
「《火矢》!」
二本目の炎が飛び出した。直後、炎の左側だけが潰れた。
均衡を失った火矢が、大きく左へ曲がっていく。外れた。
だが、曲がった炎がアリサのエプロンをかすめた。
ポケットから飛び出していた羊毛が燃え上がる。
「熱っ! 熱いのです!」
「自分を燃やす奴があるか!」
レイナが白いエプロンを引き剥がし、地面へ放り投げた。すかさず俺が水をかけて、火はすぐに消えた。
目当ての羊毛を失ったグリフォンは、空中で慌てて翼を広げた。
でもここまでの速度をそう簡単に殺しきれない。
地面すれすれで方向を変えて、そのままペガサスの区画を仕切る柵へ突っ込んだ。
木材が吹き飛んで、続く大きな音に驚いて、今度は三頭のペガサスが一斉に駆け出した。
「次はペガサスかよ!」
誰かの声には、俺も同意だ。
ペガサスたちは翼を広げ、出口へ向かって速度を上げていく。飛び立つための助走だ。
進行方向には、逃げ遅れた生徒たちがいる。
「道を空けろ!」
セレナ先生は、まだグリフォンを押さえている。
その前へ、レイナが飛び出した。
「《閃雷》!」
レイナの手に現れた黄色い魔法陣から細い雷が走り、先頭のペガサスの鼻先へ落ちて、土が弾けた。
驚いたペガサスが前脚を上げ、急停止する。
けれど、後ろから来る二頭は止まらない。
「お嬢様、わたしも!」
「待て、威力を抑え――」
「《閃雷》!」
レイナのものより太い白い雷が放たれ、魔法陣を出た直後に三本へ枝分かれした。
一本目は、左のペガサスの前。
二本目は、右のペガサスの前。
三本目は、二頭の間へ落ちる。
雷鳴とともに、草と土が大きく弾けて、二頭のペガサスが同時に足を止めた。地面に残った三本の真っ黒な焦げ跡が、ペガサスたちを怯えさせているみたいだ。
「……やりすぎましたでしょうか」
「やりすぎだ!」
小さなアリサの呟きに、セレナ先生が怒鳴り返した。
「勝手に魔法を重ねるな! ……だが助かった。おい、負傷者と魔獣の状態を確認しろ!」
その後、俺たちは手分けして飼育場を回った。
幸い、ペガサスにもグリフォンにも大きな怪我はない。生徒も、転んで擦り傷を負った者が何人かいる程度だった。
アリサはグリフォンへ駆け寄ろうとしたが、その襟をレイナに掴まれた。
「どこへ行く」
「グリフォンさんが羊毛を飲み込んでいないか、確認を」
「教師に任せろ。お前まで怪我をすれば、余計に手がかかる」
レイナはアリサを自分の前へ立たせた。
「お前は誰かに、グリフォンを助けろと命じられたのか?」
「いいえ」
「では、なぜ柵から出た」
「羊毛を飲み込んだら、苦しくなると思ったのです」
「命令がなくてもか?」
アリサは少し考えてから、頷いた。
「気づいたときには、身体が動いておりました」
「……そうか」
レイナは壊れた柵と、その向こうの雲羊を見た。
そんな彼女の横顔を、アリサは不思議そうな顔で見上げている。
「次からは、先に私を呼べ」
「お嬢様を?」
「ああ。私も助けに行く」
レイナが当然のことのように答えると、アリサが目を丸くした。
「ご一緒してくださるのですか?」
「お前一人で突っ込むよりはましだ」
「はい!」
今日一番大きな返事だった。
「本当に、返事だけは立派だな……」
レイナが額を押さえる。
「アリサ・ミネウチ」
続いて、セレナ先生が呼んだ。
彼女の足元には、今日使われた魔法の痕跡が残っている。
最初だけ強く吹き荒れた風に、俺とは逆向きに回った水、左へ曲がった炎、三方向へ分かれた雷。
焦げ跡や水たまりを見下ろしながら、セレナ先生は鋭い眼差しで尋ねた。
「今の魔法は、どこで習った?」
「皆様が、先ほど使っておられました」
「一度見ただけで再現したのか?」
「はい。魔法とは、見たものを同じように作るものではないのですか?」
「「違う」」
横から、俺と沙耶香の声が重なった。
「違うのですか?」
「私が《火矢》を使えるようになるまで、どれだけ練習したと思ってるの?」
「三日でしょうか」
「もっと」
「一週間?」
「もっと!」
「一か月?」
「もう聞かないで!」
自分から質問したのに、沙耶香が回答を拒否した。
「柊の場合は特殊だが……正式に魔法を学んだ経験は?」
セレナ先生が尋ねる。
「ございません。羊毛を乾かすために風を使ったり、夜の見回りで灯りを出したりはしております」
「確かツワブキの血筋ではあるんだったな。なら、雷は?」
「狼を追い払うときに、足元へ撃ちます」
「今の雷を狼へ撃ったのか?」
「三方向へ逃げられるようにしております!」
「狼がかわいそうじゃん……」
ミカが呟いた。
セレナ先生は頭を抱えた。
「模倣できてはいるが、完全ではない。どの魔法にも大きな癖がある。その魔力量で制御も習っていないとなれば、放っておく方が危険だ」
「申し訳ございません」
「だから謝るな。お前は十三歳だったな」
「はい」
「学院の受験資格は十五からだ。それまで何も学ばずにいるには、力が強すぎる。少なくとも制御訓練を受けることは考えておけ」
「わたしが、学院で……」
アリサはすぐにレイナに答えを求めた。
「私を見るな」
「ですが、わたしはどうすればよろしいのでしょうか」
「お前のことだ。自分で決めろ」
「……はい」
返事はしたものの、アリサは眉を下げたままだった。
四つの魔法をその場で再現するより、自分が何をしたいのか決める方が難しいらしい。
授業の終了が告げられ、俺たちは壊れた柵の片付けを始めた。
途中、飼育場の外に立つ人影へ気づいた。
ナギさんだ。騒ぎを聞きつけて来たのか、腕にはキサラギの上着が掛けられている。
「おやおや。派手に壊したものですね」
「アリサがグリフォンに連れていかれたんです」
「それは災難でした。お怪我は?」
「ございません!」
「ご無事で何よりです」
「ナギ」
キサラギが飼育場から歩いてきた。流石に多少の被害はあったのか、全身に汚れが付着していて、見事な金髪もボロボロだ。
「僕の上着を持ったまま、いつまで他家の使用人を眺めているんだい?」
「申し訳ございません、ハクア様。ただいま」
ナギさんが恭しく上着を差し出す。
「ふん。それにしても、一度見ただけで四つの術式か。どれも不格好だが、羊飼いにしておくには惜しい魔法だね」
「キサラギに評価をお願いした覚えはない」
レイナがアリサの前へ立つ。
「おお、怖い。褒めたつもりなんだけどね」
キサラギは上着を受け取り、先に歩き出した。
ナギさんも俺たちへ一礼し、キサラギを追っていく。
けれど、俺が最初に気づいたとき、ナギさんの目は地面へ焼きついた、三本の焦げ跡に向けられていた。




